1月20日〜5月6日、愛知県の豊田市美術館で「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」が開催されている。リウ・チュアン、タウス・マハチェヴァ、ガブリエル・リコ、田村友一郎、ヤン・ヴォーの5作家が参加し、博物館が伝える歴史や文化、産業とアートの関わりなどをテーマに展示が行われている。
今回は聞き手にロシア美術・文学を専門とする鴻野わか菜を招き、参加作家のタウス・マハチェヴァにインタビュー。マハチェヴァは1983年ロシア・モスクワ生まれで、これまで日本では「ヨコハマトリエンナーレ2020」に参加するなど国際的に活躍するアーティストだ。マハチェヴァは旧ソビエト連邦下にあったダゲスタン共和国にある自身のルーツをもとに、近代以降の伝統のありかや文化の真正性、国家と結びつくアイデンティティを、作品を通して考察する。 インタビューでは本展出品作を中心に、これまでのアートの実践やアイデンティティの問題、そして現在のロシアにおけるアート界の状況にまで話が及んだ。【Tokyo Art Beat】
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──タウスさんはモスクワ生まれですが、ダゲスタン共和国にルーツを持ち、ダゲスタンを舞台とする作品を数多く作られています。タウスさんにとって、ダゲスタンはどのような場所ですか。
ある時点でダゲスタン社会について研究したいという深い意欲に駆られました。ダゲスタンの人口の大半はイスラム教徒で、パフォーマティブな男性らしさも根強く残り、一見するととても固い社会に見えます。しかし、実際はそんなことなく、つねに進化する流動的で、ユーモアのある社会なのです。私のアート実践は境界線を探ることに重点を置いていることもあり、ダゲスタンの生き生きとした流動性に強く惹かれました。いつも何かをつまんで、何が化石化していて、何が柔軟なのか、境界線をどこまで押し広げられるのかを探っています。私にとってのアートとは、問いかけるものですから。
──タウスさんの祖父はダゲスタン出身の高名な詩人であるラスール・ガムザートフで、今回展示されている《Цlумихъ(アヴァル語で “鷲にて”)》(2023)は祖父についての記憶をめぐる物語ですね。ガムザートフというひとりの人物が、様々な人の中で少しずつ違う形で記憶され、受容されています。タウスさんはこの作品の中で、亡くなった詩人をめぐる記憶の問題をどのようにとらえているのでしょうか。
1時間ほどある映像には小さな作品がたくさん隠されていて、「記憶の宮殿」としてとらえることができます。事前のリサーチでは様々な記憶の形態についてチームで調べていたのですが、ある脳科学者は、人は何かを思い出そうとしているときに毎回記憶を書き換えているという結論に至りました。そうであれば、何を頼りにすればいいのでしょうか。
本編中で解体される白い壁とそれぞれのシーンは、祖父が存在する記憶の異なる部分を表しています。たとえば、国家機関に呑み込まれた氏名はどうなるかを物語るシーンがあります。祖父の名を冠した通りを歩けばどんな気持ちになるのか、そこで彼を見つけることができるのか。あるいは祖父の胸像はお互いを見つめて、どちらがより彼に似ているのかと議論しているようなシーンですとか。
しかし、祖父がもはやかけ離れた存在になるシーンだけでなく、私の個人的な子供時代の思い出も複数盛り込まれています。たとえば、祖父のセーターを着ている私が白い立方体の中に球を見つけるシーンがありますが、球は祖父のお腹を象徴しています。子供の頃は大きなお腹が破裂するのではないかと思っていたからです。壮大なナラティブになってしまった祖父だけではなく、身体的で個人的な一面も見せたかったので、彼の踊る姿やジェスチャーを真似るシーンもありますね。
最後はすべての壁が崩れ落ち、ひとつのコンクリート・ブロックが置いてある白い土台だけが残されます。この土台がある高原はまた、潜在意識の境界線を表しています。
──ガムザートフさんのジェスチャーを真似るシーンがとてもプライベートで、エモーショナルな瞬間にも見えましたが、この作品において身体性はやはり重要でしたか。
最初は祖父のジェスチャーを学ぶ機会になると思っていましたが、やっているうちに自分の中に祖父を感じた瞬間になりました。もしこれが10年前の作品だったら、お互い「共存」ではなくて、私の「消去」についての作品だったかもしれないです。しかし、いまはしっかりと自分の存在を通して、家父長制を解体しようとしています。
──ガムザートフを記念する品が運ばれ、展示され、また箱の中にしまわれて持ち去られていく様子が時間をかけて映されますね。作業員の動作やコミュニケーション、互いに声をかける様子が細やかで丁寧で、それはガムザートフという詩人、あるいは死者に対する敬いのようなものを感じさせますね。
生きている人が死者のために作業していると解釈していただいて嬉しいです。私自身は記憶をどうとらえているのか、正確には言えないですが、この作品は様々な記憶の形態と20年前に亡くなった人物の人生を描いています。祖父についての逸話はたくさんあるのですが、本当のこともあれば、そうでないことも多いです。今回は祖父の人生の様々な形と、祖父がみんなのものであるということを表現したかったのです。面白いことに、キャスティング中にひとりの俳優に「あれは君のおじいちゃんじゃない、僕らのおじいちゃんだ」と言われたことがあって、その言葉が印象に残りましたね。
──ガムザートフは《鶴》という詩を書いていますね。1965年に広島の原水爆禁止世界大会に出席して、佐々木禎子さんの千羽鶴の話に感銘を受けたのがきっかけで書かれたと言われています。冒頭の部分には「血なまぐさい戦場から来たのではない兵士たちが、この大地にいつか倒れたのではなく白い鶴に変わったと思うことがある。鶴たちはあの遠い時代からこの時代へと飛んできて私たちに声を届ける。だからこそ、私たちは空を見上げるとき、こんなにもしばしば悲しく沈黙するのではないか」とあります。鶴たちに戦死者のイメージを重ねたこの詩には、反戦の思いがこめられていると言われていますが、ガムザートフは日本や戦争についてタウスさんに語ったことがありましたか。
《鶴》において翻訳の問題が非常に重要だと思います。祖父は母国語であるアヴァル語でしか詩を書いていなかったですが、ロシア語などによく翻訳されていました。《Цlумихъ(アヴァル語で “鷲にて”)》の冒頭のシーンで運転手が「原作には『兵士』という言葉がなかったのです。『若者や息子たち』と書いてあった」と語っています。国家機関がどのような目的で、どのように詩を翻訳し、そのプロセスで何が行われているのか、いろいろ考えさせられる興味深い問題だと思います。
私と戦争と政治の話をしていたかというと、していないなかったです。政治的な話をしないソビエト人間の名残だったと思います。ですが、祖父の言葉や詩に対する私の解釈のいくつかは残っていると思います。
日本は祖父の詩にも、この作品にも存在しています。祖父に変身するシーンでは彼のお腹の形と重みを連想させる鎧のようなものを着ていますが、はじめてそれを見たときに侍の甲冑らしいと思いました。
──新作の映像作品《の娘の娘》(2024)について聞かせてください。まず、タウスさんの曽祖父、イスラム学者で有名な吟遊詩人だったガムザート・ツァダサのブロンズ像が作られる様子が描かれます。次に、そのブロンズ像を包み込むような形で、祖父であるガムザートフの石膏像が作られますね。最後に、ガムザートフの石膏像はタウスさんの母の肩と頭の幅と同じ大きさのコンクリートのブロックの中に埋められてしまいます。それらを包みこむことは、守ること、保護であると同時に、見えなくすること、消去することであり、安置することであると同時に隠すことでもあります。この作品についてコメントをいただけますか。
コンクリートのブロックは《Цlумихъ(アヴァル語で “鷲にて”)》の最後のシーンにも出てきていますね。この作品は私がかつて人に「ガムザートフの娘の娘」と紹介された体験に端を発しています。私だけではなく、私の母まで消去されてしまったと驚き、当時は少し傷つきました。しかし、しばらくして、異なる時間に生きる人々が存在するのであって、あえて反抗する必要はないと気づき、視点を変えてこの作品を作りました。おっしゃる通り、曽祖父はダゲスタンの著名な吟遊詩人でしたので、ブロンズ像がよく作られていました。いっぽうで、詩人の祖父はソ連のポップスターのような存在で、石膏像がたくさん流通していました。それぞれがマトリョーシカ人形のように互いの中に隠され、最後は私の母を表象するコンクリートのブロックに綴じ込まれます。ブロックをどこかに置いていくことによって私の肩の荷が下りるとも言えます。
──人を属性や血筋で判断し、その個性を見ようとしない風潮への批判だと思いますが、個人と属性の問題は、タウスさんの創作においてどのような位置を占めていますか。
以前は存在が消去されることに対してもっと強い憤りがありましたが、いまは被害者の立場から何も生まれないとはっきりと理解しています。だから私は、被害者の立場をアートが芽生えてくる土壌に変えようとしています。消去は家父長制に内在するものだからこそ私たちはこの制度と闘っているのです。しかし、一般化をしないことも大事だと思います。私のアートは典型的な偏見についていまも考えつづけていますが、以前よりも優しく、よりニュアンスのあるやり方に変わりました。
──家父長制を解体することはタウスさんの大きな目標ですが、ダゲスタンの男社会と向き合うスーパーヒーローで、タウスさんの分身でもある「スーパー・タウス」の活動を少し紹介していただけますか。
スーパー・タウスは無力感と痛ましいニュースが続いた2014年に登場しました。同時期に「スーパー・ソフラブ」というスーパーヒーローの分身を持つアーティストのソフラブ・カーシャーニーに出会い、彼の実践に強く惹かれました。スーパーヒーローのはずのスーパー・ソフラブが平均的な男性と同等のことしかできず、男らしさや国家の軍事力を背負う主流のスーパーヒーローそのものについて考えるきっかけになりました。スーパー・ソフラブはパスタを茹でたり、Facebookを見たり、本を読んだりしていますが、こうしたシンプルな行動の裏側には、制裁下のイランでの生活の真相が隠されています。彼を見たとき、自分の中に「なんでもできる人」が存在してもいいのだと感激し、スーパー・タウスの誕生につながりました。
スーパー・タウスに時々出展を依頼していますが、彼女は自分の行為をアートとは呼ばず、「人生を肯定する実践」と言っています。また、じつは私は彼女の分身だとも主張しています。これは私がダゲスタンで生きていたかもしれない人生と、彼女がダゲスタンの外で生きていたかもしれない人生という、同時に並行するふたつの世界です。
スーパー・タウスの作品のひとつ、《無題2》(2014)は、90年代にダゲスタンの美術館で起きたアレクサンドル・ロトチェンコの絵画盗難未遂事件を題材にしています。盗難は監視員のマリア・コークマソヴァとカミサット・アブドゥラエヴァによって阻止されましたが、メディアでは警察官、あるいは博物館の男性職員による勇気ある行動と報道されてしまいました。スーパー・タウスは女性の強さと芸術を守る美術館スタッフを記念するためにふたりの記念像を作り、設置するのに相応しい場所を探す旅に出ました。スーパー・タウスの背に乗って記念像はマハチカラ市内を周り、マハチカラからモスクワまで徒歩で移動し、モスクワ現代美術館とパリのポンピドゥー・センターを訪れました。結局、スーパー・タウスはどこも気に入らなかったようで、記念像は彼女のプライベート・スペースで保管されています。
──私がロシアに留学していたときの指導教員でロシア文学研究者のジーナ・マゴメドワ先生はダゲスタン出身でした。マゴメドワ先生は、ダゲスタンの首都であるマハチカラのことを「たんなる地方都市ではなく、いつも大勢の面白い奇想天外な人々が集っているような町」と書いていますが、タウスさんの作品の中には奇想天外な人々に焦点を当てているものもありますね。
奇想天外な人物と言えば、70年代にアイダミール・アイダミロフという人が翼を作り、マハチカラ近郊の山で空を飛ぼうとしました。彼の大きな夢と努力は、パリのカディスト・アート・ファウンデーション(KADIST)でのレジデンス期間中に制作された、スーパー・タウスとサビ・アーメッドとの共同プロジェクト「スーパーヒーロー・サイティング・ソサエティ」(2019)の土台になりました。
展示の一部には世界各地で活躍するスーパーヒーローたちの物語を収録したオーディオ・インスタレーションがありました。フィクションもあれば、実在の人物をモデルにしたものもありました。たとえば、東京のスーパーヒーロー、“ベビーカーおろすんジャー”も取り上げられていましたよ。実在の人物ですが、フィクションを盛り込んだ彼のストーリーは全身タイツを売った店主によって語られています。ある意味、これらは消えゆく小さな世界の物語でもあります。コスプレ用品の店はいつまであるのか?小さなスーパーヒーローたちは誰なのか?すべての物語はスーパーヒーローたちが活躍する地域の原語で書かれていて、突然パリの中心で自分の街のヒーローの物語を母国語で聞けるという、重要なポリフォニーを作り出しています。
──本展に出展された《Ring Road》(2018)の舞台もダゲスタンです。ダゲスタンに実際に存在する山に、出口も入り口もない、つながった円になっている道路を建設するというプロジェクトですが、実際にはこの道路が建設される可能性はほぼないですね。この誰にも必要とされない道路は何を意味しているのでしょうか。
今回展示されているのはスケッチのレプリカです。オリジナルのドロマイト彫刻は重さ370キロもあり、現在はアントワープ現代美術館(MHKA)で保管されています。というのも、オリジナルを所有できるのは、道路建設の資金を提供し、アーティストと契約を結んだ人だけだからです。永遠に宙を舞う「アーティストからのプロポーズ」と言えますね(笑)。
この作品の着想にも境界線を探りたい意欲があります。想像してみてください。屈強なカフカスの男性がレースするのに完璧な道路を目にするが、そこには入口も出口もない、走ることができない道路なのです。ちょっといじわるですね(笑)。もちろん、この作品がモスクワの現代アートフェア「コスモスコー」のために制作されたのもとても重要です。巨大なアートフェアの中心に佇んでいる山を誰も買うことができないのです。アート市場に対する挑戦としてとらえることもできます。
──昨年は「大地の芸術祭」の舞台である新潟県十日町市に多くの常設作品を残したイリヤ・カバコフが亡くなり、影響力を持つ世代が消えていくいっぽうで、「コスモスコー」のような比較的新しい現代アートフェアも開催されていますね。今後、ロシアの現代美術をめぐる状況はどのように変わっていくと思いますか。また、現在のロシアで展示をすることの困難や課題はありますか。
戦争が始まって以来、ロシアのアート界には強い悲壮感が漂っています。政治的な立場によって展示されないアーティストもいれば、そもそも国が介入する施設で展示したくないアーティストもいます。また、ガレージ現代美術館を含むいくつかの施設は展示活動を取りやめ、作品の保護と保存に重点を移しました。
とはいえ、アーティストたちは創作を中断せず、規模が小さくても自分たちがコントロールできる範囲や形で日常を表現しつづけています。どの難しい時代もそうだったのはないでしょうか。巨大なプロジェクトではないかもしれないですが、ロシアのアーティストたちは目の前にある「キャンバス」と向き合って、世界との接点を探しつつ、自分自身を失わないために頑張っています。
──男性中心主義的な社会を揶揄しながら、ユーモアたっぷりの作品を作っていますが、批判的な意見に遭遇することがありますか。
作品の中でアイデンティティを利用しすぎていると批判する人がもちろんいます。しかし、私はアイデンティティ・ポリティクスや差異に固執しないことが大事だと思います。差異と一般化が果てしない対立を生むからです。なので、自分の活動においては普遍的なものに焦点を当てることが多いです。私にとってのアートは人生の一形態であり、作品も内なる正直さと愛から生まれます。この質問にストレートに答えないのは、被害者を演じたくないからです。ある立場を繰り返して主張するとそれは現実化し、ある種のブロックを作り出してしまいます。
これにまつわる印象的なエピソードがありますよ。ソビエト時代は検閲が厳しく、戻ることがないところへ連れて行かれることもよくありました。ある日、私の母が祖父に「どうしてあなたを密告した人たちに手を差し伸べたの?彼らがあなたについてあんなことを書いていたのを知っていたでしょう?」と尋ねました、そしたら彼が、「私はただ書きつづけたかったんだ」と答えました。ネガティヴな世界に入り込むとアートを生み出す能力が封じられてしまいます。私のゴールは意味を作りつづけることだからポジティブな空間にいたいのです。
──属性を押し付けられることは日本でも通じる普遍的な問題ですね。この問題についてどう思われますか。
アイデンティティは内面的成長の探求だと思います。子供の頃、アーティストになりたいかと聞かれたことがあり、決まった労働時間も給料もないし、ありえないと思いましたよ(笑)。でもいまは内面的な自由さは何よりも素晴らしいと実感しています。
私の作品は内なる許可から生まれます。だって、ほかの誰もがあなたに何も許可してくれないですから。すぐに行動ができないのであれば、どう行動するか思い描いてみてください。想像することが大事です。でも、どうしても許可が必要だったら、私がすべてを許可します! あなたが自信と内なる強さを見つけようとしているのであれば、私はなんでも許可します。自分の持っている力を発揮し、なりたい自分になってください!
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タウス・マハチェヴァ
1983年モスクワ(旧ソビエト連邦)生まれ。モスクワ及びドバイ(アラブ首長国連邦)拠 点。旧ソビエト連邦下にあったダゲスタン共和国の自身のルーツをもとに、近代以降の伝統のありか、文化の真正性、国家と結びつくアイデンティティを、作品を通して考察する。主な展覧会に「第14回光州ビエンナーレ」(光州、韓国、2023)、「横浜トリエンナーレ 2020」(横浜)、個展「Cloud Caught on a Mountain」(モスクワ市近代美術館、モスクワ、2017)。
鴻野わか菜
こうの・わかな 1973年生まれ。東京外国語大学卒業、国立ロシア人文大学大学院、東京大学人文社会系研究科博士後期課程修了(博士)。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門はロシア東欧美術・文学・文化。イリヤ&エミリア・カバコフの「カバコフの夢」(越後妻有)等、展覧会の企画や監修にも関わる。編著書に『カバコフの夢』(現代企画室)、訳書にレオニート・チシコフ『かぜをひいたおつきさま』(徳間書店)など。