会場風景より、《10の最大物、グループIV、No.1、幼年期》(1907、ヒルマ・アフ・クリント財団) 撮影:三吉史高
東京国立近代美術館で「ヒルマ・アフ・クリント展」が開催されている。会期は3月4日〜6月15日。
ヒルマ・アフ・クリント(1862〜1944)は、スウェーデン生まれの画家。その存在は長らく美術史の陰に隠れてきたが、2010年代に急速に再評価が高まり、近年は世界的に大ブレークしている。なぜいま、この画家に大きな注目が集まるのか。その魅力や、絵に込められた意味とは。そして彼女について言われる「カンディンスキーやモンドリアンよりも抽象絵画を早く創案したパイオニア」「美術史を書き換える存在」という説明は本当なのか?
「ヒルマ・アフ・クリント展」の企画を担当する三輪健仁(東京国立近代美術館美術課長)に解説してもらった。
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──本展の最大の見どころである〈10の最大物〉について解説いただけますか。高さ3mを超える大作10点組は、どのような環境で描かれたのでしょうか。
三輪 どのような環境でアフ・クリントが制作していたかは明らかになっていませんが、映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』(アフ・クリントの再評価を追うドキュメンタリー、2022年日本公開、配給:トレノバ)には、床置きの状態で制作しているシーンがあります。実際に床に水平に置いて描いていたタイミングもあったでしょうけれど、いっぽうで絵具が上から下へ垂れた跡があるので、垂直に立てて描いていたタイミングもあったのだろうと推測されます。〈10の最大物〉は貼り合わされた紙に描かれているので、壁に仮貼りして描いていたのかもしれません。
──〈10の最大物〉の注目すべきポイントはどこでしょうか。10枚のタイトルにはそれぞれ幼年期、青年期、成人期、老年期という人生の4つの段階が示されています。
三輪 神智学をベースにした読み解き方としては、あらゆるものはひとつであった、という原初の世界の理想状態にどのように近づくかというテーマがあります。
「神殿のための絵画」の最初のシリーズ〈原初の混沌、WU /薔薇シリーズ、グループⅠ〉(1906〜07)にすでにこうしたテーマは現れています。最初は「一なるもの」として誕生した世界は、歴史が進むにつれて物質と精神、善と悪、といった二項対立が起き、様々に分岐し、混沌としていく。そこから原初の理想的な状態に戻るために、人間はいかにして自らの霊性を高め、進化するかという考えです。アフ・クリントの描く画面に、様々な二元性を象徴するモチーフが登場する理由です。
色について言えば、多用される青には女性性、黄には男性性が付与されています。《10の最大物、グループIV、No.1、幼年期》を見てみましょう。
上部に描かれたふたつの花環、左がユリで右がバラですが、二項対立の存在としてよく描かれるモチーフです。バラはアフ・クリント本人、ユリはアンナ・カッセルの象徴でもあります。その下にもうひとつ黄色の環がありますが、こちらは小麦です。アフ・クリントにとって、小麦は二項対立が解消され、ひとつになる象徴でした。この小麦の環のなかにふたつの楕円形を組み合わせた形が描かれていますが、これもまた対立するものの融合という意味を持っています。
黄色で描かれたAはAsket(純潔)、青色のVはVestal(禁欲)の頭文字で、このふたつもまたペアになっています。こういったさまざまなレベルでの二元性の解消が、〈10の最大物〉それぞれの画面内で、あるいはシリーズ内の作品間で展開されています。
とはいえ、こういったモチーフに付与された意味の了解だけでは、私たちがこれらの絵にどのような魅力を感じるのか、鑑賞体験から得られる実感は説明できないでしょう。造形としてどのように優れているのかも、当然ながら大事なポイントになるでしょう。
三輪 たとえば注目したいのは色面、地の部分です。一見すると、色むらや絵具の垂れた跡などに頓着せず、とにかく急いで塗りつぶしたような無造作な印象を受けます。この地の上で、螺旋形状による求心的、遠心的旋回、装飾的な曲線が生み出す水平方向へ流れていくような運動、あるいはプロペラや花びらのような形象による回転運動をはじめ、上昇、下降、前進、後退など様々な運動が繰り広げられ、その運動と共に空間が生まれていきます。
《10の最大物、グループIV、No.8、成人期》の紫を基調とした地における水色の塗りなどを見ると、地の上に配置された様々な形象がそれぞれに固有の動勢や奥行きを生み出すうえで、この地の処理が重要な役割を果たしていることが分かります。無造作どころか、かなり意図的に、精妙に地の塗りが施されたのではないか、という感覚が強くなります。
あるいは、画面への諸形象の収め方などでも、たとえば形象を四辺のフレームで絶妙に断ち落とすことで、形象の外部への運動や画面の拡張といった効果が生じており、アフ・クリントの画家としての技術、造形的な側面への確かな判断を随所に感じさせます。
絵画というひとつの物体を、眼に見えない霊的メッセージを伝えるための手段としてとらえること、同時にそれを「抽象」という造形的実験として既存の美術史に位置づけることは、時に困難に思われます。しかしこの困難さは、今回の展覧会図録に寄稿いただいている岡﨑乾二郎さんが著書『抽象の力』(亜紀書房、2018年)で指摘された、「第二次世界大戦後、こうした抽象芸術の核心は歪曲され忘却される」、「抽象を単なる視覚的追究とみなす誤読」、「いなまお美術界を覆うこうした蒙昧」に起因するものではないかと思います。
問題は、作家や作品の側でなく、既存の美術史の側にこそある。岡﨑さんの『抽象の力』は、アフ・クリントと美術史との関係を的確に位置づけた数少ない論考だと思いますが、今回の図録に寄稿くださった「認識の階梯:ヒルマ・アフ・クリントの絵画」では、この点を「制度的な既存美術はアフ・クリントの作品を包摂して、正統に位置づけることはできない。反対にアフ・クリントの作品は既存美術を体系として包摂できる(つまりアフ・クリントの作品群を通して、既存美術のランダムな集合はようやく体系化されうる)」と記しています。ぜひ論考全体を読んでいただければと思います。「ヒルマ・アフ・クリントによって美術史が書き換えられた」と軽はずみに言われがちですが、それは実際には、既存の美術史の体系が完全に無効化されるほどの事態なわけです。
──なるほど。「女性画家のヒルマ・アフ・クリントこそが抽象表現の真の先駆者だった!」という魅力的な“売り文句”につい乗っかりたくなりますが、彼女の美術史における位置付けについては、美術史そのものへのより慎重な検討が必要ですね。とはいえ、再評価のなかで、ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンより「いちばん早かった抽象画」とされてきたのはどの作品なのでしょうか。
三輪 「神殿のための絵画」の最初のシリーズ〈原初の混沌〉の制作は1906年、また〈10の最大物〉は翌1907年の制作です。これらは「神殿のための絵画」の第一期(1906~1908)の作品に対して言われることが多いように思います。
──三輪さんの見解としてはこれが「いちばん早い」と思いますか?
三輪 カンディンスキーによる初の抽象絵画とされる作品は1910年頃とされるので、細かな年代ということで言えば、早い、のは間違いないと思います。たとえば、この作品《七芒星、WUS /七芒星シリーズ、グループV、No.2》(下図参照、展覧会には出品されていません)などは、再現的な対象を認めづらく、円と線、そして色彩のみによって緊張感のある画面を作りあげており、とくに抽象度の高い作品だと思います。
ただ、〈原初の混沌〉や〈10の最大物〉など具象的、再現的なモチーフがいくつも描かれている作品もあります。さきほど引用した岡﨑さんの「抽象を単なる視覚的追究とみなす誤読」というのは何度も強調しておくべき点ではないかと思います。具象か、抽象か、というような、単純な視覚的判断だけで言えば、ターナーの晩年の絵画、たとえば《光と色彩(ゲーテの理論)》(1843)は抽象か? あるいはアフ・クリント同様にスピリチュアリズムの影響のもと、19世紀半ばに抽象的な水彩画を描いたジョージアナ・ホートンの作品は? ということにもなります。
「抽象」の定義を見直すこと、既存の美術史を見直すこと、これに成功しなければ、アフ・クリントをきちんと評価できない。あるいはそういう見直しを迫るような重要なアーティストである、ということなのではないかと思います。
──当時、彼女は画家として生計を立てる必要性があったのでしょうか。
三輪 自然主義的な風景画や肖像画はある程度売れていましたし、児童書や医学書の挿絵の仕事などによる収入もあったでしょうが、それらだけで生計を立てられるほどの稼ぎになっていたかはわかりません。もともとそれなりに裕福な家庭の出身ですし、家族や友人からのサポートもあったようです。
──稼ぐために描く必要がないので、彼女の絵は先駆的、前衛的になり得たのでしょうか。
三輪 そこに直接的なつながりがあるのかはわかりません。ただ、たとえばアフ・クリントの周りには、女性のための権利運動にかかわっていた姉や、私塾の先生だった画家シャスティン・カードンなど、先進的な考えを持って活躍した自立心の強い女性たちが多くいました。アフ・クリントもスウェーデン女性芸術家協会(1910年発足)の幹事を務めていたりします。そういった環境からの影響も受け、強靭な精神で自らの務め、自らの信じる道に専心したことが、あのような優れた作品につながったということはあるのかもしれません。
性別というテーマについては、アフ・クリントの絵に彼女のスタンスを垣間見ることもできるかもしれません。先ほど、女性性を表す青と男性性を表す黄色が作品に多用されていると指摘しました。しかし、これらの色はときに融合したり、色に付与された意味が入れ替わったりと流動的です。アフ・クリントは男性性と女性性を仮設的なものとしていて、自身の立ち位置をかなり中性的なものととらえている節もあったりします。
──第一波フェミニズムの時代に生き、進歩的な女性が周囲にいたけれど、ジェンダーに関する社会的な問題からは少し自由でいられる立場だったということでしょうか。
三輪 美術史において女性のアーティストたちの再評価が高まっている現在、アフ・クリントが女性であったことを強調するのは間違いではありません。ただ姉とは違って、当時の女性の権利運動に直接的に関与していたわけではないので、アフ・クリントとフェミニズムの問題を単純に接続するのは、少し留保が必要なのかもしれません。
──展覧会の後半は、人智学からの影響の高まりなどとともに、彼女の「編集者」的な仕事ぶりに焦点が当てられます。
三輪 制作のいっぽうで、1920年代半ば以降、アフ・クリントは自身の思想や表現について記した過去のノートの編集や改訂の作業を始めました。後半生においては、この編集者的、アーキビスト的作業が、作品の制作に劣らず大事な仕事だったのではないかと考えています。
とくに全193点からなる「神殿のための絵画」をどのように体系化し、後世に残すのかは、アフ・クリントにとって大きな課題だったと思います。そこで彼女は「神殿のための絵画」を小さな「青の本」にまとめます。
これは「神殿のための絵画」をカタログのように10冊の青い装丁のノートに収めたものです。見開きごとにひとつの作品を紹介する形式になっていて、片ページに作品のモノクロ写真、もう片ページには本人が水彩でその作品を小さいサイズに描き直しています。オリジナルはサイズも技法も多様で、一望することは容易でありませんが、このようにポータブルな本としてであれば、様々な人に全容を見せながら思想やその体系性を伝えることができます。実際に、彼女が傾倒した人智学の提唱者であるルドルフ・シュタイナーにも「青の本」を見せていたようで、シュタイナーによるコメントが本のなかに記されていたりします。
また後半期は、多くの水彩を描くいっぽうで、自身の思想を記した膨大なノートを編集する作業を行っていて、テキストでも自分の考えを体系的に残そうという強い意志が感じられます。これほど体系性に執着するアーティストは、同時代を見てもなかなかいないと思います。個々の作品の素晴らしさと同時に、それらを貫く彼女の思想、そしてその体系性を、今回の展覧会でご覧いただければうれしいです。
──最後に、三輪さんがとくに「注目してほしい!」という作品はありますか?
三輪 アフ・クリントは、神智学者、教育者、作家、作詞家と実に多彩な経歴を持つアンナ・マリア・ロースによる児童書『てんとう虫のマリア』の挿絵を手がけていて、その原画と推定されるスケッチを今回展示しています。
表は児童書らしいタッチで農園の風景が描かれているのですが、その裏面は、のちの「5人」による自動筆記を想起させるような、くるくると回転する鉛筆による線描で埋め尽くされています。こうした職業的な技術に支えられたスケッチと、彼女の精神世界の探求を予感させる線とが合わさったこの1枚には、ふたつの追求が決して無関係ではないことが象徴されていると思います。会場では表と裏の両面が見えるように展示していますので、ぜひご覧いただきたいです。
──ありがとうございました!
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福島夏子(編集部)
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