ナチスや戦争、歴史、神話などをモチーフとし、巨大なスケールの作品として表現するアーティスト、アンゼルム・キーファー。戦後ドイツを代表する芸術家であり、20〜21世紀の現代アートに独自の足跡を残してきたこの巨匠を、あの映画監督ヴィム・ヴェンダースが撮る。そんなアートファン、映画ファン、双方にとって期待を寄せざるを得ない映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』が、6月21日より全国公開される。
今回、日本での公開を機に、ヴィム・ヴェンダース監督にインタビューする機会を得た。短い時間ではあったが、作品の内容や世界の現状にまで及ぶ内容となったのでここに公開する。
その前にまず、本作の概要について説明したい。
ヴィム・ヴェンダースとアンゼルム・キーファーは、ともに1945 年生まれ。本作は、巨匠ふたりの創作を通して、戦後世代の歴史をも浮き彫りにする作品だ。
これまで、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)や『Pinaピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011)、『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』(2014)などアーティストを取材した長編ドキュメンタリー映画を手がけてきたヴェンダース監督だが、本作はドキュメンタリーとしてはやや異質だ。キーファー自身がカメラに向かって語りかけるシーンは終盤にわずかにあるのみ。そしてその人生を追う回想パートは再現ドラマ仕立てになっており、青年時代はなんとアンゼルム・キーファーの息子であるダニエル・キーファーが、そして幼年時代はヴィム・ヴェンダースの孫甥アントン・ヴェンダースが演じている。そして本作において誰より雄弁に語るのは、作家ではなくその作品たちだ。
そんな作品群の姿をとらえるうえで、大きな特徴はその撮影方法にある。本作はキーファーの作品世界を3D&6K撮影の超最高画質で表現。ヴェンダースはかねてより3Dの可能性を強く信じ、製作総指揮と一篇の監督も務めたオムニバス『もしも建物が話せたら』(2014)をはじめこれまでも3Dを用いた作品を制作してきた。本作では『PERFECT DAYS』(2023)でも組んだ撮影監督のフランツ・ラスティグ、3D映像の世界的第一人者であるステレオグラファーのセバスチャン・クレイマーとともに、壮大なキーファー作品に鑑賞者が包み込まれるような映像表現を目指した。「芸術が何であり、何を達成するかという先入観を捨てて、ただひたすらこの偉大な芸術家であり詩人であるアンゼルム・キーファーの衝撃的なヴィジュアルを楽しんでもらいたい」とヴェンダースは語る。
ヴェンダースとキーファー、ふたりの出会いは1991年。キーファーがドイツでの大きな展覧会「Anselm Kiefer :Nationalgalerie Berlin」の準備をしているときに出会い、意気投合したふたりは2週間ほど毎晩会ってディナーをともにした。そしてヴェンダースはじつは画家になりたかった、逆にキーファーはじつは映画監督になりたかったという話になり、「じゃあ一緒に何かやりましょう」ということに。しかし結局、そのときには何も発展しなかったという。
転機は2019年。キーファーから電話を受けたヴェンダースは、キーファーが居を構えていたフランスのバルジャック村へと向かった。そこには35ヘクタールに及ぶ広大な土地にキーファーのアトリエがあり、「その風景とともにある彼の作品群を見て、いまなら映画が作れると思いました」(ヴェンダース)。
パンデミック中の2020年から撮影を開始。2年間に渡って合計7 回、キーファーに会って撮影した。その後はさらに編集に2 年半かけ、本作が誕生した。
──本作はバルジャック村に佇む、キーファー作の女性を模った立体作品《古代の女性》を映したシーンから始まります。女性の身体とその不在を扱った本作から、この映画を始めた理由はなんでしょうか? これ以降も、同じく女性をモチーフにした作品《革命の女たち》への言及もあります。最初のシーンには女性の歌声が流れ、また時折女性の囁くような声がモノローグとして挟まれることで、歴史のなかに埋もれた女性たちが本作の語り部のようにも感じました。
アンゼルムの作品のなかに、女性という存在が強くあるからです。南仏のバルジャックにいると、森の中や彼が屋外に作り上げたギャラリーなど、至る所にその存在を感じます。そしてそれがあるということが、私自身とても好きなのです。彼女たちはこの映画のなかでつねに存在しているし、最後にはもう一度登場することからもわかる通り、私にとって彼女たちは仲間であり、ある種の協働者です。私は彼女たちに声を与えていたのだと思っています。作中で彼女たちが発する言葉がはっきりと聞こえることはほとんどないですが、彼女らが何かをささやいていることはわかるし、彼女たちは確かに存在している。私は彼女たちのささやきがこの映画に女性の美しい存在を加えていると感じています。
──本作では、終盤の短い場面を除いてキーファーさんがカメラに向かって自身の過去や芸術論を雄弁に語るシーンはありません。その時々の作品に関する考えなどは、過去に出演したテレビ番組の引用や再現ドラマによって代弁されています。なぜこのような「語り」の方法を採用したのでしょうか?
最初から、キーファーにアーティストとして自分の作品や考えについて説明をしてもらうつもりはまったくありませんでした。 私は作品に語って欲しかったのです。私が今回の映画を3Dで撮影したのもそこに理由があります。3Dの映像内では、作品が観客に強い存在感をもたらし、まるでキーファーの作品の前に立っているような、彼の世界のなかにいるような強烈な経験ができます。そのような経験においては、説明は省いたほうがむしろ良いと感じたのです。また、私はアーティストが自分の作品についてあまり多くを語るべきではないとも思っています。そのため、私は最初から彼にインタビューをするつもりはないことを伝えていました。それをしたらまた違う映画になってしまうと思いますし、私が求めていた映画はそのような映画ではありません。私は観客に彼の作品を経験してもらう映画にしたかったのです。作中では、若きキーファーが自身のことについて話す場面がありますが、現在の彼が自分の作品や自分自身について語ることは決してありません。とりわけ彼のアート作品は、雄弁にそして美しく物語ることができるというふうに思っているからです。
──ドイツやフランスでの本作公開時期(2023年10月)が、パレスチナとイスラエルの対立の激化の時期と重なりました。私は劇中、キーファーさんが少年時代を過ごした瓦礫に埋もれた街のシーンを見て、いま連日ニュースで見るガザの風景を思い起こさずにいられませんでした。作中では湾岸戦争への言及もありましたね。
制作時には現在の状況は予期されていなかったことと思いますが、世界中の戦争やイスラエルによるパレスチナ攻撃は、あなたにとって本作の意味やとらえ方に変化を与えましたか? またすでに公開された欧州などにおいて鑑賞者の本作へのとらえ方に影響を与えたと思いますか?
現在起きていることが、映画自体に何かしらの影響を与えているとは思いません。しかし、この映画は私たちが歴史を知り、歴史を通じた教訓を学び、そうしたものの忘れられやすさと戦っていくことの重要性を扱っていると思います。また、私は現在勃発している争い、ウクライナやガザ地区における戦争においても、ある重要な教訓があると考えます。現在のパレスチナの情勢はハマスが最初に起こしたものと言えますが、それは報復行為をもたらしました。そしてその報復行為は手に負えなくなり、現在の戦争状態を引き起こしたわけです。報復が決して良い原動力でないことは繰り返し人類の歴史が伝えていますし、国家主義や人種差別が人類にとって最悪の敵であることもまた繰り返し語られてきました。ですから、このような意味においては、この映画がいまの状況において有用であるとも感じています。
──ありがとうございました。
戦後ドイツ、記憶と歴史、そして死に向き合い、様々な作品を制作し続けてきたキーファー。その創作意欲は衰えることなく、現在はイタリア・フィレンツェのストロッツィ宮で大型個展「Fallen Angels」を開催している。また日本では表参道のファーガス・マカフリー 東京で小型の立体作品を展示する個展「Opus Magnum」を開催中(7月13日まで)。2025年春には京都・二条城での新作個展が予定されている。
本作はこうしたキーファーの作品と作家性を理解するうえでも、様々な気づきを与えてくれるだろう。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)