公開日:2024年8月29日

【対談】資生堂クリエイティブディレクター・永田香×グラフィックデザイナー八木幣二郎。新生「inoui」のデザイン美学とその再解釈を語る

約20年ぶりに再始動したメイクアップブランド「inoui」と、気鋭のグラフィックデザイナー八木幣二郎がコラボ。今回のリブランディングやコラボビジュアル作品の制作背景、デジタルと紙の違い、そしてアートから得るインスピレーションについて語り合った。

左から、永田香、八木幣二郎 撮影:金子怜史

昨年9月、約20年ぶりに再始動した資生堂のメイクアップブランド「inoui(インウイ)」と、グラフィックデザイナー八木幣二郎のコラボレーションが実現した。

今年7月までギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された個展「NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」では、架空の印刷会社のコーポレートアイデンティティや、過去のグラフィックデザイナーのポスターを再解釈した作品を発表していた八木。インウイが協賛するTokyo Art Beatの20周年記念企画で、アートディレクターを務めている。

1999年生まれのデザイナーは、1976年発売当初からのエッセンスを引き継ぐ新生インウイのプロダクトをどう解釈したのか。そもそもインウイのブランド再始動にはどのような想いが込められているのか。ここでは新生インウイのリブランディングを手がけたクリエイティブディレクターの永田香(資生堂クリエイティブ)と八木の対談を敢行。話は、今回のリブランディングやビジュアルの制作背景にとどまらず、デザインにおける紙とデジタルの違い、アートから得るインスピレーションなど多岐におよんだ。

初代のデザインから「東洋と西洋の文化的融合」を掲げたインウイの「赤」

──メイクアップブランドの新生「インウイ」は、2023年9月から再始動しました。まず永田さんから、ブランドが最初に誕生した背景やリブランディングの意図を教えていただけますか?

永田香(以下、永田) インウイが誕生したのは1976年です。当社の福原義春(*1)元名誉会長が1970年代に、女性を取り巻く環境が変わるなかで、新しいライフスタイルと最先端の感覚を持つ方々に向けた新たな製品が必要だと考え、当時化粧品では珍しかったグローバルプロジェクトとしてスタートしました。日本とアメリカ、イタリア3ヶ国の資生堂スタッフが共同開発を行って、まず香水でデビューし、翌77年からメイクアップラインを国際展開しました。

永田香 撮影:金子怜史

──芸術への造詣が深く、東京都写真美術館館長や企業メセナ協議会会長も歴任された福原義春さんが開発に携わられたブランドなのですね。

永田 はい。福原さんはこれから働く女性たちが増えていくことを見据え、そうした社会のなかで主体的に動く女性のための高品質でバッグから取り出したときにシックに見える製品が必要だと考えたようです。ブランド誕生時からの、女性それぞれの「個」の魅力を引き立てる、製品デザインも洗練された化粧品というインウイの基本コンセプトは、いまも変わりません。

1976年の発売開始に当たり、コピーライターの土屋耕一さんが送り出した広告コピー「彼女が美しいのではない。彼女の生き方が美しいのだ。」もセンセーションを巻き起こし、多くの女性にブランドが支持されて、ビジネス的にも成功しました。

撮影:金子怜史

──その頃の私は10代でしたが、インウイの広告が打ち出した颯爽とした女性像や、鮮烈に赤いスタイリッシュなデザインに憧れました。こっくりとした深みがある真紅色は、新生インウイに引き継がれていますね。

永田 赤い真紅色は初代からパッケージに採用されたカラーで、いま私たちは「インウイレッド」と呼んでいます。パッケージデザインは何度かリニューアルが行われ、90年代にグレーをメインカラーに採用した時期もありましたけれど、数年後に真紅色に戻りました。

今回のリブランディングでは、幅広い年齢層のメンバーによるプロジェクトチームを組み、まずブランドのアーカイヴを検証して、議論を重ねながらブランドづくりを行いました。独特の真紅色は、「東洋と西洋の文化的融合」をコンセプトにしたことや、浮世絵に影響を受けたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックやクロード・モネの絵画の「赤」にもインスピレーションを得たそうです。圧倒的な存在感があり、心が躍る高揚感をもたらしてくれるこの色は、新しいインウイでも引き継ぐべきだと考えました。

八木幣二郎 撮影:金子怜史

八木幣二郎(以下、八木) (歴代のインウイ製品の写真を見ながら)赤いボディーに金色のパーツが効いていますね。

永田 新しい製品ではゴールドのパーツ使いを復活させ、2000年代に一時樹脂製になったケースは金属製に戻しました。ブランド開始時からインウイをご存じだったり、長く愛用していただいた方々の期待を裏切りたくないとも思いました。

初代のインウイは、当時世界でもっとも薄いと言われたコンパクトを実現させました。リブランディングでは身体の一部になるような薄く軽快でミニマムなパッケージデザインを目指しました。薄くても堅牢な上質感がある素材を、長く使えるサステナビリティの観点からも検討した結果、金属を再導入することになりました。さらに今回ロゴも変わりました。

インウイのメイクアップアイテム

デジタル時代のロゴデザインと色の模索

──八木さんは、文字が本来持つグラフィカルな要素に着目し、3DCG用ソフトウエアを駆使したグラフィックデザインを手がけてこられました。新しいインウイのロゴをどうご覧になりますか?

八木 そうですね、化粧品を携行するとバッグの中でひっくり返ることがありますよね。初めて新しいロゴを拝見したとき、「INOUI」の英字が天地逆になっても読めるアンビグラムのようになっているのがすごいと思いました。ロゴにクラシックな趣があるセリフ書体を使われていますが、そのセリフ(文字の線の端にある小さな装飾)が尖りすぎず、小さな角(つの)を付け足したように見えて、懐かしさと現代性を同時に感じるデザインですね。

ここしばらく欧米の歴史あるファッションブランドが、“顔”であるロゴのリニューアル時にサンセリフ体やゴシック体に変更する流れが顕著だったんですが、イギリスのバーバリー社が昨年発表した新しいロゴは書体をセリフ体に戻して注目されました。そんなケースも僕は想起しました。

八木幣二郎 撮影:金子怜史

永田 たとえばセリーヌがロゴの「E」の上のアクサン記号を取るなど、ハイブランドが相次いでロゴをガラリと変えた時代もそろそろ終わり、その次の新しさを求める頃ではないか、と考えていました。新しいロゴは、インウイのオリジナリティがあるデザイン性を引き継ぐひとつの試みとして、文字のセリフを現代らしいかたちでデザインしました。

八木 あと、デジタル的にも読みやすい配慮がされたロゴデザインだと思いました。

永田 化粧品の場合、レーベル名やロゴは、製品に控え目に入っているのが美しい佇まいだと伝統的に考えられてきました。でもデジタル時代に、その感覚はもう通用しないのかもしれません。インウイのプロジェクトチームでは、20代から50代まで様々な年齢のメンバーが意見を出し合って、ロゴのサイズや位置を模索しました。そのときに結構驚いたのですが、年齢層により見え方の反応がかなり違うんです。

左から、八木幣二郎、永田香 撮影:金子怜史

八木 書籍・雑誌の文字も昔より大きくなっていますし、デジタルネイティヴ世代はモニターで見慣れた文字のほうが紙のものより親和性があるというか、身体に馴染んでいます。紙とデジタルでは文字を入れるデザイン言語がそもそも違いますし。たとえば小さめの活字で情報を入れ込んだポスターをデジタルに持っていくと、文字が潰れて読めなくなったりします。紙とデジタル両方のために同時にビジュアルをつくるときは、そのバランスを考えますね。

永田 パッケージデザインの完成後に、コミュニケーションのイメージ作りを着手するのが一般的なのですが、デジタル環境を考慮して、ネットやSNS上でインウイ製品を見られることを考え、RGBを念頭にした鮮烈な赤を選ぶことを提案されました。プロダクトとデジタルでの体験を考えながら、結果的に効果的にブランドカラーを設定したのは、専門領域の異なるクリエーターによる多様な意見交換が功を奏したのだと思っています。

左から、八木幣二郎、永田香 撮影:金子怜史

八木 反対にデジタルの色をそのまま紙上に再現しようとすると、蛍光色などを混ぜたりしないと出ないので僕もよく苦戦します。デジタルフライヤーをデザインした後に、クライアントから紙でも印刷したいと要望されることもありますが、色彩の単位自体が違いますから、どうしようかと悩みます。最近は、そんなことも起こり得ると計算したうえでデジタルフライヤーを作ったりします。

自然現象の造形や質感を取り入れた八木のビジュアル

──今回八木さんに、TAB20周年に協賛してくださったインウイの製品を主役にした新しいビジュアル作品を作成していただきました。まず八木さんが作品に込めた意図を教えてください。

八木 僕は過去の化粧品広告やコピー年鑑を見るのがすごく好きなんですね。これまで目を通した限り、化粧品の広告はモデルの方を絡ませたケースがほとんどだと思います。今回のように人がいない状態でのビジュアルはあまり前例がなくて、かなり難しいと思いました。

今回まず前提として感じたのは、インウイの製品はかたちが非常に綺麗でプロダクトとして完成されているということです。その形態が引き立つように、強いエフェクトは加えずに作品を作ろうと考えました。制作では、製品の下に水を敷いて撮影を行い、自然な水の揺らめきや波紋、水面に光が反射した不定形なかたちをビジュアルに活かしました。そして、立体に回る光や、その光がもたらす影、水面に映る鏡像を際立たせることを意識して構図を決めていきました。

八木幣二郎とinouiのコラボヴィジュアル(インウイ リキッドファンデーション、インウイ チーク)

──3DCGを活用する八木さんのグラフィック表現は、不定形なかたちや書道的タッチ、粒子のような物質感が特徴のひとつだと思います。今回の作品でも、三次元(空間)的な質感や動きを感じさせる表現が現れていますね。

八木 いろいろと手を動かしているうちに、花っぽい、生き物っぽいな、あるいはブラシストロークっぽいな、などと不定形のなかでも形態を重ねていって、プロダクトや写真との関わりを決めていきました。ほかのデザイン物とは違い一枚のビジュアルとして見せていくので、モーションや流動的な動きが想起されるような造形に置き換えてます。

八木幣二郎とinouiのコラボヴィジュアル(インウイ ルーセントプライマー)

──永田さんに初めて今回の八木さんの作品をご覧いただきました。いかがですか?

永田 作品から「液体・気体・固体」という「自然界の三態」を強く感じます。インウイのプロダクトを中心に置いて、その自然現象との関わりを非常に慈しんでいる印象を持ちました。製品の下に液体の水を敷き延べるアプローチも意外性がありますね。

インウイのパッケージデザインは、形態も色彩もプロダクトとして強いので、ビジュアライズはアプローチの仕方が悩ましいとよく皆さん言われます。直線的なだけではなく、デザインは有機的なラインもありますが、そうした柔らかい部分をとらえた写真をあまり見た記憶がありません。でも八木さんは、自然現象という広い視点から入って今回の作品をデザインしていただいてうれしく思いました。

以前にも八木さんのほかの作品を拝見したことがあります。3DCGという特異な手法やそれを巡る様々な評価などの先入観抜きに作品を見ようと努めたのですが、そのときに八木さんは氷や光やプリズムなどの自然現象や質感といった領域にも惹かれていらっしゃるのではないかと感じました。

左から、八木幣二郎、永田香 撮影:金子怜史

八木 おっしゃる通りです。たとえば、波風が当たって削られた岩肌のように、ランダムのように見えるけど原因があって形作られたテクスチャー感が僕は非常に好きです。そうした自然現象が起きる各地の森林や山岳、海辺などをリサーチして自分の中にストックしています。

3DCGによるグラフィックを作るときも、日々の散歩中に街で気に入った自然物のテクスチャーを撮影した画像を使って、それをエフェクトとして加えたり、ブラッシュストロークで不定形なかたちにしたり、さらにガラスっぽい質感を与えたりして、最終的にそれを再び自然に戻すような感覚で作業を行います。

八木幣二郎 撮影:金子怜史

今回の作品では、インウイの製品はモノリスっぽいと言いますか、シンボリックな印象があるので製品の周囲の環境をどう作るかが大きなポイントだと思いました。モノリスと考えると、自然環境や有機的な背景のほうが存在は際立つと思い制作しました。

永田 たしかにモノリスっぽいかもしれませんね(笑)。新生インウイをどのようなブランドにするか最初に考えたとき、やはりアイコニックなプロダクトデザインが必要だと感じ、まず私が思い浮かべたのはマーク・ロスコの赤いペインティングでした。見る人を引き込む空間性がある、あの「赤い四角」が、最初のインスピレーションを与えてくれたんです。

八木幣二郎とinouiのコラボヴィジュアル(インウイ アイライナーリキッド)

アートや現代書から受けるインスピレーション

──永田さんは、英国の美術大学でグラフィックデザインを学ばれた経歴を持ち、これまで資生堂の「HAKU」「THE GINZA COSMETICS」「Clé de Peau Beauté」などのプロダクトやパッケージデザインを手がけてこられました。製品をデザインされるときに、アート作品からよくインスピレーションを受けられるのでしょうか?

永田 大学時代にプロダクトデザインの教育を受けていませんので、仕事を始めた当初はいかにかたちを作るか、生み出すかがわからなくて苦労しました。初代HAKU(2005)のときはニューヨークのグッゲンハイム美術館の建築や、ジョルジョ・モランディの作品にインスパイアされ、螺旋を描くシルエットを製品に実現できてから自分なりのデザインの方法がつかめた気がしました。いまもいきなりかたちをデザインすることはしません。ヒントになる言葉や自分の妄想を膨らませながらアイデアが下りてくるのを待ったり、外へインスピレーション源を探しに行ったりします。マーク・ロスコの絵画だったり、スウェーデンのインゲヤード・ローマンの作品や創作の思想、姿勢にも深く影響を受けていると思います。

つねにアウトプットが求められるデザイナーとして、自身へのインプットのためにも、アート鑑賞はできるだけするようにしています。最近は現代書も気になっていまして、とくに井上有一さんやハシグチリンタロウさんの作品に惹かれます。圧倒的な自我を持っている方の作品に打ちのめされたい願望があるのかもしれません。

永田香 撮影:金子怜史

──八木さんも書に関心をお持ちですね。

八木 はい。いちばん影響を受けた書家は、最近上野の森美術館で展覧会が開催された石川九楊さん。5年ほど前、90年代の『ユリイカ』の文字特集をたまたまめくっていたら、石川さんの書と文章に出会って衝撃を受けたのがきっかけで、様々な石川さんの作品を見たり、書について書かれた本を読んで勉強したりしました。

石川九揚さんは、僕が当初感覚的に思ってきたことを非常に明晰に言語化されている方だと思います。そして何より作品がカッコよくて、刺さりました。石川さんの書は、文字や地形、筆のスピードなど複数の事象をモンタージュして書かれるのですが、僕が様々な自然の現象や事物からパーツを借りてグラフィックを作るときに近い手つきを感じます。

八木幣二郎 撮影:金子怜史


一瞬でも捨てづらいと思わせることができたら、デザイナーの勝ち

──書に紙は不可欠です。八木さんは、デジタルのお仕事も多いと思いますが、紙媒体についてどうお考えですか?

八木 展覧会などの仕事で僕はあえて「図録を作りましょう」と提案して本を作ったり、チラシなどの印刷物は発行部数を少なくする代わりに紙質を良くしていただいたりします。後者は、大量にある印刷物は簡単に捨てられがちだけれど、特別感があれば人から人へと渡ったりして、結果的にデータより長く残る可能性があると考えているからです。

物としての印刷物の良さは、たとえば家を大掃除した際に昔のチラシなどが出てきて、何かを思い出したり考えたりする引き金になる。そのときに一瞬でも捨てづらいと思わせることができたらデザイナーの勝ちだと僕は思います。

永田 これまで拝見した八木さんの作品の中で、私は布施琳太郎さんと共同制作されたアートピース《砂の本》(2023)がとくに好きですね。あの円筒形の本のボリューム感にしびれました。

左から、八木幣二郎、永田香 撮影:金子怜史

ところで八木さんは、人にメイクをしたことはありますか? メイクもグラフィックの一種ととらえることができると考えるとき、八木さんのような新しい感覚を持ったグラフィックデザイナーがどのように人間の顔に色彩を載せるか、新しいメイクアップの可能性を拝見したい気がします。

八木 自分にも他人にもメイクした経験はありませんが、周囲のヘアメイクを観察するのは好きなので、機会があればぜひやってみたいですね。

左から、八木幣二郎、永田香 撮影:金子怜史

*1──福原義春(ふくはら・よしはる、1931~2023)。資生堂創業者・福原有信の孫に生まれ、1953年資生堂に入社。87年社長に就任し、資生堂のグローバル展開の基礎を築いた。97年代表取締役会長、2001年名誉会長に。文化人経営者として知られ、日本企業によるメセナ活動の中心的存在だった。

永田香(ながた・かおり)
英国Middlesex University Foundation首席卒業、英国Kingston Universityグラフィックデザイン修了、英国のデザイン事務所で研修後、株式会社資生堂 宣伝部入社。Shiseido International Europe駐在中、Serge Lutensに師事。帰国後は国内外のブランドのプロダクト、パッケージデザインを主に手がける。代表作はHAKU、THE GINZA COSMETICS、Clé de Peau Beauté、創業記念の資生堂・香油花椿、「万物資生 Life Dew」等。 inouiのクリエイティブディレクション続き、2024年2月発売となったSHISEIDO BEAUTY WELNESSのプロダクトデザインディレクションを執る。
iFデザイン、Pentaward、GoodDesign賞など国内外のデザイン賞を多数受賞。

八木幣二郎(やぎ・へいじろう)
1999年、東京都生まれ。グラフィックデザインを軸にデザインが本来持っていたはずのグラフィカルな要素を未来から発掘している。 ポスター、ビジュアルなどのグラフィックデザインをはじめ、CDやブックデザインなども手がけている。主な展覧会に、個展「誤植」(2022年/The 5th Floor[東京・根津])、「Dynamesh」(2022年/T-House New Balance[東京・水天宮前])、グループ展「power/point」(2022年/アキバタマビ21[東京・末広町])がある。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。