公開日:2022年11月14日

生きて帰ってこれるのか……? ラフティング×アートの新体験「芸術激流」体当たりレポート

村田峰紀、柴田祐輔、大石将紀、和田昌宏、黄金世代(永畑智大・有賀慎吾・酒井貴史)、キンマキ、赤池奈津希、篠田太郎、青木野枝、新人Hソケリッサ!、吉増剛造、川合玉堂が出展

赤池奈津希によるペインティング

レター from 芸術激流

不思議なお便りが届いた。レターパックに入っていたのは、顔が書かれた石、パッキングされたTシャツ、説明書や誓約書の混ざった紙の束。奥多摩の川をラフティングしながら下り、一緒にアートも見てしまおうという破天荒なプロジェクト「芸術激流」から贈られた、参加者へのお知らせである。

芸術激流から届いたお便り。パッキングされたTシャツやチラシ、入場チケット代わりの石などが入っていた
石が入場券

およそスポーツに縁のない筆者はラフティングのことをロクに知らない。最初このプロジェクトについて知ったときは広報用画像に下の一枚が混ざっていたので、

チラシ制作風景

「からだひとつで川を流されるのかよ! ラフティングやべえなwww」と、感情をたかぶらせたものだが、これが出品作家である吉増剛造の作品をあしらったチラシを作るための作業風景と知って安堵していたのだった(これはこれでクレイジーなチラシの作り方であるが。送られたレターパックのなかにはこのチラシも同封されていた)。

そうして芽生えた「いくら企画者がアーティストの思いつきで寿司屋を開店させるプロジェクトなどを手掛けてきたアートセンター オンゴーイングそして国立奥多摩美術館とその周辺のアーティストであっても、さすがに命にかかわることはしないよね」という安心感は、やがて筆者の脳内において、ラフティングを下の画像くらいのソフトなイメージに誤変換させていくのだった。

ラフティング初心者の脳内イメージ

しかしである。参加者に事前に送付されたメールにリンクされた講習動画を観た筆者は、あらためてこの企画の尋常でなさを思い知らされた。

参加者のみにシェアされたYouTube「芸術激流 ラフティング講座 あるいは地を泳ぐ蛇たち」より
参加者のみにシェアされたYouTube「芸術激流 ラフティング講座 あるいは地を泳ぐ蛇たち」より
参加者のみにシェアされたYouTube「芸術激流 ラフティング講座 あるいは地を泳ぐ蛇たち」より
参加者のみにシェアされたYouTube「芸術激流 ラフティング講座 あるいは地を泳ぐ蛇たち」より

国立奥多摩美術館館長で美術家の佐塚真啓による体当たりの講習。もしも落水したら「ラッコ! ラッコ!」と叫び、下流に足を向けて浮かぶことを意識して助けを求めるべし。メガネ着用者は顔からメガネが吹っ飛ばされないように気を付けよ……などの生存のためのHOW TOが次々と紹介される。運動神経ゼロの筆者は、あらためて「とんでもないプロジェクトに申し込んでしまった」と猛烈に後悔しはじめていた。

そして激流へ……

緊張をみなぎらせたまま迎えた当日の朝。会場である奥多摩は遠い。立川から高尾方面行きの中央線に乗り換え、さらに西へと小一時間。車窓に見える街並は、やがて緑豊かな山の景色へと移り変わっていく。おまけに、この日は青梅駅での線路切り替え工事と重なり、河辺駅から日向和田駅間が終日運休。そのために振替バスに乗り換える必要があるなど、いつも以上に時間のかかる経路となっている。

また、この日のために東京近郊からかき集められた様々な型式のバスが振替区間に集結する状況はきわめてレアとのことで、駅周辺には鉄道ファンorバスファンと思しき人々がカメラを携えて集まっている。趣味の喜びに沸くかれらの高揚感と、落水する想像で朝からずっとナーバスな筆者の落差よ……。

御嶽駅

ようやく目的地の御嶽駅に到着。ここから徒歩1分ほどの場所にある「みたけレースラフティングクラブ」が集合場所だ。それぞれの体型に合わせてウェットスーツ、ヘルメット、パドルが支給され、ボートごとに8人程度のグループに分けられる。

スタッフの案内でボートに向かう参加者たち 撮影:赤石隆明(以下、明記のない掲載写真はすべて赤石によるもの)

各ボートにはラフティングクラブ所属のガイドがひとりずつ同船し、かれらの掛け声に合わせてパドルを漕いだり、身体をボート内に伏せたりすることになる。大事なのは乗船者全員の気持ちがひとつになることだが、プロフェッショナルのガイドがリードしてくれることに少しずつ安心感が高まってくる。なんとか生きて帰って来れるかもしれない。さあ、出航だ!!!

安全講習をしてくれるガイドさん。頼もしい
しかしスーツ姿の館長は死神のよう。不安

川から見る作品たち

陽気な館長に見送られ、我々は激流へと漕ぎ出す。最初の流れはゆるやかだ。しかし岩場にさしかかったりすると、不規則な水の流れがボートを激しく揺さぶる。さらに、水上からは見えない水中の高低差もあって、乱気流で上下する飛行機のような落下もしばしば。そのつど「わあ!」「ぎゃあ!」と大声を上げる我々だが、このスリル、けっこう楽しいかもしれない。

ラフティングと共に作品を見るのが芸術激流の趣旨だが、スタート直後からいくつもの作品が登場する。

キンマキによる布に描いたドローイング。彼女の作品はコース前半でたびたび登場
一心不乱にパドルで水をかく村田峰紀。乗船者から「彼は地球を漕いでるんですよ!」と名言も飛び出す

筆者のボートにはアーティストたちと親しい乗船者がいることもあって、かれらに遭遇するたびに「キンマキ!」「みねきみねき!」とみんなで連呼するのが楽しい。歌舞伎における「成田屋!」「音羽屋!」の掛け声のテンションに近い。

さらに川を下ると、儀式めいたことをする怪しげな集団が。

トライブ感をやたらと醸し出しているのは、
黄金世代(永畑智大・酒井貴史・有賀慎吾)だ! そしてかれらの背後にはまったく無関係の一般人たち

永畑智大酒井貴史有賀慎吾が結成した「黄金世代」のパフォーマンスも気になるが、休日を楽しむためにやってきたであろう背後の一般人も気になる。アーティストの悪ふざけに困惑しつつも、けっして怒っているようには見えない(たぶん)おおらかな雰囲気は、奥多摩の自然の豊かさによるものかもしれない。自然との関わりは、すべての人を開放的で寛容な気持ちにさせてくれる。

キンマキ村田峰紀、黄金世代との数十秒の邂逅(川の流れがなにしろはやい!)を経て、ボートは次なる作品へ。よく見えないが、台座に飾られているのは……日本画……か?

めちゃくちゃ遠くて小さい

「ぎょくどー! ぎょくどー!」という乗船者からの声。そうだ。芸術激流には、御岳渓谷沿いにある日本画家・川合玉堂の作品を多数収蔵した玉堂美術館も参加しているのだった。アーティストの制作スタジオとして機能してきた国立奥多摩美術館にとって、これまでの地域との交流は積極的に交わされるものではなかった。かれらにとって芸術激流はラフティングクラブや美術館といったご近所さんとのかかわりしろを作る契機でもあって、その一環として異例ともいえる玉堂作品の出品が実現したのだ。

日本画が外に展示されるという意外性や作品との一瞬の出合いには、経験としての忘れ難さがあった。もしも二度目の芸術激流があるなら、ぜひまた参加してほしいと思った。

また、玉堂の少し先には、先日急逝した篠田太郎の作品も展開されていた。「そこにある風景をただ見る」という作品は、いわゆる「展示」とは異なるアイデアにもとづいているが、造園家としての経験から現代美術の世界に足を踏み出した篠田の思想に触れるものでもある。ボートをしばし川面に止め、我々は川と山の風景をただ眺めるのだった。

下見に訪れた篠田太郎は「姫岩」と呼ばれる岩のある風景に「これいいかも」と呟いたという

ゆるやかに自然と芸術が絡まり合っていく

芸術激流には、川の流れを演劇的に用いた作品もある。和田昌宏は上流から下流へと計3つのしかけを用意した。我々が最初に遭遇したのは、年若い釣り客の男性。

和田昌宏の作品の一部。釣り客の男性が「就職が決まったよ!」と呼びかけてくる
中年期。奥多摩に来てまでスマホに夢中の娘に人生の哀愁を感じる
初老期は川の清掃活動に勤しむ。リアルすぎて本物のボランティアかと思うほど

他の作家たちの作品を挟みながらボートが進んでいくと、各所で似たようなチェックのシャツを着た男性が登場し、どうやらその人は次第に年をとっていくようだ。スマホばかりいじる思春期の娘と気張って釣りに来た父親の姿に、思わずグッとくる。美空ひばりが歌った「川の流れのように」ではないが、人生とは過去に遡ることのできない川のようなものなのかもしれない。

和田の作品に顕著だが、芸術激流では作品と、作品ではない現実の境界がおそろしく曖昧になる瞬間が何度も訪れる。柴田祐輔の作品が、廃ホテルのような立体彫刻であるのは明らかだが、その横で客引きするような女性が作品の一部なのかも定かではない。

柴田祐輔の作品 with 謎の女性
そこはかとないJホラー感

壁を人力で登攀するボルダリングに適した大岩がある御岳渓谷では、その練習に打ち込む大小のグループを何度も見かけるが「ひょっとしてこれも作品?」と疑わしい気持ちにどんどんなっていく。だからサックス奏者である大石将紀も、都会の喧騒を離れて川辺で楽器の演奏をする人のようにも見えてきたりするから困る(困らないが)。

大石将紀。京都の鴨川だったら、楽器の自主練はよく見かける風景

もちろん「これぞ作品!」と確信させるものもあって、青木野枝の鉄の彫刻は、その有機的なシルエットが自然物の生成変化を想起させつつも、たしかな人為の造作物としてそこに在ることを伝える。赤池奈津希の絵画も同様で、本来ここにあるのはおかしいはずの巨大なキャンバスが参加者たちの目を奪う。

青木野枝の彫刻。いくつかのパーツに分割して、ここまで運んできたというのだから驚く
赤池奈津希のペインティング。モデルは眠る館長・佐塚真啓

コースの前半には多数の作品を配置し、川の流れが緩やかになる後半は奥多摩の自然が主役となるような構成が心地よい。そして実質的な最後の作品として登場するのが、新人Hソケリッサ!のダンスだ。

ダンサー・コレオグラファーのアオキ裕キ路上生活経験者たちで結成された異色のコンテンポラリーダンスカンパニーは、広く平坦な川べりで、まるで天にいるなにものかへと奉じるような所作でダンスを踊る。

新人Hソケリッサ!
フリースタイルに踊るメンバーたち

複数人のパフォーマンスという意味では、前半の黄金時代とも通じるが、大きく開けた風景をバックにけっして技巧的ではない踊りに興じるかれらの姿に、筆者は「にんげん」を見た気がする。じょじょに柔らかくなってくる午後から夕方の太陽光のなかのかれらは、ただただ尊く、ただただ美しい。

激流を生きのびて

約1時間ほどの川の旅を経て、芸術激流は終わった。最後はスタッフが運転する車に乗って、国立奥多摩美術館へ。設らえられたパーティー会場には、吉増剛造の詩やプロジェクトの関連資料・作品も展示されていた。

国立奥多摩美術館 撮影:島貫泰介

「激流」を下りながら「芸術」に触れるという、いかにも破天荒なプロジェクトが芸術激流だが、コースの前半から後半へと移り変わっていく緩急の巧みさや、作品と自然の関わり方の妙味など、アーティストが主体になっているからこそ実現できる完成度の高さ、繊細さに満ちた体験であった。

かといってひたすらに安全・安心なだけではなく、急な流れの変化や大きな揺れがもたらす情動に、都市空間ではほとんど感じることのない「生きている」という実感を抱かされる瞬間もたびたびあって、筆者は九州・国東半島の奇祭「ケベス祭り」の経験を思い出した。ケベス祭りは、密集状態の観客に無数の火の玉が投げ込まれる阿鼻叫喚の奇祭としてアート関係者にもファンが多いが、ケベスが火の祭りだとすれば、芸術激流は水の祭りとも形容できるだろう。

例えば「ケ」と呼ばれるような非日常の経験は、芸術が社会にもたらす重要なインパクトだが、本当に心が震えるような経験を感じる機会は今日においてきわめて稀だ。もし芸術激流が日本の公立美術館や公的機関がかかわる事業であったならばコンプライアンスや安全面で実現できないことはたくさんあったはずで、これを実現したアーティストたちを心からリスペクトしたい。

奇跡的なバランスで成立した芸術激流。それを体験できた人数は、おそらく100人に満たないはずだが、このような時間と空間を必要とする人は多くいるはずだ。アーティストたちが生み出した「激流」に絶対にまた出合いたい。

キンマキのドローイング

芸術激流

会場:多摩川(御岳園〜軍畑大橋)、国立奥多摩美術館
会期:2022年10月15日(午前の部:10:00、午後の部:13:00)
出品作家:村田峰紀、柴田祐輔、大石将紀、和田昌宏、黄金世代(永畑智大・有賀慎吾・酒井貴史)、キンマキ、赤池奈津希、篠田太郎、青木野枝、新人Hソケリッサ!、吉増剛造、川合玉堂
https://moao.jp/

島貫泰介

島貫泰介

美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。京都・別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』をスタートした。19年には捩子ぴじん(ダンサー)、三枝愛(美術家)とコレクティブリサーチグループを結成。21年よりチーム名を「禹歩(u-ho)」に変え、展示、上演、エディトリアルなど、多様なかたちでのリサーチとアウトプットを継続している。