Tokyo Art Beatでは特集「AI時代のアート」をスタートする。2023年にはChatGPTの登場などで「生成AI」に大きな注目が集まり、アート界でもAIをどのように扱うか、それは人間の創造性にどんな影響を与えるのかといった実践や議論が広まっている。2024年となった今年、その可能性と展望に様々な角度から迫ろうというのが本特集の目指すところだ。
まずは入門編として、「AIとアート」概論を前後編でお届け。「AI、人工知能」と聞いて少々身構えてしまう入門者に向けて、メディア・アート領域を中心に創作活動の理論と実践を行う久保田晃弘(多摩美術大学 メディア芸術コース教授)がわかりやすく解説。後編ではAIとアートの歴史をさかのぼり、AI画家を作ったハロルド・コーエンの実践を紹介。ホイットニー美術館(ニューヨーク)にて大規模回顧展が2月から開催され、再評価が期待されるコーエンの実践から見えてくる、これからのAIと創造性の行方とは。【Tokyo Art Beat】
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*特集「AI時代のアート」のほかの記事はこちら(随時更新)
──前編では、歴史の連続性からAIをとらえ直すことが重要で、「いままでにない」「新しい」とむやみに持ち上げたり恐れたりする必要はないということがわかりました。いっぽうで、やはりその技術的な進歩に注目が集まる状況も無視できないのではないでしょうか。
久保田:大規模言語モデルによるChatGPTが、それを開発した技術者自身の想定を超える機能を発揮したのは確かです。トランスフォーマーという、次の語を予測するモデルを用いたGPTの最初のバージョンが公開されたのは2018年6月でしたが、2020年6月にベータ版がリリースされたGPT-3あたりから、突然その能力が向上しました。トランスフォーマの性能は、神経細胞の数に相当するパラメータ数、学習に用いたデータセットの大きさ、学習に用いた計算量という3つの変数のべき乗側にしたがっているのですが、その連続性の中で何か質的な変化が起こったのです。
さらに幅広い一般知識や専門的な問題解決能力もった最新のGPT-4では、自分で問題をつくってそれを学習する自己教師あり学習によって、学習のプロセス自体を学習するメタ学習や、モデルの汎化、会話をしながら学習していく能力など、コンピュータ科学者もまだうまく説明できないような、驚くべき能力が発現しました。それはある種の計算による創発現象と言えるのかもしれません。技術者が興奮するのは良くわかります。
ただ、これまでのGPTのような規模の拡張による技術の進化は、そろそろ打ち止めになりそうな感じもしています。OpenAIもGPT-5の商標の登録申請は行ったものの「直近の予定には入っていない」とアナウンスしていています。先日のサム・アルトマンCEOの解任劇の背景などを見ていると、たんなる量的拡大では、もうこれ以上の機能の進化はないことに、OpenAI自らが気づいているように感じます。
人間は、物理法則を知らなくても、悪路を走ったり、様々な姿勢でボールを投げたりすることができます。しかし人間の知はそうした経験的、つまり反復とメタファーによるものだけではなく、数学、物理学、論理学のような、明示的な形式知によっても拡張してきました。大量のデータを用いた帰納的な学習だけでなく、設定された記号システムのなかで、因果関係や演繹的な可能性を探求したり、さらにはアブダクションと呼ばれる不完全な情報や断片的な観察からそれらを説明する仮説を推論していくような知は、いまのニューラルネットワークだけでは(ある程度は言語モデルの枠組みの中で学習できたとしても)実装が難しいといわれています。
たとえばリアリスティックな写真を生成しようとするときに、既存の写真の学習だけで様々な光の加減を調整するのではなく、システムが光学の原理を学んだり、3DCGのような世界モデルを持つことで、そこからボトムアップに世界を構築することができれば、さらに精度や柔軟性があがるだけでなく、ハルシネーション(幻覚)のような、今日のAIの問題を緩和することができるかもしれません。
かつてのAIは、むしろそうした問題に取り組んでいました。コンピュータを用いたAIの出発点は、数学的、形式的推論の機械化でしたし、90年代に精力的に取り組まれたエキスパートシステムも、職人や専門家が持っている暗黙知を言語化して、それを「Prolog」のような推論エンジンに乗せることで、ある領域に特化した演繹的知能を構築しようとするもの──その代表例が日本政府の第五世代コンピュータプロジェクトでした。ChatGPTを拡張するプラグイン、たとえばWolframプラグインのような計算知能システムの組み込みによって、そうした過去のアプローチが、もう一度、新たな形で利用されるようになるでしょう。
いまOpenAIやGoogleが注目しているのは、AIのマルチモーダル化です。画像・音・テキストなどの複数の種類の情報を一緒に学習することで、より統合的な知能を構築しようとしています。そのためには、異なる種類のデータを関係づけることが必要ですが、そこには画像でいえば網膜外のできごと、音でいえば鼓膜外のできごと、つまり背後にある意味や文脈の解釈や、全身体的な知覚や経験が必要不可欠です。機械学習も、画像だけ、テキストだけでわっと盛り上がる時期がそろそろ終わり、人文学と理工学が協働して「枯れた技術の水平思考」を進めるべきだと思っています。
──これからのAIとアートを考えるうえで、歴史的に注目する存在はありますか。
久保田:AIとアートを結びつけた歴史的な事例として、ハロルド・コーエン(1928〜2016)という画家の実践を知ってもらえれば、と思います。ディープラーニングや機械学習とは異なるアプローチで、AIを用いたアート制作を行い続けた貴重な試みで、今後のAIを考えるうえでも、参照項のひとつになると思います。
いまの大規模言語モデル以前の、伝統的な人工知能や機械芸術のイメージは「ロボットアームが筆を持って絵を描く」というものでした。ジリンスカの『AI ART』の冒頭でも、アンドリュー・コンルーが創設した「ロボットアート」コンテストが紹介されています。ロボットとアートの歴史は長く、AIと同じくその起源はサイバネティクスに遡ります。「ロボットが絵を描く」というイメージのなかで、アートも記号的推論による第1世代、知識工学による第2世代のAIと出会いました。その根底にあったのは、普遍的、超越的な何ものかをつくるというよりも、むしろ自分の創作を支援する、あるいは代行してくれる、ある種の分身をつくろうとすることだったように思います。
そうした自分の分身としてのAIをつくることに、生涯をかけて取り組んだのが、ハロルド・コーエンでした。コーエンが作ったコンピュータ画家「アーロン(AARON)」は、芸術と人工知能が邂逅した史上初めての事例と言われています。AIと美術が、理念や言葉ではなく、ひとりの作家の生き方と出会ったのです。
ヴェネチア・ビエンナーレやパリ・ビエンナーレにイギリス代表として参加し、ドクメンタ3にも出展するような、生粋の画家だったコーエンは、1960年代の後半にコンピュータに出会うと、やがて「これからは僕が描くのではなくて、僕の分身としてのコンピュータが絵を描く」と考え始めました。
当時のコンピュータ・アートの多くは、ロジックやアルゴリズムによって、幾何学的、抽象的な図を描いていましたが、コーエンは広義の具象を目指しました。その出発点は、画家としての自分が持っていたスキル、つまりものをどうやって見ているか──たとえば輪郭や奥行きを見ることや、陰影を見ることでした。そして、そうした人間のものの見方を、ひとつずつ記述してコンピュータに伝えていこうとしたのです。
1973年に書かれた論文「Parallel to Perception」でコーエンは、コンピュータが絵を描けるようになるためには、コンピュータにデータ変換の手続きを指示するのではなく、アーティストの制作中の意識の動き、つまり知覚のモードを与えなければいけない、と述べています。これは今日の機械学習とは大きく異なる方法です。動かない身体の網膜、つまりカメラに映る画像情報としてのデータをアルゴリズミックに操作するのではなく、画家がどのように世界を見ているか、どのように空間や物体を把握しているのかを記述しようとしたのです。画像データを操作することは生成ではなく、たんなるイメージの変換にすぎません。コーエンは、AIが芸術の自律的な制作者になるためには、コンピュータが人間の知覚の様々な側面に類似した機能を持っていなければならないと考えました。そしてコーエンは、作品に対する意識を知覚世界に対する質疑応答ととらえました。AIが図ではなく絵を描けるようにするために、まず図と地、内と外、閉包、包含、相似、分割、反復といった人間の認知的プリミティブを記述して、それらを相互作用させようとしたのです。
1972年、等高線地図や領土地図、迷路といった領域分割のアルゴリズムを用いて、アーロンは絵を描き始めました。もちろんまだ複雑なものは描けないので、最初は子供の線画のようなシンプルなものでしたが、それは確かに図形ではなく「しみ(blot)」でした。コーエンはそこから、オブジェクトの配置や重なりによる原初的な遠近感の表現や、オブジェクトの形態の複雑化や陰影による立体化など、アーロンを少しずつ育てていきました。
4年ほどかけてアーロンは、内発的に石器時代の洞窟壁画のようなイメージを描けるようになりました。当時は大きな絵を描けるプロッターや大判のプリンターはなかったので、虫のような小型ロボットをつくって、それがタートル・グラフィックスのように自ら動いて描いていました。1970年代、コーエンはほとんどの時間をアーロンの制作に費やしましたが、1979年にはサンフランシスコ近代美術館でアーロンの個展を開催し、壁一面の巨大な壁画が展示されました。
アーロンは、外の世界に関する対象固有の知識を持つのではなく、人間の認知の極めて限定的なモデルを構築していました、しかしながら、それが具現化したいくつかのプリミティブは、画家が「standing for-ness」と呼ぶ、見る者の個人的な意味を喚起するようなイメージでした。アーロンは外界を描写することなく、空間や世界を表すような絵を描けるようになったのです。
80年代の半ばになり、アーロンがより洗練された視覚空間のなかで、フィギュラティヴなドローイングを行い、絵のディテールが生まれてくると、次にコーエンは、アーロンに日常的なオブジェクトや植物、そして人間の身体の描き方を教えていきます。もちろんそれは、人物や植物の外形をトレースするのではなく、内部に「人間には頭、胴体、2本の腕、2本の足がある」「植物には幹と枝と葉がある」といった対象のスケルトン(棒人間のようなもの)を持たせて、それをもとに画家がデッサンをするように、頭や顔、胴体や手足の部分に厚みやディテールを加えながら、最終的には印象的な「フリーハンド」ドローイングを描いていくものでした。
コーエンが苦心したのは色を塗ることでした。なぜなら、コーエンのような画家は、RGBやCMYKのような抽象的なパラメータで色を塗るのではなく、絵具で色を描いているからです。また色は対象の性質というよりも、むしろ視覚の性質です。サンフランシスコの展覧会でも、色はアーロンではなくコーエンが手作業で塗っていました。
様々な試行錯誤を繰り返しながら、またシステムを記述する言語をCからLISPにアップグレードすることで、90年代の半ばに、ようやくアーロンが自力で着彩できるようになりました。ポイントは、複雑な配色を制御するうえで、重要なのは色相よりも明るさであることに気づいたことでした。RGBディスプレイではなく色を塗るプロッターも自作して、コーエン自身が塗るのと見分けがつかないような、オリジナルの色を塗れるようになりました。それはポール・ゴーガンを思わせるような、南国的、楽天的で鮮やかなものです。アーロンは、歴史上最も長く稼動し、維持され続けたAIシステムのひとつでした。ここまで継続的に、アートとAIの共同作業を行った人は、ほかにはまだいないと思います。
人間がものを見るときの知覚や認知の内的側面に注目し、デッサンや絵画の制作に用いられる機能的プリミティブを記述し、それらが互いに質疑応答することで、アーロンは独自の内的イメージを構築できるようになりました。それはまさに科学主義的モダニズムとは別の「人工的な芸術知性」と言えるでしょう。インターネットで収集した大量の画像を、分類したり再構築することで作品を生成するというやり方ではなく、画家がいかにして世界を見て、空間や物体を把握するか、ということから始める構成的なアプローチです。こうしたボトムアップのAIのあり方は、AIの歴史の流れとも呼応していました。彼の生き方そのものがAIの発展と連動していたのです。
──コーエンはずっと独自に活動を続けたのでしょうか。
コーエンは学際的な人でした。卓越した芸術家であり、同時に素晴らしいエンジニアでもありました。そして、様々な分野の人と対話をしながら、この2つの世界をつなぐ重要な架け橋となりました。初期の創作や論文は、アート界とテクノロジー界の双方から注目を集め、コーエンはスタンフォード大学の人工知能研究所(SAIL)に客員研究員として招かれ、ジョン・マッカーシーやエド・フェイゲンバウムといったAIの先駆者と共に、描画システムの開発に取り組みました。その後も、レイ・カーツワイルというシンギュラリティを提唱した発明家が、アーロンのことを非常に高く評価し、投資やソフトウェアの開発を支援しました。アーロンのサブセットは、2007年には Windowsソフトウェアとして公開されたこともありました。僕も使ってみたことがあるのですが、描画の指示によって永遠に絵を描き続けてくれます。描くプロセスも見ることができて、色を縁から塗り始めたりと、何だかとても人間的なんですね。そうしたことが、すべてコード化されていて、まるで人間が描く様子を見ているようなソフトウェアでした。
コーエンは2016年に亡くなりましたが、その後もロボットで絵を描こうとする人が現れ続けて、それが前述のロボットアート・コンテストへとつながっていきます。アーロンの影響を受けた人も多いと思いますが、その後、コーエンのように継続的に自分の分身としてのソフトウェアを開発し続けたり、大規模な展覧会を開くほどの人物はまだ現れていません。歴史的なビッグネームとして、コーエンが一際明るく輝いているという感じでしょうか。実際アーロンの表現力は圧倒的で、2006年に多摩美術大学美術館で、コンピュータ・アートの展覧会を開催した際も、カラフルかつ大判のアーロンの絵画は、ひとつの魅力的な美術作品として、余人が辿り着けない領域に達しているように感じました。
コーエンは、アーロンはエキスパート・システムではなく、エキスパートのシステムであり、それ自体に創造性があるとは考えていませんでしたが、それでも自分のことを「死後も新作が生まれる最初のアーティストになる」と(ある種のジョークとして)語ったこともあります。プログラマーとしてのコーエンは、創造性ではなく、ソフトウェアの自律性に着目していました。しかしコーエンは晩年、アーロンがかなりの自律性を獲得するようになると、今度は逆にアーロンの内部に入り込み、その意図を読み取るための対話を回復しようとしました。実際コーエンは、対話こそが創造性の鍵だと考えていました。アーロンの創造性は、プログラムとプログラマーの対話の中にありました。コーエンとアーロンは、互いの差異と親和性を並置することで共進化し続け、それが新たな芸術形式と、コラボレーションと親密さに根ざした、豊かで複雑な人間と機械のインタラクションを生み出したのです。
──コーエンは美術の歴史においてどのように語られてきたのでしょうか。
久保田:コーエンは、コンピュータ・アートの先駆者のひとりとして、コンピュータ・アートの歴史が語られる際には必ずといっていいほど登場する存在ですが、前述のように、当時のコンピュータを用いた幾何学的であったり、構成的な作家とは、大きく異なるアプローチで創作を行いました。とはいえ、20世紀の近代絵画の歴史に出てくるということもありません。アカデミックな音楽の世界で、自作楽器やスピーカーが禁じ手とされていたように、絵画においてもコンピュータやディスプレイ/プロッターは、いわば禁じ手のようなものに思われていたのかもしれません。そのいっぽうで、コーエンとアーロンの仕事は、マン・マシン・コラボレーションの象徴として、科学博物館のような施設の研究分野として人気を博し、多くの委託作品が制作されました。
コーエンの探求は、アートワールドやアートマーケットにおける展覧会の開催や作品の流通といった、いわゆる美術業界にフィットしたものというよりも、ルネッサンス時代における遠近法の探求や、印象派の絵画の筆触分割や点描の実験のようなものだったと思います。カリフォルニア大学サンディエゴ校の教員となったことで、そこで大学院生たちと一緒にプログラミングに取り組むこともできました。コーエンは、自己神話化というアーティストのナルシスティックな傾向や、アートは高価でなければならないというマーケットの常識とも無関係でした。有名にならなければいけない、高く売れなければいけない、といったことをあまり考えなかったからこそ、アーロンの開発を、彼自身のペースでじっくり、のびのびと進めることができました。それはきっと楽しかったと思うし、幸せな人生だったとも思うんです。アーロンの事例は、AIと芸術の幸福な出会いでした。
コーエンは「芸術作品は意味を伝達するものではなく、意味を生成するものである」と考えていました。芸術創作は、作者が考えたことを鑑賞者に伝えるコミュニケーション・ゲームではなく、美術作品のエージェンシーによって、鑑賞者ひとりひとりが意味をつくり出す、ということです。だから「芸術作品は世界を表象するのではなく、喚起するものでなければいけない」と繰り返し語るのです。AIとのコラボレーションを通じてコーエンが考えたことは、AIとアートの今後を議論するうえでも非常に示唆的だと思います。
21世紀初頭、AI研究において「身体化(Embodiment)」が盛んに議論されました。いまでこそ言語モデルがAIの主流であるかのように思われていますが、当時は「脳や記号/言語だけをシミュレーションしても知性は生まれない」と多くの人が考えていました。たとえばMITコンピュータ科学・人工知能研究所で教授・所長を歴任したロボット研究者のロドニー・ブルックスは、1986年に多数の単純な振る舞いを階層的に組み合わせていくことで、複雑な知能が実現できる「サブサンプション・アーキテクチャ」、つまり直接知覚のような「表象なき知能」を提唱しました。そこで重要視されたのは、記号の操作や推論ではなく、世界とかかわる耳目の働きや手足の形や動きです。
コーエンの知覚的、対話的アプローチも、この考え方と近いものだと思います。直接知覚にせよ、間接知覚にせよ、知覚は常に変化する環境とのフィジカルな相互作用そのものです。裸の脳だけでは、決して知性は生まれません。ブルックスのアプローチは、掃除ロボットのルンバのような生活の中の知能や、ボストン・ダイナミクスの動物/人間型ロボットのような、自然環境の中の状況的行動へと発展していきます。
『知能の原理』(ロルフ・ファイファー、ジョシュ・ボンガード著、2006)が示しているような、身体的、生態学的な知能論が、AIと芸術を考えるうえで、いまなおとても重要だと思います。言語の中にも身体イメージは含まれていますが、そうだとしても、機械学習や言語モデルだけで、物質的素材や身体なき美術活動を考えるのは、あまりにもナイーヴだと思います。言語や画像、音声だけをどんなに巧みに操れたとしても、それだけでは知性にはなりません。アートにおけるフレーム問題や記号接地問題を同時に考えていく必要がありますし、ひょっとしたら逆に、言語なきAIを考え直しみるのもいいかもしれません。
ここでもう一度、ディープラーニングを用いた画像生成の歴史を振り返ってみます。そのきっかけとなったのは、2015年にGoogleが開発した「DeepDream」(画像の中のパターンを検出し、それをパレイドリア的に過剰に強調、拡張することで夢や幻覚のような画像を生成するソフトウェア)でした。リアリティの再現ではなく、イメージの過解釈によって、ニューラルネットワークに超現実的な夢を見させようとしたのです。
その後2017年には、生成と識別を相互作用させるGANを用いて、アーティストでGoogleの研究員でもあったマイク・タイカが、架空の人物のポートレートをつくりました。この作品をいま改めて見てみると、当時の驚きに反して、画像生成技術の歪みや未熟さが気になりますが、逆にその不完全さが強い印象を与えます。いずれもほんの数年前、つい最近のできごとです。人間がとても飽きっぽい動物であると同時に、とても移ろいやすい存在であることが、再認識させられます。
ここ5年ほどのディープラーニング技術の急速な発展が、技術者でも予想できなかった成果を上げたことで、AIとアートのイメージも、20世紀当初の身体的なもの、ハロルド・コーエン的なアプローチが、一瞬のうちに忘れ去られてしまいました。大規模言語モデルの性能に驚いた人間の側が慌てふためいて、突然「人間を超える」だとか「人間の仕事がなくなる」という極論合戦が始まりました。かつて写真技術が生まれたときにも「絵画は死んだ」と言われたわけですから、やはり人間は、なかなか過去に学ぶことのできない、歴史を繰り返す動物であることがわかります。
大規模言語モデルや画像生成AIの限界が見えてきたいま、ここからAIとアートの関係を先に進めていくためには、人間を含む環境に継続的に関与し、対話を繰り返しながら変化していく「拡張された心」としてのAIをもう一度考え直してみることが必要だと思います。昨今のディープラーニングや言語モデルの喧噪のあと、コーエンが晩年に取り組んだ、対話としての創造性、時間的なプロセスの中から生まれる共同作業を、いかにして発展できるのかを考えていかなければなりません。人間とAIは、比較したり対決するものではなく、互いの長所と短所を補い合うような協力的存在です。ですから最初に述べたように、アナドールのようなアプローチは、生成というよりもむしろ、鑑賞や分析のための可視化手法とみなすべきだと思います。マノヴィッチも、大量の文化データをコンピュータで解析する自身の活動を「Cultural Analytics(文化分析論)」と呼んでいます。生成や創作におけるAIの身体性や関係性をめぐる議論は、今後必ず復活していくと思います。
──ペインターにも制作過程でAIやコンピュータを使う人がますます増えそうです。
久保田:はい。これまでのアートにおけるAI技術の活用は、技術系、コンピュータ系の、いわゆるテクノギークによるもの、あるいはメインストリームから外れたサブカル的な活動が中心で、ロボットアートコンテストのようなイベントを、美術史や美学の専門家が取り上げたり、美術評論家が批評するようなことは、ほとんどありませんでした。しかし、作家の側では、コンピュータ・アートやメディア・アートに限らず、保守的、伝統的なメインストリームアートの世界でも、AI技術が少しずつ浸透しつつあるように感じます。
たとえば、昨年の11月にベルリンを訪れた際に、クンストヴェルケ現代美術センターで、クリストファー・クーレンドラン・トーマスの「Another World」を見たのですが、ここでは過去の内戦の歴史を再検討、再構築するために機械学習が用いられたり、ディープフェイクによるフィクションと現実の融合や、ディープラーニングによって生成された抽象絵画など、様々なAIとのコラボレーションが行われていました。(*1)これからも、とくにリサーチ=ベースド・アートの世界では、機械学習やAIは様々なかたちで、肯定的かつ批判的に利用されていくと思います。
近年、美術界に限らず、GPTのカスタマイズが可能になったことで、パーソナルな「草の根機械学習」がかなりやりやすくなってきました。使い方を独学で学ぶことができるマニュアルやチュートリアルも増えてきました。技術に詳しい人のサポートがあれば、自分たちが持っているアーカイブを機械学習によって分析、再構築することが、個人レベルでできるようになりました。ハードウェアも、市販のパーソナルコンピュータやクラウドサービスで十分です。ビジネス目的のAIのパワーゲームに翻弄されたり疲弊してしまう前に、簡単な事例でも良いので、まずは機械学習をカジュアルに使ってみることが重要だと思っています。
同時に、美術史や美学の研究者に、いまのディープラーニング技術だけでなく、もう一度コーエンのアーロンや、その後のロボットアートやドローイングロボットの創作について考えてもらえれば、と思います。今日多くの人がAIだと思っているものは、AIの長い歴史から見れば、そのごく一部にすぎません。たとえば、画像生成ソフトウェアとアーロンは、どこが同じでどこが違うのか、芸術における知能とはどのようなものなのか、近代芸樹における作家や作品という概念がAIによってどのように変化していくのか……そうした、AIと芸術の出会いから生まれる様々な問いに、多くの人が興味を持ってもらえたらいいと思います。
繰り返しになりますが、AIとアートの出会いによって生まれる人文系と理工系の交流を通じて、批評のプラットフォームやフレームワークとしてのAIや、AIを用いた新しい鑑賞パラダイムについての実践や議論が深まることに期待しています。作品批評において、画像データの分析からわかることとわからないことは何なのか、批評のメディアである言語にできることとできないことは何なのか。そうしたことを、AIの開発者や利用者と一緒に考えていかなければなりません。AIが未熟で不完全だからこそ、深まる議論がたくさんあると思いますし、AI技術に対する批判的視点は、作家や作品の過剰な神話化や、西洋や男性中心に編まれてきた美術史の見直しとも、根底の部分で連動しているように感じています。
*1──ベルリンのクンストヴェルケ現代美術センターで開催された、タミル系アーティスト、クリストファー・クーレンドラン・トーマスの個展「Another World」については、日本語でのレビューがある。日比野紗希「【ベルリン】AIアバターとアーカイブ映像の融合が示すあり得た歴史とオルタナティブな社会──C・クーレンドラン・トーマスの映像メディアインスタレーション」、artscape 2023年2月1日号 https://artscape.jp/focus/10182676_1635.html
前編はこちら
「ハロルド・コーエン:アーロン」展
Harold Cohen: AARON
会場:ホイットニー美術館(Whitney Museum of American Art)
日程:2月3日〜5月
公式サイト:https://whitney.org/exhibitions/harold-cohen-aaron
久保田晃弘
久保田晃弘