山中座広場に設置された芝山昌也《森と湯のモニュメント》。山中温泉を囲む山々と、街に立ち昇る湯の匂いをイメージした Photo: Yuki Nishihana
山中温泉は開湯1300年という長い歴史を持ちながらも、戦乱により一度その存在を忘れ去られている。平安末期に再び発見され、熱い湯はその後途絶えることなく人々を温め続けているが、現在山中温泉のある石川県加賀市は人口減少に歯止めがかからず、2014年には「消滅可能性都市」のひとつとなった。デジタル施策によるスマートシティ化など、地域の魅力創出を目指し多様な取り組みが行われるなか、山中温泉観光協会が2022年度に着手したのが、現代アートをテーマに地域活性化を図る「山中温泉アートプロジェクト」だ。同県珠洲市で奥能登国際芸術祭を手がけるアートフロントギャラリーの協力を得ながら、山中における温泉文化の継承やその価値の再発見・創出につながる活動を継続してきた。
3年目となる2024年度は、ドキュメンタリー映画と書籍の制作、そして街の中心、総湯(共同浴場)に隣接する山中座ホールの魅力創造という3つのプロジェクトを柱に据えた。映画には米国出身金沢市在住の映像作家カン・タムラ、山中座のプロジェクトには舞踏家・森繁哉を迎え、各プロジェクトを進行。プロジェクトの認知度をさらに上げ、地域の人々がより自分ごととしてとらえ参画するきっかけになればとの思いから、年度の最後に計画されたのが本芸術祭「新・山中温泉文化絵巻――小さな、はじまりの芸術祭」だ。柱のふたつ、映画と山中座ホールにおける新演目は芸術祭でお披露目となった。
実行委員長を務めた、山中温泉の老舗旅館・花紫の経営者、山田耕平は本芸術祭を「自分たちのための芸術祭」と話す。「自分」が指すのは山中温泉に暮らし働く、日常がこの地とともにある人々のことだ。外からの集客が第一の目的ではないことは、芸術祭がシンポジウムで幕を開けたことにも表れている。
コーディネーターに民俗学者の赤坂憲雄、パネリストに4名の有識者を迎えたシンポジウムでは、歴史ある山中温泉や温泉文化に潜在する価値について温泉評論家の石川理夫から語られ、そのうえで「伝統にあぐらをかかず前衛を身近に置くこと」の重要性が文化経済学者の佐々木雅幸から説かれた。また日本観光振興協会総合研究所顧問の丁野朗からは、文化庁が推進する「日本遺産」で重視されている「ストーリー」とそれをベースにした事業展開について、Forbes JAPAN Web編集長の谷本有香からは、コロナ禍を経て変化している価値観について、世界の富裕層が日本で求める体験を例に語られた。山中温泉が宿す魅力を、これからの価値観の琴線に触れさせるにはどのようなストーリーが必要か? 「内発的発展」「クリエイティブツーリズム」「コモンズ」「インクルーシブキャピタリズム」など、長期的なヴィジョンをつくり共有していくためのさまざまなキーワードが示された。
シンポジウム後、同ホールではカン・タムラが1年間山中温泉に通い撮影・製作したドキュメンタリー映画『YAMANAKA』のプレミア上映が行われた。タムラが山中温泉に深く関わるのはこれが初めてのことだという。芸術祭期間中には見られない雪深い景色や、奥の集落に暮らす和紙職人、数々の旅館の湯壺に山中節など、タムラの視点でとらえられた映像は同地の人々にとっても新鮮に映り、また外からの来場者にとっては、街巡りのよいイントロダクションにもなったようだ。
同作を含むプログラム「エナジー風呂フィルムフェスティバル」は山中温泉に拠点をかまえる映像ワークショップ合同会社が企画。フェスティバル名は2019年に坂本龍一とタブラ奏者のU-zhaan、ラッパーの環ROYと鎮座DOPENESSがリリースした楽曲「エナジー風呂」に由来。高温の湯(山中温泉の泉温は45.2度)が人に与えるエナジーアップ効果に着目し、1990年代の山中温泉の風景や人々が映り込んだサスペンスドラマ『山中温泉こおろぎ橋殺人事件』(伊藤憲司監督、1995〜2000)など、山中温泉や温泉文化にまつわる6作品をセレクトし上映。上映後に設けられたポストトークでは、来場者と作家との交流も生まれた。
1回8名限定、初日に2回のみ開催されたプログラム「食と工芸」は、石川県の豊かな食材を加賀エリアで活動する工芸作家による器で味わう、ほかに類を見ない劇場型の食体験を提供した。食と器にじっくりと向き合うため、参加者は横1列で着座。テーブルの向こうには、左に料理人、右にアルコール/ノンアルコールのペアリングドリンクを提供する唎酒師らが立ち、その場で料理やドリンクを器に盛り、注ぐ。さらに中央には、器のつくり手である工芸作家が代わるがわる登場。参加者がまさにいま五感で味わわんとする料理、器、ドリンクについて、それぞれが自らプレゼンテーションした。参加者の手元に置かれた品書きによれば、体験の創出に携わった人数は総勢31名にのぼる。
各工芸作家が登場するのはわずか5分程度。作家が皆加賀市で活動しているからこそできるプログラムと言えるだろう。なお、会場となったのは漆芸家で修復家の更谷富造が所有する、古民家を改修した「オークションハウス」。会場が体験の質をさらに向上させた。
夜の山中座ホールで披露されたのは、平素から同ホールで上演されている「山中節・四季の舞」を、現代舞踊との饗宴で新たに展開させた「山中座『四季・曼荼羅』」と「詩劇・四季の舞」だ。演出を手がけた森繁哉は民俗学者でもあり、これまでにも日本古来の身体技法を現代的に昇華し数多くの舞台作品を生み出してきた。
山中節の原型は、その昔、山中温泉の総湯で旅の疲れを癒す北前船の船頭たちと、浴衣部と呼ばれる近隣農村の娘たちとの交流によってつくられた。さらに温泉地として賑わうなかで同地にお座敷文化が生まれ、素朴な民衆の唄であった山中節はひとつの芸能として磨き上げられていったのである。森は山中節が山中温泉の歴史を体現する文化資源であることを舞台で示すべく、演目の前半に、「湯屋」をイメージした舞台美術や、「世話浄瑠璃」「仮面劇」「能芸能」など日本古来の芸能、モダンダンスなどを取り入れながら、温泉や山中の自然、そして山中の人々の暮らしを表現し、後半の芸妓らによる山中節につなげた。現代の表現が入口となり、その後に続く歴史ある芸能を補足しいざなう、ひとつの再創造のかたちを示したと言えるだろう。
山中座広場をはじめ、街中には「山中温泉芸術散歩」と題し、県内在住の8人の作家による作品を設置。作品をたどることで、街の商店や寺社仏閣、歴史的建造物をめぐる仕掛けだ。作品のコーディネートはアートフロントギャラリーが担い、金沢美術工芸大学の彫刻科教授、芝山昌也の作品を筆頭に立体作品が並んだ。長谷部神社の苔むした境内には、動物をモチーフにした3作品が点在。地元の人からは「普段は行かないが作品を目当てに訪れ、とてもいい場所だと気づいた」という声が。魅力の再発見につながったようだ。
また、会期後半の土日にはワークショップとマルシェを開催。昨年11月にその機能を停止した旧北國銀行山中支店を活用し、木地づくり体験や金継ぎ体験など5種類のものづくり体験を提供した。なかでも、同地で一度途絶えた「幻の」我谷盆を継承する木工家、森口信一による1日がかりのワークショップには長野など遠方からの参加者も集まり、たくさんの鑿音が響いた。山中座広場およびその周辺で開催されたマルシェには、物販や飲食など総勢53の出店が集まり、こちらも両日ともに賑わいを見せた。
総湯の裏手、山の中腹に位置する医王寺には、山中温泉の成り立ちが描かれた《山中温泉縁起絵巻》が大切に保管されている。本芸術祭のタイトルの由来にもなっているが、芸術祭では「縁起」を「文化」とした。それはこのプロジェクトが、アートや芸術という言葉が持つイメージにとどまらない、より広義な「文化」を射程にとらえていること、また山中温泉という地が持つ可能性の豊かさを示している。この地では1度忘れ去られた源泉も、途絶えた工芸も、再び見出され息づいている。芸術祭を動かす人々は皆、熱い湯が人にもたらす力を感じさせた。
少し湿った空気と湯の香り漂う町の広場で、人々は小脇にカゴを抱えタオルを肩にかけ、いつもの挨拶を交わす。山中温泉で開催された「山中温泉文化絵巻――小さな、はじまりの芸術祭」は、はるか昔から湯とともにある日常と溶け合いながら、この地に芽吹く小さな、しかしながらたくさんの兆しを宿していた。