Nintendo Switch 2
4月2日、任天堂が自社配信する「Nintendo Direct」にて、ついに発表されたNintendo Switch 2(以下、スイッチ2)。おおよそ6年程度のサイクルで新旧世代交代していくのがゲームハードの寿命期間だが、2017年3月の発売から約8年という長期(任天堂ハードでは、最初のファミリーコンピュータの記録を抜き、現役最長寿を更新中)にわたって人気を保ち続けているNintendo Switchの後継機ということで、発表前から大きな話題を集めていた。
そしてゲームファンが待望した今回の発表で、マシンパワーの大幅な強化、ボイスチャットによるユーザー間コミュニケーションの促進、いわゆる「死にゲー」と呼ばれるジャンルを開拓した宮崎英高ディレクションによるスイッチ2独占タイトル『The Duskbloods(ダスクブラッド)』の発表など、充実の販売計画が明らかになった。
ユーザーの期待にしっかり応え、かつ嬉しいサプライズも忘れない内容で、とくに近年の厳しい円安に対応したものと推測できる、日本国内限定の価格設定(日本語・国内専用が49,980円、税込)に喜んだ人も多いだろう。
しかし、今回のようにはっきりと「2」を冠するゲームハードが任天堂から発表されることはこれまでほぼなかった。名称の大きな変更は「従来とは違うこと、他とは違うことにこそ価値がある」とする任天堂の「独創」の理念を体現するものであり、ゲーム機ごとに異なる個性、新しい遊びのかたちを提案し続けるのが、任天堂イズムだったはずだ。そう考えると、今回のスイッチ2の設計からは、これまでの任天堂とはいささか異なる印象を受ける。
本稿では、これまで任天堂が歩んできた歩みの一部、そして近年のゲームをめぐる社会環境に触れながら、期待の新ゲーム機の可能性を探っていきたい。
花札やトランプを製造販売する会社として任天堂が創業したのは1889年。三代目社長にあたる山内溥社長時代の1960年代後半から現代的な電子玩具の制作を始め、1983年の初代ファミコン発売で、現在に続く大きな成功を同社は収める。この飛躍に大きな役割を果たしたのが、横井軍平(1941-1997)、そして現在もクリエイティブの第一線で活躍する宮本茂(1952-)だ。
じつに半世紀に及ぶ山内溥社長時代を引き継いだのが、岩田聡(1959-2015)だ。経営とクリエイティブの両面で才能を発揮し、天才プログラマーとして数々の伝説を遺した岩田は、『ポケットモンスター』シリーズの海外展開や、それまでゲーム界が注力してこなかった体感的なカジュアルゲーム(『脳を鍛える大人のDSトレーニング』など)を積極的に扱うニンテンドーDSを発表するなど、横井・宮本から続く遊びの哲学を大きく拡張していった。残念ながら、岩田は55歳の若さで病没するが、そんな彼が最後に手がけたプロジェクトがNintendo Switchの開発である。
岩田の数ある業績のなかでも、とくに触れなければならないのが2006年に発売したWiiだ。シンプルなリモコン型のコントローラーを使って、「振る」「傾ける」「ひねる」といった直感的・体感的な操作にチャレンジしたWiiは、十字型といくつかのボタンを配したコントローラー+モニターという構成を基本とする家庭用ゲーム機の常識を大きく逸脱するものとして、非ゲームファンやファミリー層を開拓することに成功。忘年会やパーティにWiiを持ち込んで、ボーリングゲームを遊んだ思い出がある人も多いはずだ。
個人的に忘れがたいのが、この時期に見られたメディア・アートと家庭用ゲームの急接近である。初台にあるNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]や、山口市の山口情報芸術センターYCAMで観ることのできるインタラクティブなメディア・アート作品はどれも大掛かりな機構を要し、これらの施設以外ではほとんど体験できなかった。また、それらの作品は、システムや装置自体をアーティストやエンジニアが手作りした、希少性の高いユニークピースでもあった。
だが、Wiiの普及で……というよりも、Wiiリモコンそのものを作品に組み込むことで作品制作のハードルが一気に低くなり、動かして体験するインタラクティブ系のメディア・アートが、全国でも比較的容易に観られるようになったのがこの頃だ。その後、マイクロソフト社が発売したXbox 360の周辺機器であったKinect(キネクト)も、多くのメディア・アート作品に活用された。
アート、エンタメ、アカデミズムを結びつけて支持を広げたライゾマティクスやチームラボの活躍も、こういったゲーム環境の変化によるアートとの急接近から派生した。
任天堂とその周辺に話を戻そう。タッチパネルやリモートコントローラー、さかのぼって「ポケモン」シリーズで再活性化したゲームボーイの通信要素など、当代の技術を「遊び」に結びつけることでゲーム体験の更新を行ってきたのが任天堂の歩みだ。
Wiiの成功と、その後継機であるWii Uの苦い失敗(しかし『スプラトゥーン』などに萌した革新の可能性)を引き継いで誕生したNintendo Switchでは、取り外し可能なコントローラーJoy-Conに、Wiiでも採用されていた加速度センサー・ジャイロセンサーに加えて、多様な触感を擬似再現するハプティクス技術、Kinectで使われたモーションIRカメラの機能を盛り込み、最先端技術による「手遊び」の可能性を切り拓くことを試みた。
また「いつでも、どこでも、誰とでも(play anytime, anywhere, with anyone.)」というキャッチコピーに体現される、据え置き機と携帯機の機能を一台で併せ持つ設計も、ネットインフラの発展によるプレイスタイルの変化が、あらゆる場所とシチュエーションにゲーム的経験が広がっていった社会の変化に適応したものだった。
ヒットにはつながらなかったものの、Nintendo Switchを玩具のパーツとしてダンボール工作と組み合わせた『Nintendo Labo』は、Joy-Conの手遊び性と、ハード本体の携帯性の両方を活かした野心的な挑戦作として、記憶と記録に残されるべきだろう。こういった遊びの拡張、そしてかつて横井軍平が提唱した「枯れた技術の水平思考」の創造的活用が、任天堂イズムの核だったはずだ。
こういった任天堂の歩みを振り返ると、スイッチ2における挑戦は、かなり保守的に思える。Nintendo Switchで採用された技術の多くは引き継がれたものの、4月2日のNintendo Directで力点を置かれたのはマシンパワーの強化と、それによって開発できるハイエンドなゲームのラインナップだった。
たしかに、競合するソニーやマイクロソフトのハード、さらに高性能なゲーミングPCと比べて、Nintendo Switchのスペックに物足りなさを感じることは多々あった。だが、その逆境を生かしてアイデアで勝負する任天堂の姿勢には「新しい遊びこそが楽しさである」とする挑戦と革新があった。そしてそれは、ジャンルとグラフィックの画一化著しいゲーム業界への前向きな批判として機能し、クリエイターのみならずユーザーからも支持されてきたのだ。
たしかに広大なオープンワールドのなかでカーレースを競う『マリオカートワールド』や、地形やオブジェクトを自由に破壊する爽快感を打ち出した『ドンキーコング バナンザ』は楽しそうだ。間口が広く、細部にまで行き届いた任天堂らしいゲームデザインも期待できる。だが、現時点で想像できるそれらの体験は、私たちの多くがすでに知るものだ。
スイッチ2で新たに加わったマウス操作を活用した新作『Drag x Drive(ドラッグ アンド ドライブ)』も紹介されたものの、プレゼンテーション全体のなかでの存在感は希薄だった。車いすバスケをモチーフとしながら、パラスポーツなどの言葉を使わず、当たり前の社会的風景として障がいと併存しようとする姿勢に共感するが、だからこそ全体のなかでもっと際立つ位置付けであってほしかった。
スイッチ2の大きな売りであるボイスチャット機能や、周辺機器のUSBカメラを使って行うビデオチャットは、遊びにおけるコミュニケーションの重要性を任天堂が認めていることの証明だ。しかしこれもYouTubeやTwitchでのゲームプレイ配信が当たり前になっているなかでは、新しい試みとは言い難い。配信者にとっては嬉しい機能なのは間違いないが……。
そういった面でも、現状のトレンドにしっかり対応した手堅さがスイッチ2にはある。しかし、こういった「手堅さ」の強化は、これまで任天堂が結果として避けることのできていた、ハードメーカー間の競争への全面的な参入を意味する。今回のNintendo Directでは、『ELDEN RING』や『サイバーパンク2077』といった、これまで任天堂ハードでは遊べなかったハイエンドな人気ゲームの移植が多く発表されたが、これは例えばプレイステーション5で遊べるゲームがスイッチ2でも遊べるようになる未来を示唆する。一台のゲームハードがあれば、好きなゲームを遊ぶことのできる状況はユーザーにとっては歓迎だが、複数機種での同時展開はそのぶん各ハードの個性を弱める。そして起こるのは、各社による人気ゲームの囲い込みと資本主義的な競争を剥き出しにした業界再編だろう。これは既にマイクロソフトやソニーで進行中の状況だ。
もちろん「任天堂のゲームが遊べるのは任天堂のハードだけ」という究極の独自性・独占性が、Nintendo Switchの成功を後押ししてきたわけだが、その独自性に、必ず遊びの革新性が備わっていたのも「任天堂らしさ」だったはずだ。
スイッチ2はまちがいなく売れる(筆者もマイニンテンドーストアで予約したばかり)。だが、その成功への道筋が、独創を旨とする任天堂イズムを後退させるのだとすれば悲しい。近年は映画制作やアミューズメントパークやミュージアムの運営といった新たな施策、そして再び玩具制作にも着手している任天堂にとって、家庭用ゲームはもはやフロンティアなき世界だろうか。チャレンジし続けてほしい、と一人の任天堂ファンとして切に思う。
島貫泰介
島貫泰介