東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会は、現在の日本の社会・政治をめぐる問題をたびたび表面化させ、至るところで「アスリートファーストではない」という批判を巻き起こした。
では、オリパラにとってスポーツとともに重要な柱である「文化」と、それに関わるプレーヤーについてはどうだったのだろうか。オリンピック憲章の根本原則には、「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」と記されている。
シリーズ「オリパラは日本の文化芸術に何を残したのか?」では、各分野の専門家に東京大会の文化・芸術に関する側面について検証してもらい、その達成や評価、論点を、今後も大型イベントが予定されている未来に向けて残したい。
第2回は、舞踊学の研究者でダンス批評家の武藤大祐が、ダンスとスポーツの関係や、東京大会の開閉会式における踊り/ダンスについて論じる。[Tokyo Art Beat]
▶︎第1回:2020年オリパラ東京大会のデザインを振り返る(文:加島卓)
▶︎第3回:コロナ禍を乗り越えた、オリパラ文化プログラムの成果と展望(文:吉本光宏)
すでに2018年のブエノスアイレス・ユースオリンピックでも話題となったが、2024年のパリ大会から、ブレイクダンスが正式にオリンピック競技となる。正確には「ダンススポーツ」というカテゴリーの一種目という扱いなのだが、この「ダンススポーツ」という枠組は、もともと競技ダンス(社交ダンス)を国際的に取り仕切ってきた世界ダンススポーツ連盟という組織が中心となって構築したものである。したがって今後、ブレイクダンスに続いて様々なダンスがオリンピック競技に加わっていく可能性も出てきたことになる。
フィギュアスケートや新体操、アーティスティックスイミング(旧「シンクロナイズドスイミング」)など、審査に芸術点が加味される一群の競技、すなわち町田樹の表現を借りれば「アーティスティックスポーツ」の多くが、その発展過程においてダンスと深いつながりを持っている。ブレイクダンスもこのアーティスティックスポーツに近い位置に置かれるのかも知れないが、ダンスそのものがスポーツへと転換される点ではほかと大きく異なっている。
ダンス人口の増加が期待されると同時に、巨大なスポーツビジネスの枠組のなかで、ブレイクダンスを育んできた文化そのものがどんな影響を被ることになるのか、懸念も当然ある。何しろ社会的抑圧を背景として生まれ、メジャー化した現在も根本においては「カウンター」的な美学を失っていないブレイクダンスを、ひたすらスポーツとして肉体的に追求する「選手」たちとそれを後押しする産業が世界規模で拡大し、その頂点である「メダリスト」たちの超絶技巧が賞賛される時代が来るのだから。
もちろん踊り/ダンスとスポーツの境界線はつねに曖昧である。バレエであれ、サルサであれ、フラメンコであれ、踊りとしての質は身体能力と切り離すことはできないし、だからこそ他方で、過剰に技巧化したダンスが「スポーツ化」「曲芸化」と非難されるのも、古今東西の舞踊史においてありふれた話だ。そしていま世界的に流行しているストリートダンスやK-POPのカバーダンスは明らかにスポーツ化の傾向を示している。動画投稿サイトやSNS、そしてテレビのオーディション番組がダンス産業を駆動するエンジンとなって、計測しやすい指標で優劣が決せられるため、身体能力を偏重する価値観が強まっている。
こうした状況のなかで、スポーツとダンスの関係は、2024年を契機にさらに大きく動くことになるのだろうか。
オリンピック・パラリンピックといえば、開閉会式においても踊り/ダンスは重要な構成要素となる。それは時に、身体とその運動という主題をめぐって、スポーツ的なるものとダンス的なるもののコンタクトゾーンともなる。2016年リオ大会の閉会式でMIKIKO演出によるショーが青森大学男子新体操部を大々的にフィーチャーしていたことは記憶に新しい。
この意味では、東京大会の式典は非常に興味深いものがあった。オリンピックとパラリンピックを比較したとき、身体をめぐる想像力に歴然とした差が見られたからだ。
何より特筆すべきは、パラリンピック開閉会式だろう。開会式では、人の身体を、空港に発着する飛行機に見立て、「片翼の小さな飛行機」である少女の物語を主軸に据える。少女の前に、光り輝くデコトラとともにドラァグクイーン風の人物が現れ、奇抜な衣装をまとった多様な身体たちが跋扈する、奇想天外な祝祭性は魅力にあふれていた。「障がい」をクィアの美学へと転換するコンセプトは、閉会式にも引き継がれ、車椅子の王と王妃の周囲を一輪車のダンサーたちが駆け回るなど、カーニバル的で破天荒なショーが展開された。光る身体たちの運動は、生命の力強い奔流を目の当たりにするような迫力があった。
とりわけ開会式終盤に登場した森田かずよのソロダンスは忘れがたい。真っ赤に燃える広大な舞台で森田のダンスが鮮やかに表現してみせたのは、まずもって、唯一無二である彼女の身体そのものではなかったろうか。数値化を受け付けない、他との比較を絶しているという意味で、スポーツ的な価値観とは明確に異なる仕方で、身体が持つ「生」の力を肯定してみせる踊りではなかったか。
身体は「私」に固有のものであり、その身体の踊りもまた「私」に固有のものとして、固有の価値を持ち得る。国家的事業として巨大な予算を注ぎ込んで実施され、世界中の注目が集まる式典において、こうしたヴィジョンが示され、メッセージとして発せられたことの意義は計り知れない。
他方、オリンピック開閉会式は、外国にも知られている日本産コンテンツを矢継ぎ早に連発する演出で、表層的な記号の羅列に終始した。森山未來、熊谷和徳、市川海老蔵、アオイヤマダなど名だたる踊り手がそれぞれに見せ場を演じたが、踊り手の肉体から見る者の肉体へと伝わるはずのダンスが、無数の記号のひとつとして並べられることで空転している感は否めなかった。
踊りやダンスにとって脅威ともいうべき、そうした記号化が頂点に達したのが、閉会式終盤に現われた盆踊り『東京音頭』(『東京五輪音頭』でもなければ『東京五輪音頭-2020-』でもなかった)だろう。驚くべきことに、踊り手の輪とその外が照明でゾーニングされ、会場に集まった選手たちは踊りの輪に迎え入れられることもなく、ただ三々五々、振りを覚えて身内で小さく踊っていた。じつに寒々しい光景であった。誰でもすぐに覚えて参加できるところに盆踊りの良さがあるというのに、それをただ遠巻きに眺めさせるなどというのは、絵に描いた餅のようなもので、まさに踊りをエキゾティックな記号としてディスプレイしているのだ。
じつはこの点でも、オリンピックとパラリンピックの式典は対照的だった。徹頭徹尾、視覚に訴えるスペクタクル志向のオリンピック開閉会式に対して、パラリンピックのそれにおいてはオーディエンスに手拍子を求めたり、選手一人ひとりがスカイツリーの模型にシールを貼る場面など、祝祭への参加を盛んに促していたのである。
また選手入場にあたって誘導ボランティアも緩やかに振り付けられており、そのリラックスした踊りが場を盛り上げている点も目を引いた。おそらく現場ではダンスリーダーが先導したと推測するが、とにかく楽しんでいるのである。これに比べるとオリンピックの式典の誘導ボランティアは、漠然とした規則になんとなく従っているだけで、時間を持て余し、しばしば疲弊しているようにも見えた。些末なことかも知れないが、こんなところにも踊り/ダンスに対する考え方の違いがはっきりと出ている。
要約すれば、パラリンピックの式典が身体を即物的にとらえながら、我々の価値観を快活に揺さぶってきたのに対し、オリンピックのそれにおいては身体もダンスもまるで出来合いの記号でしかなく、土産品の陳列棚のようであった。オリンピックよりもパラリンピックのほうがはるかに勢いを感じるというのは、何事かを語っているだろう。つまり昨今のダンスブームにおけるダンスのスポーツ化/産業化に対して、もうひとつの潮流がはっきりと見え始めているということだ。身体の新たな概念、そして新たなダンスの概念が、魅力的なものとして結晶しつつある。ブレイクダンスが競技化する2024年までには、事態はさらに展開しているかも知れない。
踊り/ダンスとオリンピック・パラリンピックの関係を語るうえでは、もうひとつ言っておかねばならないことがある。この東京大会は、少なくとも招致の段階では、東日本大震災からの「復興五輪」と位置付けられていた。2016年のリオ大会における東京都主催のイベント「TOHOKU & TOKYO in RIO」では福島のじゃんがら念仏踊りや岩手の鬼剣舞が紹介され、以後もメディアなどで東北の郷土芸能の露出は明らかに高まっていった。
しかし2021年、東京大会の式典において様々な踊り/ダンスが登場するなか、被災地の芸能に光が当たることはなかった。とりわけオリンピック閉会式の後半、映像で紹介されたアイヌ古式舞踊、エイサーに続いて現れたのが、秋田の西馬音内盆踊りと、岐阜の郡上踊りであり、それが会場での『東京音頭』のデモンストレーションへと連なっていったとき、被災地は見事に素通りされた感があった。
「東京2020 NIPPONフェスティバル」(大会組織委員会主催)、「日本博」(文化庁主催)、「Tokyo Tokyo FESTIVAL」(東京都主催)といった、オリンピック・パラリンピックの文化プログラムにおいても大きな違いはない。「被災地復興」をテーマの一部に掲げていても、明確に被災地の芸能に焦点を当てたのは「三陸国際芸術祭2021」(「NIPPONフェスティバル」および「日本博」)のみであった。「三陸国際芸術祭」は2014年にNPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークが中心となって立ち上げ、以後、自治体などとともに毎年展開してきたもので、オリンピック・パラリンピックを契機に生まれたものではない。
2011年の震災後、筆者もこの「三陸国際芸術祭」との関わりで三陸沿岸をしばしば訪れるようになったが、そこで感銘を受けたのは、祭りや芸能と人々の暮らしの関わりの深さだった。郷土芸能の担い手は、専門家やアーティストではなく、漁師や役所勤めや会社員で、彼らの日々の生活のサイクルの中に稽古があり、祭りがある。踊りや歌や、太鼓や笛に打ち込み、切磋琢磨して、祭りで披露することを何より楽しみに生きている無数の人々によって古くからの芸能が現役で息づいている。だから、国際的に注目の集まるオリンピック・パラリンピックでそうした芸能が紹介されることは、たんなるコンテンツの供給に留まらず、被災地の人々の「生」に目を向けることになるはずだったのだ。
ここにはダンスのスポーツ化によっても、そしてラディカルな個人主義としてのクィア美学によっても救われない、もうひとつの「生」が取り残されている。個を超えた共同体の伝統としての踊りに関していえば、「復興五輪」はほぼ完全に蒸発していたということだ。
武藤大祐
武藤大祐