大分県立美術館で「朝倉文夫 生誕140周年記念 猫と巡る140年、そして現在」が開催されている。
朝倉文夫といえば、日本の近代彫刻を代表する彫刻家の一人であり、また大分県豊後大野で生まれ育った郷土のアーティストでもある。西洋由来の「彫刻/スカルプチャー」の概念への理解がいまよりずっと曖昧だった時代、そして戦前・戦中・戦後という社会もまた大きく変化した時代に生きた彼の歩みは、「彫刻とは何か? 芸術とは何か?」という大きな問いと併走するものであったとも言えよう。
だが、同時に朝倉には大の愛猫家という一面もあった。本展は、彼の人物彫刻の代表作をほぼ時系列に紹介していくが、その歴史の「大きさ」を横切り、撹乱するかのように多くの猫の彫刻が登場する。そして展示後半からは、現代のアーティスト2組の作品が登場し、彫刻と芸術の「未来形」を示唆するような構成になっている。
これらは担当学芸の宇都宮壽、出品作家の安部泰輔とザ・キャビンカンパニー(阿部健太朗、吉岡紗希)、建築の塩塚隆生アトリエ(塩塚隆生、古庄恵子)、グラフィックデザイナーの長門敦、WEBデザイナーの木ノ下結理という、美術館内外のチームで構想したものだ。
会場に入ってまず驚くのが、巨大な回廊のような展示室だ。手前から奥へと朝倉の人物彫刻が並び、胸像や猫は床面パネルがそのまま迫り出したような台座の上に配置されているのを一望することができる。アートファンであれば、2012年にフランス北部のランスに建設されたルーヴル美術館分館を思い出すかもしれない。同館の常設展示室「時のギャラリー」が絵画や彫刻を時系列に並べることで、時代のダイナミックな変遷を可視化したのと同じように、この空間は朝倉にとっての彫刻の歴史を可視化している。
例えば《進化》(1907)は、24歳頃の作品。1859年に刊行されたダーウィンの『種の起源』に代表される進化論の発展、また1904年に進化論の解説書として発行された『進化論講和』に影響を受けたという同作は、一枚の布をかぶった原始人のような男女の振る舞いの差異を通して、文明化に対する好奇心や畏れを(朝倉なりの視点で)表現している。
また、「転換期における最初の作として、一番思出の深い作品」と本人も述懐する《墓守》(1910)は、彼のもっとも重要な作品と言えるだろう。
俳句や文学に関心を持ち、正岡子規の弟子になるために上京した朝倉は、子規の病死や彫刻家として活躍する実兄の影響によって、半ば衝動的に彫刻への道を選ぶ。だが、東京美術学校3年生という若さで海軍省が主催したコンペではいきなり一等を獲得。その2年後には文部省美術展覧会(文展)で最高賞を受賞。24歳の若さでアトリエを持ち、歳上の子弟を指導していたというのだから、その才能の早熟さがわかるだろう。
しかし、だからこそ「彫刻とは何か?」という朝倉の自問は深かったかもしれない。《墓守》以前の自作を、「自然を自然の通りに現すのでは満足できず(略)何かもっと他の要因を盛った」ものとして批判し、作品を自身の主観に寄せて制作する、近代的な精神性の限界を痛感していたようだ。
美術学校の通学途中に、毎日のように目視していた老人を7年越しでモデルに選んだ《墓守》の制作で、朝倉は自身の思想ばかりを先走るのではなく、愚直に対象を写し取る「自然主義的写実」へと至る。将棋好きの老人が、眼前で指されている将棋を見て微笑んでいる姿を作り上げた同作は、文展で2等を受賞。その後も、技巧の先に作品の思想性が立ち上がっていくという「技巧即思想」の考えを軸として、彼は栄光あるキャリアを築いていった。
……というのが、「美術」が語りたがる朝倉文夫の「正史」だとすれば、そこにふにゃんと柔らかに介入してくるのが猫たちだ。
朝倉の猫好きは有名だ。多いときには19匹もの猫を自邸で飼っていた彼は、その生涯で58点もの猫の作品を残している(わずかだが犬の彫刻も作った)。81歳で亡くなった1964年も、自身の彫刻家生活60周年と東京オリンピックに合わせて100体の猫が勢揃いする「猫百態」展の開催に熱心だったというのだからすごい。「猫はだいたいわかるが人体はまだわからないところがあるんだ。」という本人のコメントも、猫を知りすぎている感じがしてすごい。
美術評論においても卓抜した業績を残した彫刻家・高村光太郎に「此の猫は、彫刻を彫刻として扱ったところに愉快な所がある」と評されつつも、「彫刻のありがたみは圖題では無い(略)やはり、猫が面白くて猫を作ったのだと思われる」など、総じて手厳しく批評された《猫(吊された猫)》(1909)は、当時の朝倉の彫刻家としての煩悶も反映された重要作だが、翌年発表した《墓守》を経て、朝倉の猫は《産後の猫》(1911)や《猫(金メタリコン)》(1914)、《たま(好日)》(1930)のように、指跡やへらの削り跡を残さない、つるりとしたきめ細やかさが目立ってくる。逆に、今回展示されている猫を見るかぎり、猫を表現する柔らかさがなりを潜めて見えるのは晩年の《愛猫病めり》(1958)だが、そこに猫とともに生きた朝倉の悲しみの感情を読み取ることもできるだろうか。
猫は展示方法も面白い。展示構成・空間デザインなどを担当した大分市内に拠点を置く塩塚隆生アトリエによる台座の一部には、来場者が腰掛けて休憩することもできる。座ってあたりを見回すと、気持ちよさそうに背伸びをしたり、ねずみを獲って飼い主に報告するような猫と目線が合ったりする。場内は撮影OKなので、猫とツーショットを撮ることもできるし、猫のかわいらしさをとらえた写真撮影にこだわることもできる。近代彫刻の展覧会という「かたい」題材を「やわらかく」する工夫が随所にこらされているのも本展の特徴だ。
後半、朝倉と猫を軸としてきた展覧会に新たな要素が加わる。大分を拠点とする現代のアーティスト、安部泰輔とザ・キャビンカンパニーが朝倉にオマージュを捧げた新作が並んでいる。
古着やハギレを使ったソフトスカルプチャーを手掛ける安部は、美術館1階のアトリウムで、来場者が描いた絵をぬいぐるみにするワークショップ工房をオープン。会期中、毎日公開制作を行い、地元の人々から寄せられた古着で作った「森」に作品を増やし続けている。また、会場内では朝倉の猫作品の隣に、その作品を五面図化して刺繍にした《ネコバッグ》(2023)を展示している。
安部 大分で生まれ育ったので幼い頃から朝倉文夫の作品は身近でした。今回の展覧会のためにあらためて作品を見直しましたが、朝倉さんはやっぱり巧い。でも彫刻に『触れない』ってことは、作品の魅力や意味を半減させてしまうんですよね。そこで立体的に対象をとらえた五面図を通して、実際に触ったかのように見る経験、平面と立体を行き来するような経験を示したいと思いました。
全国の美術館や芸術祭でソフトスカルプチャーを使ったワークショップを多数手掛ける安部にとって、美術館に収められたアートをパブリック化することは重要なテーマだ。トートバッグでもある今回の《ネコバッグ》は美術館の展示作である限りは触ることはできないが、「見る」ことでそれを代替させるアイデアはいかにも安部らしい。また、ところどころに配置された監視員の座席をよく見てみると、その下には安部手作りの資料入れが置かれているのに気づくだろう。これもアートをパブリック化する「たくらみ」の一つだ。
猫と《ネコバッグ》が共生する林(?)を抜けると現れるのが、ザ・キャビンカンパニーによる巨大な作品《明日の門》(2023)だ。ユニットメンバーの阿部健太朗と吉岡紗希は、同作について以下のコメントを寄せている。
平成の始まりと共に大分県で生まれ育った私達にとって、朝倉文夫の彫刻は日常に溶け込む当たり前の風景である。遊歩公園を歩けば「滝廉太郎君像」に出会い、市民図書館に行けば「生誕」を見上げる。
長年、風景と化していた、この当たり前の彫刻達は、朝倉文夫生誕140周年記念展への依頼が来たときに、初めて私達の前に意思を持って立ちはだかってきた。
いがぐり頭の少年とおかっぱの少女が互いに手を差し出しあっているような作品は、彫刻であると同時に来場者を会場の外に見送るための門だ。ザ・キャビンカンパニーが言うように、大分県立美術館の周辺や市内には数多くの朝倉による野外彫刻があり、その意味でこの展覧会は、美術館のなかだけでは終わらずその外にも広がっていこうとする意思を示している。
朝倉文夫の人生からは、たとえば藤田嗣治らのように直接的な戦争協力によって(一時的に)名声と活躍の場を失った戦時下の芸術家とは違い、国や権力と繊細に距離を置きながらも、しかしその恩恵を受けなかったとは到底言い切れない、鵺(ぬえ)のような一面が見えてくる。早稲田大学の《大隈重信像》(1932)の知名度や、島津斉彬を祀る照国神社の《島津三代の銅像》(1917)の制作で15万円(現在の価格で13〜15億円)を得たというエピソードなどからは、規格外の芸術家像が垣間見える。
本展図録に論考を寄せている宗像健一(朝倉文夫記念館 館長)は、註釈のなかで「文夫における『猫』は、あるいは西欧の印象派におけるモネの『睡蓮』、モネやミレーの『積み藁』等に当たるような存在であったのではないか」と記している。これらの作品は絵画に対する批評性というより、純粋に「描きたいから描いた」ものとして理解できるが、朝倉にとっての「猫」とは、大芸術家としての朝倉をそれとは別の場所に連れ出していくような役割を担っていたのかもしれない……というのは穿ちすぎた推測だろうか?
今日「パブリック(公共)」が意味するものは広く、また多義的である。歴史的に制度や権威の側に属さざるをえないが、いっぽうで予算不足や社会潮流との乖離にも悩み続ける公立美術館を、内実を伴うかたちで「パブリックにひらく」ことの難しさは並大抵ではない。
しかし、だからこそ140年前に生まれた朝倉文夫と猫と現代のアーティストを併走させ、さらに街へと飛び出していくことを続ける意味はあるだろう。本展が展示室を巨大な回廊に見立てているのは、美術史的なものへの目配せだけではないはずだ。