現代アートの世界においては、西欧中心主義的な在り方への問題意識が高まり、グローバル・サウスの存在感はますます高まっている。東南アジアに位置するタイも、アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul、1970〜)やミット・ジャイイン(Mit Jai Inn、1960〜)といったスター作家や、若手のコラクリット・アルナーノンチャイ(Korakrit Arunanondchai、1986〜)をはじめとするアーティストたちが国際的に活躍し、日本国内でもたびたび紹介されている。こうした現在へと至るタイの現代アートシーンを長年に渡って支え続け、国際的なプレゼンスを高めることに一役を買ってきたのが、アピナン・ポーサヤーナン(Apinan Poshyananda)だ。
1956年にバンコクで生まれ、イギリスのエディンバラ大学やアメリカのコーネル大学で芸術学や美術史を学び博士号を取得、アーティストとしての活動に加え、美術評論家、キュレーターとして国内外で活躍し、学術的にも、展覧会等をはじめとする実務的な側面でもタイのアートシーンに大きく貢献してきた。タイのチュラロンコン大学教授、タイ文化省の現代芸術文化事務局長、タイ現代芸術文化委員会委員長をはじめ、多数の公職を歴任した経験を持つ。2018年からバンコクで開催されている国際展「バンコク・アート・ビエンナーレ」では、最高責任者とアーティスティック・ディレクターを務めている。
今回、過去3回の「バンコク・アート・ビエンナーレ」参加作家らの作品を展示する展覧会「BETWEEN BAB」(クイーン・シリキット・ナショナル・コンベンション・センター、バンコク、3月24日〜6月30日)の会場にて、アピナンにインタビューする機会を得た。タイをはじめとするアジア各地においてアートへの助成、展覧会の企画等を行う藪本雄登を聞き手に、タイの現代アートの歩みや、国際的な立ち位置、若手への支援、政治的混乱が続く国内での展示、検閲の問題などについて話を聞いた。【Tokyo Art Beat】
──はじめに、東南アジアのアートシーンにおけるタイの国際的なポジションはどのようなものでしょうか。
タイのアートシーンを理解するためには、1990年代まで遡る必要があります。この時代におけるアジアの現代アートの盛り上がりには一貫性がなく、欧米がアジアに目を向けていたときでも、多くの場合は日本、韓国、台湾、中国しか見ていませんでした。しかしながら、1989年にポンピドゥー・センターで開催された「Magiciens de la Terre(大地の魔術師たち)」展は、芸術界をいかにミックスさせるかというヴィジョンを提示し、世界中のキュレーターたちがアジア地域に関心を持ち始めました。本展によって、タイの現代アートの先駆者として評価されているモンティエン・ブンマー(Montien Boonma、1953〜2000)のようなアーティストが、ブレイクするきっかけにもなりました。
ただ、タイに世界的な注目が集まる前から日本は、タイや東南アジアに目を向けており、アジアの現代アートに関する多くの調査や企画展等を行ってきました。国際交流基金を通した交流はもちろん、東南アジアのアートシーンにもっとも近い都市である福岡が大きな役割を果たしてきました。アジアにおいて急成長する経済の勢いも伴って、アートは、文化外交を促進するための有効なツールとして活用されてきました。これはいわゆるソフトパワー外交の始まりですが、1990年代にはその認識はまだ薄いものでした。
同時期に、ポール・キーティング政権下のオーストラリアも東南アジアの現代アートに関心を持ち始めました。これらの動きの中で、現地のアーティストたちが評価されるようになりました。
──そして、この流れのなかで、あなたもアジア・太平洋地域の現代アートを紹介する「アジア・パシフィック・トリエンナーレ」(1993)や、世界各地の国際芸術祭にもキュレーターとして招聘されていますよね。
そうですね。突然、スポットライトが東南アジアに当てられ、アーティストは学び、スキルを磨き、自分たちを宣伝するきっかけを得ました。とくに、1993年以降、タイと東南アジアが交わりはじめます。
たとえば、私は1993年にブリスベンで開催された「アジア・パシフィック・トリエンナーレ」のタイ部門でキュレーターを務める機会を得ました。また、1996年にはニューヨークのアジア・ソサエティーで開催された「Contemporary Art in Asia: Traditions/Tensions(アジアの現代美術:伝統/緊張)」展のゲスト・キュレーターを務めました。この展覧会は韓国、インド、インドネシア、フィリピン、タイの5ヶ国に焦点を当て、ニューヨークで注目を集めた結果、バンクーバーとパースを巡回し、最後には台湾で閉幕しました。アラヤー・ラートチャムルンスック(Araya Rasdjarmrearnsoo、1957〜)やモンティエン・ブンマーといったタイ人の参加アーティストたちは、国際的な地位を確立したのではないでしょうか。当時、ニューヨークは東南アジアに現代アートが存在することすら知らなかったので、アジアのアートシーンの勢いが、数々の障害を打ち破っていったのです。
現在は、アーティストの露出がずいぶん容易になり、海外のキュレーターから誘いを受ける若手のアーティストも少なくありません。しかしながら、ご存知のようにタイは国内の政治的な問題に苦しんでおり、非常に不安定な状況です。いっぽうで、多くの人々は、アートだけでなく、観光、文化遺産や娯楽などを求めて、バンコクを訪れたいと思っているはずです。タイは「安いモノ天国」でもありますからね。政治問題さえなければ、さらに発展できると言われています。とはいえ、経済的、政治的な問題があるにもかかわらず、タイのアート界は順調に成長・発展しているように感じます。
もちろん、アート・インフラは、シンガポールや日本ほど整っていないし、専門的なギャラリーやレジデンスもほとんどありません。ただ、タイは、日本と非常に長いつながりを持っています。たとえば、ワタリウム美術館のような前衛的な私立美術館、南條史生や北川フラムのような、日本のアート界キーパーソンが文化交流に関心を寄せています。
タイのアートや文化資源には、魅力的なものが数多くあると思うのですが、確かに訪れたいところを探すのは大変かもしれないですね。日本人は事前に旅の計画を立てるのが上手ですので、Tokyo Art Beatで、タイの展覧会やイベント情報等が載っていれば探しやすいですね(笑)。
──私がタイの展覧会に訪問する限り、現代アートに興味を持っている若者はかなり多そうですね。最近、タイの現代アートシーンでは何が起こっているのでしょうか。
タイ国内において、現代アートは理解しにくいと言われ続けてきましたが、最近では若者だけでなく、年配の方も展覧会場に足を運び、現代アートを楽しむようになっています。とくに、若い世代はテクノロジーが隆盛を極める時代に生まれ育ち、ヴィデオ・アートやオンラインアート、映像作品などを好んで鑑賞しているように思います。アートを通じたコミュニケーションやデザインは、タイの社会においてもとても重要な機能を果たしつつあります。
とくに、ジム・トンプソン・アートセンター(Jim Thompson Art Center)やバンコク・アート&カルチャー・センター(BACC)のような現代アートを展示するスペースには若者や子供たちにひらかれており、たくさんの人々が集まっています。プライド月間などにはLGBTQ+のイベントもたくさん開催されていたり、最近は、色々なものごとがよりオープンになってきていますね。
──ただ、タイでは美術館の役割はそれほど強くありませんよね。
はい、とても残念なことですが、そうですね。東南アジアにおける美術館の先行例としては、ナショナル・ギャラリー・シンガポールはいい例だと思います。シンガポールは、資源や遺産はあまりないと言われていますが、国としては、とてもオープンで多くの美術品をコレクションしています。インドネシア、フィリピンなどの東南アジアの優れた作品は、じつはシンガポールにありますね。
他方タイでは、タイの現代アートの歴史的な系譜を辿るためには、苦労して施設や展覧会を探さなければなりません。最近、バンコクでは、ナショナル・ギャラリーが改築されて、リニューアルオープンをしましたが、現代アートに関する展覧会はほとんど開催されていません。タイ財閥や個人コレクターらによる私立美術館は存在していますが、タイという国の規模やアーティスト数からすると、まったく十分ではないと思います。
──ちなみに、タイのアートマーケットはどうでしょうか?
個人的には、アートフェアを開催したいという強い想いはありますが、残念ながら、関税が免除されるようなフリーポートの存在がなく、開催には多くの障壁があります。アートフェアは、世界中のアート関係者や観光客を含め多くの人々を惹きつけているので良いビジネスではありますが、政府はまだその利点を理解するには至っていません。
2023年7月にパシフィコ横浜でアートフェア「東京現代」が初開催されましたね。香港でアートバーゼルを立ち上げたマグナス・レンフリューが創設に関わっています。マーケットを巡回する人々のグループがあるのがわかりますね。様々な場所において、異なったテイストの作品を販売できる可能性があるからでしょう。
──その意味では、タイのギャラリーは力強いですね。BANGKOK CITYCITY GALLERYやNova Contemporaryを含めて、多くのギャラリーが国際的なコレクターの獲得に懸命に取り組んでいると思います。この動きはどう見られますか?
Nova Contemporaryは、タイから「アートステージ・シンガポール」(2018)に出展したり、今年は「フリーズ・ソウル」(2023)の唯一のタイからの参加になりました。Nova Contemporaryに加え、BANGKOK CITYCITY GALLERY、Tang Contemporary ArtやRichard Koh Fine Artは、「アート・バーゼル香港」にも出展しています。良い方向に進んでいると思いますが、タイのギャラリーやマーケットが国際的にプレゼンスを高めるためには、もっと大きな予算を獲得して、国家レベルで展開していく必要があると想います。近年、私には徐々に理解されつつあるという実感があります。
──アピナンさんがアーティスティック・ディレクターを務め、2018年、20年、22年に開催した「バンコク・アート・ビエンナーレ(BAB)」も、国内のギャラリーを支援し、そのプロモーションを後押ししていますね。たとえば、「バンコク・アート・ビエンナーレ2022 CHAOS:CALM」では、若手ギャラリストのジラット・ラッタウォンジラクン(Jirat Ratthawongjirakul)(Gallery VER)をキュレーターとして起用しましたね。
そうですね。支援自体は間接的なものではありますが、BABのオープニングを開催する際には国際的に活躍するギャラリーやアート関係者を招待し、彼らのプロモーションやアートのエコシステム形成に役に立ちたいと思っています。とくに、シンガポールから多くのギャラリーやアートの専門家が訪れてくれています。
──このようなアピナンさんの尽力によって、世界中のギャラリーやキュレーター、アーティストたちがタイを注視していますね。
当初からのBABの計画の通りです。2018年に初めて開催された芸術祭なので、これまでと異なった切り口が必要でした。文化施設であるBACCだけでなく、街の様々な場所を展覧会場として設定しました。たとえば、ワット・ポーやワット・アルンなどの有名な寺院、サイアム・パラゴンやセントラル・ワールドといった大型ショッピングセンターでも作品を展示したのです。観光客は、タイの寺院を見に行くこともできれば、現代アートの鑑賞も可能であり、その結果、数多くの方にリーチすることができています。
「バンコク・アート・ビエンナーレ2022」では片山真理、宮島達男、チャップマン兄弟、ロバート・メイプルソープらを紹介しましたが、同時に若手アーティストも取り上げました。若い作家にチャンスを与えれば、どんどんスター候補になっていきます。コロナ禍のなか、多くの芸術祭が延期されたり、中止されたりしましたが、私たちはなんとか開催に踏み切りました。
──これまでのBABの参加作家を中心としたBAB財団のコレクションから60作品以上を展示した「BETWEEN BAB」を先ほど鑑賞しましたが、若手や中堅のアーティストの作品が数多く展示されていたのが印象的でした。アピナンさんは、BABやご自身の仕事を通して、若いアーティストをどのように応援していますか。
たとえば、BACCでは現在「アーリー・イヤーズ・プロジェクト(Early Years Project)」があります。この取り組みは、才能ある若手アーティストのネットワークを形成し、彼らの創造性、表現方法、スキルを伸ばす機会を提供することで、最終的に本格的なアーティストとしてのキャリアにつなげていくことを目的としています。
新しいアーティストを紹介してくれる大学教授もいたりして、BABでは、タイでは珍しく公募も積極的に行っています。アーティストたちの夢が詰まった(笑)、数多くのプロポーザルに目を通さなければなりませんので、正直、大変です。アーティストからプロポーザルの内容や詳細について話すことにも、多くの時間が費やされますが、若手アーティストに作品を発表する場を提供することによって、彼らが社会とつながる機会が増えればよいと思っています。
──タイにおいて、2020年から活発に行われている反政府デモは多くの若者たちが牽引していますね。そして、5月の総選挙では、若者に支持される野党が大勝しました。若い世代のなかで現在の政治体制への不満や怒りが高まっているように思います。BABは、このような時期に重なるように開催されてきましたが、政治的な思想を表現しようとする若いアーティストとともに仕事をするうえで、どのように折り合いをつけていますでしょうか。
いい質問ですね。BABが始まった2018年から2022年まで、このような状況を鑑みて、私たちは多くの面で妥協しなければならなかったのは事実です。当然ながら、政治的な問題を意識・認識していたからです。アーティストと一緒に仕事をするとき、まず最初にすることは「私たちは検閲を行わない」と伝えることです。というのも、多くのアーティストが、自己検閲をしてしまうからです。私たちは、アーティストが十分に自分自身を表現できるような方法を追求していきたいと思っています。
タイ国内には、民族、宗教や王政をめぐる様々な政治的問題があり、アーティストのみならず、タイの人々はそれをなんらかの「かたち」で表現したいと思っているはずです。そのなかには、非常に強いメッセージ性を持つ作品もありますし、そのいっぽうで抽象的で意味をとらえがたい作品もあります。アーティストは、政府や軍による検閲にも気づき始めています。というのも、若者たちが使っているSNS、とくにYouTube、TikTokやFacebookなどは何か問題や情報がアップされたら、即時に拡散されてしまうからです。
BAB2022で展示されたアリン・ルンジャーン(Arin Rungjang、1975〜)の作品のように、タイにおける軍隊や宗教に関するイメージに溢れた身体的な表現もあります。この作品を鑑賞したフランス人のキュレーターに「パリではこんな作品は展示できない」と言われました。また国立防衛大学(National Defense College)が、展覧会に学生を連れてきたことがありましたが、アーティストが、タイにおける軍や規制をテーマにしたパフォーマンスを披露し、軍人やその学生たちと対話しました。タイの為政者は、現代においては、アートや芸術の表現の面において少しずつ譲歩する必要があることを理解・認識し始めているのではないでしょうか。
また、アートは、抗議の表現手段になりえます。アリン・ルンジャーンの展示は非常に強烈で、私たちは4ヶ月間、タイの組織に立ち向かう学生たちのインタビューを上映し続けました。このような際どい作品を展示し続けるのは、問題を起こしたいのではなく、人々に「私たちは自分自身を自由に表現できるんだ」と伝えたいのです。
あと、やっぱりジェネレーションギャップも感じますよ(笑)。いまの若い世代は、とにかく「怒り」を表現したがります。私たちはそれを伝える方法を見つけようと悪戦苦闘しています。しかしながら、じつは検閲はタイだけでなくどこにでもあるでしょう。シンガポールにも、日本にも...…どこにでも存在すると思います。海外のオーディエンスやキュレーターも、タイで強烈な作品や展示を実施できることを認識し始めていますね。
──最後の質問になりますが、第4回となる2024年のバンコク・アート・ビエンナーレはどのようになっていきますか。
BAB2022について、政府の評価・審査が入りましたが、結果として、タイのアートのエコシステムの構築に貢献し、展覧会による経済効果が明らかに向上したという結論に至っています。BAB2022のデータ上は、リーチできる層も広がり、会場には100万人近く、オンラインでは1千600万人以上が訪れたとのことです。BAB2024では、「環境」と「共感」に焦点を当てたいと思っています。まだ詳細は言えないですが、そろそろ発表されるはずです(笑)(*)。ちなみに、BABは、来年のヴェネチア・ビエンナーレではパビリオンも手がけますよ!
──「光州ビエンナーレ 2023」では、今回からナショナル・パビリオンが導入されましたね。2023年12月には、3回目を迎えるタイでの国際芸術祭「タイランド・ビエンナーレ・チェンライ2023」でも、パビリオン形式の展示が行われる予定になっています。韓国とタイが、アジアにおける次のヴェネチア・ビエンナーレを目指して切磋琢磨していくのでしょうか。今日はお時間を頂き、誠にありがとうございました。
*──「バンコク・アート・ビエンナーレ2024」は2024年10月24日から2025年2月25日に開催されることが発表された。テーマは「Nurture Gaia」。参加アーティスト・コレクティヴの公募も10月28日〜11月11日にかけて行われる。詳細は公式サイトへ。https://www.bkkartbiennale.com
藪本雄登
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