昨年、Tokyo Art Beatに掲載された展覧会の数は国内だけで約9000件にものぼる。美術家の梅津庸一は、昨今の展覧会を取り巻く状況について「梅津庸一|エキシビション メーカー」展(ワタリウム美術館にて8月4日まで開催中)のステートメントで以下のように述べている。
即時性と話題性が常に求められ、みな自らの「独自性」を主張し差異化を図ることに必死だ。しかし、残念ながらその多くの営みは既存のインフラの上で平準化されたコンテンツとして消費され忘れ去られていく。そんなサイクルが固定化しつつある。無論、美術家である僕もその渦中でもがき続けてきた。
身もふたもない話で恐縮だが、この悪循環から脱するためには「作品をつくる」あるいは「展覧会をつくる」とは何か?そんな素朴で単純すぎるかもしれない問いから再出発するほかないのではないか。
そんな出発点から生まれたのが今回の「梅津庸一|エキシビション メーカー」展だ。「キュレーション」ではなく、「エキシビションメーク」。展覧会を作る意味を再考し、梅津自身が見たいと思う展覧会が実現された。
展示作品の軸となるのは、ワタリウム美術館設立以前に和多利志津子(前館長)によって集められた、金子光晴+中林忠良、猪熊弦一郎、瀧口修造、ハンス・エルニー、堀内正和、古沢岩美、桂ゆき、篠田桃紅、駒井哲郎、吉田穂高、丹阿弥丹波子らの作品。
息子であり現ディレクターの和多利浩一がこれまで取り上げてこなかった上記作家の作品群に梅津が目を通し、高松ヨク、梅沢和雄、梅沢和木、麻田浩、辻元子、佃弘樹、冨谷悦子、鈴木貴子、星川あさこ、佐藤英里子、山﨑結以、息継ぎ、土屋信子といった現在活躍中の作家の作品を並置する。こうして、光が当たってこなかった部分に目を向けることが本展に通底する姿勢だ。
展覧会は「カスケードシャワー」「眠れる実存たち」「あたらしい風」「黒く閉じて白く開くように」の4章からなる。多くの作品キャプションには作家を知るうえで基礎知識となる解説が書かれているため、それを頼りになぜそれらの作品同士が並置されているのか、関係性を読み解くことをおすすめしたい。
展覧会全体を見終わって気づくのが、出品作における版画作品の多さ。これは梅津の問題意識があるのではないか、そう話すのは参加作家の梅沢和木(梅ラボ)だ。
「版画はかつて最先端のメディアだったけど、いまでは美術史から忘却されつつある。それは美術を語る側の怠慢だという意識が梅津さんにはあると思います。版画の歴史をキュレーションを通して提示するのが今回の展覧会のテーマのひとつだと思います」(梅沢)
梅沢は本展で新作を展示。自身の父である梅沢和雄との初のコラボレーションも果たしている。じつは、銅版画のパイオニアとして知られる駒井哲郎、駒井との出会いをきっかけに銅版画の道へ進んだ人物として近年再評価される中林忠良がいるが、東京藝術大学で二人の教えを受けたのが和雄だった。展覧会構想時に資料を読むなかでこのつながりを発見した梅津が、今年4月に和木に作品出品を依頼。和木はこれらの連関を解釈した新作を発表している。
本展では明言こそされないが、カイカイキキ、カオス*ラウンジらがゼロ年代以降にかたち作ってきたムーブメントと、その影響が見られる作家の作品も紹介。その両者がかつて協働的に活動していたことなどはいまではあまり表立って取り上げられることはないが、その潮流は確実に受け継がれている。今後、版画メディアと同様に透明化されうる歴史に向き合っているのも本展の特徴だ。
このようなことからも本展は、梅津が描いた「戦後日本美術界のファミリーツリー」の一区画であると言える。鑑賞者は、美術の知識がある人であればツリーを書き換えたり、これから美術を知る人であればツリーの分岐先に加える新たな作家を見つけたり、自由な受け止め方が可能ではないだろうか。
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)