公開日:2024年10月3日

「遊び」と妄想、映画『石がある』を見て考えたこと

TABのスタッフが気の向くままに更新する日記。今回は、編集部・後藤が映画『石がある』を見て思ったこと

先日、太田達成監督の映画『石がある』をポレポレ東中野で見ました。小川あんさんと、ドキュメンタリー映画『沈没家族』の監督としても知られる加納土さんが出演している本作。郊外の街を訪れた主人公と、川で水切りをしていた人物が出会い、ふたりが川の上流に向かって歩いていく過程が描かれます。

印象的なシーンはいくつもあるのですが、そのひとつがふたりが石や枝などでゲームをし始める場面。石を積み上げたり投げたり、枝を運んだり、砂を崩したりと、その場にあるものでふたりが遊び始めるのですが、自分は果たして同じ状況でこんなふうに遊べるだろうかと考えてしまいました。初対面の相手でなかったとしても、その場にあるもので独自のルールを作り、即興で遊ぶという想像力も心の余裕もないかも……と。

まったく違うベクトルで、私はアニメや漫画などの二次創作的な妄想ができない人間なのですが、人の妄想を聞いているときも、こんなに豊かな素材があるのに自分は何も浮かばない……と謎の敗北感に苛まれます。自分にとって「遊び」と「妄想」の共通点は、なんらかの頭と心のガードが下がればできるのかもしれないということ、そしてどちらも「意味のないもの」と捉えられてしまうかもしれないことなのかもしれません。この映画を見て、忙しない日々のなかで忘れかけていた、偶然に身を任せるときの身体感覚や、人間的な「生きている」という感覚を思い起こすと同時に、それは忘れかけていたのではなく、自分で感じないように無意識にシャットアウトしていただけのかもしれないと思わされました。優しい気持ちにもざわつく気持ちにもなる、心に残る作品でした。

後藤美波

後藤美波

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。