ダナ・カヴェリナ キジバトへの手紙 2020
2022年2月のロシアによるウクライナ全面侵攻開始から3年。2014年のクリミア侵攻からはすでに11年が経とうとしている。いま、ウクライナの作家たちは何を思い、どのような活動をしているのか。3人の作家の作品を通じて考える。後編は、アニメーション、映像を中心に発表する1995年生まれの若手アーティスト、ダナ・カヴェリナと、1963年オデーサ(旧ソ連、現ウクライナ)生まれで、国際的に活躍してきたアーティスト、詩人、映画監督のユーリー・レイデルマンのふたりを、作家の声とともに紹介する。
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ダナ・カヴェリナ(Dana Kavelina)は、1995年、メリトポリ(ウクライナ南部)で生まれ、ウクライナ国立工科大学グラフィック学科を卒業後、リヴィウ(ウクライナ西部)とベルリンを拠点に活動。アニメーション、映像を中心に、インスタレーションやグラフィックも制作する作家である。The Kyiv Perennial(ウィーン)、第60回ヴェネチア・ビエンナーレ等に参加。第7回PinchukArtCentre Prizeを受賞した。
「私がアーティストとしての自覚に深く目覚めたのは、ウクライナで戦争が始まったときです」。そう語るカヴェリナは、戦争、政治的暴力、歴史の見直し、再生、ユートピアといったテーマに取り組み続けてきた。
2024年の「大地の芸術祭」で上映された『The Lemberg Machine』(2023、日本語字幕:梶山祐治)は、第2次世界大戦中のリヴィウにおけるユダヤ人迫害を描いたレオン・ウェルスの書籍『ヤノウスカの道』をもとに、生き残った人々の証言などを人形劇と実写で表現した名作だ。過去の暴力や迫害を題材としているが、その歴史は現在の戦争にも続いていることが暗示される。
ニューヨーク近代美術館で上映された映画『キジバトへの手紙』(2020)の主題も、暴力と戦いの歴史である。2014年に始まったウクライナ東部ドンバス地方の戦争を中心に据えながらも、ロサンゼルスのワッツ暴動、ルーマニア革命などの記録映像や作家のコラージュ作品も織り込み、現在の戦争や死者について、歴史をふまえた普遍的視点で考察しようとする。
本作では、あたかも爆発や廃墟に見えるように着色された風景映像や、実際の爆撃の映像とともに、印象的な言葉が流れる。「私たちの骨は、あなたの生家の骨となる。あなたの髪は桜の園になる。爪は見知らぬ植物のための庭となる」と語られ、死者がかたちを変えてこの世界に在り続けるという世界観が示される。「私はもうパスポートを持ち歩きたくない」「私は自分の名前を拒否する。私は数字でありたくない。人類という大きな集合体に属したい。その集合体の名は穴だ」「生者であれ死者であれすべての生き物は、ほかの生き物の花嫁になる。私たちは皆、最後の爆撃の後に大きな結婚式を催す」。反復されるバラの映像、鳥の声などの音声も、死者や生者は自然界の一部として生まれ変わるという思想に基づいている。
人間と自然の一体化は、同じくドンバスでの戦争を背景とするパペット・アニメーション『花と話すマルク・チューリップ』(2018)でも暗示されている。ドンバスの自宅の庭を深く愛していた中年男性マルクは、戦火を避けて避難した西部でも花を育て続け、平和を願う。彼の名字は「チューリップ」で、亡き妻の名前は「ヴィオラ(三色スミレ)」である(原語のロシア語では妻の名は「アンナ」だが、この名はヴィオラを指すロシア語の単語「アンナの瞳」と縁が深いことが作中で言及されているため、英語字幕では「ヴィオラ」と訳されている)。そのうえ、登場人物の頭からは花が生えている。本作は、一見素朴なアニメーションだが、根底には、『キジバトへの手紙』と同様、自然界における死者の再生という思想が潜んでいる。そのことは、マルクの家の家具の素材として、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか」というキリストの言葉(マタイによる福音書22章)を記した聖書のページがコラージュされていることからも明らかである。
映画『取り戻せないものは何もない』(2022)は、復活を目前とした死者たちのための解説映像というユニークな形式の作品である。「かつてあなたの身体を構成していた分子は、死後、地上に点在していたが、植物や石や川がそれらの素材をあなたに返すことを承諾した」という説明から始まり、彼らが死んだときからすでに長い年月が過ぎたこと、ロシアとの戦争が終結した後、世界に国境はなくなり、市長も大統領も存在せず、人々は空中都市で暮らしていること、人工知能が発達し、人間は雲、植物、バクテリアともコミュニケーションがとれるようになったことが語られる。「多くの人々にとって戦争がトラウマとなり、過去に向き合わなくては未来に向かえないことが分かった」ため、人間は歴史を体系的に学んで過去の体験装置を作り、あらゆる歴史を共有しているという設定になっており、未来のユートピア的世界の基盤としての歴史の重要性が示される。
パペット・アニメーション『このような風景』(2024)は、ウクライナ戦争を描いた叙情的な短編映画だが、民族の苦悩を歌ったユダヤの古い歌謡やポーランドの歌が引用され、現代の戦争を歴史のなかでとらえる姿勢が継承されている。戦争に強制徴用された男が戦死した後、彼の身体から植物が生える光景には、他作品と同様に、死者の復活という主題が現れている。『取り戻せないものは何もない』にも、「彼の身体は大地への贈り物」という台詞があるが、カヴェリナのこうした思想は、ニキータ・カダンの《大地の影》にも通じている。あまりにも多くの死が溢れている新たな日常のなかで、作家たちはそれを美術によって弔い、意味づけようとする。
カヴェリナにとって、死者との関係はきわめて重要なテーマだ。架空の女性画家が自殺後に残した部屋という設定の作品である《リョーリャ・エフレーモワの部屋》(2020)は、一度にひとりの観客しか入ることができない。宿泊することができ、観客は残された大量の作品やテクストをもとに彼女の生と死を密接に体験する。あらゆる死者は自分と無縁ではありえない、なぜなら、死者も私も人類や自然の一部であり、互いにつながっているからというカヴェリナの思想は、作家が好んで引用する詩人ジョン・ダンの『瞑想録』の一節と共鳴している。
誰が亡くなっても、それは私自身が削られることだ。私は人類の一員なのだから。それゆえ、「誰がために鐘は鳴る」と尋ねる必要はない。他者を弔う鐘は、あなたのために鳴っている。
カヴェリナにとっては、個々の戦死者も、あらゆる人間の一部である。彼女の作品は戦争や個人の死を描いたもののようでありなら、じつは人類すべての再生のヴィジョンを提示している。
ユーリー・レイデルマン(Yuri Leiderman)は、1963年オデーサ(旧ソ連、現ウクライナ)生まれ。ベルリン在住のアーティスト、詩人、映画監督である。1987年から91年まで「検査 医療解釈学」の創設メンバーとしてモスクワで活動。ヴェネチア・ビエンナーレ(1993、2003)、第1回ヨーロッパ・ビエンナーレ「マニフェスタ」(1996、ロッテルダム)、イスタンブール・ビエンナーレ(1992)、シドニー・ビエンナーレ(1998)、上海ビエンナーレ(2004)など、数多くの国際現代美術展に参加してきた。
2024年の「大地の芸術祭」で上映された『バーミンガムの装飾II』(2013、日本語字幕:梶山祐治)は、レイデルマンがロシアのアンドレイ・シルヴェストロフとともに、ロシア、日本、ジョージア、フィンランドなど世界各地で撮影し制作した作品である。ニキータ・アレクセーエフをはじめとするロシアの芸術家や渋さ知らズも登場し、国境を超えて様々な人間の生活や思いが綴られ、世界の多様性とつながりが示される。クリミア侵攻の前年に完成したこの映画には、多文化が自立的に存在し、ゆるやかに連なり合うというユートピア的な世界観が表れている。
しかし、その世界観は、戦争勃発後もレイデルマンの作品のなかに生き続けている。レイデルマンは、クリミア侵攻が始まった翌年から現在に至るまで、『流れを止めながら』という画文集を制作しており、日本、ロシア、中国、ドイツなどあらゆる国々の美術論、旅の記録、回想、日々の思いなどを綴った本書は、すぐれた文化論であるとともに、ひとりの人間が内包する多文化性の美しい実例となっている。同時に本書は「ウクライナの私が愛する人へ」という献辞を伴い、戦時下の故郷オデーサへの愛惜の念がしばしば表現される。この文集の最初の章のタイトルが、ポーランド国境に近いウクライナ西部で発してオデーサ州へと注ぐ「ドニエストル川」であるのはもちろん偶然ではなく、そこには思考の「流れ」、故郷を目指す思いなど様々な意味が託されている。
オデーサで生まれながらも、80〜90年代をモスクワで過ごし、その後ベルリンに移住したレイデルマンは、「あなたはロシアの作家か、ウクライナの作家か」と度々尋ねられ、その都度「私はオデーサ出身のユダヤ人の少年だ」と答えていたが、ロシアが再保守化した90年代後半以降は、ウクライナの作家としてのアイデンティティを強めていったと語る。ニキータ・カダンがキュレーションした展覧会に参加したことも、ウクライナ現代アートシーンに戻る道筋を作ったという。
ロシアで長く暮らした作家は、いま、何を感じているのか。筆者が2025年2月に行ったインタビューで、レイデルマンは戦争と美術の関わりについて次のように語った。
戦争中に芸術家ができる最善のことは、兵士になって皆と一緒に戦うことだと思う。あるいは、少なくとも自分の技術を直接的に軍事目的に使うことだ(たとえば、第2次世界大戦中にフィリップ・ガストンがパイロット訓練用の教材を描いたように)。それがなんらかの理由で不可能な場合(残念ながら私の場合はそうだった)、少なくともアーティストは、2倍も3倍も正直であることが要求される。自分自身に対して、自分の芸術に対して、同胞に対して、あなたが自分の民族や自分の国、ウクライナについて伝えようとしているあらゆる他者に対して。
ここ数年、私はたくさんの絵を描いてきた。しかし、私にとって絵画とは、絵やイメージを描くことではない。何を描くかではなく、何を考えるかが重要だ。幼なじみ、亡き両親、自分の街(オデーサ)など、声なき人々に声を与える。彼らと対話しているんだ。そしてもちろん、いまは特に、戦い、死んでいく人々と。
しかし、私にとってつらい問題が出てくる(文学にも携わっているので特に深刻な問題だ)。それは言語の問題だ。多くのウクライナ人(特に東部や南部出身者)がそうであるように、私にとっても母語はロシア語なのだ。そんなふうに育ってきたのだから。もちろん、ウクライナ語も知っているが、ロシア語は私が本当に書いたり創作したりできる唯一の言語なのだ。私はこの言語を、敵性語として憎み、文字通りうんざりしている。しかし同時に、本当に「私のもの」である唯一の言語でもある。 私はつねに「内的スケッチ」、「意識の流れ」のような一連のノートを書き続けている。『流れを止めながら』という題名の大量の文章で、ロシア語で書かざるを得ないのだが、同時に、私はその言語を引き裂き、粉砕し、無意味にし、それに対する私の軽蔑を表現したいのだ。だから、私は自分の文章にドローイングやスケッチ、ロシア語で「手書き」と呼ばれるものをどんどん挿入していく。それらは私に「文章を押し分け」、「私のものである」ロシア語に対する軽蔑を表現し、「私のものではない」ウクライナ語を話す人々への愛を表現する機会を与えてくれる。やがて、偶然にスケッチされたドローイングの何枚かが油彩に生まれ変わる。
私にとって絵画とは他者との対話であり、声なき者に声を与えることだと述べるレイデルマン。彼の近年の画題の特徴は、人間だけでなく、馬、魚、花、樹木などの自然が比重を増していることだ。戦争が続く状況において、作家たちは生や死が孤独なものとならないために、大地や動植物とのつながりを求めるのだろうか。全面侵攻開始から3年が過ぎ、人間の世界はウクライナへの関心や共感を失いつつあるように思えるが、作家たちは様々な表現手段でウクライナの生と死の問題を、「私たち共通のもの」として伝えようとしている。