エスパス ルイ・ヴィトン大阪にて、ドイツ人アーティスト、ウラ・フォン・ブランデンブルクの個展「Chorsingspiel」が、2025年5月11日まで開催されている。本展はフォンダシオン ルイ・ヴィトンの所蔵コレクションを公開する「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環で行われ、会場ではいずれも日本初公開となる2作のビデオインスタレーションが展示されている。
今回は、この展覧会を和田彩花が訪れた。10代の頃に出会ったエドゥアール・マネの作品をきっかけに西洋美術に興味を持ち、アイドル活動の傍ら大学院で美術史を学んだ和田。グループ卒業後の2022年からはフランスに留学した。そんな和田は、初めて見たというフォン・ブランデンブルクの作品に何を感じたのか? 演劇的な要素を含む本展の鑑賞体験を振り返り、ステージに立つ側だからこその視点も交えて語ってもらった。
1974年にドイツ・カールスルーエで生まれ、現在はパリを拠点に活動するウラ・フォン・ブランデンブルクは、インスタレーションや映像、水彩画、壁画、コラージュ、パフォーマンスなど幅広い表現手法を用いるアーティスト。舞台美術を学んだのちに美術大学へ進学した経歴の持ち主で、多様な作品の根幹にはつねに演劇がある。
本展は、2作品ともテントのような大きな空間の中に入って映像作品を鑑賞するという展示構成。展覧会タイトルの「Chorsingspiel(コアージングシュピール)」は、ドイツ語で「コーラス」「歌」「芝居」が組み合わさった言葉で、展示もこれらがキーワードになっている。
展示を一通り見終えた和田は、「作品は演劇的ですが、色々な手法が使われているから演劇とも言えないし、美術館やギャラリーで演劇的なものを見る体験も初めてだったので、すごく楽しかった」と語る。
「映像作品って映像だけがそこにあって、それを見終わったら終わってしまうことが多いけれど、この展覧会はそうではなくて空間に入るところから始まっている。さらに映像のなかでも登場人物やカメラワーク、音などの様々な要素で世界観ができていたから面白かったです」
作家によれば、テキスタイルで囲われた大きな構造は、中を歩いていくことで観客が映像作品に出会うための準備をする、序章のような位置付けだという。最初の作品《Singspiel》(2009)では、映像内に出てくる建築物のスケールをテキスタイルの構造に落とし込んでおり、映像のカメラワークも鑑賞者が布の中を歩いていく道筋とリンクさせている。
「この先に何が起こるんだろう?というワクワク感がありました。普段、美術館などで展示の章ごとの解説を読んで、『こういう展示なんだな』って頭を準備して作品を見ていくことはありますが、今回はそれが文字ではなくてテキスタイルで作られた空間でしたよね。こういったものを通して準備できるという感覚は多分初めてです。
私はずっとステージに立ってきた人間なので、このテキスタイルを見てすぐに舞台の幕をイメージしたんです。舞台が開演するときに上がる幕や、世界観を作るための背景の幕のように見えたから、本当にお客さんが作品の中に入っていくという感覚なんだろうなと思いました。ギャラリーに一緒にいたほかのお客さんも結構驚いていて、迷路に入り込むみたいな感じで見ていました。幕の中を歩くことで、映像作品への準備段階以上のものを感じられましたね」
タイトルが「歌芝居」という意味を持つ《Singspiel》は、18世紀後半のドイツで花開いたオペラの形式を参照した作品で、ひとつのシークエンスショットで撮られている。主観ショットのようなカメラワークで建物の中をカメラが動き回り、家族が集う食卓の風景を映し出す。
サウンドは無声映画にアーティスト本人が歌う歌が重ねられたような構成で、出演者たちはセリフを話すのではなく、歌詞をリップシンクしている。鑑賞者はゴーストのように家族の様子を見つめることになるが、歌詞の内容はつかみどころがなく、ストーリーも判然としない。
和田はこの映像作品を見た当初、「仲間はずれ」にされたような感覚になったという。
「登場人物たちが映像の中だけで完結していて、私は透明人間みたいにかれらの周りをぐるぐる回っているようでした。自分がまったく関係ない場所から登場人物を見ているという感覚があったんです。それまでは幕の中を歩いて作品の中に入っていこうとしていたのに、急に作品との距離ができて仲間に入れてもらえないような感じがして、その感覚の違いが面白かったです。
登場人物もセリフを話しているわけではなく、後から足された言葉をリップシンクしていて、それ自体が物語を作っているわけではないですよね。演劇を見るときって、登場人物の関係性に共感したり、誰かに自分を重ねたりするじゃないですか。この作品ではそれができなかった。でも、だからこそ楽しかったですね」
作家自身、鑑賞者がゴーストとなって建築内を動き回ることをイメージして、カメラを目線の高さに置いて撮影したのだという。オカルトや目に見えない存在、というのもフォン・ブランデンブルクの大きな関心事のひとつ。ヨーロッパであればゴブリンや妖精、日本では妖怪など、それぞれの文化に「姿を見たことがないのに誰もが知っている」存在がいるが、日本で滞在制作を行う作家は妖怪にも興味を持っているそうだ。
「目に見えない存在」への関心を和田に聞いてみると、「私はお化けに共感するタイプ」と笑う。
「お化けがこの世にさまようって言いますが、みんな生きていたんだからそれは仕方ないなって思うんですよ。この世に未練があるのは当然だと思います。もし自分が突然命がなくなったら、絶対に美術館をさまよいます。だからお化けが出てしまう気持ちにちょっと共感してしまいます(笑)」
《Singspiel》の撮影は、ル・コルビュジエの設計で1931年にフランスのポワシーに建てられたサヴォア邸で行われた。
「ワンカットでカメラが建物の中を進んでいくから、自分が一緒に歩いて回っているような感覚になりました。私はサヴォア邸に行ったことがないので、カメラの視点を借りて建築の特徴を体感できました」
コルビュジエといえば機能性や合理性を重視したモダニズム建築の巨匠。フォン・ブランデンブルクは、住宅の中での過ごし方を建築家が規定するようなモダニズム建築への批判的な視点も作品に込めていると語っている。映像では室内で横たわる男性が出てくるが、サヴォア家では実際に息子が病弱で、母親が当時のコンクリートの有害性や室内の寒さなどを訴える手紙をコルビュジエに送っていたのだという。
和田は、モダニズム建築や合理化が進む社会への批判までは映像から感じなかったというが、サヴォア邸に住んだ息子のエピソードを聞いて、「住みにくいというのは、自分がそこにいられないということですよね。そのお話を聞いてからは、私が最初に感じた『仲間はずれ』の感覚とつながったような気がしました」と話す。
「作品のなかでは(合理性や社会で決められたものに)強く抗うというよりも、自由を求めるような感覚が強かったです。とくにこの作品では、話している人に歌を当て振りしたように脈絡のなさそうな言葉が続きますよね。映像って人に物語を伝えるために作られていることが多いのに、物語が全然伝わってこない(笑)。それは普段見ている映画やテレビ番組では感じられないものでした」
もうひとつの作品《Chorspiel》(2010)では、渦巻き状に貼られた幕のあいだを通って映像作品にたどり着く。
スウェーデンの森の中で撮影されたこの作品は、ある家族と異国から迷い込んできた男の姿を描く。かれらの演技はすべて白く地面が塗りつぶされた四角い区画の内側で展開され、こちらもセリフはなく、合唱団の歌にあわせて俳優たちがリップシンクする。
「こちらの作品のほうがもっと見やすかったです」と和田。その理由は、白く区切られた「舞台」の上で展開される本作は、より演劇のように鑑賞することができたからだという。
「(《Singspiel》では)登場人物たちがいる空間に自分もいて、同じ空間の中でそこで起きている出来事を見つめているようでした。でも、《Chorspiel》では、わかりやすく地面に四角が描いてあって、その上でお話が展開していたから、自分は客席にいるつもりで客観的に演劇を見ていくような感じでした。まったく違う感覚でしたね」
さらに普段ステージから客席を見ている立場ならではの視点で、2作品を対比する。
「ステージと客席って結構隔たれていて、離れているんですね。ステージではお客さんに向けてすべてが作られるから、演者の身体は正面を向いています。《Singspiel》では人の頭ばかりが映っていたのですが、普通ステージに立つ人って頭をお客さんに見せないんです。《Chorspiel》は私たちに見せるために身体がこちらに向いていて、ショーとして成り立っている感じがしました。そんな違いもあって、《Chorspiel》はより見やすかったです」
今回の展示では2作品とも「歌」と「芝居」が軸になっているが、和田も演劇作品への出演経験もありつつ、アイドル、ミュージシャンとしてライブのステージに立ち続けている。パフォーマーとしては、演劇と音楽ライブのステージでどのような違いを感じるのだろうか。
「演劇は誰かになりきることだし、その中でその人の人生を歩まないといけないから、ライブとはやっぱり違います。誰かになるということは、そのあいだ自分はつねにそこにいないということです。音楽はただ自分から発するものだけなので、もっと自分の主体性を込めて作ることができる。その違いはすごく大きいです。
私がやっている音楽では何かを演じるとか、誰かを主人公として歌うということはまったくしていないんです。ただ歌の中で自分が思うことを述べるだけだし、歌のメロディーがそもそもないこともあるので、誰かを演じることとは別ですね。でも今回の作品だと役を演じているようで、声がコーラスであとから追加されていたので、とても面白かったです」
男女混声の合唱団が歌う《Chorspiel》の歌は、ギリシャ演劇で登場人物の心理描写や状況の説明、観客の反応などをナビゲートする進行役を担う「コロス(合唱隊)」がイメージされている。コロスはコーラスの語源になった言葉だそうで、ここでも作家の古典への関心がうかがえる。
「『コーラス』と聞くと、メインのボーカルの上に重ねられた声やハモリという印象がありますが、もともとはお客さんを導く存在だったんですね。音としてもとてもきれいでした。映像の最後で全員の歌声が合わさって盛り上がるところは、作品の終わりが決まった、という感じがして、カタルシスのようなものを感じられました。でも、じつはその歌声がギリシャ演劇にまでつながっているというのが素敵です」
2作品の脚本は作家によるものだが、無意識下で文字や絵を描く手法「自動書記」によって書かれている。18世紀、19世紀のヨーロッパでは、交霊会が娯楽として親しまれるなど、非科学的、非合理的な存在が一般的に受け入れられていたのに対し、近代化が進むなかで、無意識下の人格を抑圧し、人間がより合理的で理性的な存在であることが重要視されていくようになった。作家は、作品を通して、そのような社会の変化にも批判的な視点を向けているのだという。
フォン・ブランデンブルクのように、自分の無意識にアクセスして創作してみたいか、と問いかけると、「無意識を知ることは怖いです」と和田は答える。
「無意識って自分が普段は隠しているものですよね。隠そうと思って隠しているわけでもなくて、だけど本当は隠したいものだったりもする。伝えたくないものや、人に見せたくないものってあると思うのですが、無意識にアクセスするのはそれを出していくことだから、すごく恥ずかしいと思います。私はできないかもしれません」
かならずしもテキストそのものだけでは意味をなさない詩を自動書記によって執筆する作家は、シュルレアリスムをはじめとする美術様式や、フロイトの精神分析などにも影響を受けている。
「シュルレアリスムの絵画など、ありえないような構図や、ありえないモチーフ同士が一緒にあるような作品は、想像の幅が広がりますよね。私は、すべてが完成された世界を描いている絵画は、じつはそんなに好きじゃなかったりもするんです。画面がひとつの物語で完結していなくて、色々なものが組み合わさっていると、様々な見方ができるので、それが好きですね。
今回の作品も、ひとつの見方だけでは見られない作品かもしれないですよね。見る人それぞれで感想が全然違ってくるのかなとも思いました」
様々な要素やモチーフが複合的に絡み合う本展の作品は、決してわかりやすくはなく、だからこそ鑑賞者によって色々な解釈ができるのだろう。実際、作家がハッピーエンドを意識したという展開に対し、和田は「私は全然ハッピーエンドには見えなかった(笑)」と明かす。
作家による無意識の領域の追求や、明確な物語展開がない映像作品は、「わからなさ」のなかに観客の身体を宙吊りにするかのようでもある。和田はアート作品に触れるとき、そうした「わからなさ」の感覚を楽しんでいるという。
「わからないという状況はすごく好きです。一番好きな画家はエドゥアール・マネなのですが、マネもわからないから好きなんです。わからないからもっと知りたいと思って、学校でも勉強していました。私は『わからない』ということが原動力になっています」
さらに「いまはなんでも調べられるから、わかった気になりやすい」と警鐘も鳴らす。
「データとかエビデンスとかよく言われますが、データがあるというだけですごくわかった気になってしまうところがあると思うんです。でもじつは何もわかっていなかったりしますよね。少し前までは科学ではなく、神話や宗教などを通じて世界のことをわかろうとしていましたが、いまもそんなに変わらないと私は思います。じつはわからないことってこの世界にたくさんある。だからあまりわかった気にならないことも大切だなと思います。同時に、わからないことを恐れる必要もないなと思います」
最後に和田は展覧会の鑑賞体験をあらためて振り返り、「意味がわからないところがあっても、充実した時間を過ごしたなっていう感じがすごくしました」と話してくれた。
和田彩花(わだ・あやか)
1994年生まれ。群馬県出身。2004年「ハロプロエッグオーディション2004」に合格し、ハロプロエッグのメンバーに。2010年、スマイレージのメンバーとしてメジャーデビュー。2015年よりグループ名をアンジュルムと改める。2019年にアンジュルム及びハロー!プロジェクトを卒業し、以降ソロアイドルとして音楽活動や執筆活動、コメンテーターなど幅広く活躍。2022年、フランス・パリへの留学を経て、2023年にはオルタナティブバンドLOLOETを結成。4月からは愛知、京都で初のライブツアー「LOLOET NEW TRIP TOUR 1」を開催。