シャーリーズ・セロンが最強の戦士フュリオサを演じ、大きな話題を集めた『マッドマックス:怒りのデス・ロード』(2015)。そのフュリオサの子供時代にまでさかのぼり、怒りの原点を壮大なスケールで描き出すジョージ・ミラー監督最新作『マッドマックス:フュリオサ』が、5月31日から全国公開された。
アニャ・テイラー=ジョイ演じる若き日のフュリオサや、クリス・ヘムズワースによる敵役のディメンタスなど俳優陣の熱演、前作からさらにパワーアップした強烈かつアイデア満載のアクションシーン、そして崩壊した後の過酷な世界の描写など、本作の見どころは枚挙にいとまがない。そして何より、あのフュリオサが主人公として戻ってくるということで、前作で叩きつけられた新しい女性表象やそこに見られたフェミニズム的メッセージが、本作でどうアップデートされるのか、期待する人も多いのではないだろうか。私はまさにそのひとりだ。
ひと足早く試写で見る機会を得、手に汗握りながら見ていたところ、なんと見覚えのある絵画が登場して意表をつかれた。その絵は、19世紀後半から20世紀初頭に活躍したイギリスの画家、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849〜1917)の《ヒュラスとニンフたち》(1896)だ。
核戦争によって人類の大半が死に絶え、もはや伝統的な芸術などほとんど見られないような荒廃した世界で、なぜこの絵が出てくるのか。意味するものとはいったいなんなのか。今回はこの絵が暗示する本作のストーリーとの関連や、そこに見られるアート、映画における「男性のまなざし(メイル・ゲイズ)(*)」についての現代的な問題意識について考察したい。
*──映画や写真など視覚芸術の分析・批評に使われる概念のひとつ。1970年代に構想されたもので、映画の中で女性が男性の欲望対象として描かれるといった、視覚メディアがはらむ権力構造に注目した表現。
【以下からは、映画のストーリーに言及する部分があります】
荒野を支配するイモータン・ジョーの、砦に次ぐ第2の拠点「ガスタウン」。そこである人物が、おそらく旧世界から戦火を逃れたと思われる《ヒュラスとニンフたち》の図版を見ながら壁を装飾するように本作を模写している。まだ描きかけだが、そのおおまかな図像はすでに見てとることができる。
この作品はギリシア神話の一場面を描いたものだ。左手にいる紺色の布を纏った男性がヒュラス(ヒュラース)で、それを取り囲む裸の女たちは水辺に住むニンフ(ニュンペー、精霊)だ。ヒュラスは水を汲むためにひとり森に入ったのだが、その姿を見たニンフたちがヒュラスの美しさに魅了され、彼を誘惑して水の中に引きずり込もうとしている。この後、ヒュラスは水底へと連れ去られてしまい、二度と帰ってこなかった。
ヒュラスはもともと非道な王テイオダマースの息子だったが、英雄ヘラクレスがその父親を殺し、ヘラクレスによって育てられた。小姓であり愛人のような存在としてヘラクレスにつき従い、アルゴー船の旅に同行した美少年だったとされる。彼がニンフに連れ去られ姿を消したのは、この旅の道中であった。
こうした筋書きを見ると、『マッドマックス:フュリオサ』における、少女時代のフュリオサの悲劇的なストーリーが重なるのではないだろうか。フュリオサは母親をディメンタスによって無惨に殺される。しかしその後ディメンタスは不思議とフュリオサのことを気遣い、特別な愛着を見せ、「娘」だとすら紹介する。しかしその関係は長く続かず、イモータン・ジョーに未来の花嫁候補として奪われてしまうのだった。
自分の親を殺した者からの愛情と、別の者による略奪。フュリオサ―ディメンタス―イモータン・ジョーの関係の始まりは、まさにヒュラス―ヘラクレス―ニンフをなぞるようだ。
この絵が水辺を舞台にしていることも重要だろう。荒廃した「マッドマックス」の世界において、何より貴重な資源が水であり、イモータン・ジョーが権力者として独占しているのが水だからだ。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは本作に限らず神話や文学作品に登場する女性、なかでも悲劇的であったり、男性を破滅させる「ファム・ファタル」を度々描いたが、それは当時、世紀末のヴィクトリア朝時代における流行でもあった。
セイレーンやローレライなど水の魔女たちは神話世界によく登場するが、美術のなかで魔性の女たちの舞台として水の世界を登場させ、女の本質と水とをとりわけ結びつけて描くようになったのが、この世紀末だった(美術の世界では水だけでなく、半分「自然」に属するものとして「怪物」もたびたび女性と結び付けられてきた)。
たとえばジョン・エヴァレット・ミレイの代表作《オフィーリア》をはじめ、エドワード・バーン=ジョーンズ《海の底》、ベックリン《海の静けさ》など、ウォーターハウスが影響を受けたラファエル前派やその同時代の画家たちのなかで様々な作例がある。
ウォーターハウスにおいては特に「水・女・性」の組み合わせが重要なモチーフだったようで、《ヒュラスとニンフたち》以外にもミレイの《オフィーリア》に着想を得た《レディ・オブ・シャロット》をはじめ、このテーマを変奏させて多数の作品を描いている。
古来より生命の源と考えられてきた水は、地母神のシンボルとして、生命を産み育てる存在としての女性と結び付けられてきた。しかし水はどんな器のかたちにも収まる受動的な存在であると同時に、あらゆるものを飲み込み浸透する恐ろしい力を持っている。こうした水の象徴性とヴィクトリア朝時代の女性観が、《ヒュラスとニンフたち》には反映されている。
従順なはずの女たちが力を持つようになり男たちを脅かす。こうした美術が生まれたのは、女性たちが自らの権利を求めた第一波フェミニズムの時代であり、イギリスではサフラジェットたちが女性参政権を主張していた時期だった。
「男性のまなざし(メイル・ゲイズ)」によって、美しく性的で危険なファム・ファタル/魔女として描かれてきた女たち。こうした構図を考えれば、ヒュラスを取り囲むニンフたちの姿は、前作『マッドマックス:怒りのデス・ロード』のフュリオサと妻たちを想起させる。水や自然の恵みと結びつく美しい女は、イモータン・ジョーにとって性と生殖のための道具でしかない。それにもかかわらず自分に歯向かい破滅させる彼女たちは、まさに厄介な魔女だ。しかしフュリオサや妻たちの視点から見ればまったく違う世界が見えてくる。彼女たちは暴力と搾取による権力構造から逃走し、ひとりの人間として自らの尊厳と権利のために戦ったのだ。
ここまで見てきたウォーターハウス《ヒュラスとニンフたち》だが、近年大きな注目を集める出来事があった。そのことに触れないわけにはいかないだろう。
本作はマンチェスター市立美術館のコレクションで同館の「美の追求」というスペースに展示されていたが、2018年に展示室から撤去され、大きな非難を巻き起こし、その後再展示されるということがあった。
この撤去は、美術館が現代アーティストを招聘し、同館のコレクションへ何らかの介入や対話を行ってもらうという定期開催の公開イベントの一環で行われたものだった。このときのアーティストは、2022年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞するなど近年アート界でもっとも注目を集める作家のひとりであるソニア・ボイス。キュレーターからの同プログラム参加の打診に応えたボイスは、美術館職員らと対話を重ねるなかで、展示されている絵画における女性の表象が「受動的な美の象徴」か「男を破滅させるファム・ファタル」の2パターンばかりであるといったジェンダー表現への疑問に耳をかたむけた。また#MeToo運動の高まりのなかで、若い少女たちが半裸で性的に描かれていることも問題視された。
膨大なコレクションのなかから、キュレーターたちはどのような文脈で展示作品を選んでいるのか。展示作品には、セクシュアリティやジェンダー、人種などに関わる表現の偏りがあるのではないか。こうした議論を促すべく、ボイスはイベントにドラァグクイーンのアーティストグループやクィアの作家らを招待したパフォーマンスを美術館で行い、そのなかで《ヒュラスとニンフたち》を壁から外したのだった。また撤去された作品のスペースには、来館者がポストイットに意見を書いて貼れるようにした。
しかしこの撤去は、世間から過度なポリティカル・コレクトネスであり検閲であるとの批判を招き、1週間後には再展示された。ボイスの採用した方法が最適なものであったかは議論の余地があるものの、この撤去に至った「議論を促したい」という意図がきちんと理解されないまま、大きな批判がSNS上などで巻き起こってしまったという側面もある。
現在は様々な表現領域で、「男性のまなざし(メイル・ゲイズ)」をはじめ、創作の担い手の属性の偏りや、そこから生まれるステレオタイプでバイアスのかかった表現に対する問題意識が高まっている。
#MeToo運動の世界的な広がりのきっかけとなった映画界もそうだ。映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインの性暴力に関する告発記事が『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたのは2017年だが、『マッドマックス:怒りのデス・ロード』が公開された2015年は、すでに疑惑が浮上していた時期でもある。
『マッドマックス:怒りのデス・ロード』では、ジョージ・ミラー監督がフェミニスト劇作家のイヴ・エンスラーにサポートを要請し、エンスラーは俳優たちに対して世界の紛争地域で起きている女性への(性)暴力について講義を行ったという。こうした視点の多様化と、フェミニズムへの理解が、女性が活躍するかつてないアクション映画としての新生「マッドマックス」を生み出した(ただ、公開当時はこうした女性の主体性を描くあり方について「男性権利団体」からボイコットの呼びかけもあった)。
ボイスによる《ヒュラスとニンフたち》の撤去と、フュリオサの活躍する「マッドマックス」は、芸術表現と権力構造や暴力に関する問題意識をともにしている。こうした点からも、《ヒュラスとニンフたち》が『マッドマックス:フュリオサ』に登場するのは、明確な意図に基づく選択だと言えるだろう。
【参考文献】
・『名画への旅20 19世紀IV 音楽をめざす絵画』(講談社、1993)
・伊藤ちひろ「ウォーターハウス作《ヒュラスとニンフたち》——女性表現の類型性と差異化をめぐって——」https://www.bigakukai.jp/wp-content/uploads/2021/10/2018_05.pdf
・The Guardian,「The vitriol was really unhealthy’: artist Sonia Boyce on the row over taking down Hylas and the Nymphs」https://www.theguardian.com/artanddesign/2018/mar/19/hylas-nymphs-manchester-art-gallery-sonia-boyce-interview
『マッドマックス:フュリオサ』
5月31日より全国公開
【ストーリー】
世界崩壊から45年。バイカー軍団に連れ去られ、故郷や家族、人生のすべてを奪われた若きフュリオサ。改造バイクで絶叫するディメンタス将軍と、鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが覇権を争う”MADな世界(マッドワールド)”と対峙する! 怒りの戦士フュリオサよ、復讐のエンジンを鳴らせ!
監督:ジョージ・ミラー
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース
配給:ワーナー・ブラザース映画
公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/index.html
2024年 アメリカ映画/2024年 日本公開作品/原題:FURIOSA: A MAD MAX SAGA
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福島夏子(編集部)
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