韓国・光州市で9月7日に開幕した「第15回光州ビエンナーレ」。ニコラ・ブリオーがアーティスティック・ディレクターを務め、「パンソリー21世紀のサウンドスケープ(Pansori a soundscape of the 21st century)」をテーマに12月1日まで開催される。
*第15回光州ビエンナーレのメイン展示のレポートはこちら
ブリオーがキュレーションするメイン会場のほか、本ビエンナーレには各国、各組織等の名前を冠した22のパビリオンが展示を行う。今回初参加となる「日本パビリオン」は福岡市が「Fukuoka Art Next事業」の一環としてオーガナイザーを務める。キュレーターは文化研究者の山本浩貴。「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」と題し、福岡市を拠点に国内外で活躍するアーティストの内海昭子と山内光枝がそれぞれ作品を発表した。
山本はステートメントで、韓国、光州が経験した第二次世界大戦前後の苦難の歴史や日本による侵略、民衆の抵抗運動について言及し、今回のパビリオンは「(複数の)声と沈黙の想起」をテーマに構成したと説明。「声を奪われた声、沈黙の牢獄に閉じ込められた沈黙。たくさんの声、たくさんの沈黙。朝鮮の伝統文化を形成する「恨」は、日本語で同じ漢字を用いる「恨み」ではなく、「声にならない声」を表す概念である。声と沈黙の不可視的な存在を捉える感性——現代の世界に生きる私たちは、そうした感性を育む必要がある」。
実際、光州に滞在し様々な歴史のリサーチと人々とのコミュニケーションを土台に製作された内海と山内の展示には、「声」が重要な要素として現れていた。
ここでは内海、山内それぞれのコメントとともに、展示の様子をお伝えする。
内海昭子の展示は、Culture Hotel LAAM(大韓民国 光州市東区西石路89)の1階が会場。展示スペースの扉を開けると暗闇が広がり、恐る恐る内部へと足を運ぶと、金属質の澄んだ音が響いてくる。
会場には長さや太さの異なる金属の棒が浮かび、一部はモーターで、一部は空気の流れなどによって自然に揺れている。聞こえてくる音はこの金属同士がとことどころでぶつかる音だが、その音の発生源は目視では判然としない。金属同士がぶつかるとその軌道を変え、また別の動きを生み出し、新たな音へとつながる。
作家はこの金属を「擬人化している」という。1本1本の長さや太さが異なるのは、一人ひとり異なる存在を表しているからだろう。これらの金属が発する音が表すのは、民衆の「声」だ。その声は連鎖し、やがて大きな物事を動かすかもしれない。韓国、光州でリサーチを重ねた作家は、民衆の抵抗運動でデモが社会や政治を変えてきたこの土地の歴史に大きなインスピレーションを受けた。
「人の声が連鎖していくことで物事を動かすという歴史が韓国の伝統にあります。15世紀頃から民衆が王様に直訴するという風習があったのですが、そのときに民衆はそのことを知らせるために太鼓やドラを鳴らしました。それらがないときは、鍋などを鳴らして王様を引き止め、訴状を渡した。そういう風習がいまも残り、デモのときには太鼓を鳴らしたりします」
本作で使われている金属は、鍋の原材料にもなる真鍮とステンレス。一般的な工業製品であり、こうした身近なものを用いることも、民衆の姿を表す本作では必要なことだった。
「素材自体に強い意味を持たせたくなかった。ありふれたものが意味をなしていくという姿を、音と光というシンプルな要素で表したいと考えました。声というのは大きなもの(権力や体制)に対して弱きものだと思います。実際に声を上げても社会を変えられないことのほうが多いですし、この作品でも周囲の金属にぶつからず、音の連鎖を起こせない、つまり声を出せないものもいます。それでも、小さく弱い存在が声を連鎖させることで何かを変えることもある。そういう両義的な面を考えました」
光州の歴史のどういったところに関心を持ったのだろうか。
「光州事件(*1)はとても有名ですが、私たち日本人の多くは韓国での出来事だと距離感を持って見ていると思います。でもその歴史をひもとくと、日帝時代(日本統治時代)の日本による暴力にもつながります。1929年の光州学生運動(*2)における朝鮮人学生と日本人学生の衝突が、その後全国のデモへと発展していった。こうしたことを考えると、日本人として光州の歴史に反省的に向き合わないといけないという思いから、リサーチを進めていきました」
*1——5.18民主化運動とも。1980年5月18日から27日にかけて光州を中心に起きた市民による軍事政権に対する民主化要求の蜂起。大学を封鎖した陸軍部隊と民主化を求める学生が衝突。戒厳軍が投入され内戦の様相を呈し、多くの死傷者を出して市民側が鎮圧された。
*2——1929年11月から翌年まで朝鮮各地で展開された抗日学生運動。光州で日本人中学生が朝鮮人女学生を侮辱したことから、朝鮮人学生と日本人学生が衝突、朝鮮人学生による反日デモに発展。日本側はこれを厳しく弾圧した。
今年の5月18日に光州を訪れデモを目の当たりにしたこと、またソウルで戦争と女性の人権博物館を訪問したことも大きな経験だったという。
「(戦争と女性の人権博物館では)暗くて圧迫感のある地下から上階へ上がっていき、気持ちが押し潰されそうなまま資料が並ぶ展示室に入ると明るい音楽がずっと流れいて、そのギャップに感情がおかしくなりそうでした。その音楽は水曜デモ(*3)のドキュメント映像から流れているものだったんです。そのとき、こうした過酷なできごとと向き合い続けるうえで、明るい音楽がなければ乗り越えなれなかったのではないかと思ったんです。ここからデモや音といったものに興味を持ち、15世紀の風習のリサーチなどにつながっていきました」
*3——日本軍「慰安婦」問題解決全国行動。日本軍「慰安婦」に関する日本からの公式謝罪等を求め、1992年から水曜日に在大韓民国日本国大使館前で行われている。
山内の展示会場は、韓国の伝統的な民家を改装したGallery Hyeyum(大韓民国 光州市東区長洞路1-6)。
山内はある土地に赴き、そこに暮らす人々と時間をともにした丁寧なリサーチを通して、その地の歴史や記憶を現在の生へと接続する映像インスタレーションで知られる。福岡生まれの作家は、自身の祖父母が日帝占領下の釜山に内地人植民者として暮らした経験を持ち、こうした家族史と日本の植民地主義、そして自身の現在を問い直す映像作品《信号波》も制作した。
今回は、ふたつの映像を中心に会場全体をひとつの作品《Surrender》として構成。ひとつの映像は、街を歩く裸足の足をスローモーションで映し出したもの。ざらざらした石畳や、足に触れる落ち葉、水たまりを歩き抜いたときの飛沫など、その感覚が鑑賞者にも伝わってくるよう。シンプルだが実直で力強いイメージだ。
「映っているのはふたりの足で、私と、通訳として一緒に滞在してもらった大阪在住の在日コリアンの友人のものです。私たちが滞在していたヤンニムドンというエリアから、噴水のある5・18民主広場(光州事件の現場で、韓国民主化運動の中心地)まで歩いて行ったときの姿をセルフで撮っています。私たちが滞在中にお会いした方が、少年だった1980年5月に何かが広場で起こっていると聞きつけ、ひとりで川を越えてそこへ行き、虐殺の現場を見たというルートを辿っていきました。通訳の友人は証言してくれた方と近しい間柄だったので、その経験を追体験するような気持ちで、また私は光復節、日本では終戦記念日に、日本から来たということを引き受ける意識で、それぞれの思いを噛み締めながら歩きました」
作品には韓国語、英語、日本語による朗読が流れるが、断片的で異なる言語が入れ替わり立ち替わり現れるので、内容はなかなか掴みづらい。これは作家が光州での滞在を通して自ずと出てきた77のワードからランダムに50ワードを選び、それをもとに3つの言語で詠んだ即興詩の朗読だった。
「今回はSurrender(引き渡す、身を任せる、降伏するなどの意)というタイトルで、自分自身をいかに自分の作為から解放するかが課題でした。自分がよりオープンになることで、何かを引き受けることができると思いました。そこでワードをトランプのようなカードに書いてシャッフルして、それをめくりながら出てきた言葉をもとに即興で詩を詠んでいきました。
日本語、英語、韓国語で詠んでいるのは、日本と朝鮮・韓国、そしてアメリカの関わりの歴史のなかで選んだもので、そこに権力構造を読み取ることもできると思います。たとえば自分にとって耳なじみのあるわかりやすい言語であればそこに意識が向かうけれど、それ以外はキャンセルしてしまうという無意識の衝動を鑑賞者の方にも感じてほしくて、わざと詩の全編を追えないように同時に流したりずらしたりしています」
また作家は光州で作品を制作するにあたり、民主化運動で家族を亡くした女性や自身も被害を受けた女性たちの憩いの場である「五月母の家」に滞在し、オモニ(韓国語で母の意)たちと時間を過ごしたという。
「光州という場所に自分がどう関係できるかを、自分がここにいることを通して知りたいと思い、その窓口として五月母の家に伺いました。取材というより、とにかくまずそこにいる方々と一緒に時間を過ごすということを重ねていくうちに、向こうから交わしてくれる言葉がどんどん増えていきました。そうしたものをヒントに、自分自身の光州での体験として制作に活かしていきました。わかりやすいドキュメンタリーを期待する方も多いかもしれませんが、物語として終わらせてしまうことはしないようにしました」
直角になった壁の2面に映し出されたもうひとつの映像はより抽象的な風景だ。じつはこれは5・18民主広場にある噴水や銃撃を受けたビルの壁などを映したものだという。光州において非常に象徴的な場所ではあるが、そうしたシンボリックな意味から解放するように、多様なイメージへと開かれた映像になっている。
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韓国や日本をはじめ世界各地で、「中心」「正典」とされてきた歴史や価値観を別の視点から見直し、周縁化されてきた声に耳を傾けることの重要性が語られている。しかし同時に、排外主義や歴史修正主義も台頭し、様々な分断が生まれてもいる。
こうした世界的な状況において、今回ふたりの作家が見せた作品は、大文字の歴史のなかに生きた、弱く小さな名も知らない個人の存在を浮かび上がらせ、自らの身体を通してその生に迫るものだった。光州事件は韓国の民主化の歴史において欠かせない出来事だが、象徴化された悲劇的・英雄的なイメージにとらわれず、それぞれ独自の方法でこうした歴史や場所の姿を描き出していた。「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」と題された本展は、こうした無数の記憶とその無数の描き方の可能性へと開かれたものだった。
第15回光州ビエンナーレ 日本パビリオン
「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」
主催:オーガナイザー 福岡市 / Fukuoka Art Next(FaN)
ホスト 光州ビエンナーレ財団、光州市役所
キュレーター:山本浩貴
アーティスト:内海昭子、山内光枝
事務局:Fukuoka Art Next(FaN)、Artist Cafe Fukuoka(CCC)、Yamaide Art Office Inc.、Offsociety Inc.
展覧会制作:ArtTank Ltd
会場設営:MIYATA ART CONSTRUCTION
広報デザイン:後藤哲也 (Out Of Office)、Noi Moue (4:00 AM)
助成:公益財団法人 野村財団、公益財団法人 小笠原敏晶記念財団
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)