公開日:2024年3月31日

「ブランクーシ 本質を象る」(アーティゾン美術館)レポート。日本初の美術館回顧展でブランクーシの全貌を見る

出品作品はブランクーシ・エステートおよび国内外の美術館等より借用された彫刻作品約20点をはじめ、絵画作品、写真作品を加えた89点。会期は7月7日まで

会場風景より、「アトリエ」のセクション

日本の美術館で全容を紹介する初の機会

東京・京橋のアーティゾン美術館「ブランクーシ本質を象(かたど)る」が開幕した。会期は7月7日まで。担当学芸員は島本英明(アーティゾン美術館)。

コンスタンティン・ブランクーシ(1876〜1957)と言えば、マルセル・デュシャン、フェルナン・レジェ、マン・レイ、イサム・ノグチら20世紀以降の美術を形作った様々な人物との影響関係を見ることができる巨匠。だが意外にも、本個展はブランクーシの創作の全容を日本の美術館で紹介する初めての機会となる。

出品作品は、ブランクーシ・エステートおよび国内外の美術館等より借用された彫刻作品約20点をはじめ、絵画作品、写真作品を加えた89点。今回、鑑賞者が作品に集中できるように作品キャプションが置かれていない。そのため作品を取り囲む要素が極力削ぎ落とされた、洗練された空間になっている。

会場入口

ブランクーシの表現が転換した時代

展覧会は「形成期」「直彫り」「フォルム」「交流」「アトリエ」「カメラ」「鳥」のセクションで構成される。

ブランクーシはルーマニアのホビツァ生まれ。ブカレスト国立美術学校に学んだ後、20代後半でパリに渡った。「ブランクーシは、制作においていきなりモダンな方向に進むのではなくまずは制度的な美術に取り組んだ。そのど真ん中の場所として、パリに飛び込びました」(島本)。

会場風景

「形成期」から「フォルム」にかけては、活動最初期の《プライド》《苦しみ》などの彫刻作品を紹介。《苦しみ》は、少年が身をよじって苦しみを訴える様子をかたどった作品だが、《プライド》から《苦しみ》へ、その2年間のあいだにも大きな転換が見られるという。「《苦しみ》の表面は平滑で、表面への意識が見て取れます。苦しみを訴える顔の造作は明瞭ではなく、“ものとしての表面”を考え始めた作品ではないでしょうか。それにはロダンの影響もありました」(島本)。

会場風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《プライド》(1905)

本作が制作された1907年、ブランクーシは「近代彫刻の父」とも称されるオーギュスト・ロダンのもとで下彫り工として従事していたのだという。しかし1ヶ月ほどでロダンのもとを去り、自らの道を見出していく。彫刻にはいくつかの制作手法があるが、そのなかでロダンが採用する「モデリング(彫塑)」のアプローチへのアンチテーゼとして、「カービング(直彫り)」を追求していった。

ブランクーシがロダンのもとを去り、学校を離れ、直彫りを始めた頃の作品が、本展ちらしのメインビジュアルとして用いられ、アーティゾン美術館の開館記念展でも展示された人気作品《接吻》だ。

会場風景より、《接吻》(1907-10)

《接吻》の横には、眠る幼児の頭部を彫った《眠る幼児》が。眠る姿の像は、眠っていても直立させて台座があるものが一般的だったそうだが、それらをなくしてゴロンと“もの”のように見せている。こうした提示方法はブランクーシの本作が初めてだったそうだ。「この時期はブランクーシにとって重要な時期だと考えています」と、島本。プリミティブなものに関する関心が窺える《眠れるミューズ》(5月12日までの展示)と鏡面仕上げのブロンズ像《眠れるミューズⅡ》の2つのヴァージョンが見られる貴重な機会でもある。

会場風景より、《眠る幼児》(1907[1960/62鋳造])
会場風景より、《新生Ⅰ》(1920[2003鋳造])
会場風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《ミューズ》(1918[2016鋳造])

自然光がまばゆく入り込むアトリエを再現

本展で、彫刻作品と同じようにフォーカスされるのは、ブランクーシが彫刻と両輪で展開していた写真作品だ。ルーマニア時代から写真に親しんでいたが、パリでは写真を通して自分の作品をどう再現するかに神経を注ぎ、他人に任せず自分で写真を撮るようになった。

会場風景

白黒の写真からは作品のみならず、広々としてセンスの良いアトリエの様子も目に飛び込む。会場では、そんなアトリエをイメージしたセクション「アトリエ」も設られた。ブランクーシが1916年から亡くなるまで入居していたアトリエは、作品が増えるたびにどんどん拡張していき、島本学芸員のインタビューによると、「住居を兼ねたアトリエは約175㎡の広さがあり、うち約105㎡を完成した作品の展示室にして」いたのだそうだ。さらに、床、壁、作家の服、愛犬まで、あらゆるものが白く、天窓の光と呼応しあってまばゆい空間になってたというが、その自然光を再現するように、同セクションでは特殊な照明を採用。空間の照明は外の時間と同期し、朝、日中、夕方と光のニュアンスが移り変わっていく。

会場風景

「ブランクーシは生前、美術のマーケットとは距離を取り個展をパリで行ったことがありませんでした。ヨーロッパで作品を見るにはアトリエを訪ねるしかありませんでした。作品を売りたがらず手元に置き撮影し、カメラを通して何度も再解釈した。アトリエはたんなる創作の場ではなく暗室のような再創作の場であったんです」(島本)。

会場風景

ノグチ、ザツキン、デュシャンらとの交流を見る

本展ではブランクーシと影響関係にあったアーティストの作品も展示される。アシスタントを務めたというイサム・ノグチ、互いに親近感を持っていたオシップ・ザツキン、ブランクーシをニューヨークに紹介したマルセル・デュシャンらだ。

会場風景より、左からイサム・ノグチ《魚の顔 NO.2》(1983)、コンスタンティン・ブランクーシ《魚》(1924-26[1992鋳造])
会場風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《雄鶏》(1924[1972鋳造])

とくにデュシャンとの関係は濃く、デュシャンは自身のコレクターにブランクーシを紹介したり展覧会をキュレーションしたり、代理人のような役割を務めたという。「デュシャンの作品を追っていくと、どこかでブランクーシが現れる。その面白さがあります」(島本)。本展に出品されるデュシャンの《各階水道ガス完備》内にもブランクーシの作品を見ることができるそうで、ぜひ見つけてみてほしい。

会場風景より、手前からマルセル・デュシャン《各階水道ガス完備》(1959)、コンスタンティン・ブランクーシ《無限柱》(1926-27)
会場風景より

イサム・ノグチは生前、「素材を表現に従わせるのではなく、表現を素材に従わせるというアプローチ」をブランクーシから学んだと語ったそうだが、たしかに本展を見ると、重厚なブロンズがブランクーシの表現に応じて快く形を変容させているような感覚を覚える。余計な文字情報は無し。シンプルで感覚が研ぎ澄まされるような空間でその表現に存分に浸ってほしい。

会場風景

なお、本展とブランクーシのエピソードはTokyo Art Beatで公開中の学芸員インタビューが詳しい。ぜひこちらも予習・復習として読んでほしい。

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。