公開日:2024年6月6日

ガザ、文化に対する挑戦としての。2024年3月11日に国立西洋美術館で起きたこと、2023年10月7日から——あるいは、もっと以前より、そして、この瞬間も——ガザで起きていること #4(文:山本浩貴)

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? —— 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の内覧会で起きた抗議活動を機に、文化研究者・アーティストの山本浩貴が緊急寄稿(全4回)

5月12日、国立西洋美術館前で行われた抗議活動 提供:レビューとレポート。 撮影:東間嶺 Ray Thoma

国立西洋美術館で開催中の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? —— 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」。3月11日に行われた内覧会で、イスラエルのパレスチナ侵攻に対するアーティストや市民による抗議活動が行われた。本件についてはSNS等でも様々な意見があがっているが、アクションへの肯定/否定といった二項対立にとどまらず、明るみに出た様々な問題を建設的に考えていくにはどうすればいいのか。文化研究者・アーティストの山本浩貴による寄稿を4回にわたり公開。今回が最終回となる。【Tokyo Art Beat】

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最初、述べておきたいことがある。前回の論考に、ふたつの注釈を付記した。本稿を読む前にもう一度、ぜひ本連載の第3回に目を通してほしい。また、文中のいくつかの箇所に修正を加えた。それら複数の修正はたんなるレトリックの問題でなく、ぼく自身の認識のなかの構造的な偏りを示す。まずは付記された注釈を読んでもらいたいと思い、そうした修正箇所を一つひとつ明示することはしていない。しかしそれを「なかったこと」にしたり、「自分の意図とは違う」という自己弁護をしたりするつもりはない。そうした偏りについて、自分ひとりではなくほかの人たちとの対話を通して精査するための機会を必ず設ける。そこでなされた対話は、おって公開されることになるだろう 。

「このようなすべてのことが起ってはいけないところのこと」

さて前回に紹介したパレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーの「ハイファに戻って」(1969)は、このような言葉で「祖国」を定義する——それは「このようなすべてのことが起ってはいけないところのこと」(ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』黒田寿郎・奴田原睦明訳、河出書房新社、2017、257〜258頁)だ、と。この文章を書いている2024年5月中旬現在、パレスチナという祖国をめぐる「このようなすべてのこと」の一覧表は長くなる一方である。その一覧表には毎日のように新たな項目が追加され、それらの項目は「つねに最悪を更新し続ける」ガザの現状を端的に示す。

2023年10月7日以前から、あるいはそれ以降もガザだけではなく西岸などの他地域での被害も甚大なものである。そのことを考慮すると「ガザ」の問題という枠組みだけではなく、今回のことを「パレスチナ」で起きている事態として総体的に思考する必要性もある。

ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』黒田寿郎、奴田原睦明訳 河出書房新社

未完の作品を除けば、「ハイファに戻って」はカナファーニーの遺作である。その終盤、登場人物が次のような台詞を口にする。

「しかし、いつになったらあなた方は、他人の弱さ、他人の過ちを自分の立場を有利にするための口実に使うことをやめるのでしょうか(…)ある時は、われわれの誤りはあなた方の誤りを正当化するとあなた方は言い、ある時は、不正は他の不正では是正されないと言います。あなた方は前者の論理をここでのあなた方の存在を正当化するために使い、後者の論理をあなた方が受けねばならぬ罰を回避するために使っています。私にはあなた方が、この奇妙な論理の遊戯を最大限にもてあそんでいるように見えます」(カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』256頁)。

現在、イスラエルはアメリカでさえ苦言を呈するラファ(ガザ地区最南部)侵攻を強行し続けている。こうした暴走を内外から支えるのが、この「奇妙な論理」にほかならない。

この論理ゆえ、いまもアメリカやヨーロッパ諸国ではガザでのイスラエルの軍事行動を「ジェノサイド」だと非難すると不当なバッシングを浴びる。美大を含む大学機関では、「パレスチナ解放」の主張すら「反ユダヤ主義」的言説として取り締まりの対象となっている。そうした状況に対し、中東研究を専門とする内藤正典は「人権の価値を声高に主張してきたのに、ガザ市民、とくに子どもや女性にも多大な犠牲を強いるイスラエルには沈黙する」(内藤正典・三牧聖子『自戒する欧米——ガザ危機が問うダブルスタンダード』集英社、2024年、26頁)欧米のダブルスタンダードを厳しく批判する。

大学におけるパレスチナ支援のアクション

数日前、ロンドンにいる友人から連絡があった。母校のロンドン芸術大学(UAL)で、学生が校舎を占拠してパレスチナ支持の抗議行動を始めたとのことだった。添付された『The Art Newspaper』の記事(“Students Occupy London’s Central Saint Martins in Pro-Palestine Protest”)の写真に目をやる。そこには学生時代に足しげく通ったセントラル・セント・マーチンズ(CSM)——UALを構成するカレッジのひとつで、とくにファッション・デザインの学科が有名だ——のレセプション・エリアが写っており、そのエリアは「Stop Genocide」や「Free Palestine」と書かれたバナーで埋め尽くされていた。この行動を起こした学生有志は、大学に対して即時停戦を求める声明を発表することなどを要求している。

欧米諸国で学生によるパレスチナ支援のデモが広がるにつれ、各地で多数の逮捕者が出ている。当然、美術大学の学生も例外ではない。シカゴ美術館付属美術⼤学(SAIC)で5月4日に約70⼈、ニューヨークファッション⼯科⼤学(FIT)で同月7日に約50⼈の抗議キャンプを行っていた学生が逮捕されている(「美大生100人超が新たに逮捕。アメリカの大学で激化する反戦デモ、逮捕者は累計2300人以上に」『ARTnews JAPAN』2024年5月9日)。SAICもFITもアートとデザインの名門学校で、たくさんの日本人卒業生が世界中で活躍する。全国的な規模とまでは言えないが、この国でも続々と大学キャンパス内でパレスチナ連帯キャンプが開始されている。東京大学や京都大学に加え、ぼくが非常勤講師を務める多摩美術大学も含まれる。

世界の不正義に対して抗議する学生らの姿は頼もしく、たしかな希望が感じられる。初回でも書いたように、ぼくは美大を含む大学で美術史や文化研究を教えている。ぼくを含む教員——学生からすれば、いわゆる「大人」にあたる——は、こうした学生に「教える」者として十分な役割を果たすことができているだろうか。最近、そのように自分に問いかける機会が多くなった。昨今の美大では、「ソーシャリー・エンゲージド・アート(社会に関与する芸術)」と総称される社会・政治的芸術実践が広く議論されている。ぼくも、その流れに寄与してきた部分がある。だが、そこで想定される「社会」はどこにあるのか。また、そこで促される「関与」とは誰に対するものか。

そして、とくに1990年代以降の現代アートにおける金科玉条である「多文化共生」や「多元主義」といった言葉や概念。これらの言葉や概念は実際、何を意味するのか。いわゆる「他者」は、けっして一枚岩の概念的な存在ではない。一人ひとりが固有の顔を持ち、個別の経験や傷を抱えた存在だ。その認識がなければたんなる記号化になってしまうのは、文化人類学者の石原真衣による編著を引きつつ前回も述べた通りだ。「エスニック・マイノリティ」、「先住民」、「LGBTQ+」——どのような言葉を用いたとしても、そこでの議論が人間の抽象化を促すものであってはならない。

主体的な「わたし」との個人的あるいは社会的な関係において、一人ひとりの人間と向き合うこと。自身のポジショナリティと自覚的かつ批判的に向き合い、そこから発すべき言葉を丁寧に探っていくこと。そのような意識がなければ、マジョリティが周縁化してきた人々と正しく「出会い直す」ことはできない。作品や展覧会を表層的なの社会性や政治性で飾り立てる「テーマ」のために「他者」を概念として消費し続け、人々を強権的に周縁化してきた当の主体や力学(マジョリティの場合、しばしば自らを含む)は不問に付したままという結果に終わってしまう。

パレスチナ連帯キャンプが続く多摩美術大学で、ぼくは現代美術の授業を担当している(学生有志で企画された2回目のキャンプは「無人本読みテント」というかたちで平和的に実施されたが、5月下旬に特に事前の告知や説明のないまま大学側に撤去されたという。ぼくの「現代美術」の受講生であり、自身もひとりの学生として学びながらパレスチナの問題に関して行動を起こしている一人の学生から情報を提供していただいた。その方の活動に敬意を表するとともに、ここに感謝を申し上げる)。先日、中間レポートの課題を発表することになっていた。が、用意してきた課題の内容を説明している途中でなんだか「これでいいのだろうか」という気持ちが大きくなっていった。で、気付いたら「やっぱり中間レポートはなし」と言っていた。その代わりに受講生の許可を得たうえで、いまガザで起きていることについて自分なりに調べることを課題とした。ぼくに結果を報告する必要はない、と伝えている。だから、実際にそうしたかどうか判断する方法はない。でも、きっとその意図を理解してくれる学生も多いと信じている。

ジャック・ランシエールは『無知な教師——知性の解放について』(1987)で、彼が「修辞のプログラム」と呼ぶイデオロギーを手厳しく批判する。そのイデオロギーは「お前はこれ以上話すな、これ以上考えるな、これこれをせよ」という命題のもと、学ぶ者の「口を閉ざさせるために語る」(ジャック・ランシエール『無知な教師——知性の解放について』梶田裕/堀容子訳、法政大学出版局、2011、126頁)。その代わりにランシエールは「平等な者たちの共同体」を擁護し、知性の脱ヒエラルキー化を目標ではなく原則に据えた人々の集まりを構想する。「知性の平等は人類の共通の絆であり、人間社会が存在するための必要十分条件なのである」(110頁)。この国の美大では——もちろん、総合大学でも——こうした水平的な学びの共同体が形成されているか、ぼくを含め教員の一人ひとりが自問しなくてはならないだろう。

大きな不安のなか、この連載はスタートした。最終回を迎えて振り返ると、その不安は自身の専門とは離れた(と当初は考えていた)領域について論じることに起因していた。本連載が全体的に意義あるものだったかは、読者の批判的検証に委ねたい。だが少なくとも、ぼくにとっては大事な機会となった。「2023年10月7日から——あるいは、もっと以前より、そして、この瞬間も——ガザで起きていること」は、専門家しか——あるいは、専門家ですら容易に——理解することのできない極度に複雑な事象ではないとわかったから。しばしば誤解されるように、現行のガザ問題は紀元前に至る時を遡行する長大な歴史的射程を有するものではない。そのことは、本連載の2回目に説明した通りだ。当然ながら複雑な問題であり、慎重に検討すべき事象ではある。しかし、専門家でなければまったく手出しや口出しができないような性質のものではない。自分なりに学ぶことを通して、そのことがわかったのは重大な収穫だった。知ることの重要性。ここまでも紹介してきたように、この問題について多角的に知るための良質な本は日本語でも数多く入手可能だ。

「鉄のかこい」のなかで死にゆく人々

ところで前回、カナファーニーの「太陽の男たち」に言及した。映画化もされたこの小説のあらすじは、おおむね次のようなものだ。イスラエルの建国に伴って故郷を失い、難民となってヨルダンに暮らすパレスチナ人の男性3人。仕事を求め、彼らはイラクを経由して産油国のクウェートに密入国しようとする。炎天下の砂漠を走るトラックに備え付けられた水槽タンクに身を隠して検問所の通過を企てるが、「炎熱にいまにも溶けそうに思われた」その「鉄のかこい」(96頁)のなかで3人は悲惨な死を遂げる。物語の最後、トラックを運転していた男性は「なぜおまえたちはタンクの壁を叩かなかったんだ。なぜ叫び声をあげなかったんだ。なぜだ」(103頁)と無人の砂漠のなかで絶叫する。だが、その前段では彼らが死を迎えるまであらんかぎりの力で助けを求める声を発していた姿が描かれる——「声はタンクの中で強く反響し、その音で耳の鼓膜が裂けそうであった。最初の呼び声の反響がすっかり消えさらぬうちに、彼はもう一度叫んだ」(97〜98頁)。

この物語を1947年のナクバ後、パレスチナ人の身に降りかかってきた惨事の戯画として解釈することは可能だ。初回で述べたように、その「大災厄」以降にパレスチナ人が非暴力的な手段で助けを求める声は国際社会のなかでほとんど無視されてきた。2023年10月7日に実行されたハマースの奇襲攻撃を取り上げて、いまのイスラエルによるガザ侵攻を正当化する論調がある(当然、イスラエル自身もそう主張している)。しかし、ほかにどのような方法があったのか。「世界最大の屋外監獄」「巨大な実験場」と称される、ガザの地にいる人たちにとって。「非暴力で訴えても世界が耳を貸さないのだとしたら、銃を取る以外に、ガザの人たちに他にどのような方法があったのでしょうか。反語疑問ではありません。純粋な疑問です」(岡真理『ガザとは何か』135頁)。

何度でも繰り返すが、ハマースが行ったとされる残虐行為はしっかりと検証されるべきである。必要に応じて、正当な処罰もなされて然るべきだ。その考えに変わりはないし、これからも変わることはない。しかし、そのような検証や処罰とセットで国際社会の責任も批判的に追及されなくてはならない。それは、そのような選択肢をとらざるをえない状況を創出してきた「ぼくたち」自身の責任だ。そうした自己批判・自己省察を伴うことのない、ハマースの「罪」をもってイスラエルの侵略を相対化する議論は正当性を持ちえない。

詩と文学——情報に還元されない言葉と文化の力

「太陽の男たち」には上述の概略に収まり切らないニュアンスやディティールが数多く含まれ、学術書とは異なる角度からイスラエル/パレスチナ問題を考えることができた。その後、ずいぶん久しぶりに小説を読んだことに気付く。論文の執筆やそのために読む専門書の読書に追われ、しばらく遠ざかっていた。「太陽の男たち」が収録されたカナファーニーの日本語版書籍が文庫化されたとき、イランで生まれてエジプトで幼少期を過ごした小説家の西加奈子が解説文を寄せている。その解説文において、小説を手にするのは「何かを『知りたい』と思うとき、その『知る』が情報や知識だけではなく、芯のようなものに触れる感覚を求めて」(286頁)——西は、そう語る。

西の言うような感覚は、演劇や美術を含め広く文化に関心のある人なら共有できるのではないか。資本主義が支配する世界に対する文化的反乱を呼びかけた『蜂起——詩と金融における』(2012)のなかで、フランコ・“ビフォ”・ベラルディは詩的言語が持つ政治的可能性について言及している——「詩は、言語において、情報に還元できないものであり、交換可能でもないのだが、理解したり意味を共有するための新しい共通の地盤への道を開く、つまり、新しい世界を創造する」(フランコ・“ビフォ”・ベラルディ『蜂起——詩と金融における』杉田敦訳、水声社、2023、170頁)。多忙な政治活動と並行して、カナファーニーが数多くの小説を執筆したことは前回も述べた通りだ。それは西の言うような詩や小説、すなわち言葉の力と可能性を信じていたからに違いない。文化に携わる者として、ぼくたちはその遺志を継承していく責務がある。

パレスチナに暮らしていた詩人のリフアト・アルアライールも、そうした文化の力を信じていた者のひとりだ。2023年12月6日、アルアライールはイスラエル軍の爆撃により命を落とした。彼が2011年に発表した詩の一節は、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」展(国立西洋美術館)の閉幕に際して実施されたデモにおいて掲げられた。その詩は「わたしが 死ななければならないのなら/あなたは、生きなければならない/わたしの物語を語り」から始まり、「もし、わたしが死ななければならないのなら/希望となれ/尾の長い 物語となれ」で終わる(リフアト・アルアライール「わたしが死ななければならないのなら」松下新土+増渕愛子訳『現代詩手帖』2024年5月号、24〜25頁)。

5月12日、国立西洋美術館前で行われた抗議活動 提供:レビューとレポート。 撮影:東間嶺 Ray Thoma

戦争や植民地支配の歴史という視座から近現代美術史を研究するなかで痛感するのは、どれほど文化の力が権力によって「悪用」されてきたかということだ。同時に、時流に乗った文化生産者が主体的・能動的に文化の可能性を権力に明け渡してきたことも。歴史研究の重要な目的は、人が進むべき——あるいは、進んではならない——道の方向性に一定の指針を与えることではなかったか。たとえ、それが唯一の「正解」ではないとしても。多くの文化研究者や美術史家が「戦争と美術」や「ナチズムの美学」といったテーマに関心を寄せてきたが、それは過ちを繰り返さないためではなかったか。戦争も植民地支配もホロコーストもアパルトヘイトも、けっして過ぎ去った昔の話ではない。歴史研究や文化研究の知見が真に社会に根ざしたものとなること、ぼくはそのために研究をすることを望んでいる。

文化研究者として、ぼくはいまガザで起きていることを文化に対する挑戦として捉えたい。「ガザは甦る」と題された檄文のなかで、岡真理はイスラエルによる文化施設の破壊に言及している。

「イスラエルは2018年、ガザの文化活動の拠点であったサイード・ミスハル文化センターをミサイルで破壊し、2021年には翻訳・出版活動の拠点であり図書館としても親しまれていた出版社を同様に破壊した」(岡真理「ガザは甦る」『世界』2024年5月号、4頁)。

こうした破壊活動が敢行された理由は、イスラエルが「『文化』が抵抗の力の源であることを知っていた」ためだと岡は説明する。現在進行形で消去されつつある「抵抗の力の源」としての文化を、ぼくたちは連帯して死守しなくてはならない。エドワード・サイードは「物語る力」と「他者の物語の形成や出現をはばむ力」のいずれもが「文化にとっても帝国主義にとってもきわめて重要であり、文化と帝国主義とをむすびつける要因のひとつ」(E・W・サイード『文化と帝国主義1』大橋洋一訳、みすず書房、1998、4頁)であることを指摘し、文化が帝国主義の拡大を支える推進力であったと同時に被支配者からの文化的抵抗が存在したという二重性を前景化する。そうした二重性のゆえにこそ、ぼくたちはつねに「抵抗の力の源」としての文化を守る側に立たなくてはならない。

「文化とはふつうのもの」

イタリア・トリノのユダヤ人家族に生を享けたプリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツ強制収容所に抑留され、1945年の解放後は化学者として働きながら自身の体験を基にした多数の小説を残した。レーヴィは1987年に自死を遂げるが、その前年に発表した遺作『溺れるものと救われるもの』(1986)には自身のすべての著作を通して「言いたいことの核心」が示されていた——「これは一度起きた出来事であるから、また起こる可能性がある」(プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』竹山博英訳、朝日新聞出版、2019年、264頁)。

事実、「また起こって」いる。いま、「パレスチナ人のホロコースト」(岡真理)の名で記憶されるに違いない凄惨な出来事がぼくたちの目の前で起こっているのだ。どのような仕方であれ文化に携わっている者として、「ぼくたち」——ここでは広く文化・芸術に関心を持つ人の総称で、その属性や肩書は問わない——はガザで行われている現状の攻撃に対して明確な反対の意を提示する必要がある。

ぼくが自身の文化研究においてしばしば立ち返る論文のひとつに、レイモンド・ウィリアムズによる「文化とはふつうのもの」(1958)がある。同論文のウィリアムズは「ある種のことがらを文化と呼び、荘園を塀で囲むかのようにふつうの人々やふつうの仕事をそれと切り離そうとする、その異常なまでの執念」(レイモンド・ウィリアムズ『共通文化にむけて——文化研究I』川端康雄編訳、大貫隆史・河野真太郎・近藤康裕・田中裕介訳、みすず書房、2013、12頁)に象徴されるエリート主義的な文化観を批判し、「文化とはふつうのもの——これをわたしたちの出発点としなければならない」(9頁)と宣言した。

「文化とはふつうのものだ。学問や芸術への興味は単純で、楽しく自然なものだ。最善のものを知りたい。よいことをしたいという欲求、それこそが人間の積極的な性質のすべてなのだ。雑音に脅かされて、これを手放してはならない」(14頁)。

先述の通り、いまガザにいるパレスチナ人は文化を「ふつうのもの」として享受する基本的な権利さえ剥奪されている。

ガザ、文化に対する挑戦としての。ぼくは「2023年10月7日から——あるいは、もっと以前より、そして、この瞬間も——ガザで起きていること」について、これからも自分なりに考え行動することを続けたい。その過程で誤ることもあれば、たくさんの正当な批判を受けることもあるだろう。冒頭で述べたとおり、この連載のなかでもぼくは自身の認識に含まれた構造的な問題ゆえに誤りを犯している。初めから開き直るような態度はけっしてあってはならず、しかしどこかに過誤があれば率直に認めて反省と修正を繰り返しながら進む道を選択したい。そのためには自らの誤りを(なかったことにするのではなく)開示し、なぜそうした誤りが起きたのかを慎重に検討していくことが必須だ。それにより今後、同じ間違いを繰り返し起こさないようにしたい。

この連載は本稿で終わりとなるが、「2024年3月11日に国立西洋美術館で起きたこと」の意味を自分なりの仕方で不断に問い続けたい。そのやり方はたくさんあり、たしかなことは正解がただひとつではないということだ。

山本浩貴

山本浩貴

やまもと・ひろき 文化研究者、アーティスト。1986年千葉県生まれ。実践女子大学文学部美学美術史学科准教授。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教、金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師を経て、2024年より現職。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019)、『トランスナショナルなアジアにおけるメディアと文化 発散と収束』(共著、ラトガース大学出版、2020)、『レイシズムを考える』(共著、共和国、2021)、『この国(近代日本)の芸術――〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』(小田原のどかとの共編著、月曜社、2023) など。