公開日:2024年7月1日

祝・TAB20周年!スタッフ7人で語る座談会【前編】日本最大級のアートメディアで働くみんなのキャリア形成、TABの歩み、いま考えていることとは?【Tokyo Art Beat 20周年特集】

2004年にスタートしたTokyo Art Beatは今年で20周年を迎えます。いまTABで働いているスタッフは、どんなふうにTABと出会い、どんなことを考えながら働いているのでしょうか? 普段腰を据えて話さないこれまでの歩みや、お互い知らなかったエピソードや思いも飛び出した、社員6人+インターンのわいわいトークをお届けします。

Tokyo Art Beat スタッフ

TABスタッフはどんな人? TABとの出会いや仕事内容

井嶋遼(インターン):今日はTokyo Art Beat(以下、TAB)の20周年記念の座談会ということで、私が気になることを編集部の方々に勝手に聞いちゃおう!という会にしようと思っています。自己紹介ですが、私は2024年3月から編集部のインターンとして参加している井嶋です。いま大学で美術史の研究をしています。

井嶋遼

では、改めてまずは皆さんの自己紹介とTABを知った・参加するようになった経緯を教えてください。

田原新司郎:株式会社アートビート取締役で、ブランドディレクターをしています。2009年秋にTABに入りました。当時はまだNPO法人の小さな組織で、スタートして5年目ぐらいの時期です。2005年頃に1周年アニバーサリーパーティがあり、そこに遊びに行ったときに当時のTABのメンバーと知り合いました。

田原新司郎

最初にTABを知ったきっかけは、ITジャーナリストの林信行さんのブログで紹介されていたことですね。いろいろな方がボランティアとしてTABを支えているということを知りました。自分としてもアート業界に入りたいという思いがあったので、当時はバーテンダーや翻訳など仕事を掛け持ちしながらボランティアで手伝いを始めました。その後藤高晃右さん(Tokyo Art Beat、NY Art Beat共同設立者)が関わっていたアートフェアのお仕事に参画したことや、同じく共同設立者のポール・バロンさんに誘われたことを経て、スタッフになりました。当時のTABの周辺は日本にいる外国人がとても多く集まるコミュニティだったので、すごく刺激的でした。

TAB設立当初の共同設立者3人。左からPaul Baron、藤髙晃右、Olivier Thereaux

井嶋:TABはもともと前述のおふたりとオリビエ・テローさんの3名による共同設立ですね。ちなみに、個人的な興味関心もみなさんにお聞きしたいんですが、しんさんは?

田原:学生のときから写真を撮っていて、写真展を見に行っていたことがアートにつながるきっかけでした。2004年「ヴォルフガング・ティルマンス:Freischwimmer」(東京オペラシティ アートギャラリー)の展覧会で衝撃を受けて、それまで写真業界が好きになれなかったし、アートって斜に構えているような印象があったんですが、表現としての自由さが素晴らしいなと興味が出ました。

福島夏子:しんさん(田原)は、ブランドディレクターという偉そうな肩書きにかかわらず(笑)、いまも記事のための写真を撮ったり細かい仕事もやっていて、なんでも屋さんとしてTABを長年支えてきた底力を随所で発揮されています。

井嶋:では社歴順に次の方お願いします。

諸岡なつき:TABのマネージャーをやっている諸岡です。2015年9月から参加しています。TABとの出会いは、大学進学をきっかけに福岡から上京して、美術展を調べる際にいちユーザーとしてサイトを利用していました。前はWAITINGROOMというギャラリーでインターンをしていて、その後2012年頃からTABのインターンになりました。その後、前任のマネージャーの方が辞められるというタイミングでスタッフになりました。

「個人的な興味関心」でいうと、料理と食、あとマンガが好きです。工芸、陶芸とか実際に使用するようなものも好きです。

諸岡なつき

野路千晶:マンガはどんなジャンルが好きなんですか?

諸岡:難しい質問! 最近だといちばん感動したのが『宝石の国』ですね。あと、『ドカベン』も最近読み直して感動しました。

村上万葉:展覧会情報掲載の担当をしている村上です。私の場合は、インターンからアルバイト、社員となったので、入社自体は2018年2月ですね。当時TABのインターンは3ヶ月タームで入れ替わる体制で、武蔵野美術大学の油絵学科に在籍していたとき、同級生からTABのインターンを紹介されたことがきっかけです。油絵学科のなかでインターンをする人は稀だったんですが、私自身、大学卒業後に作家活動もしながら就職すると決めていたので、インターンをやろうと自然と思いました。

村上万葉

福島:まよさん(村上)は、展覧会情報の登録の仕事が凄まじく速くてうまい、という腕を見込まれて、次第にこの仕事を一手に任されるようになったと聞きました。

村上:ちょっとずつ業務を増やしてもらって、気づいたらまるっと全部やっているというような状態になっていましたね。

展覧会情報ページ 全国の展覧会情報を掲載中。有料会員向けのチケット割引サービス「ミューぽん」も

「個人的な興味」は、いま編み物にハマっています。毎日どんなに遅くに仕事が終わっても、寝る前30分帽子を編んでいます。自分では帽子は被らないのに、ひたすら編んでます(笑)。

井嶋:TABのインターンっていつ頃から始まったんですか?

野路:私、じつは初代インターンなんです。いい話の流れですね(笑)。

一同:あはは!

野路:インターンは2010年1月から始まって、私は初代として4ヶ月働きました。当時20代半ばで、新卒働いていた文化施設を3年ほどで退社し、留学しようかなと思っていたときにTABのインターン求人をTwitter(現X)で見つけました。当時はアートポータルサイトがほとんどなくて、私自身も情報はTABから得ていたし、国際感覚溢れる雰囲気が感じられたので「TABに行ったらアートにも英語も親しめてよさそう」と思って応募しました。

野路千晶

田原:当時はすごい倍率だったよね。枠は3人だったけど、応募は50人以上。

野路:そうそう。そのうち1名とはいまでも親交がありますし、楽しい思い出の詰まった良い経験です。その後はまた文化施設に戻って、大学院に進学し、『美術手帖』の展覧会情報を集約した「アートナビ」を経てウェブ版編集部で勤務しました。そこで日本のアートメディアとしての可能性を感じ、新たな環境を探していた矢先、TABのメンバーに再会、縁あって2019年末に参加することになりました。そのときTABは記事を強化していきたいという思いがあって、その部分で私の思いと合致したんです。

「個人的な興味」は、いろんな音楽が好きです。とくに昔からディアンジェロやフランク・オーシャンらのブラックミュージックが好きで、最近はアフロフューチャリズムと言われるジャンルの音楽を追っています。あとは日本のヒップホップも聞きます。

井嶋:最近イチオシのアーティストは?

野路:JUMADIBAっていうラッパーですね。浮遊感のあるトラックと気負いのないラップ、言語感覚が面白くて注目しています。

ハイスありな:私は2008年に来日しました。専門学校に通っていた頃、まったく日本語が話せないコロンビア人の友達が教えてくれたことがTABを知ったきっかけです。2010年くらいですね。そこからずっとTABのアルバイト募集が出ないか定期的にチェックしていて、2021年にインターンとしてTABに入りました。

留学ビザで日本に来ていたのですが、(出身地のロシアの)戦争の関係もあり日本での留学を続けることが難しいとなった矢先、TABに正社員として入社することになりました。担当は、翻訳家・エディターとして英語版のページを担当していています。インターンのときは展覧会情報の登録や翻訳を担当していました。

「個人的な興味」は、大学院、博士課程での研究領域が自分の趣味でもあります。社会学を研究していて社会学をアートとしてどうやって展開できるかを研究しています。あとは人間より動物が好きで、動物といた方が楽しいです。

ハイスありな (当日オンライン参加)

福島:2021年10月からTABに勤務していて、記事の編集を担当しています。その前はずっと雑誌の編集をしていて、新卒で『ROCKIN'ON JAPAN』、その後『美術手帖』編集部で勤務していました。野路さんとは『美術手帖』のときから部署は違うけど同僚で、なつきさん(諸岡)も、短期でアルバイトに来てくれたことがあって、その頃から知り合っていました。

TABを知ったきっかけは思い出せないんだけれど、ウェブブラウザよりもアプリの印象がありますね。iPhoneが登場した初期の頃はいまほどアプリが充実していなくて、アートやカルチャーに特化したものやオシャレな雰囲気なものはあまりないなかで、TABのアプリは目をひきました。アプリはいつからあるんでしたっけ?

田原:2010年かな。

福島:当時は日本における現代アートがポップ化したというか、身近な存在としてアクセスしやすくなった雰囲気がありました。TABは2004年設立ですが、前年に森美術館が開館し、清澄白河のギャラリー群が話題のスポットだったり。そういう流れのなかで、私も現代アートに興味を持つようになったんです。ロゴと誌面デザインが刷新された『美術手帖』を定期購読したり、真面目に吸収しようとしていた(笑)。

大学では西洋美術史を専攻していたので、美術館は元々よく行っていたけれど、現代美術の展示やギャラリーはメディアを通じて興味を持ち始めたと思います。

「個人的な興味」は、結局のところ誰かの作った創作物を見るのが好きですね。映画、本、マンガ、音楽とか、そういうものに関わりたいという思いで編集者になりました。最近は忙しくてあまり楽しむ時間がないですが……。いまやりたい・趣味にしたい候補は太極拳で、でもハウスダンスを習いたい気持ちがあって、どっちを習うかで迷ってる(笑)。

福島夏子

井嶋:若い世代からすると、TABはウェブメディアっていうイメージが強いと思うんです。いまのように展覧会情報と記事の2軸で進むようになったのはいつからなんでしょうか?

諸岡:千晶さん(野路)が入ってくれてからですね。

2008年当時のTokyo Art Beatトップページ

田原:元々「TABlog」っていう名前で2005年くらいから記事自体は始まっていたんですが、ほぼボランティアベースで書きたい人が書くという感じだったから、なかなかうまいように続かないという状況があって。でもアートのメディアとして社会と接続された記事を届けられるような編集部を立ち上げたいと思っていたところ、千晶ちゃんに入ってもらって体制を整えられるようになりました。

野路:2021年秋のTABのサイトリニューアルにも、すごく気合いを入れて取り組みました。そのタイミングで福島さんも入ってくれて、リニューアル前は情報サイトというイメージが強かったところから、記事も目立つようになった転換点かなと私は思います。そこから認知も大きく拡大していきましたし。

諸岡:リニューアルに先立って、21年2月にTABがNPO法人からスタートバーンに合流し株式会社化したことが、個人的にはターニングポイントだったなと思います。前はそれぞれが自分のペースで活動していたところから、会社という組織になり、人の入れ替わりもあって自ずと雰囲気も変わりましたね。

井嶋:TABの昔の記事を見ていて、衝撃的だったのが2011年「展覧会に合わせたドレスコードで、アートを見に行こう!」という企画でした。

福島:写真にピチピチのしんさんいるな!

ワタリウム美術館にて。草間彌生《水玉強迫》(2011) ©︎ YAYOI KUSAMA

諸岡:「メタボリズム・ファッション!」という企画もありました。NPOのときのTABの雰囲気ですね。

コロナ禍というピンチ

井嶋:まよさんにとって、ターニングポイントはいつですか?

村上:ターニングポイントというより、TABとしてのピンチについて話すと、コロナ禍がすごく大変だった記憶があります。展覧会情報を掲載しても、展覧会が中止になったり、予約制に切り替わるといった状況が続いて、毎日掲載と掲載取り下げ・内容更新を繰り返していました。「中止」などの悲しいお知らせを更新し続けなければいけないというストレスも大きかったです。その時期あたりで展覧会の日時予約の制度が固まりだして、美術展って本来予約なしで行けていたのが、美術業界全体のシステムが少し変わったなと思いました。

あのときはスタッフの人数も少なかったし、コロナの状況と相まって気持ちが本当に暗くなる時期でした。

野路:そうですね、その頃からリモートワークも始まってコミュニケーションも試行錯誤で。コロナの影響で世界経済が悪化すると言われていて、美術館も閉まっているし閉塞感いっぱいでしたよね。そのいっぽうでアートコレクターが増え、アートバブル的な現象がみられたり、予測外のことも起こりました。展覧会の入場料が上がったり、予約制が取り入れられるというのはコロナの影響としていまも残っていますね。

社会的・政治的テーマと接続する記事

井嶋:TABはコロナ禍だけでなく、たとえばいまのウクライナやパレスチナの状況であったり、世界情勢に呼応する記事を出しているように思うんですが、それは意識している点ですか?

福島:そうですね。近年はアーティストも社会的・政治的な問題意識を持って作品を制作し、そうしたことがテーマや表現手法として表面化することが多いですから、「純粋な芸術」といったものがもしあるとしても、それだけを扱うということはもうできないですよね。

良し悪しはあるかと思いますが、こうした社会的・政治的な側面は、アートの専門知識を持たない人にとっても、身近な共感や関心を持ちやすい。反面、ポリティカルコレクトネスや表現の自由といった議論を通して、アートが“敵視”される状況も可視化されるようになりましたが。とくにマイノリティや、社会的に周縁化されてきた存在とその表現は、いま世界的にもアートシーンで重要な位置を占めるようになっています。歴史認識や戦争、環境問題、ジェンダー、エスニシティなどへの視点は不可欠で、私自身もアートの仕事を通して、様々な事柄を日々学び続ける必要性を痛感しています。

私自身はジェンダーやフェミニズム、クィアといったことをひとつの自分のテーマ据えて、インターセクショナルな観点を大事にしようと思いながらTABで記事を作ってきました。私が『美術手帖』で最後に担当した特集は「女性たちの美術史」で、本当にやれてよかったと思いますが、自分の勉強不足、力不足、紙幅の都合もあって、やりきれないことが多かったし、さらなる課題もどんどん見つかりました。TABではウェブというクイックに記事化できる特性を活かしながら、十分ではありませんが、少しずつこうした視点での記事を作っています。

この3年ほどで状況が大きく変わりましたが、少し前はフェミニズムやクィア、ジェンダー視点を打ち出した展覧会はほとんどなかったんです。私がフェミニズム視点の特集をやることで「干されるんじゃないか」というご心配をしてくださる業界の先輩方がいたほどです。でもTABのメンバーは、私がこうした切り口で記事を作ることに、なんの戸惑いもなく、当然だよねといった前向きな感じで、めっちゃやりやす〜い、ありがとうって思ってます(笑)。こうした問題意識が自然と共有されていることがTABのチーム、ひいてはメディアとしてのカラーになっていると思います。

一同:いい話〜(笑)。

ハイス:私の研究テーマはアートベース・リサーチなんですが、夏子さん(福島)が言ったようにアートのなかでもリサーチをベースとしている作品が近年多いですよね。そうすると、戦争などの大きな政治・社会的問題に対して、アートのほうがレスポンスが早くて、学問のほうが遅い。

自分自身、学者から編集者になって感じている個人的ピンチは、研究者としてはまず対象への入念なリサーチや準備したうえで発表をすることが当然なのに対し、編集者の仕事は早く情報を収集して記事を出すことが求められる部分があって、そうした違いに私がまだ慣れていないと感じています。

福島:よくアート関係の人は「アートは遅いメディアだ(だからこそ意味・価値がある)」って言うけれど、ありなさん(ハイス)のような研究者の視点から見ると、アートのほうが早いというのは、なるほどなと思いますね。

ハイス:アートのほうがずっと早くて、学問にない自由さがありますね。でも同時に、最近は批判性がない作品が多いなとも感じます。たとえば現地にリサーチに行ってそれをドキュメンタリー的にまとめる。そういう作品は、繊細で難しいテーマを扱っているので、見る側が批判するのが難しくなっている。当事者性の問題が含まれていたり、リサーチベース、学問的な要素を取り入れている作品が多い印象ですが、学者からすると、ちょっと適当過ぎると感じるところもあります。

みんなの思い出深い仕事は?

井嶋:ご自身が携わった企画や出来事で思い出深かったことを教えてください。

諸岡:私はやはりNPO法人からスタートバーンとの合流の時期が大変で、体制が変わっていまのように落ち着くまでの時期はとくに辛かった。

村上:私は、楽しかったことはインターンかアルバイトの時期に、TABのオフィスが西麻布にあって、アットホームな雰囲気でたまにお茶したりしながら仕事していたこと。本当に素敵な空間でした。

具体的な企画だと、私はやんツーさんの乳幼児向けワークショップお手伝いをして、たくさんの赤ちゃんとの交流でしかもオフラインのイベントが楽しかった記憶があります。

エスパス ルイ・ヴィトン東京で行われたワークショップ「知覚(と意味)のコラージュ制作」の様子

福島:そういう企画は今後もっとやっていきたいですね。

田原:10周年記念のパーティでは、関係性の近いアーティストさんにも参加してもらって、いろいろな人が集まれる場を作れたのがすごく良かった。デジタルメディアだけど、たまにはオフラインでユーザーに会える場を作れたらいいなと思います。20周年も楽しいイベントを企画中なので期待してほしいですね。

2014年に開催したTAB10周年パーティの様子

野路:記事について話すと、展覧会レビュー記事を意外な人に書いてもらったり、テーマとアサインする人の組み合わせを考えるのが好きで、面白い企画になれば普段は届かない人にもTABの記事を届けることができるのではと期待しています。たとえばいとうせいこうさんにレビューを書いてもらったのが印象深かったです。

いとうせいこうと、久保田成子《デュシャンピアナ:自転車の車輪》(1983-90)

あとは、「国際女性デー」に合わせて行った、アーティスト・高尾俊介さんとお母さんとの対談。

左から高尾久代、高尾俊介。久代が住む自宅と俊介の自宅をオンラインでつないで取材した

妻業・母親業という女性の仕事は社会、アートの世界では不可視化されてきましたが、そういう役割を続けてきたお母さんの手仕事に高尾さんがアーティストとして影響を受けているんじゃないか、ということで対談をしたんです。高尾さんにとってもお母さんにとってもいい機会だったと言ってもらえて、温かい気持ちになって個人的にも嬉しかったですね。

ハイス:それこそアートの自由さに触れられるときだと思っています。私がとくに印象的だったのは、ロシア出身のアーティスト、タウス・マハチェヴァさんのインタビューですね。

タウス・マハチェヴァ、鴻野わか菜 「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」会場にて 撮影:編集部

作家の言葉で強く残っているのは「アートは内なる許可から生まる」と言っていたこと。ロシアという様々なことが制限されるところで育った作家が、こうした力強い言葉を語ってくれたことはとても印象深かった。私はずっと学問的な枠組みや縛りのなかで研究してきたんですが、TABに入ってからアートの自由さや自分の表現の自由さを知った。それをTABが教えてくれた。

一同:いい話〜(笑)。

ハイス:また、普段は日英の翻訳をしていて、ロシア語から翻訳をするというのが初めてだったので、その点でも思い出に残っています。

福島:露英日、3つの言語が堪能なありなさんがいたからこそできた記事でしたね!

私はどの記事も印象深いですが、TABに入ったばかりの頃、最初に手応えや可能性を感じたのが佐々木健さんのインタビュー(聞き手:福尾匠さん)です。

佐々木健「合流点」(五味家、2022)会場風景より応接間  ©︎ Ken Sasaki   

「合流点」という展覧会がまず本当に素晴らしくて、立ち会えたことを奇跡のように思います。インタビューは長時間におよび、文字数も3万字ほど。正直ここまでの長さをウェブで広く読んでもらえるのか不安はありましたが、結果的に1年を通してもっとも読まれた記事のひとつになり、福祉に関係を持つ方からも反響も大きかった。この記事で注目してくれた方もいたと思いますが、TABの読者への信頼を持ちましたし、充実した記事を作ればきちんと読んでもらえるというのは、その後の原動力になりました。

井嶋:TABは最近「子連れ美術鑑賞についてのアンケート」に関する記事を出したり、子供や若者といったトピックが編集部でも話題に上がりますが、その辺りいかがですか?

野路:編集部には家庭を持っている人も多く、子育てや子供というのはまず自分たちにとっても身近なトピックなんですね。それは大切なことだし、アート界のインフラにおいてもたくさんの課題があるので、問題提起していきたいと思っています。同時にそれは、私たちがみんな年齢を重ねてきたということでもあって(笑)、最近は自分の観測外にいる若い世代の人たちが面白いことをやっていることに度々遭遇し、下の世代の動きには意識的に目を向けないと取りこぼしてしまうという危機感もあります。やはりこれからのシーンを作っていく人たちとして、若い世代、新しいプレーヤーの動向も積極的に追っていきたいです。

福島:そのへんの感性や情報は井嶋さんにも大いに期待するところですね。TABの今後の展望として、従来のウェブサイトという枠に留まらず、YouTubeなどの動画や音声など新たな発信方法や場を多角的に広げていきたいと考えていて。それも新しい人たちと出会いたい、みんなに使ってもらいたいという思いからです。

Tokyo Art Beatの公式YouTubeチャンネルでは、アーティストのインタビューや展覧会の様子などを随時更新中!

井嶋:ありがとうございます。後編では、皆さんのこの20年でのベスト展覧会を聞きたいと思います!

楽しい職場です

*後編はこちら


「Tokyo Art Beat」20周年を記念するアワード企画と特集を実施! ユーザーみんなで20年間の「ベスト展覧会」を選ぼう。推薦を7月8日まで募集中

詳細は以下をご覧ください。読者の皆さんの推薦・投票をお待ちしています!

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。