Tokyo Art Beatでは前回の個展の際にもインタビューを行っている。そのことをINAGAWAに伝えると、彼は開口一番「あの時のインタビューとは180°違うこと話すと思いますよ!」と宣言した。LAを拠点にアート活動を始め、有名ラッパーやスケートブランドとコラボレーションするなど、まさに鳴り物入りで日本に帰国したばかりだった19歳の彼と、それから4年を経て23歳になった彼が違うのは当然かもしれないが、そこまではっきりと「自分は変わった」と明言させるものとはいったいなんだろうか?【Tokyo Art Beat】
INAGAWA:4年前の東京に戻ってきたばかりの自分は正直調子にのってました。LAから帰ってきたら「萌えとストリートを融合させたヤバい奴」みたいにメディアや周囲がものすごく持ち上げてきて「あの有名人もギャラリーに見に行ってたヤバい!」みたいな状況。
それまで住んでいたサンディエゴなんてめちゃくちゃゆったりした街で、海も山もあってひとりでゆっくり考えるような環境だったから、東京のとんでもないスピード感に心がついていけなかった。だからいつしか謙虚さがなくなって「モテはじめてんじゃない?」なんて気持ちになってしまった。しょうがないですよ、19歳のガキンチョなんだから(笑)。
で、その状況に対する反骨としてパンクスやアナーキズムの要素を取り込んで、ギャラリーにいろんなものを貼ったりスプレーしたりして、とにかく自分の頭のなかの混沌をかたちにしたんです。
当時の記事のなかのINAGAWAは、学生運動風のヘルメットをかぶってほとんど素顔も明かしていない。それは周囲の状況に振り回されまいとする19歳なりの武装の姿勢だったかもしれない。それに比べると、いまの彼はオタクっぽい雄弁さはあってもどこか穏やかでもある。そして展示の空間もずいぶんシンプルなものに変化した。
INAGAWA:「結局君は何をしたいの?」と質問されてもあの頃は何にも答えられなかった。でも、突き詰めていけばLAのラッパーやスケーターたちから教わったリアルさ、つまり「本物以外は本物じゃない」ってことが大事なんだと思い出したんです。
そこに至るまではカオスでしたよ。アパレルでもなんでも、依頼があったらやってみて、そこで自分探しをして……みたいな。いちどは過去の自分を全否定するところまで行って、9万くらいフォロワーがいたインスタも消しちゃいましたから。それでもDJもやるし絵も描くし、プロデュースもするし、アニメも作る。俺を知らない人からしたら「JUN INAGAWAってマジで何やってるヤツかわからん」って感じかもしれないですけど、結局そういった全部が自分であって、それは自分が残したいと思って残されたものなんですよ。そうやって、無駄なものがすぽっと抜けたのがいまですね。
その意味では、来年アニメ化される『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』もINAGAWAのなかでは既に通り過ぎた過去の自分と言えるかもしれない。
INAGAWA:『マジデス』(『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』の略称)は自分にとっては過去の作品ではあるんですよ。だから否定したかった自分の一部でもある。アナーキーちゃんのパンクス的な部分、反骨的な部分、社会や大人に対する初期衝動の気持ちは間違いなく俺だし、いつも不安でおどおどしてるピンクちゃんもそう。突然「おっぱい!」って叫ぶようなイカれたところのあるブルーちゃんもそうで、隠しておきたい自分、俺が言えないことを代弁してくれる存在として彼女たちがいたわけです。でもアニメになって、アフレコに立ち会ったり絵コンテのあがりを見た時に、俯瞰して「めっちゃ面白い!」って新鮮な気持ちになれたんですよね。
そして落ち着いて考えてみると、いまの自分の態度は過去の自分を傷つけていると思ったんです。「なんで俺のことを否定して見捨てちゃうの?」と、過去の作品から言われてる気がして。アニメ化って機会を得たことで、自分を受け入れられた部分はかなりあります。
展覧会構成の半分が『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』のアニメ関連であるのは、そのような意味もある。では、残り半分はどうだろう? 印象的なのは繰り返し描かれるツノのような髪型の赤髪少女だ。
INAGAWA:この子はレイジちゃん。もちろん「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン」にちなんでます。いま話したように『デストロイヤーズ』のアナーキーちゃんたちといまの自分のあいだには時差がある。それをつなぐもの、過去といまを掛け合わせた存在がレイジちゃん。アナーキーちゃんよりも俯瞰した心境で描いているけれど、4年前と変わらず基本色は赤だしマット感もある。東京にいると本能的に反骨的になっちゃうのは変わらないですね(苦笑)。自分であり続けたいという確固たる意志がいまだにあるんだなと。
今回の展示の真ん中にあるインスタレーションは、自分の頭のなかのイメージをかたちにしたものなんです。このぐるぐるしたものの下に昔の自分がいるとして、ライフ・オブ・ツリーのように混沌がぐわーっ上昇していく。床面に描いたグルグルは初期衝動のアナーキーから生まれたものなんだよ、って意味。
まさに「BORN IN THE MADNESS(狂気から生まれる)」。しかし光彩のように広がるスペクトルのイメージには見覚えがある。そうだ。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』でたびたび描かれた破局の象徴のイメージではないか? そういえば、今年3月に25年越しでシリーズを完結させた『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』で描かれたのも、主人公シンジによる自己と父親の肯定・救済の物語だった。
IINAGAWA:そうなんですよ。庵野(秀明)さんの作るものって規模はとてつもなく大きいけれど、結局は自分の話じゃないですか。『シン・エヴァ』でシンジくんが成長したのを見て、涙が止まらなかったんです。「うわー庵野さん、やっと解放された!」と。ちゃんと責任を持って完結させたのが本当にかっこいい。そして『シン・エヴァ』を見て「あ、これ俺がやりたいことやん!」って思いました。過去の自分、自分が作ったキャラクターや物語を肯定しつつ次に進むのが今回の個展のテーマになっているのはそういうことです。
ここで『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』のあらすじを簡単に紹介しておこう。以下は公式サイトからの引用。
2008年──謎の勢力の出現により、アニメ、ゲーム、マンガ、音楽、鉄道、コスプレなどあらゆるオタク文化が排除された日本。グッズは収容され、保護の名のもとにオタクが弾圧されても、人々は自我を喪ったかのように疑問を持たない。秩序維持を担う組織「SSC」に蹂躙され、オタクは滅びたかに思われた――だが、封鎖されたアキバを奪還し、反旗を翻す者たちが現れる。
若き革命者「オタクヒーロー」──何よりもオタク文化を愛し、誰よりもアキバを愛する男。そして彼を慕う3人の魔法少女たち──「アナーキー」「ブルー」「ピンク」。
2011年の日本を舞台に、自由の旗のもとに集ったオタクたち――アキバ革命軍は、SSC首領「SHOBON」との壮絶な戦いに挑む。
混沌も秩序も破壊して、好きなものを好きなだけ好きといえる世界のために。
自由の旗のもとに集ったオタクたちよ、奪われた文化を取り戻すべくOTAKU COUNTER CULTUREを巻き起こせ!
「魔法少女」「オタク」という2000年代以降のアニメに顕著なメタフィクション感に、60年代の学生運動のフレーバーを足した、ある種の香ばしさを感じさせる奇妙な物語。しかし2008年、2011年という年代設定が生々しくもある。
INAGAWA:オタクが禁止されて、みんな七三分けのサラリーマンみたいになって生きてる時代が舞台です。でも自我をもって洗脳されなかったオタクたちがかろうじて生き残っていて、「好きなものは好き」と言うために立ち上がるというストーリーです。初見の人は「なんだこの話?」って戸惑うでしょうけど、まずその世界観を全面的に受け入れてもらうところから『マジデス』は始まるんです。俺たちには戦う力がないから、その力を持つ魔法少女が空から降ってこないかなあ……とクリスマスの夜に祈っていると、アナーキーちゃんたちとなんか出会っちゃうっていう(笑)。なるほどね、リアルじゃないのね、SFなのね、って。でも……。
ここからのINAGAWAの発言は物語の核心に触れる内容でもあるので割愛。けれども、『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』にはINAGAWAなりの秋葉原、そしてオタクへの愛がある。
INAGAWA:叔父さんにドライブで初めて連れていってもらった秋葉原に「なんだこの街は!?」と驚かされました。その後にLAに渡って、アニメやエロゲへの関心を深めていったんですけど、渡米したばかりの頃はアメリカでもナードやギークはバカにされるのが普通だったから、自分の好きなものを周囲には言えませんでしたね。
でも、それががらりと変わったのは『進撃の巨人』の流行。そこからアメリカでも「オタク=COOL」みたいになっていくんです。でもオタクの受け止め方が日本とはちょっと違っていて、アメリカでは知識量の大小じゃなくて、好きなものを好きと言える熱量のある奴がクールなんだって感じなんですよね。秋葉原や日本を実際には知らないからこその、変化球のオタクというか。そのマインドはストリートやスケートボードにも通じるところがあって好き。
そこからさらに時間が経って、いまのオタク界隈はめちゃくちゃ面白くなってると思うんですよ。アニメもゲームもポップカルチャーになって、ほとんどの人が普通に見るようになった。しかも『チェンソーマン』が社会現象化して、まさか藤本タツキ先生の世界がこんなに受ける時代が来るとは思ってもいませんでした。『ファイアパンチ』を読んだときに「最高! 俺たちみたいな人に寄り添ってくれてる!」と思っていた頃が遠い昔のようですね。
自分自身、そして時代。様々な変化を経験し、受け入れたところに『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』のアニメはある。前回のインタビューでINAGAWAは同作の構想を語ったが、マンガ連載やSNS上での発信のようなかたちで同作をかたちにはしてこなかった。むしろそれらを一気に飛び越えて地上波でアニメ化してしまうというミラクルを起こしてしまうところに、INAGAWAや彼の世代の作り手のユニークネスがあるだろう。
INAGAWA:監督さん、脚本家さんと関わるようになって、俺の作った世界観をかたちにしてくれることに感動しています。現場の熱量も高くて、みんなの好きが詰まっていて妥協がない。打ち合わせでもどんどん脱線して、今日は何も進まなかったねーぐらいの雰囲気(笑)。もちろんビジネスに関わってますから、きちんとやることはやるけれど、子どもの工作、図工の時間の楽しさがずっと続いている感じが最高です。
インタビューの最後に、今後の展望について聞いた。アニメ化される『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』の展開も気になるし、今回の個展で登場したレイジちゃんのその後も気になる。
INAGAWA:レイジちゃんを作った時点で気持ちは決まってまして、自分の音楽を原作にしたアニメを作りたいです。10〜12曲ぐらいで構成されたコンセプトアルバムを作って、1曲ずつがアニメの1エピソードになっている。その主人公がレイジちゃんなんです。松本零士さんが関わってダフト・パンクのMVが作られたのは有名ですけど、俺は音楽もアニメも自分で作ってしまいたい。
あとアニメの『交響詩篇エウレカセブン』が大好きなんですが、その脚本を書いてた佐藤大さんが大好きで。佐藤さんは脚本家になる前は「フロッグマンレコーズ」っていうテクノレーベルを立ち上げて、イベントなんかも主催していた。クラブとオタクのカルチャーをつないだ人でもあって、勝手に「俺みたいな人!」として親近感を持ってます。なので令和バージョンの佐藤大を目指したい。その先には、趣味的に描いているだけでまったく外には発表してないメカメカしい作品なんかもあって……辿り着くのはやっぱりロボットアニメ? そういうのもいつか実現できそうな気がしますね。
次々と膨らみ増殖していく彼の思考を追うのは楽しい。
今回発表されている作品のなかで何十人ものレイジちゃんが踊る平面作品がある。これは1960年代のアメリカで生まれた「サマー・オブ・ラブ」、そして80年代の「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の現象を参照して描かれたものだが、同じ音楽のなかで全員がてんでバラバラの感情で踊り狂う様子に、INAGAWAは思考の無限の広がりを反映させたという。彼はこう言う。
「全員がレイジちゃんなのは、自分が無限通りにいるっていうこと。思考って無限なんで、マジで。考え出したら人間はどこまででも行けるんです」。
■展覧会概要
タイトル:BORN IN THE MADNESS
アーティスト:JUN INAGAWA
会期:2022年11月19日(土)~2023年2月16日(木)
会場:DIESEL ART GALLERY(DIESEL SHIBUYA内)
住所:東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F
電話番号:03-6427-5955
開館時間:11:30 〜 21:00
休館日:不定休
ウェブサイト:https://www.diesel.co.jp/ja/art-gallery/jun_inagawa/
JUN INAGAWA × FAIROUZ AI スペシャルトークイベント
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DIESEL ART GALLERYでは、2023年に放送が決定しているオリジナルTVアニメ「魔法少女マジカルデストロイヤーズ」の原案を務めるJUN INAGAWAと、同作品のアナーキー役を務めるファイルーズあいによる、招待制のスペシャルトークイベントを開催します。
応募方法など詳細はDIESEL公式Twitterをチェック!
https://twitter.com/Diesel_Japan
■TVアニメ『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』概要
ウェブサイト:https://magical-mad.com/
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第1弾PV:https://youtu.be/jHQeJYw6yF8