そのアニメーションの3DCGモデル一つひとつと、シーン一つひとつはシンプルにできている。ところが、それらのモデルが群衆となり、たくさんのシーンがつながり長編のアニメーションとなった途端、複雑で、誰も見たことがない異形の世界が浮かび上がる。それが『鶏の墳丘』というアニメーションである。
本作は中国出身のアーティスト、シー・チェンがたったひとりで作り上げた3Dアニメーションである。3Dモデリング、アニメーション、編集などすべてを手がけることで、混沌とした世界を存分に展開している。
それは既存の映画やアニメーションを鑑賞するルールから大きく逸脱したものだ。今年2月に渋谷のシアター・イメージフォーラムで公開され、観客にインパクトを与えている。
日本での『鶏の墳丘』公開は今回が初めてではない。2021年の新千歳空港国際アニメーション映画祭(以下、新千歳アニメ映画祭)で取り上げられ、翌2022年にイメージフォーラムにて期間限定上映を果たしている。今回の上映は、そこから2年越しに実現されたものなのだ。
さらにCALM & PUNK GALLERYにて、平面と立体作品を集めた個展「インクに潜む神話 :クリーチャーと矛盾のシンフォニー」も開催(2月9日〜25日、3月8日〜17日)。チェンの作家性をうかがい知れるものとなった。
このように『鶏の墳丘』公開と個展開催が実現した背景には田中大裕の働きかけが大きい。田中はアニメーション研究者として短編アニメーションメディアtampen.jpの編集長を務める人物である。田中は新千歳アニメ映画祭の選考過程で『鶏の墳丘』を鑑賞して以来、本作を広めるためになんと自己資金を持ち出して、イメージフォーラムへの配給と宣伝を試みたのだ。
ある芸術表現が切り開かれるためには、革新的な作品を生む作家の存在だけでは足りない。その作家を評価する批評家と、広めようとする興行主によってひとつの潮流が生まれる。シー・チェンと田中は、まさしくそんな作家と評論家、興行主の関係そのものだ。
おふたりのお話には、既存の表現を打ち破る作品を広め、ひとつのシーンを作る可能性に満ち溢れていた。
——日本では、シー・チェンさんは『鶏の墳丘』で知られたこともあり、最初からアニメーション作家としてスタートした印象があるのですが、もともとのキャリアは画家として始まっているんですよね。絵描きから3DCGに行くというのは、ちょっと異色なキャリアだと思ったんですけど、どういう理由からでしょうか。
チェン:僕はもともと絵を描くことが好きでした。でも、キャンバスに絵を描いていたら、住んでいる場所のスペースがなくなっちゃったんですよ(笑)。なので、アニメーション作りを独学しはじめました。
——あなたのアイロニカルな要素もある作品を観るに、その発言が冗談か本当か少し迷うところですが……(笑)。ともあれ、チェンさんはそこで場所を取らないデジタルの映像に行くというのもすごいですね。いつ頃から独学を始めたんですか。
チェン:2015年、30歳を過ぎてからのことです。それからいまに至るまで、アニメーションをずっとやっています。最初は3ds Max(*1)を使っていました。Unity(*2)は2020年の最後の段階で勉強しましたね。
『鶏の墳丘』は95%は3ds Maxで、残り5%はUnityで作っています。主に3ds Maxで作った3DモデルとアニメーションをUnityに送り、Unityで激しい戦闘シーンをシミュレーションします。
*1——3Dのモデリングやレンダリング、アニメーションを作るツール。
*2——全世界に普及しているゲームエンジンのひとつ。近年ではゲーム開発だけではなく、映像制作にも活用されている。
——あらためまして、どんな風に育ち、アーティストの道に進んだのでしょうか。
チェン:僕は中国の内陸部にある、湖北省の工場街で生まれ育ちました。工場で何を作っていたかはわかりません。小学生までずっと、工場の機械音を聴き、匂いを嗅いでいたんです。工場には学校や病院もあり、そこでご飯も食べていました。
田中:チェンさんが育った地域では、工場を足場に社会が構成されていて、あらゆる都市機能が工場の中にあり、工場内で社会生活を完結することができました。
——なにかを大量生産する場所に、子供にとっては世界の基本的なものがすべて揃っているという環境とは……。チェンさんは工場の街で暮らしてきた幼少期の影響はいかがでしたか。
チェン:工場の子供はつねに殴り合いですね(笑)。僕はメガネをかけていて痩せっぽちだったので、弱そうにみえたのか、暴力を振るう相手として狙われるので、いつも隠れていました。
——ちょっと荒々しい街でしたか?
チェン:荒々しいというか、ラフな感じですね。
——そういう街だと、内向的な子供は物を作ったりする方向に行きやすいですよね。
チェン:工場にいっぱい絵があるんですよ。デザイン画や設計図ですね。当時はモニターがなかったので、イラストや図面を使って作業員に説明していました。
そうした絵は使い終わればゴミとして捨てられてしまう。でも、僕はそれを拾って、その上に絵を描いていました。
——それがチェンさんの原風景なんですね。お話を聞いてから、『鶏の墳丘』や、平面作品に見られる機械製品の設計図のような要素を振り返ると、すごく納得してしまうというか。
チェン:心の風景の設計図ですね。ひとつひとつが別の世界の設計図なんです。
——そんなふうにアーティストとしての制作に影響したのですね。そんな作家になるまではいかがでしたか。
チェン:小学校を卒業してから家族で街を出ていきました。大学からは別の都市に移住しています。
——大学は美術系ですか?
チェン:いえ、僕は美大に通っていないんです。上海の普通の大学で、教育学部でした。そこで高校の教員の資格を取りました。まあ、教師にはなれていないのですが(笑)。
大学時代にいっぱい絵を描きました。たくさん絵を描いたあと、大学卒業の時には、ギャラリーで個展も始めていたんですね。「これでアーティストとしてやっていけるかもしれない」と思いました。
——その当時は、ギャラリーのオーナーにどういうかたちで作品を見つけてもらったのでしょうか。
チェン:じつは個展をやってもらったギャラリーで、僕は1年間バイトしていたんです。そのときオーナーに絵を観てもらいました。
——そんなかたちで見つけてもらうとは!
チェン:オーナーには「わからないけど、珍しい」って言ってもらえました。
——たしかにチェンさんの平面作品も、なにか普通の文脈と違うかたちでできていますね。
チェン:僕の心の風景は多いかもしれないです。作品のひとつひとつが別の世界で、同じ世界ではありません。心の中にパラレルワールドが存在しています。水墨画もありますし、変なバッタもいます。戦車もいます。ロボットもいます。女の子もいます。
——描かれるモチーフはバラバラですよね。
チェン:これらの作品からは短編アニメーションのような発想を見て取ることができます。カメラワークとフレームの概念が導入されているんです。
たとえばこの絵ではアニメーションのカメラワークをやっているんです。両方の鹿が角を突き合わせて小人を持ち上げている絵ですが、小人の睾丸にズームしていく流れを描いているんです。
——平面作品を制作していたころから、映像を作るような意識があったんですね。いつか映像をやろうとは当時から考えていましたか。
チェン:3Dの短編アニメーションを作るときは、ドローイングと近い感覚かもしれません。長編アニメーションはまた違います。短編はひとつのアイデアを作品にしますが、長編はひとつのアイデアでは成立しないからですね。
——ところでチェンさんは3Dアニメーションはいつごろから始められたんでしょうか。
チェン:僕は大学に入ってから、パソコンに初めて触ったんです。生まれた家庭にパソコンがなかったんですよ。大人になってから技術を覚えたので、3Dモデリングは試行錯誤しながらやっています。
——とても遅くに触れたんですね。当時は参考にした作家や作品はありましたか。
チェン:いろんな作品を観ましたが、特定の師匠はいないんです。『鶏の墳丘』は、しいて言えば『スターウォーズ』ですね。巨大な戦闘シーンの師匠です。
日本のアニメもたくさん観ました。美少女とロボットにその要素があります。『機動戦士ガンダム』シリーズや『アルドノア・ゼロ』、そして『翠星のガルガンティア』や『ぼくらの』。あとは『宇宙戦艦ヤマト』を観ていますね。
——『ぼくらの』を挙げられると、どこか『鶏の墳丘』とつながるもの感じますね。
チェン:あとは『今、そこにいる僕』や『新世界より』なども。(アニメーションは)いろんな表現ができると知って、自分の世界で試していました。
——『鶏の墳丘』で驚いたのは、1本の物語として読み取れる要素がほとんどないことです。意図的に物語をバラバラに分散した映画やアニメは数多いですし、短編アニメーションでも言葉や脚本を使わないものは多いですが、それらよりもさらに物語の要素が薄いように感じます。それはどこまで意図していますか。
チェン:全体を貫く脚本と絵コンテは作っていません。ただし、一部の設計が複雑なシーンでは、事前に絵コンテを描いています。室内のシーンなどですね。『鶏の墳丘』のストーリーは、断片的な出来事の連続体なんです。
メインストーリーは、女の子と母親の別離と再会です。母親は管理者に「穴」を開けられて、「ミラータウン」に囚われてしまいます。女の子は、旅の最後に「ミラータウン」に辿り着き、母親を見つけます。けれども、「ミラータウン」の外壁はマジックミラーになっていて、母親は女の子を姿を見ることはできません。でもふたりの手は、鏡を挟んで、たしかに重なり合うのです。
このメインストーリーを核にして、その外側に様々な短編アニメーションが乗っているんです。たとえば、核となるストーリーをハリネズミとして例えると、その針にいろんな果物が刺さっているようなものなんです。その果物ひとつひとつが異なる世界観を持った短編アニメーションなんです。もちろんこれはたとえ話ですよ(笑)。
『鶏の墳丘』にはふたつのストーリーラインがあります。それは「ドラマ」と「象徴」です。「ドラマ」はメインストーリーである母子の再会の物語です。「象徴」の物語は、巨大な「物語」が惑星を支配していて、しかし人々はそのことに気づかずに、巨大な「物語」から生じる小さな「物語」を武器に争っているというものです。
——チェンさんは日本での『鶏の墳丘』や、個展の反応についてはいかがでしょうか。
チェン:大変勉強になりましたね。観客が自分なりの解釈を頭のなかで作っていますね。
僕はコメントを読んで勉強しましたよ。コメントからは観客の声が聴こえてくるかのようです。詩のような美しいコメントもありました。私の意図を的確に読み解いたコメントに驚いたりもしました。
田中:チェンさんが3年間、考えていたことを、観客が1回観ただけで当てていたわけですね(笑)。
チェン:そうです。お客さんも才能豊かですね(笑)。
——チェンさんが日本で知られるようになったのは、『鶏の墳丘』の配給を担当された、tampen.jp編集長の田中さんの情熱も大きいですよね。そもそも、どういうかたちでチェンさんの作品を知ったのでしょうか。
田中:もともとは、2021年の新千歳空港国際アニメーション映画祭(以下、新千歳空港アニメ映画祭)の選考に私が関わっており、そこで『鶏の墳丘』を観ました。
——田中さんがXのアカウントで明らかにしていましたけど、イメージフォーラムでの配給がすべて田中さんの自己資金で行われていると知って驚きました。そこまでして、田中さんに『鶏の墳丘』を広めようとさせる作品の力とはなんだったのでしょうか。
田中:やっぱり単純に「この作品を配給する会社はないだろう」ということでした。だから、自分がやらないとなかなか上映にはこぎつけないだろうと。
映画祭でしか上映されない映画は世の中に普通にあると思うんですけど、それでもなぜわざわざ『鶏の墳丘』を配給したかというと、2021年の新千歳空港アニメ映画祭でお客さんや関係者の反応が賛否両論だったからです。
賛否両論といっても、みんな肯定的ではあるんです。だけどその理由が「ひとりで作り上げた情熱は認める」みたいな反応が多い。根本的な内容を評価している人は少なかった印象です。
——映像そのものは圧巻ですけど、作家の努力に評価が逸れやすかったと。
田中:アニメーション映画祭は素晴らしい場所ではあるんだけど、いっぽうで映画祭で評価されやすい作風と評価されにくい作風ってあるんですよ。
2021年当時の自分の感覚としては、「なぜ『鶏の墳丘』の素晴らしさがわからないんだ!」という、ほとんど憤りといってもいい感情があった。だから「映画祭の外まで作品を届けないといけないのかな……」と思って、東京で上映をやることにしたんです。
——『鶏の墳丘』はすごいエネルギーを持つ作品ですよね。いっぽうで、非線形な構造を持ったアニメで、バラバラの要素から物語を推測することも困難な作品ゆえ、評価が難しいのはわからなくもないんですよ。
田中:そうですね。むしろバラバラであるというところが、『鶏の墳丘』で私が魅力を感じた部分です。
インディペンデントの作品であっても、大半の作品はドラマ性を見出せるものです。とくに個人で作っているものは、ひとりの考えでその世界を徹底的に作りこんでコントロールできることがひとつの魅力であるいっぽう、そのドラマ性というが、ひとつの視点、ひとつのストーリーで、世界の解釈を固定してしまうリスクもあります。
——物語をしっかり構成することは、観客側に作品の解釈をある程度は誘導することでもありますからね。
田中:むしろ、多くのアニメーションがそうなんですよ。そのなかで『鶏の墳丘』は「観客にここで感動してほしい」とか、「こういう風に解釈してほしい」という欲がない。だからこそいいんですよね。
——といいますと?
田中:我々の観ている現実というのは、伏線があって、それが回収されるみたいなものじゃないわけですよ。ドラマツルギーがないのが現実ですよね。だけど我々は物語化を経由することなく、現実そのものを、ありのまま受け取ることがなかなか難しい。
『鶏の墳丘』はアニメーションっていうフィクションを通して、ありのままの世界っていうものをすごく突き付けてくるところがあります。世界というものがそもそも、ドラマツルギーによって作られていないから、『鶏の墳丘』の世界にもドラマツルギーがないという。
それは植物図鑑を観る感覚に近いかもしれない。植物図鑑って読み物としての物語はないじゃないですか。いろんな植物を羅列するように、『鶏の墳丘』はこの世界に生ずる様々な物語がカタログされている作品で、そんな作品は観たことがありませんでした。
——ある世界そのものに放り込まれるようなものですね。『鶏の墳丘』は、まるでメインストーリーが用意されていない、自由度があまりにも高いビデオゲームをプレイするみたいな体験といいますか。でも遊び方を教えてくれなくって何をしたらいいか、みんな戸惑うような。
田中:アニメーションは観客をコントロールしがちですから。ストーリーテリングの重力から逃れたところで作品を作っているというのが非常に素晴らしいと思いました。
——チェンさん自身は物語性というものについて、どう考えられていますか。
チェン:物語は最初に大ざっぱに考えるのですが、作りながら変化します。キャラクターの3DCGモデルをたくさん作るわけですが、彼ら彼女らひとりひとりが私に語りかけてくるんです。「自分はこういう物語を生きているよ」と。私はその声に注意深く耳を傾け、作品を組み立てていくんです。
——事前にプロットを用意せずに、そういうかたちで長編を作るのはインディペンデントならではですね。作家だけではなく、配給も田中さんの自費で行うインディペンデントな部分が、日本における『鶏の墳丘』を特別なものにしているように思えます。
田中:やっていること自体は普通なんですよね。ただ、それが自分の資金の持ち出しかどうかっていう。そこにしか差は無いと思います。
自主配給の難しいところは、時間がないことです。普通の配給会社が作品を配給するとなると、配給や広報の仕事は会社の労働時間の中でやりますよね。
自主配給だと、日中の業務をやってから、配給の仕事を行います。お金もかけられないので、ほとんどアウトソーシングもできない。それでもフライヤーのデザインはプロの方に入っていただいて、非常にすばらしいデザインを作っていただきましたが、基本的にはそういうことはできない。
——かけられるコストに限りがありますね。そのほかに難しい点は?
田中:やっぱり広報が難しいです。配給会社だと宣伝のノウハウや各媒体に情報を提供するつながりがあるんですが、自分にはそういう媒体もない。本格的な試写室を借りての関係者に向けた試写会もできないんですよ。
だから普通のオフィスのスペースを借りて試写会もやりますし、そういう感じですね。基本的に利益は出ない。赤字にならないだけで、プラスマイナス0に戻すことしかできないです。
——ただ赤字を回避できたということはかなり大きいと思いますよ。
田中:本当は黒字にしたいです(苦笑)。
——田中さんはこれまでも短編アニメーションの上映会や、アニメーション作家を招いての有料トークイベントの開催などを行っています。そうした経験も今回の自主配給に生きましたか。
田中:過去のイベント開催で一番大きかったのは、経験というより出演してくださった人や、来てくださったお客さまといった人との繋がりです。イベントの出演者やお客さまが今回も興味を持ってくださり、『鶏の墳丘』を観に来てくれて、感想をXにポストしてくれました。
また、トークイベントでは出演者とお客さまが交流できるように、専用のDiscordサーバーを作っています。そこに100人ちょっとの方が入っており、その方に向けても宣伝しました。
——それはかなり大きいですね。お金を腹ってトークイベントに参加するくらいのお客さんであれば、『鶏の墳丘』を観てくれる可能性は高いですし。
田中:ただ今回は、展覧会と並走して映画を上映する企画だったので、過去の経験が生きない部分も多々ありました。上映だけだったらもっと楽だった、というのは正直なところ、あります。
——たしかにチェンさんの個展も絡めて宣伝していくのは、前例のないプロジェクトとも思います。
田中:「展示の裏で準備されている方って、こんなに大変なんだ……」って眺めているみたいな(笑)。自分が企画をギャラリーに相談しちゃったけど、私は展示の準備や空間構成には貢献できないので、申し訳ないなと。
——気鋭のアニメーション作家を発掘し、日本でも配給した先達として、NEW DEERの土居伸彰さん(*3)の影響も大きいのでしょうか。
*3——土居伸彰:アニメーション研究者として活躍し、様々な作家の紹介や評論を行う。2015年に配給会社NEW DEERを立ち上げ、世界の作家たちのアニメーションを日本で配給を行うなど、現在の短編アニメーション界において重要な人物。
田中:もちろん土居さんの影響は大きいです。土居さんがブルース・ビックフォードやドン・ハーツフェルトを日本で紹介したみたいに、私もシー・チェンさんを紹介したいという思いがすごくありました。『鶏の墳丘』を2022年に初めて上映したときは、土居さんに相談してイメージフォーラムにつないでいただいたんです。
——ああ、土居さんのNEW DEERがそうした作家たちの作品上映をイメージフォーラムでやっていましたよね。
田中:ドン・ハーツフェルトもそうですよね。私の中で、シー・チェンさんをハーツフェルトみたいにしたい、というのがすごく大きかったんですよ。やっぱり日本でハーツフェルトを根付かせたのは土居さんだと思うので。
——イメージフォーラムさん自体も新しい作家の作品上映に前向きな映画館ですよね。
田中:あとは「映像作家100人」などの仕事で有名な、庄野祐輔さんの活動にも影響を受けています。土居さんと庄野さんは評価が安定した作家やシーンだけではなく、まだ体系化されていないシーンとか、次世代の作家に光を当てる活動をされています。そういうところは学ばないといけないな、と思っています。
——チェンさんは今後はどのようなキャリアを考えていますか。
チェン:長編アニメーションを5本作ろうと目標を決めているんですよ。
——短編の中にはビデオゲームらしい作品もあります。Unityを使われていることもありますし、今後はゲームの開発なども考えていますか。
チェン:そうですね。ただ、いまの自分には技術が足りないかな……と。でもいまはAIに力を貸してもらって、プログラミングの問題はクリアできるかもしれないです。もし作るなら、ChatGPTにプログラムを書いてもらって、自分はゲームデザインに集中したいですね。
——また、中国でインディペンデントのアーティストを続けていく難しさというのもあるのでしょうか。
チェン:作品を作っているあいだは自由を感じるんです。もしも住んでいる環境が不自由でも、作品は自由です。だから、アニメーションは長編の方がいい。制作期間が長期化するぶん、自由を感じられる時間が長いからです。より多くの長編を作ることで、人生を最後に振り返ったとき、自由の割合が大きくなるんです。
——最後に、次回作の構想について教えてください。
チェン:ミミズが出てきます。「ミミズ」というと新海誠監督の『すずめの戸締まり』を思い浮かべるかもしれませんが、あのミミズとは別の方向性です(笑)。ミミズそれ自体の話ではありませんが、ミミズがたくさん出てきます。
Xi Chen(シー・チェン)
1985年生まれ。個人的な経験と現代社会、気候変動にかんする架空の世界を創造することに人生を費やす。その表現手法は、絵画、彫刻、アニメーションと多岐にわたる。2013年から短編アニメーション映画の制作を開始し、さらに2016年からは長編アニメーション映画の制作にも着手。シー・チェンのアニメーション映画は、アヌシー国際アニメーション映画祭やオタワ国際アニメーション映画祭をはじめ、世界中の映画祭で上映されている。https://www.chenxifilm.com/