20世紀を代表するアーティストのひとり、ルイーズ・ブルジョワ。自身の経験や記憶をインスピレーション源にしたインスタレーションや彫刻、ドローイング、絵画など多様な作品を発表し、後のアーティストにも大きな影響を与えた。六本木ヒルズの入り口に立つ、大きな蜘蛛の彫刻《ママン》を目にしたことがある人も多いだろう。
そんなブルジョワの大規模個展「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が9月25日に森美術館で開幕した。会期は2025年1月19日まで。
ルイーズ・ブルジョワは1911年にパリでタペストリー専門の画廊と修復アトリエを営む両親のもとに生まれた。20歳で母を亡くした悲しみからアーティストとしてのキャリアを志すようになる。1938年にニューヨークに移住。1982年には女性彫刻家として初となるニューヨーク近代美術館での大規模個展が開催され、以降、国内外で個展が行われる。2010年にニューヨークにて98歳で死去。没後も世界の主要美術館で個展が開催されている。
彼女の70年におよぶ創作活動の背後には、母親の病気、父親の支配的な態度や不貞といった幼少期に経験した苦しみやトラウマ、両親との複雑な関係が存在し、そうした個人的な出来事にまつわる記憶を呼び起こすことで、作品を通して様々な相反する感情や心理状態を表現した。セクシュアリティやジェンダー、身体をモチーフにした作品はフェミニズムの文脈でも高く評価されてきた。
本展は、1997年の横浜美術館での展覧会以来、国内では27年ぶりとなる大規模個展。2023〜24年にシドニーのニュー・サウス・ウェールズ州立美術館で行われた大規模個展に、一部作品を加えて再構成した内容だ。100点を超える作品群を一挙に展示する。ブルジョワは晩年にキャリアの代表作ともいえる作品を多く発表しており、出品作の約8割が1998年以降に制作された日本初公開の作品となる。展覧会の企画を椿玲子(森美術館キュレーター)、矢作学(森美術館アソシエイト・キュレーター)、企画監修をフィリップ・ララット=スミス(イーストン財団キュレーター)が担当している。
フィリップ・ララット=スミスは本展について、「ルイーズの作品が包括的にセレクトされ、彼女の芸術的発展の全体的な軌跡を概観するものになっている。同時に、心理状態や強烈な感情といった特定のテーマにも深く迫っています」「展覧会の最後の章のタイトルの『青空の修復』にあるように、この展覧会はアーティストにとっても、そしておそらく鑑賞者にとっても、ルイーズの芸術が持つ治癒的な機能について語っていると思います」と語る。
本展では、ブルジョワの創作活動の源が家族や親しかった人々との人間関係にあるととらえ、家族との関係をもとにした3章に分けて展示を構成。
「私を見捨てないで」と題された第1章は、主に母と子の関係や母性について。ブルジョワは生涯にわたって見捨てられることへの恐怖に苦しんでいたとされ、その恐怖は20歳のときに経験した母との別れにまで遡る。
展示は初期の自画像《家出娘》で始まり、最初の部屋では、「わたしの彫刻はわたしの身体であり、わたしの身体はわたしの彫刻なのです」(本展プレスリリースより)と語ったブルジョアの不安定な心理状態や精神分裂への恐怖を象徴するかのように、腕や耳、頭部など身体の断片を象った彫刻が台上に並べられている。壁3面に投影されているのは、生前のブルジョワと交流があり、彼女が精神分析を受けていた時期に綴った文章を使って制作したジェニー・ホルツァーによる作品だ。
続く展示室では、巨大な蜘蛛の彫刻《かまえる蜘蛛》が待ち構えている。糸で巣を作り、壊れても作り直す修復者であり、危険な生き物として恐れられるような両義性を持つ蜘蛛という存在は、タペストリーの修復家であったブルジョワの母を象徴するモチーフとしてたびたび登場する。「かまえる」と題されているこの作品では、外敵を威嚇するかのように足を広げた迫力のある姿が表現されており、それは子供を守る母のようでもあり獰猛な捕食者のようでもある。
さらに、作家がフランスに残した家族とニューヨークで築いた家族へ惜しみない愛情を注ぐ様が乳房から伸びる5本の糸で表されている《良い母》、3人目の息子アランを題材に、妊娠から出産、子の成長を表す6体の彫刻と像が歪む鏡で構成される《無口な子》など、母性の複雑性が浮かび上がる多様な作品群が続く。
顔のないピンク色の彫刻《自然研究》は、複数の乳房と4本の脚、陰茎を持つ身体が番犬のような姿勢をとっている。これはブルジョワ自身の自画像でもあるそうで、自然の摂理を超えた強い守護神の像を通して、家族を守り、そのためにはときに他者を威嚇するという二面的な母性が表現されている。
ブルジョワは赤いグァッシュによる作品を多く残しているが、ここでは《授乳》と題された一連の作品も展示。血液をイメージさせる薄い赤色で乳房と赤ん坊が描かれているが、「特筆すべきは、彼女は赤ちゃんに自分を重ねて描いていたこと。母をつねに必要としている赤ん坊や子供に自分を重ねていたと言われています」と担当キュレーターの椿は説明する。
また、ふたつの身体が抱き合いながら不安定に吊るされた銀色の彫刻《カップル》で表現されているように、愛情や性的関心もブルジョアにとって重要な主題のひとつ。ふたりの人物の内面と身体が渦を巻くように絡み合い、ぶつかり合いながらも均衡を保とうとするかのような絶妙な緊張感を感じさせる。
本展ではメインの3章とは別に、コラムというかたちで近年世界的に評価が高まっている初期の絵画作品にも焦点を当てている。
ブルジョワは1938年にアメリカ人美術史家のロバート・ゴールドウォーターとの結婚を機にニューヨークに移住した。ニューヨークでの最初の約10年間に制作された絵画と彫刻を紹介するコラム1「堕ちた女」では、家と女性が一体になった「ファム・メゾン(女・家)」シリーズの絵画を展示。
女性を守るものであり、縛るものである「家」によって女性の身体が覆い隠された姿を描くこのシリーズは、当初別のタイトルで発表されたが、1960年代後半からのフェミニズム運動のなかで女性解放運動のアイコンとなり、現在のタイトルに改題された。
このセクションでは、フランスに残してきた家族や友人などをモデルにした彫刻の「人物像」も紹介されており、アーティストであり、娘、妻、母という複数の役割をこなしていたブルジョワ自身を表現した《荷を担う女》なども展示されている。また大きなガラス窓から東京の街が一望できる展示室には、金色の彫刻《ヒステリーのアーチ》を展示。これはブルジョワの男性アシスタントをモデルにした作品で、かつて女性特有のものだとされた「ヒステリー」に対する固定観念に疑問を投げかける。
ブルジョワは1951年に父を亡くした後、10年以上にわたって精神分析を行い、自身のトラウマや過去の記憶をもとに作られた作品の多くが父親に対する否定的な感情から生まれたものであったと気づく。
第2章「地獄から帰ってきたところ」では、不安や嫉妬、敵意や殺意、拒絶への不安など、心の内にある様々な葛藤や否定的な感情、そして父との確執などが作品を通して語られる。展示室には、糸巻きにつながった針が刺さった心臓の彫刻《心臓》、人間の頭部を象った《拒絶》など、ブルジョワ自身の苦しみが見る者をも突き刺すような強烈な作品群が並ぶ。
赤い布でできた頭部像が舌を出し、金網の中に置かれている《部屋X(肖像画)》は、拒絶するとともにつながりたいとも希求する相反した切実な想いが、血や痛み、暴力、恥などを想起する赤色によってさらに強い感情を持って伝えられる。大きな防火壁に囲まれた《罪人2番》は、小さな椅子と鏡、そして壁に刺さった矢が子供の「お仕置き部屋」のような圧迫感のある空間を形作っている。
さらにこの章で強い印象を与えるのが、暖炉のように壁に埋め込まれたインスタレーション《父の破壊》だ。演劇のセットのように内臓や肉片のようなものが置かれた食卓が赤く照らされているが、これは支配的な父に耐えきれず、娘と妻が父を殺して食べる、という幻想がもとになっており、ここでも父を憎んで殺しながらも、食べることで父と一体化するというブルジョワの複雑な心情が表されている。
「怒りや苛立ちを作品で表現できなければ、その矛先を家族に向けてしまう」(作品キャプションより)と自身が語っていたように、創作を通して、内側から湧き上がる敵意や嫉妬、殺意といった思いを作品に昇華していたブルジョワ。女性のマネキンが巨大な塊によっていまにも轢かれそうな《シュレッダー》からはその引き裂かれるような感情が痛切に伝わってくる。第2章は展覧会タイトルのもとになった刺繍作品《無題(地獄から帰ってきたところ)》で締めくくられるが、「I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful.」というテキストを縫い付けられたこの布は、ブルジョワの亡くなった夫が使っていたハンカチだ。
続く「無意識の風景」と題されたコラムのセクションでは、1960年代の彫刻を紹介。父の死後、精神分析に専念し、創作活動が休止状態だった時期から徐々に抜け出し、本格的に作品制作を再開した時期の作品群だ。樹脂や石膏、ラテックスといった柔らかい素材で、抽象的なフォルムを形作る彫刻が並ぶ。
最後の章、「青空の修復」では、ブルジョワがいかにして父や母、過去と現在のバランスを整え、心に平穏を取り戻そうとしていたのかに迫る。鉛のプレートに入った切り込みから青色が覗く《青空の修復》には、傷口を糸で縫い合わせるかのように、人間関係の修復、心の痛みやトラウマからの回復などを願う彼女の心理が表現されている。
次の部屋で壁一面に展示されているのは、家庭内の不和を目にした10代の少年の混乱やそれを芸術に昇華させていく様を抽象的なドローイングと文章で描いた《昇華》。続く展示室では、最晩年の赤いグァッシュの連作《家族》《妊婦》《花》が3面の壁を覆う。
さらに、中央に置かれたケージを守るように大きな蜘蛛が足を広げる《蜘蛛》は、第1章の威嚇するかのような蜘蛛とは異なる印象を与える。1990年代になるとブルジョワは、幼少期から大切にしていた思い出の品を家から運び出し、作品の素材として用いるようになる。蜘蛛の腹部には3つの卵を抱え、ケージの壁面や中央の椅子にはタペストリーがかけられている。さらに止まった懐中時計や愛用の香水など自身の記憶と深く結びついた品々がぶら下がっている。記憶のなかの家を守る蜘蛛はタペストリーの修復をしていた母の象徴であり、ブルジョワ自身でもある。
《蜘蛛》を囲むように並ぶ布の作品《ビエーヴル頌歌》も、自身が身につけていた衣服などを使用したもの。両親のタペストリー修復工房の近くを流れていたビエーヴル川へオマージュを捧げた作品だ。オノレ・ド・バルザックの小説に主人公にちなんで名付けられた最晩年の作品《ウジェニー・グランデ》では、フランスからニューヨークに持参したハンカチやテーブルクロスに、ボタンやビーズ、造花などが縫い留められている。椿は「日記のようにその時々の記憶を宿す布や物を作品に使用することで、過ぎ去った過去を永遠のものにしようとした」と解説する。
第1章、第2章は痛みや苦しみ、激しい感情を伝える赤い色が印象的だったが、展覧会はブルジョワにとって自由と開放を意味したという青色を基調とした作品で締めくくられる。
無意識とつながることができるのがアーティストの特権だと考えていたブルジョワ。針が刺さった涙粒のような造形と、積み重なった白い抽象的な形がガラスケースに並ぶ《意識と無意識》でも、無意識と意識が対照的に表現されている。
《雲と洞窟》と《トピアリーIV》はどちらも回復と再生の力を表現した作品。《トピアリーIV》は樹木と一体化した片足のない人物像が枝を伸ばし、美しい青い実を実らせようとしている。
「ブルジョワは、苦しみから完全に解放されるとか、過去のトラウマを完全に治癒できるとは決して信じていなかったようです。それでも何度も繰り返し不安や恐怖などの痛みに立ち戻り、向き合い続け、自身の感情と記憶をアート作品として芸術の域まで高めることを98歳まで続けました。そういったアーティストの姿勢をよく表現していると思います」と本展企画者のひとり、矢作は語る。
自らを逆境を生き抜いた「サバイバー」だと考えていたというブルジョワ。本展は、地獄のような苦しみも芸術に昇華できると信じ、表現を続けた彼女の内面の探究と葛藤、そしてその芸術の力が痛々しいまでに伝わってくる内容になっている。作家にとって国内最大規模の個展となるこの機会にぜひ美術館を訪れ、その表現を体感してほしい。
なお本展は会期終了後、台北の豊邦美術館に巡回。韓国でも行われる予定だ。