私たちの外にある場所は危険で陰鬱な場所になっていった。天災には高い人工堤防を。人災には兵器を携え、国や人種、土地の外側に対して緊張し、現在も多くの民間人が犠牲になっている。「外は危ない」というとき、いつも外での活動を支えていたのは「集まり」だったのではないだろうか。それは時にデモや演劇の場になり、空き地や土手での遊びの場にもなった。この私たち個の集まりと外にある公共空間はつねに関係し向き合ってきたように見える。
2024年4月26日、愛知県豊田市で「豊田市博物館」がオープンを迎えた。2019年のプロポーザルを経て選定された坂茂建築設計が新築工事の設計者としてプロジェクトを進めてきた。館長を務めるのは豊田市美術館前館長の村田眞宏。本博物館のコンセプトには 「すべての人に開かれた『みんなでつくりつづける博物館』」とある。
いま、求められる公共空間について最新の博物館建築から考えてみたい。
設計者選定プロポーザルでの提案書は公開されていないが、審査会の選考委員長を務めた五十嵐太郎の総評やレクチャー動画から、設計が評価されたポイントやこの建築の肝が見えてくる。
まず、敷地に隣接するのは豊田市美術館であること。ニューヨーク近代美術館(MoMA)をはじめ世界的な建築の設計を担ってきた谷口吉生(谷口建築設計研究所)による同館は、ランドスケープ・アーキテクト、ピーター・ウォーカーとの協働によるランドスケープも含め20世紀を代表する建築だろう。
同様の事例に、近代では旧広島県産業奨励館(原爆ドーム)との関係を解いた丹下健三による平和記念公園、資料館があり、最近では、計画事例として谷口吉生設計の東山魁夷館に隣接した、プランツアソシエイツ設計で建てられた長野県立美術館も記憶に新しい。つねに建築家はその起源より都市や外と向き合い、建築のスケールを超えてすでにそこにあるものをかたちに表出し導いてきた。
博物館は、城跡だった高台に建つ豊田東高等学校跡地が計画地となり建てられた。廃校となった校舎は高嶺格によるプールでの作品が印象的だった「あいちトリエンナーレ2019」、とよた市民アートプロジェクト「Recasting Club(リキャスティング・クラブ)」の会場として変化し、多くの来場者が経験した土地でもあるだろう。計画地の南側にある豊田市美術館とのあいだには大きな高低差があり、このレベルや高台へのアプローチに対する配慮は計画においても大きなポイントとなった。
本計画において坂茂建築設計はピーター・ウォーカーをはじめサイン・照明計画で、豊田市美術館と同じ設計メンバーと協働・再演。美術館とつながる対の建築として博物館を成立させる提案を行い、メディアでも話題となっている。
南北のアプローチや駐車スペースは既存の状況、地形を最大限利用した計画となっており、緩やかにカーブした広場に至るスロープには駐車スペース、歩行者動線を備える。
擁壁沿いに広場へ至ると造形的な柱と格子梁による木造のエントランスが目に入る。
博物館は異なる構造形式の4つのボリュームが集まったような構成であり、敷地東側に寄せて美術館と並ぶように配置されている。
美術館側との高低差に対しては2つのレベルの広場・ウッドデッキを設け、建物内外でつないでいく計画を採用している。とくに「敷地を訪れたとき、この2つの敷地を1体のミュージアムゾーンとして美術館と直線状に並列に配置させ、しかも美術館のファサードとプロポーションをある程度揃えることにした」と坂茂が語るように、木造部分のルーフレベルは広場に面した美術館の壁柱のある庇レベルと同等の高さに合わせ決定された。
建物外部のプランターを兼ねた2つの広場をつなぐ基壇を上がる。
2Fの庭園には、美術館の計画と同じくラクウショウら同種の樹種が等間隔に植えられ、ストライプ状の地面が奥行きをつくる。縁には瀬戸内産の花崗岩が敷かれ受け止め、美術館の庭園と相似形を意図していることがわかる。
中心にはヘンリー・ムーアの彫刻が配置されている。
一度、エントランスに戻り建築内部を内覧する。
えんにち空間
エントランスに入ると基本計画から踏襲した豊田市の未来に出会い、「えんにち空間」と呼ばれる木とガラスの大空間が目に入る。短手約6m、長手約9mピッチの柱間で、高さ約9m、豊田市産のスギ集成材を束ねた柱と格子梁によって構成される。
常設展示室
ホールから「とよたの自然と人々の営み」をテーマにした常設展示室へ入る。
2Fへのスロープとそれに沿った開口部に囲まれた吹き抜けの白い空間には、豊田の自然・人文資料がディスプレイされたロの字型の巨大な展示棚が配置されている。常設展示部分の耐震コアとしても機能する展示棚には市民が使っていた日用品や工芸品が並ぶ。
展示壁を回り込むように進むと記憶をテーマにした黒い展示空間に入り、展示棚沿いに豊田市のジオラマや初代カローラなど豊田市をつくってきたモノやストーリーを見ながらスロープを進む。展示室全体を俯瞰しながら、竹林越しに市街地、山並みの風景へと視線が誘導される。
隣接する豊田市美術館の設計者である谷口吉生は、テキストの中で
共通する設計方針としては、観客動線を変化する視覚の連鎖としてとらえることである。観客の視線は、移動するにつれてあるときは展示作品に集中し、またあるときは建築や外部の景観などへと移り変わる。
(新建築 1996年1月号 p.124)
とこれまでの美術館・博物館設計について振り返っている。
外部から展示室へ入ってくる光は収蔵品・展示物保護の観点から慎重に扱わなければいけないが、企画展示室と一部の空間以外は自然光が入りこむ空間が実現された。
みんなの研究室
螺旋状のスロープをあがると、2層分の展示棚の正体が現れる。
収蔵庫とは別に市民や学芸員が使う解放された収蔵スペースを持つブラウジング・ライブラリーエリアとして機能する。事前のレクチャーを受ければ訪れた来場者が収蔵品に直接接することができる魅力的なエリアだ。
2Fホール周り
常設展示エリアを抜けて木造のえんにち空間2Fに入ると美術館側に庭園がつながる様子がよくみえる。
これまでの坂茂建築と同様にミュージアムカフェをはじめ、至る所に坂のアイコンである紙菅を使ったインテリアと什器が置かれている。
企画展示室
1Fへ大階段を降りる。企画展示室の黒い空間に入ると、これまでの建築設計についての資料や歴史に関する企画展示が行われている。加えて坂茂氏らによる「紙の間仕切りシステム」での被災地支援に関連したウクライナの難民の詩が展示されている。
2つの広場の高低差に沿って配置されたセミナールーム、体験室等のボリュームを抜けると「とよはくアクアリウム」がある。
建物内を一周し外へ出る。広場を介して敷地西側には移築された民家や土蔵等の屋外展示、自然体験ゾーンが配置されており、移築というかたちで残る貴重な営みのレガシーだろう。
ここまで、新博物館をレポートしてきた。現在も議論が絶えないが、公共事業、建築に向けられる国民からの目は厳しい。いわゆる「ハコモノ」建築と呼ばれるものだ。一部の人だけが利用するのではない「博物館」の役割も2022年の法改正で少なからず変わりつつある。新博物館のテーマにある「つくり続ける」とはモノや人が関わり、集まる場所への入口を最大化しこの博物館を育てていくビジョンが垣間見える。
いっぽうで、坂は「これからの公共建築のあり方として、災害時の防災拠点となる機能が必要」と語り、環境水準を満たし災害時に自立機能する建築を目指した。思えば東日本大震災や新型コロナウイルスのパンデミックを経て外での私たちの生活は脅かされた。これは日本だけの議論ではないだろう。そんなことを考えながら、企画展示室で見た詩を一部紹介する。
私の家のバルコニーは、朝一番に太陽の光をみることができ、
鳥の鳴き声を聞くことができた。
バルコニーは居心地が良くて好きだった。
今となっては、バルコニーは家の中で最も危険な場所である...
(「ペーパー・サンクチュアリ -ウクライナ難民の現実と詩」展より)
疫病が流行った近代、保険衛生上の空地(サニタリ・グリーン)として都市のオープンスペース、緑地は法のもと便宜上つくられ、配慮のない誰もが日常的に集えない公共空間になったという。21世紀になってもそれはさほど変わらないのではないか。建築は外での集まりを許容するみんなの場所になり得るだろうか。新たな博物館が標榜する、鑑賞者とともに「つくり続ける」態度にこれからも注目したい。
内覧と撮影を終えて豊田市美術館の庭園を回り、博物館側へ振り返る。これまでみえなかった風景が現れた瞬間だった。
桂川大
桂川大