公開日:2024年8月31日

服部浩之(国際芸術センター青森 [ACAC] )× 岩田智哉(The 5th Floor)対談:オルタナティヴ・スペースの20年【Tokyo Art Beat 20周年特集】

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。青森公立大学 国際芸術センター青森 [ACAC] 館長・服部浩之とThe 5th Floorの代表理事/ディレクター・岩田智哉が、日本のオルタナティヴ・スペースの20年を振り返る。(聞き手:ハイスありな[編集部]、構成:杉原環樹)

左から服部浩之、岩田智哉 撮影:雨宮章

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。「これまでの20年 これからの20年」と題して、6つのテーマで日本のアートシーンの過去・現在・未来を語る。

第5弾となる本稿では、青森公立大学 国際芸術センター青森 [ACAC] 館長・服部浩之と、The 5th Floorの代表理事/ディレクターの岩田智哉の対談をお届け。日本のオルタナティヴ・スペースの20年を振り返りながら、オルタナティヴとインスティテューション、地方と都市のダイナミズム、そしてスペース運営に欠かせない資金調達にまで話が及んだ。

Tokyo Art BeatのYouTubeチャンネルにて後日動画も公開予定。

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オルタナティヴは複数であるという前提

──今日は、それぞれに独立したスペースの運営経験を持ち、海外も含めて様々なスペースを見てこられたおふたりに、「オルタナティヴ・スペースの20年」というテーマでお話を伺えればと思います。はじめに、おふたりの活動についてお聞きできますか?

岩田:現在は、東京の根津にある「The 5th Floor」というオルタナティヴ・スペース——僕たち自身はキュレーションを活動の軸としているので「キュラトリアル・スペース」と呼んでいるのですが——で、2代目のディレクターをしています。この場所では、若手のキュレーターが遊んだり、アーティストと実験的な企画をしたりと、美術館のような大きなインスティテューションのなかではなかなかできない活動を展開しています。

The 5th Floor アナイス・カレニン《Unnamed transiences》 「Things named [things]」(キュレーション:岩田智哉)展示風景より 撮影:竹久直樹

また、それと並行して、個人として、アジアのアートシーン、とりわけオルタナティヴなシーンについて、それがインスティテューションとの関係のダイナミクスのなかでどのように形成され展開されているのかを継続的にリサーチしてきました。

服部:僕は美術大学で教育に携わるいっぽう、この4月からは以前学芸員として勤めていた国際芸術センター青森(以下、ACAC)の運営に館長として関わっています。自分はこれまで地方都市にいることが多く、ACACや山口県の秋吉台国際芸術村(以下、秋吉台)など主にアーティスト・イン・レジデンス事業を行う機関で10年ほど働いてきました。そこで若手作家の滞在制作をサポートしてきたのですが、その交流が広がり、2007年からは山口の自宅をひらくかたちで、Maemachi Art Center(以下、MAC)というスペースを同居していた友人たちと運営していました。そしてそのなかで、岩田さんと同じくアジアの近い世代の活動に興味を持ち、現地でそれを体験したり、その人たちと共同キュレーションやプロジェクトを行ったりもしてきました。

青森公立大学 国際芸術センター青森 [ACAC]  撮影:編集部

──そうした活動のなかで、「オルタナティヴ」をどのように定義づけてきましたか?

服部:オルタナティヴを定義づけることは難しいですよね。しかし、この言葉に「代わりとなる」や「選択肢」という辞書的な意味があることにはヒントがあると感じます。

おそらく多くの人と同様に、僕も「何かひとつのものが絶対的に正しい」という世界観には抵抗感があります。それは、ずっと地方の小さな組織にいたことや、大学で学んだのが建築の設計で、たまたまアートの仕事に就いたけれど、ずっとアートに劣等感を抱いてきたという自分の出自にも関係するかもしれない。そうしたなかで、「自分はいわゆるオーセンティック(真正な)側ではない。つまりオルタナティヴの側だよな」という感覚を若い頃から持っていました。

ただ、ここで重要なのは、オルタナティヴがなければ、相対的なものとしてオーセンティシティも成立しないということだと思います。両者の関係は固定的ではなく、密接に流動的なものとしてある。たとえば、アートセンターは美術館に対するオルタナティヴという側面もありますし、美術館のなかでも展覧会に対するオルタナティヴとなるプログラムもあるので、どんなものもオルタナティヴになり得るし、逆に絶対的なオルタナティヴもないはずです。オルタナティヴだと思っていたものが権威になることもありますし。自分は活動を通して、そうした点も意識してきました。

岩田:「選択肢」というのは大事な観点ですね。何かしらの基軸がなければオルタナティヴの「別の」という意味も成り立たない。だからその「別の」の意味は、そもそも対立軸としてのインスティテューションの定義次第という面があると思います。

実際、自分のリサーチに引き付けても、アジアのオルタナティヴ・シーンというとき、その対立項に位置するインスティテューションのあり方自体がじつに多様なので、それに応じてオルタナティヴもひとつの視座で語れないということがあるんですね。

フレンドシップ、スピード感、失敗も楽しむマインド

服部:「オルタナティヴ」って結構便利な言葉で、自分もわりと逃げ道的にすぐに使ってしまう言葉ですけど、本来はもっと掴みどころがないものなんですよね。

アジアのいろんな場所に行かれているというお話がありましたが、僕は1978年生まれで、2000年代後半以降、自分と近い世代のアジアのシーンを見ていました。とくに印象的だったのは東南アジアで、ひとりの人間がいくつもの役割をこなしていることでした。分業が整ったインスティテューションが未成熟ということもありましたが、手に入るもので、できるかたちでブリコラージュの感覚を持って、みんながフレキシブルに関わりながらやるべきプロジェクトをやる姿勢がすごく勉強になったし、励まされたんです。

つまり、「〜しなければならない」というふうに役割を狭めていく必要はないんだ、ただ自分たちにとって必要だし、重要だと思うからやっているんだ、と。ひとりの人間のなかにもひとつのスペースのなかにも、そういう多面性、マルティプルさがあっていい。そういう前提を教えられたように感じました。

岩田智哉

岩田:僕は1995年生まれで、ちょうどキャリアの初めの時期にコロナ禍があり、海外との接点が一瞬途絶えるという経験をした世代です。それ以前の学生時代は、自分で海外に行きリサーチをする機会がなかなかなく、キャリアが始まったと思ったら国際交流基金のアジアセンターがなくなるなど、情報に触れたり実際に交流したりする機会が減ってしまった。そうしたなかで僕がいま自分でアジアの同世代のシーンをリサーチしているのは、インスティテューションではなくオルタナティヴだからこそできることがあるんじゃないかと考えているからです。

オルタナティヴだからこそ、スピード感を持って、それこそ「〜しなければならない」という枠組みを超えたもっと自由なコミュニケーションが図れるのではないか。そうしたなかでアジアのほかの国と日本の、同世代による横のつながりが作れないかと考えています。

服部:繰り返しとなりますが、僕はアート畑出身ではありません。そうした人間がたまたまアートの機関で働くことになったとき、自分にとっての横のつながりの入り口は、いろんな場所からやって来るアーティストだったんですよね。そういう人たちからいろいろ学んでいったという感覚があって。そのなかでも、たまたま興味がある、面白いなと思う人にアジアの人が多かったので、よく現地にも行くようになったんですよね。

そのとき感じたのが、日本にいるときに比べて、利害関係や「私が何者か」ということにこだわりがない、ということでした。それがすごく心地よかったんですよね。日本だと自己紹介するときに、「どこどこの誰々」と語り始めるけど、名前だけでOKな感じ。「アートの仕事をしています」とすら言わなくて良くて、話しているなかで徐々にいろんなことが見えてくるという感覚があった。その広がりはとても面白いなと感じました。

「無駄」な時間と対話から何かを見つける

岩田:服部さんが関わってきたACACや秋吉台などのレジデンスには、枠にハマらない自由な雰囲気があるように感じています。アーティストとの会話で大切にされていることはありますか?

服部:作家と共有できる時間が少なく、作品を実現させるための最短距離を選ぶことが多い展覧会や国際展に対して、レジデンスの面白さは生活自体がそこにあることだと感じてきました。たとえばACACの場合、青森市の山の中にあるので、買い物へ行くのも作家ひとりでは大変なときがある。そんななかで、「僕が運転しようか?」と一緒に街に行くことになったら、絶対に作品以外の話もしますよね。展覧会にアーティストを呼ぶ際は事前にその人のことを調べるけど、レジデンスの場合は作家が公募によって決まることも多く、比較的長い時間を共にすることで、一見無駄なこういう会話のなかからその人のやりたいことを知っていく。そこが面白いと思うんです。

ただ、難しいのは、そういう見えない裏側の面白さを観客に伝えたり、体験してもらうことだと思っていて。それは展覧会で作品を見てもらうだけでは伝わらないし、限られた時間のワークショップやオープンスタジオにも限界がある。ここがオルタナティヴとつながるところなのですが、僕はもともとインスティテューションで、アーティストとスタッフと観客の役割が明確に分かれており、そのことで互いの距離が縮まらないことを勿体無いと感じていたんです。アーティストには面白い考えを持っている人が多いから、もっと観客にもそうした部分を知ってもらいたい、そういう場所があったらいいなと考えたんです。

岩田:それが、服部さんが山口でやられていたMACにつながるわけですね。

服部:そうなんです。秋吉台に勤めていたとき、近くにある山口情報芸術センター(以下、YCAM)のスタッフと家をシェアしていました。そしたら、その家にアーティストや近隣の子育て世代の人などいろんな人が集まるようになって、一緒にご飯を食べたりするようになったんです。そうすると、アーティストが特別な存在ではなくなる感覚や、会話を通して作品の理解が深まったりする感覚があって。

山口県山口市のMaemachi Art Center (MAC)

展覧会などに際した形式的なレクチャーにもアーティストの凝縮された良さが表れると思うんですけど、MACのようなリラックスした場での対等なコミュニケーションからは、アーティストの人間としての魅力をより親密な距離で実感できることがわかりました。大きな枠組みのなかのみでは見えづらい、アートと関わる豊かさのようなものが、MACでいろいろな人とフランクに関わるなかで見えるようになりました。

地域とスペースの関係性。スペースが生み出す公共圏

岩田:いまのお話に、服部さんがインスティテューションをどうとらえ、それに対してどんな価値を重視してオルタナティヴの活動を行ってきたかがよく感じられました。以前、おそらくそうした活動を指して「セミパブリック」という言葉を使われていましたよね。それが個人的にすごい印象に残っていて。インスティテューションではやはりお金の出どころに行政が絡んでいるので、「アートの公共性」と言ったときにどうしても包摂的な目線が求められるわけですが、オルタナティヴはそれをより小規模に実験できる。そうした完全にオープンではないセミパブリックなあり方は、オルタナティヴの特徴だと思います。

たとえばThe 5th Floorで行う企画も、言い方が難しいですが、万人に理解してもらう必要はないと考えているので、実験的でカッティングエッジなことができる面があって。僕たちの場合、そうした企画をアート関係の人が見に来てくれることが多くて、もちろんそうした人たちだけに向けて活動しているわけではないのですが、完全にオープンではないセミパプリックな場所だからこそ、どこに向けて企画をするかと意識することが多いです。

The 5th Floor Tomoko Sauvage《Buloklok》 「between / of」(キュレーション:岩田智哉)展示風景より 撮影:竹久直樹

服部:The 5th Floorのそうした活動方針は、やはり、大都市の東京においてこそ価値を持つんだと思うんですね。要は、仰った通り、活動するうえで、誰と何を共有するか、という意識が重要だということで。オルタナティヴなスペースでは、美術館のように1日何千人もの人に対応はできない。東京という膨大な人のなかで、その限られたスペースで何をやるのか。The 5th Floorの場合、それを自分たちでキュラトリアルなスペースというふうに定めることで、大きな母数のなかでもそこを訪れる価値を生んでいるのだと感じました。

いっぽうで、これは良い悪いではなくただの地域の個性ですが、僕がいるような地方の小さな街の場合、アートだけを求めてある場所に訪れる人は少なくて。だから、アートに限らず潜在的に広義の表現に興味を持っている人に届ける方法が必要だし、顔の見える関係性を築くことが大切だなと思うんです。それは「コモン」と呼ばれる感覚に近いのかもしれないんですけど、そういう場を作ることで、僕も来た人から学びたいと思っています。

当たり前ですが、アートの専門家ではないからこその視点もたくさんある。地方ではたとえば林業の従事者の方など、いろんなスキルを持つ人がいるんですね。母数の少なさゆえに、そうした他分野の人に比較的アプローチしやすいのも地方の特徴で、その関係が活動のなかで役立ったりする。だから、地域の規模や状況によっても活動の仕方が変わってきますよね。

岩田:それで言うと、たしかにThe 5th Floorは東京にあるのですが、いっぽうで根津という街のなかにもあって。その根津がすごく面白い街なんですよね。いつもお世話になっている酒屋兼地域のコンビニみたいなお店があって、普段は美術を見に行く習慣がないご夫婦が営まれているのですが、そのご夫婦に展示の案内をすると結構来てくれて。「わけがわからない」と言われたり、「あれはすごい良かった」と言ってくれたり、反応は様々なのですが、そうした地域の方たちとのつながりは自分たちも大切にしています。

それを言い換えると、自分たちで居心地の良い関係や顔の見える範囲を作ること、自分たちの公共圏を作ることが、オルタナティヴな場のひとつの役割なのかなと思います。

青森公立大学 国際芸術センター青森 [ACAC]  「AOMORI GOKAN アートフェス2024 ーつらなりのはらっぱー」展示風景より 撮影:編集部

インスティテューションを有機的に補完するものとしてのオルタナティヴ

──ここまで主におふたりの実践についてお話を伺ってきましたが、そのほかの事例も含めてこの20年ほどの動きを振り返ったときに、どのようなことを感じられますか?

服部:ちょうど僕がMACを始めた2000年代には、同世代の人たちによる取り組みがいくつかありました。たとえばいまも続いているものだと、鳥取県立博物館の学芸員の赤井あずみさんが2012年に始めた「HOSPITALE PROJECT」。HOSPITALEは旧病院を利用したスペースです。赤井さんは博物館に勤めながら、物件マニアでもあり、鳥取市内で面白いスペースを見つけては、そこを活用してたとえばレジデンススペースを設けるなど、文化的な場をじんわりと拡張しています。

また、いまは十和田市現代美術館の館長になっている鷲田めるろさんは、金沢21世紀美術館の学芸員時代の2007年に、建築やアート関係の世代の近い人たちとCAAK(Center for Art & Architecture, Kanazawa)という組織を立ち上げ、町家を利用したゆるやかな活動の場を展開していました。おふたりも僕もアート・インスティテューションに勤務しながら、そのスキルやネットワークなどをうまく活用して、寄生する側面も持ちつつ、インスティテューションを補完するように、そこではできない活動を展開していたように思います。2010年前後にはこういう活動をする人が結構いた印象があります。

その理由を考えてみると、ひとつには、いまでこそインスティテューションにおいてラーニングの活動が盛んになりましたが、以前はキュレーターは展覧会を作るもので、ラーニング──当時はエデュケーションと言われることが多かったですが──は教育普及担当がやるものという線引きがあったことも影響していると思います。しかし実際には、アートプロジェクトやプロセス重視のアートの場合、「学ぶ」ことがアートの体験から切り離せないですよね。大きな組織ほど旧来の垣根を越えるハードルが高いので、勤務先とはべつの場を設けることで、ラーニング的な実践をしていた面があるのかなとも思います。

現にMACもHOSPITALEもCAAKも、何か物質的にすごい展示を目指すというより、人が来て話をしたり、アートやアーティストとより親密な関係を築くことを活動の中心としています。美術館や博物館を有機的に補完するものとして、そうした活動があったのではないでしょうか。

服部浩之

岩田:そうしたある種、同時多発的に立ち上がった活動には、都市と地方、もしくは地方と地方のような横同士のつながりはあったんでしょうか?

服部:当時はちょうどTwitterやFacebookなどのSNSの黎明期で、違う地方で起きていることの情報が得やすくなった時代でした。なので、あそこの人がこういう活動を始めたらしいということはお互い理解していて。遠方に行くと、美術館とともにそうした個人のもとを訪ねたりしていましたね。その出会いがトークになり、それがプログラムになることもあり、たとえばartscapeでは2010年に、あるスペースの人がべつの地域のスペースを訪ねて交流する「Dialogue Tour」という企画を行い、全国8ヶ所を巡っていました。そうした活動の担い手は、鷲田さんや赤井さんのようにどこかに所属している人が多かったです。

岩田:先日、鷲田さんとお話する機会があったのですが、そのときインスティテューションの持っているリソースをアプロプリエーションする、「上手く横流しする」という話をされていたんですね。たとえば美術館で呼んだアーティストをCAAKの古民家のスペースにも連れて行って、ご飯を食べたりトークをしたりというように、身の回りのリソースを上手く活かした有機的な循環を作れるのではないか、というお話でした。

いっぽうで、オルタナティヴ・スペースには「どれぐらい続けるか問題」というのもある気がしています。もちろん、Art Center Ongoing(東京・吉祥寺)のように長く活動されている場もありますが、必ずしも長く続けることを目指しているスペースばかりではありません。継続期間の長短ではなく、それぞれの環境のなかで自分たちが欠けていると感じる隙間を埋めていくことが大事だと思うのですが、どう思われますか?

服部:これは直接的な答えになるかわかんないんですけど、コンテンポラリーアートに関わるプレイヤーの数は、当時に比べて圧倒的に増えている気はするんですよね。地方都市の場合、公立の美術館やアートセンターがあって、アートに関わる人はそのような施設で働いていることが多かった。そしてオルタナティヴな場所も、アーティスト以外だと、そういう人たちが職場と掛け持ちしていることが多かった。いっぽうでいまは、アートを実践する主体も美術館などの大きな機関だけでなく、小さな団体や美術を専門としない機関にまで多様化し、別の職能や専門性を持つ人たちが関わっていることも多くなっているので、美術館の学芸員などが何役もする必要はなくなってきているのかなと感じます。

たとえば僕は秋田公立美術大学で教員をしていたのですが、美大ができると一気にアートに関わる人が増大するんですよね。そして、美大から派生してNPOが生まれたり、学生が卒業後に自らのスペースや、アートだけに特化せずともアートも内包するお店などを始めるということがちょこちょこ起こっています。いまは大小問わずいろんな場が生まれ、秋田を離れる人もいればやってくる人もいて、人に流動性が生まれている。少なくない人がこうした場に関わるようになったという意味で、状況が変わっている。そうしたなかではひとりの人が長く同じ場所を続けるという必要性は少なくなっていると思います。

僕自身も当時は、10年後にこういう場になっていたいという構想があったというより、「いまここ」で必要、という感覚が強かったです。もちろん10年後のビジョンを描く場所もあっていいけど、僕は具体的な実践が次の実践を呼んでいくということがすごく重要だと思っていて。その「次の実践」は、自分たちが当事者ではなくてもよくて、もしかしたら自分たちの活動にインスパイアされた次の世代に引き継がれて実践されるかもしれない。そうした視点の持ち方も大切なのかなと思いますね。

The 5th Floor 「ラマヴァニア:影の主君」(キュレーション:ポンサコーン・ヤナニソーン、キュレーター・イン・レジデンス・プログラムの成果展として)展示風景より 撮影:竹久直樹

資金源の分散化と、セミインスティテューション的な方向性

岩田:もうひとつ、継続という観点ではお金の話も重要ですね。とくに東京の場合は家賃が高いため、中心部で大きなスペースを持つことは難しい。スペース運営のための助成金があまり充実していない現実もあります。また、オルタナティヴな活動の歩みを考えるうえで、コロナ禍という人が集まることを再考させるフェーズがあったことも大きいでしょう。

そうしたなか、最近目立っているのは、三菱地所などが関わる「YAU(有楽町アートアーバニズム)」やリクルートの運営する「BUG」「マイナビアートスクエア」など、企業系のスペースが若手のキュレーターやアーティストとコラボする例です。これはいま述べたような条件に加え、コレクティヴやプラットフォームという活動形態がより一般化したこともあり、若手のプレイヤーのなかで必ずしも自分たちでスペースを持つ必然性がなくなっているということではないか。僕としては、こうした動きを見ながら、「スペースからプラクティスへ」というふうにオルタナティヴな実践の軸が推移しているのかなと感じます。

服部:なるほど。面白いですし、その通りだと思います。そうしたなかで、The 5th Floorではスペースを維持する側面も含めて、今年はじめにクラウドファンディングもやられていましたよね?

岩田:そうですね。The 5th Floorでは、それが正義だと言うわけではないですが、若手世代からグローバルとローカルの接点を創出することを目指し、とくにアジアに同世代のネットワークを作るということを大事に活動を続けてきました。そして、ありがたいことに少しずつ海外からの認知も広がっているのを感じています。今回のクラファンには、そうした場としてどのような運営形態を取ることがヘルシーであるかを考えるとともに、自分たちの活動がアートの世界でどのように認識されているかを問うという狙いもありました。おかげさまで無事に成功して、さらなる活動を展開することができています。

服部:そういうスペースが東京にあることはすごいと思います。お金の面では、基本的に合わせ技の意識が必要ですよね。クラファンもやれば、助成金も取れば、パトロネージしてくれる人がいるなら支援を受ける。複数の資金源を持つことが大切かなと思います。

岩田:実際、海外のスペースでは資金源を分散型にしていることが多いですね。いま話されたもののほかに、Galaパーティー(特別な催し)を開いて一気に収益を得たり、プロダクトを作って販売利益を活動資金に当てるなどもあります。

こうした分散型の形態を取るのは、それぞれのお金でアカウンタビリティ(説明責任)が違うという理由もあります。たとえば助成金の場合、誰に対してどんな理由でお金が付いたかを、その制度のなかでしっかり説明する必要がある。資金源がそこだけに偏るのはリスクが高い。大きい組織の意思決定に準じずに、いろんな活動の可能性を担保するという面でも分散の意識は必要ですよね。

服部:いっぽうで、現在では行政などによるインスティテューションも単独の資金だけで生き残ることは難しく、複数の資金源を得る動きが増えていますね。そういう意味では、そもそも存続や継続させるという志向性自体がインスティテューション的とも言えて、岩田さんも仰っていた気がしますが、The 5th Floorにはセミインスティテューション的と言える面があるのかなと思いました。

もうひとつ、そう考えると、いわゆるインスティテューションとオルタナティヴは、いまでは方法論や資金の作り方の面で、それほど差がなくなっているのかなと思うんです。これは今後もっと近づいていくのかな、と。ただ、オルタナティヴな活動は、そうした生き残り方をより早い時期から考えてきた。その予見性は生かしていけるのかなと思います。

岩田:まさしく、セミインスティテューション的なあり方が、The 5th Floorの今後を考えるうえで重要な視点だと思います。というのも、海外とネットワークを作り、そのなかでプロジェクトを動かすうえでは、やはり一定の継続性も必要だからです。金銭的にも時間的にもリソースが少ないからこそ、安定した土台を築く意識が求められる。

そして個人的には、そうしたアジアのなかの横のつながりから見えてくるアートシーンの今後ということにとても興味があって。これまでとは異なる海外のアートシーンとの接触の仕方の先に、10年後や20年後、どんな風景が広がっているのか。The 5th Floorではそういうことを考えながら活動できたらなと思っています。

──最後になりますが、今後の20年間でアートメディアに期待することを聞かせてください。

岩田:僕はTokyo Art Beatで「オルタナティヴの複数性」という連載をやらせてもらっています。自分で言うのも変ですが、これがめちゃくちゃニッチな内容なんですよね(笑)。僕が企画を立てて持ち込み、実現してもらったのですが、面白さも価値も確約されていないなかで、機会をいただいたのはすごいありがたかった。PV数や資本主義的な価値によらない、そうしたポテンシャルの部分にかける情報発信を続けてもらえたら、個人的には嬉しいなと思います。

服部:歴史というのは当然、書かれないと残らないんですよね。その意味で、オルタナティヴと呼ばれる実践は歴史に残りづらい。自分たちでウェブや報告書を作っても、アクセスしづらかったり、それ自体が残らないことも多いです。そういうときに、運営体制として安定感のあるメディアがその小さな活動を気にかけて、取り上げてくれると、プレイヤーとしてはすごく安心感があるんです。

僕も、過去の何かを調べようとしたとき、やっぱり個人のブログなどよりアートメディアのほうが圧倒的に記事が出てきます。なので、そうした幅広いところに目を向けてもらえるとありがたいな、と。それこそ視点のマルティプルさ、ですよね。そうした部分を担ってもらえると嬉しいし、のちの世代の資料としても貴重になるのではと思います。

──今日はありがとうございました!

左から服部浩之、岩田智哉 撮影:雨宮章

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服部浩之(はっとり・ひろゆき)
キュレーター。早稲田大学大学院修了(建築学)。2006年より秋吉台国際芸術村に3年半、国際芸術センター青森に6年半勤務し、約10年間アーティスト・イン・レジデンスを中心に、展覧会やプロジェクトの企画運営に従事する。その後、秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻・大学院複合芸術研究科や東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻で教育に携わる。アートセンターや教育機関を拠点に、公共性・コモンズ・横断性などをキーワードに様々な表現者との協働を軸にしたプロジェクトを展開。近年の企画に、アートサイト名古屋城2023「想像の復元」(2023、名古屋城)、「200年をたがやす」(2021、秋田市文化創造館)、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」(2019)など。

岩田智哉(いわた・ともや)
1995年愛知県生まれ。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修了。キュレーション史やキュレーターなど、キュラトリアル・スタディーズを研究する一方、広く人間を超えた他者との理解(不)可能性について展覧会実践を通して模索。また、アジア各地のオルタナティヴ・スペースを訪れ、それぞれのローカルのアートシーンにおけるオルタナティヴとインスティテューションのダイナミズムについてのリサーチを行う。2022年4月より、キュラトリアル・スペースThe 5th Floorのディレクターを務める。

ハイスありな(編集部)

ハイスありな(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。研究分野はアートベース・リサーチ、パフォーマティブ社会学、映像社会学。