京都市の福田美術館で開かれている企画展「開館5周年記念 京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」(10月12日〜2025年1月19日)を訪れた。展示室に入ると、江戸時代中期の京都で円山応挙らと人気を分かち合っていた伊藤若冲(1716〜1800)の絵画約30点をはじめとする同時代の作品群が、心地よく出迎えてくれた。
目玉作品は、存在こそ知られていたものの数十年間表舞台から姿を消していたという若冲の絵巻物《果蔬図巻(かそずかん)》だ。欧州からの里帰り品と聞く。全長は約3メートル。84年の生涯を過ごした若冲の70代の作品とのことだ。その名のごとく”果物と野菜”(以下「果蔬」)だけが描かれており、背景は無地である。若冲には《菜蟲譜(さいちゅうふ)》(佐野市立吉澤記念美術館蔵、本展には未出品)という、やはり果物と野菜を昆虫やかえるなどの小動物と並べて同時期に描いた絵巻物があり、この時期の若冲を研究するうえで貴重な作例が追加されたことになるという。
若冲の代表作といえば《動植綵絵(どうしょくさいえ)》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵、本展には未出品)30幅だ。やはり動物と植物は、若冲がこだわり抜いた画題だったのだろう。命を尊ぶという観点からは、若冲が仏教に深く帰依していたことの表れとも見られる。植物のなかでもとくに果蔬だけがモチーフになっているところには、何かしらの思惑を感じる。
本展に出品された《果蔬図巻》における果蔬の描写は、じつに徹底している。並べて描かれた果蔬の種類はすべて異なり、計52種類。おそらくこれは現実の風景ではない。こう並べて写生すること自体がまず現実的ではない。彩りとしては、野菜が多いので緑系が大勢を占めるなかで、たとえば小さな唐辛子の赤がぴりりと画面を引き締めるなど、随所に配色の工夫がある。
日本には、異なる季節に咲く花を一枚に収めた「百花図」やたくさんの妖怪の行進の様子を収めた「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)」、さらには異なる種類の仕事をする人間を並べて描いた「職人尽絵(しょくにんづくしえ)」のような作例が多々ある。《果蔬図巻》を類する様式の作品と見ることは十分可能だろう。1枚の絵にたくさんの種類の何かが並ぶのを見ること自体が、図鑑を眺めているようで楽しい。
かなり意表を突かれるのが、描かれた52種類の果蔬の中に、若冲が生きた江戸時代中期の日本では採れなかったであろう南国のフルーツが混じっていることだ。パッションフルーツやライチ、中国ナシ、ゴーヤなどの果蔬がある。福田美術館の竹本理子副館長が理由を教えてくれた。
「若冲の家は青物問屋だったので、数々の野菜に日々囲まれていました。徳川吉宗の治世だった当時は、長崎を経由して様々な果物が輸入されており、そうしたものを目にすることもあったと思われます」
そもそも、この絵はたんなる静物画なのだろうか。若冲は果蔬を日々見たり触れたりしていただけではない。じつに多くの動植物を細密に描いた《動植綵絵》を見ればわかるように、若冲は執拗と言っていいくらいの観察眼の持ち主だった。おそらく、果蔬に接する観察の姿勢も、常人とは違っていたはずだ。果蔬は種類によって異なる風貌をしていること自体が、画家の創作心をくすぐる。さらに、40代になって引退するまで青物問屋の仕事をしていた若冲にとって果蔬は、人々が生きるための重要な糧であり、慈しみの対象でもあっただろう。一つひとつを愛でるように観察し、接し、自分の心の滋養にし、絵として表して他者にその滋養を広める。「釈迦涅槃図」という画題を果蔬に置き換えた一見パロディのような《果蔬涅槃図》(京都国立博物館蔵、本展には未出品)も若冲の重要な作例であり、果蔬を慈しむ若冲の姿勢を物語っている。
若冲が信心深い仏教徒であることを知っているからなのかもしれないが、この絵巻物に見入っていると、だんだんそれぞれの個体が仏のように見えてきた。若冲が生まれ育った青物問屋は、現在の京都市の四条烏丸からほど近い錦市場にあり、北に1時間ほど歩くと相国寺に着いた。同寺は雪舟らが訪れたことでも知られる禅宗の古刹だが、中国伝来の絵画なども多く所蔵しており、若冲はよく見に出かけていたという。
絵には画家の魂が宿るというのが、筆者の持論である。丁寧に描かれた果蔬の一つひとつに、若冲の心のなかに存在した「仏」が入れこまれたという風に《果蔬図巻》を眺めると、さらに愛おしさが増してくる。竹本さんは、「なかには傷んでいるものも描かれている。生命を描いているということです」と指摘する。生命を宿している果蔬は、ありがたくいただくことで人間の命を支える糧にもなる。
本展では、《果蔬図巻》のほかにも、同館が所蔵する若冲の作品が30点ほど出品されている。筆者が改めて魅入られたのは、鶏を水墨で描いた屏風だった。《鶏図押絵貼屏風》、若冲82歳のときの作という。
筆者が見たときは右隻が展示されており、その6つの面のそれぞれに、ポーズがまったく異なる鶏が描かれていた。《動植綵絵》のような彩色画では細密に描いているが、水墨で描いたこの屛風絵には、むしろ鶏というアクティブな動物が持つ激烈な勢いが感じられる。鶏の足元に目を向けると小さく2羽のひよこが描かれているのも、なかなか楽しい。
極彩色の鶏の絵も展示されているので、併せて紹介しておこう。若冲77歳頃の作品という《群鶏図》だ。若冲が描く鶏には雄鶏が多いというが、この絵では雄鶏だけではなく、雌鶏とひよこを描いている。鶏の親子でS字を描いているのは、若冲の構図の妙だ。
細密に描く能力のある若冲だが、鶏に限らず、水墨で描く略筆の作品には尋常ならざる魅力がある。なかでも、この馬の絵はちょっとすごいと思う。
まず、半身しか描いていないところが面白い。それなりに大きな絵であるにもかかわらず、顔をはじめとして相当な略筆で描かれており、体や足を表した太い線が、馬という動物がもともと持っているパワーを表現している。薄墨で描かれたたてがみの描写も、素晴らしい。馬が前足を上げた反動を描き出しており、全体的に動感の表現が半端ないのだ。
若冲は少々変わった動物も描いている。《霊亀図》と題されたこの絵に若冲が描いたのは、亀に似た霊獣だ。甲羅の模様を、紙の性質とにじみを利用して筋を出す「筋目描き」という若冲特有の技法で描いているのも興味深い。そして、尻尾の大ぶりなこと。画面から大きくはみ出している。それゆえ鑑賞者の頭の中で空間が大きく広がるのは、《馬図》にも通じる。
それにしても、顔がりすのようでかわいい。竜などの架空の動物や妖怪を描くことは、日本美術史のうえではしばしばあったが、こんなにかわいい霊獣を描き出すとは。家に飾りたくなる逸品である。
《乗興舟(じょうきょうしゅう)》という、白黒を反転させた少々変わった趣向の絵巻物が出品されていたので紹介しておこう。
若冲が50歳の頃、梅荘顕常(大典)という禅僧とともに淀川を下った経験をもとに、京都から大坂(大阪)までの川沿いの風景を若冲が描き、大典が短い言葉を添えていった絵巻物だ。白黒が反転しているのは、版画の技法を使っているからだが、拓本を取るときのように、版木の上に紙を置いて表から墨を載せて形を写し取るという特殊な技法で制作することによる。まるで夜景を描きだしているかのようにも見え、強いインパクトを出すことに成功している。
極彩色で細密な絵、略筆の水墨画、拓本の原理で制作した版画の技法による絵巻物など、若冲は多くの技法を試み、それぞれの特性を生かしたじつに素晴らしい作品を多く残した。おそらくは、好奇心と実験心がものすごく旺盛な画家だったのだろう。現代の人々の目をも多く楽しませてくれるゆえんである。
小川敦生
小川敦生