公開日:2024年8月27日

梅沢和木×布施琳太郎×GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAEインタビュー:「スーパーフラット」以降の日本現代アートの20年【Tokyo Art Beat 20周年特集】

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ「これまでの20年 これからの20年」。1980〜90年代生まれのアーティスト3名が「スーパーフラット」以降の日本現代アートや、いまのアートシーンの実感について語る(構成:今野綾花)

左からGILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAE、梅沢和木、布施琳太郎 撮影:雨宮章

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。「これまでの20年 これからの20年」と題して、6つのテーマで日本のアートシーンの過去・現在・未来を語る。

第2弾となる本稿では、アーティストの梅沢和木、布施琳太郎、GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAE(ギロチンドックスギロチンディ)の3名が「『スーパーフラット』以降の日本現代アート」のテーマで語り合う。

「スーパーフラット」とは、「時間性(歴史性)も空間性も圧縮された平面的表現」かつ「領域の区別も価値の階層も、表現主体の内側もない」(*)戦後日本美術のあり様のことを指す。村上隆キュレーションの展覧会「SUPER FLAT」(2000)を発端とする概念で、伊藤若冲ら江戸時代の「奇想の画家」の画面構成とアニメーターの金田伊功の作画手法に平面的視覚表現という類似性を見出したことから始まる。

梅沢和木はインターネット上に散らばる画像を再構築し、圧倒的な情報量に対峙する感覚をカオス的な画面で表現する美術家。かつて美術集団「カオス*ラウンジ」のメンバーとして活動し、そのなかで村上隆と活動をともにした経験がある。

布施琳太郎はスマートフォンの発売以降の都市における「孤独」や「二人であること」の回復に向けて、自ら手がけた詩やテキストを起点に、映像作品やウェブサイト、展覧会のキュレーション、書籍の出版、イベント企画などを展開。そうした横断的な活動は、同じく制作、書籍出版、キュレーションまで幅広く手がけてきた村上の活動を彷彿とさせる。

GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAEはマンガ、映画などのサブカルチャーに触れ育ち、都市と青年を題材にコンセプチュアルで物語的な表現を行う。現代美術の展覧会とライブを組み合わせて、7年間にわたり物語が展開されていく長編プロジェクト「獸」も話題に。近作からは、「スーパーフラット以降の平面表現」を模索する意欲的な姿勢も感じられる。

村上、あるいは「スーパーフラット」の影響を三者三様に受けてきたアーティストは、いま「スーパーフラット」をどう語るのか。影響を受けてきた美術やカルチャー、現代アートシーンへの実感についてインタビューする。

Tokyo Art BeatのYouTubeにて後日動画も公開予定。

*特集「TABの20年、アートシーンの20年」ほかの記事はこちらから

同人文化とカイカイキキのインパクト

──過去20年に影響を受けた人、もの、ムーブメントを教えてください。

布施:僕は20年前は9歳で、意識して作品を摂取するようになった頃です。アニメとボーカロイドカルチャーが身近にあって、庵野秀明さんや新海誠さんの作品、クリエイター集団のSupercellの活動に衝撃を受けました。高校生になって進路を決める時期には、カオス*ラウンジChim↑Pomがネットで話題になっていた。当時、イラスト投稿サイトのpixivに「現代アート」というタグがあって、梅沢(和木)さんたちの仕事に驚いたネットユーザーのあいだで議論や炎上が起きていました。それとは別に、庵野さんたちが同人活動から法人化して劇場アニメを作っていることを知ったりもして。同人と法人のあいだで揺れ動くいろんな人たちを追っていたことが、現代美術の分野で活動したいという選択につながりました。

梅沢: 20年前、僕は19歳で、その前後はサブカルチャー、アニメ、ニコニコ動画の動画やコメントにすごく影響を受けましたね。アップロードされた作品に対して匿名のユーザーたちがコメントして一体化するのを見て、リレーショナルアート(ニコラ・ブリオーらによって提唱された「関係性の美学」)よりよほど関係性があるなと衝撃を受けたことが作品につながっています。それ以前、中学・高校時代には麻枝准さんというゲームのクリエイターの作品や、音ゲーの「beatmania」をエミュレーションして作られた「BM98」という同人のソフトを楽しんでいました。自分の根底には、そういう同人文化的なものを中心としたインターネットカルチャーの地場があります。

GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAE(以下、ギロチン):僕は20年前は5歳ですね。たぶん僕がふたりと違うのは、パソコンをいじった経験がほとんどないことです。高校生になってiPhoneやiPadを持つまでは、マンガしか読んでいなかった。美術に触れたのは大学に入って、それこそゲンロンやカオス*ラウンジが盛り上がっている時期でした。思い入れがある展示は、カイカイキキギャラリーでやっていたヴァージル・アブローの「PAY PER VIEW」(2018)。初めて行った現代美術の展示で、前提知識もなくて、全然面白くないと思った(笑)。そこから1、2年経って、ヴァージル・アブローやカニエ・ウェスト、ヒップホップやストリートの文化を学びだして、いまはヴァージルが超好きで、影響を受けています。

布施:僕が初めて自分の意思で行った展示も、カイカイキキギャラリーのJNTHEDの個展(「バイバイGAME」、2011)でした。そう考えると、僕らのアートの理解のベースはカイカイキキに裏から作られている。

梅沢:僕は一時期カオス*ラウンジで村上さんと一緒に活動をしていたので言うまでもないですが、3人ともカイカイキキの存在がかなり大きいんだね。

ウェブプラットフォームの盛衰のなかで

──マンガやアニメの話がありましたが、みなさんはウェブのプラットフォームにも影響を受け、表現に持ちこんでいるように見えます。

梅沢:ウェブプラットフォームとサブカルチャーは混ざり合っていて、片方だけ語ることは不可能だと思います。

布施:「スーパーフラット」の登場と同時並行で、サブカルチャーとハイカルチャーとしてのアートがフラットになったと思います。おそらく僕たちは、村上さんが「スーパーフラット」をコンセプトにするのとは違って、むしろ「スーパーフラット」のなかを生きている。

梅沢:プラットフォームが当たり前になったいまでは、「スーパーフラット」の世界も当たり前なんですよね。アートやサブカルが全部ひとつのタイムラインに流れてくるのが当たり前になった。そこでカオス*ラウンジみたいに、プラットフォーム自体をモチーフにする動きが出てきたと思うんです。僕の初期作品は、それこそニコニコ動画のコメントをコラージュしたり、プラットフォームをそのまま素材として使っていました。

「カオス*ラウンジ2010 in 高橋コレクション日比谷」会場風景

布施:ウェブプラットフォームは、とくに国外の大きな企業が上から押しつけてくる印象が強い。それを決定的に感じたのはTikTokでした。賢い大人たちが会議して作ったとしか思えないサービスが若者たちを文字通り踊らせているのを見て、怖いと思った。僕自身インディペンデントなウェブサイトを作る活動をしていますが、人が集まったりばらけたりする場所を個々にプログラムする営みに可能性を感じています。

ギロチン:サブカルチャーは自分の血、遺伝子のような感覚があって、ウェブプラットフォームは道具という認識です。とくに親しんでいるのはInstagramで、世界中の展示やファッションショーを追えるし、ライブも観客目線からいろんな動画を見られる。全世界のいまの美学を吸いとれるんです。コミュニケーションツールとしてもめっちゃ使っていて、「ストーリーズ」を見ると、文字じゃなく、何を撮るかで「話が合うな」とわかるんです。実際に韓国のアーティストをインスタで見つけてDMして、仲良くなって一緒に展示もしました。外国人という壁がなく喋られる。視覚言語で会話ができる感じです。僕は布施さんはTwitter(現 X)、梅ラボ(梅沢)さんはpixivとニコ動という印象があるんですけど、どうですか?

梅沢:僕もTwitter寄りじゃないですかね。

布施:Twitterのおかげで自分が何者でもないときに展示の告知もできたし、民主的になったと思います。10年前のプラットフォームで言えば、Tumblrがまさに視覚的なコミュニケーションでしたね。Contemporary Art DailyとかVVORKみたいな海外のアート系メディアには、キャプションやコンセプトを追いやって、ヴィジュアルイメージだけで情報を流通させる美学もあった。

梅沢:Tumblrは重要で、昔は自分の作品制作と同じ勢いでやっていましたね。でもTumblrも力を失って、Twitterも「終わって」いる。全体的にプラットフォームがよくない方向に行っているように見えます

布施:いまはLINE、DM、Discordといったオープンじゃないコミュニケーションに時間を割いているのがリアルかな。

梅沢:ギロチンくんの企画「BOLMETEUS」(SAI、2024)もインスタつながりの作家が多くて健康的に見えますね。Twitterのオフ会みたいに閉じていない。あと、いまプラットフォームで力を持っているのはマッチングアプリでしょうか。

「BOLMETEUS」(SAI、東京、2024)会場風景

布施:いまもっとも重要なウェブプラットフォームはマッチングアプリだと考えていますが、それもTikTokと一緒で、打算的なゲーミフィケーションに基づいています。恋愛とか性愛をゲームみたいに受け身のままするのが当たり前というのはすごい時代だと思う。

布施琳太郎《名前たちのキス》(2021) Photo by Keizo Kioku マッチングアプリについてのリサーチに基づいた映像作品

領域を超える新たなクラブカルチャー

──2010年代はコレクティヴの時代で、カオス*ラウンジもpixivやTwitterを通じて集まっていました。現在、とくに布施さんやギロチンさんは、ご自身がキュレーションする企画を通して同志と緩やかに連帯している印象を受けます。

布施:コレクティヴよりも、他人として影響を与え合うくらいの距離感が居心地がいいという気持ちがベースにあります。企画単位で、その場限りの集まりで、タイトルやプロセスを考えたい。関係性の終わりが見えている関係はヘルシーだと思っています。

梅沢:企画単位で動くのが、ふたりの作る展覧会の特徴ですよね。僕はじつは個展以外で展覧会を作ることはほとんどなくて、憧れもあるんです。飲み会を主催できる能力に近い。

布施琳太郎キュレーション「惑星ザムザ」展(製本印刷工場跡地、東京、2022)より、宍倉志信《P.S Installer》(2022) 撮影:木奥恵三

ギロチン:布施さんと違って、僕の活動はコレクティヴに近いかもしれない。コミュニティみたいなものが熟成したり、入れ替わったりしながら大きくなっています。毎年忘年会と花見をやって、知り合いを片っ端から呼ぶんです。美術だけじゃなく、音楽とかデザインとかファッションの人をごちゃごちゃと呼ぶ。分野じゃなく、人となりに基づいてコミュニティが形成されています。それはクラブに行く美大生が増えたからだと思っていて。クラブに行けば音楽の人もファッションの人もいるから、知り合いが増えて、自然な流れで2021年から毎年企画する展覧会「獸」でライブをやるようになりました。

「獸(第2章 / BEAUTIFUL DAYDREAM)」(CON、東京、2024)の関連イベントとして行われたJUMADIBAのライブ 撮影:松村歴

梅沢:クラブに自然に行く、というのがすごすぎる。

ギロチン: Tohjiというムサビ出身のラッパーがで音楽シーンに出てきて、その影響でクラブには最初はムサビの子がいっぱいいました。その後ほかの美大生も増えていった。

布施:僕が大学生の頃のクラブ体験って、ギロチンのようにコミュニティを楽しむというよりは、Maltine Recordsの主催するイベントのようなオタクなカルチャーでした。

梅沢:でも相似する部分もあるのかもね。昔はMaltine近辺で「Twit And Shout」っていうTwitter発のクラブイベントがあって、僕やMaltineの人、tomadくん、tofubeatsとかが関わっていて、カオス*ラウンジとも同時多発的だった。それとは違う流れで気軽に行けるクラブ文化の隆盛があって、その延長線上に「獸」があるのかも。

「シーンなきシーン」と批評の不在

──いまの美術のシーンをどのように見ていますか。

ギロチン:音楽シーンにいる友人は、「いまのアートシーンは何が起きているのかわかりづらい」と言っていて、僕もそんな印象を持っています。

梅沢:いまは「シーンなきシーン」みたいな状況ですよね。もっと広く見なきゃいけないと思います。たとえば公募団体系の美術って全然表に出ない印象だけど、人口がすごく多くてシーンもある。イラストレーターやインディーズゲームの世界も熱い。アートよりもサブカルチャーやファッションのほうが強い影響力を持つのが当たり前で、アートがサブカルチャーに勝つほどの影響力を持ったことはないんです。むしろ「スーパーフラット」以降、アートがサブカルチャーに追随する構図が続いていると思います。

布施:シーンをつくろうとして、ウェブプラットフォームのアルゴリズムにどうやって最適化して発表するかを逆算している人やメディアにも疑問があります。

梅沢:理想を言うと、プラットフォームを作れたらいいんですけどね。

布施:そうなんですよ。だから僕にとって地味に大事な活動は、自主企画の講義なんです。100人、200人来てくれるけど、来る人は意外とアーティスト志望じゃなくて、学生も美大以外の人が多い。大きなパイじゃなくても、その期待に応えられなくなったら、カルチャーとして現代美術は終わりを迎えてしまうと感じます。

梅沢:でも、そういうものがシーンにつながっていきますよね。教えたり語り継いだりしないと伝わっていかない。既存のメディアがどんどん小さくなって、小さな講義や学校が分散している。プラットフォームを自分でつくろうといろんなところで言われるけど、ややもするとサロン化して、怪しいビジネスになりがちです。

布施:サロンとシーンは裏表くらい近いので一概に「悪」とは言えません。

梅沢:東浩紀さんも「シラス」をやっていますけど、プラットフォームを作るってとても難しいですよね。資本力、体力、理念がないとできない。ただアーティストが本来やるべきなのは、プラットフォームを自分で作ることですね。

布施:あと、批評が減りすぎたと思う。やっぱり批評があって制作があるし、批評を書いてもらうと、新しい発見とともにプログレスしていける。

梅沢:ギロチンは批評との距離感はどうですか?

ギロチン:書かれたいって思います。僕の周りには言語優位で作品を作るアーティストがあまりいないけど、そういう人の作品にこそ批評があってほしいし、僕にも書いてほしい。けどまあ、書きづらい気持ちもわかります。

布施:僕は常々、文章を読むのが苦手なアーティストほど、自分宛ての批評による客観視が効率的だと思ってる。

梅沢:ただ、アートのシーンと批評は切っても切り離せないけど、批評はどんどん減っているよね。

布施:アテンション的な経済効果で測られた結果、批評の居場所がなくなっているんです。書く場所がないし、書き手の人数が少ない。文芸誌でも批評の賞がどんどんなくなっている。アーティストが金を払ってでも場所を守らないといけないところまで来ている。

梅沢:いまは「推し」を最善とするような文章が増えている印象があって、あまりよくないですよね。批評や批判がかつてよりもやりづらくなった。書き手が「これを書いたらよくないな」と警戒している状況もありますね。

「スーパーフラット」の残したもの

──いま「スーパーフラット」をどう見ていますか? 布施さんは今回の取材を依頼したメールのやりとりで「岡本太郎の大衆性が村上隆に引き継がれなかった」と話していました。もし自分たちの世代で克服できると思うことがあれば教えてください。

布施:3部作の展覧会シリーズである「スーパーフラット」の締めくくりである「リトルボーイ」展のカタログは岡本太郎から始まります。芸術と芸能が区別できない日本の文化的な土壌については「スーパーフラット宣言」のなかで村上さん自身が語っていますが、そうした前提のなかで、岡本太郎が芸術と芸能、さらには戦争や経済、人類学までを同時に考えた人だからこその選択だと思います。でもあのスタイルはどのジャンルでもなかなか引き継がれていない。お茶の間のアイコンから、日本で初めて原子力発電所の電力が供給された大阪万博の《太陽の塔》や、その明暗を描いた《明日の神話》を作っちゃう、政治的な緊張感と造形的な感覚とポップスターとしての影響力……奇跡のバランスです。ただ、カオス*ラウンジにせよ、村上さんに影響を受けた人たちには、その大衆性を望む一面は引き継がれなかった。

梅沢:僕はカオス*ラウンジを通して村上さんと1年ぐらい仕事をしました。我々の不手際と2011年の炎上が重なって、なし崩し的に関係は切れてしまったんですが。カオス*ラウンジのゲームやインターネットという文脈は、どちらかというとアニメ・マンガのカルチャーがモチーフだった「スーパーフラット」とは違いがあったと思います。「スーパーフラット」が日本で影響力を持ったのは、海外でウケたもの逆輸入的に日本に持ちこんだことに尽きると思います。そうすると、「スーパーフラットを乗り越えていく」ことを素朴に考えたら、海外で力を持つことが無視できないですよね。いまはどんどん難しくなっているけど、ギロチンくんみたいなインスタのゆるいグローバルなコミュニケーションの糸口になるかもしれない。

布施:アートに限らなければ、たとえば黒澤明や村上春樹がどうしてグローバルな大衆性にダイレクトにリーチできたのかは気になります。

梅沢:村上(隆)さんって、間違っても宮崎駿や庵野秀明みたいに受容されてはいない。僕の想像では、村上さんはそうなりたかったけど、そうじゃない戦略で、資本主義の力を複雑な方向に無理やりねじ曲げた。だから、むしろ村上さんの真似はできない。

ギロチン:宮崎や庵野は、物語というフォーマットもありますよね。物語を輸出するようなスタイル。

布施:僕も影響力という点では美術作品より本のほうが早いかもしれないと思うけど、本当は発明でいきたい。

ギロチン・梅沢:発明?

布施:文字通り新しい科学的な発明。たとえばブロックチェーンのアイデアとか、歴史的に考えたら、アーティストはああいう基礎的だけどダイナミックな技術のアイデアを着想していいと思う。シーンを見せることから離れて、人類の「生き方」や「生きがい」みたいなものを再定義したい。

──今後20年のアートメディアに期待することを教えてください。

布施:一個だけ明確に期待するのは、批評の賞をやってほしいです。競い合うことの善し悪しとは関係なく、賞って開かれているから。コネやどの大学にいるかといったことでしか世の中に出られないがまずすぎると思う。

ギロチン:『美術手帖』の賞(芸術評論募集)は終わったんですか?

布施:僕が受賞した2019年が最後なので再開されてほしい。アーティスト向けの賞はありすぎるので、Tokyo Art Beatが批評家やキュレーターの賞をやってくれたら、ボトムアップで世界がよくなると思います。

梅沢:中立的なふりをするメディアではあってほしくないですね。内部に近い人が問題を起こした時に「我々は完全に中立ではないけど、こういう力学でこうしています」とちゃんと説明責任を果たしてほしい。それはアーティストも一緒で、すごく普通の話ですけど。Tokyo Art Beatはそれをやっていると思うから、継続してほしいです。

ギロチン:僕は、自分の批評を書いてほしいです(笑)。

左からGILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAE、梅沢和木、布施琳太郎 撮影:雨宮章

*──『現代アート事典 モダンからコンテンポラリーまで……世界と日本の現代美術用語集』(美術出版社、2009)、p138


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梅沢和木
美術家。1985年埼玉県生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業。インターネット上に散らばる画像を再構築し、圧倒的な情報量に対峙する感覚をカオス的な画面で表現する。CASHI所属。主な展覧会に「HYPER LANDSCAPE 梅沢和木×TAKU OBATA」(ワタリウム美術館、東京、2018) 、「Tokyo Pop Underground」(ジェフリーダイチ、ロサンゼルス・ニューヨーク、2019)、「百年の編み手たち−流動する日本の近現代美術−」(東京都現代美術館、2019)、「黒の夢」(CASHI、2020)、「Beauties, Ghosts and Samurai. Japan's pop culture tradition from Edo period ukiyo-e to 20th-21st-century manga, anime and sūpā furatto」(リトアニア国立美術館、2024)など。

布施琳太郎
アーティスト。1994年生まれ。スマートフォンの発売以降の都市における「孤独」や「二人であること」の回復に向けて、自ら手がけた詩やテクストを起点に、映像作品やウェブサイト、展覧会のキュレーション、書籍の出版、イベント企画などを行っている。主な活動として個展「新しい死体」(PARCO MUSEUM TOKYO、東京、2022)、廃印刷工場におけるキュレーション展「惑星ザムザ」(小高製本工業跡地、東京、2022)、ひとりずつしかアクセスできないウェブページを会場とした展覧会「隔離式濃厚接触室」(2020)など。著書として『ラブレターの書き方』(晶文社、2023)、詩集『涙のカタログ』(パルコ出版、2023)。

GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAE
現代美術家。1999年東京生まれ。多摩美術大学日本画専攻卒業。マンガ、映画などのサブカルチャーに触れ育ち、都市と青年を題材にコンセプチュアルで物語的な表現を行う。現代美術の展覧会とライブを組み合わせて、7年間にわたり物語が展開されていく長編プロジェクト「獸」を開催している。また、日本橋馬喰町にあるギャラリー「CON_」のキュレーションなども行う。 主な展覧会に、個展「☆☆☆☆☆☆☆」(CON_、東京、2023)、「Young Artist Exhibition 2021」(EUKARYOTE、東京、2021)、「獸(第1章/宝町団地)」(CONTRAST、東京、2022)、「獸(第2章/BEAUTIFUL DAYDREAM)(まるかビル、東京、2024)、「BOLMETEUS」(SAI、東京、2024)など。

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。