公開日:2023年7月15日

「デイヴィッド・ホックニー展」(東京都現代美術館)レポート。世界的人気を誇る巨匠が、コロナ禍以降の世界に示す明るい光

初期作からiPad絵画、全長90mの新作まで。ホックニーの27年ぶりの日本個展

春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年 2011 デイヴィッド・ホックニー財団(右4点) ©︎ David Hockney

ホックニーの人生をたどる大規模個展が開幕

東京都現代美術館で、「デイヴィッド・ホックニー展」が開幕した。会期は7月15日から11月5日。60年以上にわたり「イメージ」と対峙し革新的な表現を展開してきたアーティスト、デイヴィッド・ホックニー(1937年イギリス生まれ)の日本では27年ぶりとなる大規模な個展だ。

本展ではイギリス各地とアメリカ・ロサンゼルスで制作された作品、そして近年の風景画の傑作「春の到来」シリーズや、新型コロナウィルス感染症のパンデミックによるロックダウン中にiPadで描かれた全長90mにもおよぶ新作まで、120点余の作品が並ぶ。公式の映像コメントでは、作家本人が「私の人生の大半をたどることができます」と語っている。

2017年にポンピドゥー・センターで開催された回顧展では約62万人もの観客を集めたというホックニーは、キャリアの初期である1960年代から現在に至るまで高い評価を受け続けてきた、もっとも人気のある現代作家のひとりだ。本展はその開催が発表されてから多くの人が心待ちにしていたと思うが、実際に素晴らしい展覧会だった。

本稿では企画を担当した同館の楠本愛学芸員の言葉を交えながら、その見どころを紹介したい。

*写真すべて:「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景、東京都現代美術館、2023年 ©︎ David Hockney 撮影:編集部 転載禁止

スプリンクラー 1967 東京都現代美術館蔵 ©︎ David Hockney

2枚のラッパスイセンの絵から

全8章からなる本展。「春が来ることを忘れないで」という最初の章には、ラッパスイセンを描いた2枚の絵が並んでいる。1969年作のエッチングによる《花瓶と花》(1969)と、iPadで制作された2020年の《No.118、2020年3月16日「春の到来 ノルマンディー 2020年」より》だ。

左:花瓶と花 1969 東京都現代美術館 右:No.118、2020年3月16日「春の到来 ノルマンディー 2020年」より 2020 作家蔵 ©︎ David Hockney

この2作を冒頭に展示した意図について、楠本学芸員は以下のように説明する。

「このふたつの作品は本展にとって、ふたつの意味で非常に象徴的な作品だと考えています。まず本展の趣旨として、ホックニーの60年以上に及ぶ制作の根底にある一貫性をご紹介したいという思いがありました。ホックニーは様々な表現・画材・技法を用いているので全体像をとらえづらい画家だと思われる方がいるかもしれません。しかしじつは目の前にある身近なものを描き続けてきました。同じモチーフを異なる表現で繰り返し描いているんです。自分が見つめてきた世界をどういうふうに絵画に移し替えるかということに一貫して取り組んできたと言えます。そのことを示すために50年前の作品と近作を並べています。

もうひとつ、《No.118》が2020年3月にオンライン上で公開されたとき、ヘッドラインが章のタイトルにもなっている「春が来ることを忘れないで」というメッセージだったんです。当時(パンデミックの影響で)毎日不安なニュースが流れるなかで、鮮やかな色彩ですっくと上に伸びる姿が描かれたラッパスイセンの絵に励まされた方は多いと思います。私もそのひとりでした。

当初は2021年頃開催で調整していた本展は、この絵がオンラインで公開された直後に延期が決まりました。ただ、もし世界の状況が良くなって日本で開催が実現された際には、ぜひこの作品をいちばん初めに展示したいと考えていました」

初期作:プールから肖像画まで

この後は大まかに年代順の構成だ。また、作家の関心の一貫性や表現方法の変化を示すため、過去の作品と合わせて近作も少し織り交ぜて並置されている。

次章「自由を求めて」には1960年代初頭からの初期作品が並ぶ。イギリスのポップ・アートから影響を受けながら、そうした動向に縛られず自らの表現を探究した若きホックニー。複数の様式を1枚に並置する実験的な作品や、自身のセクシュアリティを反映させ、当時のイギリスでは違法とされた男性同士の同性愛の恋愛に言及する作品が展示される。

手前:23、4歳のふたりの少年「C.P.カヴァイフィの14編の詩のための挿絵」より 1966 東京都現代美術館蔵 ©︎ David Hockney

「移りゆく光」では、1964年のカリフォルニア移住時の作品を紹介。ホックニーの代表的なイメージであるプールや庭のスプリンクラーを描いた作品はこの一時期のものだ。

これらの代表作では、明るい日差しのもと刻々と変化する光、水の動きやきらめき、質感の表現力を堪能できる。

左:スプリンクラー 1967 東京都現代美術館蔵 右:ビバリーヒルズのシャワーを浴びる男 1964 テート蔵 ©︎ David Hockney

東京都現代美術館は、1995年の開館時に150点ものホックニー作品を収蔵しており、96年に「デイヴィッド・ホックニー版画展」を開催している。本展の前半ではこのコレクションが重要な位置を占めており、たとえば本章に展示されているリトグラフ「ウェザー・シリーズ」は素晴らしい作品群だ。窓から差し込む光や、雷、雨、雪、風といった流動的な存在をいかに描くか。日本の浮世絵をはじめとする過去の絵画を参照しながら実験を試みることで生まれたバリエーションの豊さが見ていて楽しい。

「ウェザー・シリーズ」 1973 東京都現代美術館蔵 ©︎ David Hockney

「肖像画」の章では、1960年代末から始まった、ふたりの人物で画面を構成する「ダブル・ポートレート」をはじめ、友人などを描いた肖像画を展示。

クラーク夫妻とパーシー 1970-71 テート蔵 ©︎ David Hockney

「ダブル・ポートレート」では人物はもちろん、室内空間の描写にも注目したい。たとえば作家の父と母をモデルにした《両親》(1977)は、ふたりのあいだに小さな鏡が配置され、本来は鑑賞者からは見えないはずの、画家が背にしているであろう側の壁面の様子が画面に断片的に挿入されている。初期フランドル絵画の傑作、ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》(1434)を思わせる構図だが、こちらが緻密な写実表現を重ねることでリアルな奥行きを創出しているのとは違い、《両親》では平面的な矩形のレイヤーが重なり合うことでリアリティと奇妙さが共存する独特の空間が画面に生まれている。

両親 1977 テート蔵 ©︎ David Hockney
左:自画像、2021年12月10日 作家蔵 ©︎ David Hockney

80年代の転換期:一点透視図法からの脱却

「視野の広がり」の章では、1980年代にホックニーに訪れた転機に焦点を当てる。この頃のホックニーは西洋絵画の伝統である一点透視図法の限界を確認し、空間の広がりを探究。そこで重要な役割を果たしたのが、ピカソの存在であり、キュビスムの再発見であった。複数の視点で画面を構成する手法は、フォト・コラージュなどにも見ることができる。

会場風景 ©︎ David Hockney

こうした視点の実験の延長線上にあるのが《スタジオにて、2017年12月》(2017)だ。自作が並ぶスタジオの中に作家が立っている本作は、少しずつ異なる角度で撮影された3000枚に及ぶ写真をコンピューターで解析、統合して3DCGを生成するフォトグラメトリという手法で制作された。

スタジオにて、2017年12月 2017 テート蔵 ©︎ David Hockney

近作・新作:美しい自然とiPad絵画

本展の後半からは、すべて日本初公開の作品が並ぶ。

「戸外制作」の章では、1997年から始まるイギリス・ヨークシャーでの風景画を紹介。50枚のキャンバスから成る巨大な作品《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》(2007)には、思わず息を呑む。

ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作 2007 テート蔵 ©︎ David Hockney
四季、ウォルドゲートの木々(左:夏 2010年 右:秋 2010年) 2010-11 作家蔵 ©︎ David Hockney

「春の到来、イースト・ヨークシャー」の章は、近年のホックニーの大きな達成を見せる、本展のハイライトだ。大型の油彩画1点とiPad作品群からなるシリーズ「春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年」は、12月末から6月初めまでの自然の移り変わりを見つめた、ホックニーの体験が絵画として結実した作品だ。2010年4月にiPadを入手したことで新境地を切り開いたホックニーは、「春の到来」をテーマに複数の作品で構成する壮大な本作を完成させた。

春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年 2011 ポンピドゥー・センター蔵 ©︎ David Hockney

春という季節の美しくポジティブなエネルギーと、豊かな色彩に満ち溢れた展示空間。そこに身を置きながら、作品に近寄ってディテールを観察したり、同じモチーフの描かれ方の変化を見比べたり、空間に充満する色彩を深呼吸するように味わったりしていると、何時間でもここにいられそうだ。本作の驚くべき点は、初期から続くホックニーの飽くなき探究心のもと新しいテクノロジーを用いた表現技法が花開いたこと、そして現代アートのフィールドで、巨匠が素朴と言えるほどポジティブなイメージを堂々と提示して見せたことだ。この明るさに、自然と心が躍る。

春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年 2011 ポンピドゥー・センター蔵 ©︎ David Hockney

そして本展を締めくくるのが「ノルマンディーの12か月」。2019年にフランス北西部のノルマンディーに拠点を移したホックニーは、コロナ禍に世界が揺さぶられるなか、静かに周辺の自然や季節の移ろいを見つめ続けた。そして生まれたのが、全長90mの大作《ノルマンディーの12か月》(2020〜21)だ。

ノルマンディーの12か月 2020-21 作家蔵 ©︎ David Hockney
ノルマンディーの12か月 2020-21 作家蔵 ©︎ David Hockney

1年間かけて戸外で描いた220点のiPad作品をもとに、モチーフを選び取り再構成した絵巻物状の作品で、展示室に配置された作品を、鑑賞者はゆっくりと歩きながら見ることができる。

ノルマンディーといえば、自邸の庭を描いたモネが愛し住んだ場所だ。自然や四季、天気や時間の移ろいと光の変化をキャンバスに写し取ろうとしたモネの《睡蓮》連作と、本作には共鳴するものがある。また本展図録収録の論考によれば、ホックニーはノルマンディーにある「バイユーのタペストリー」を何度も見に行ったといい、本作のかたちにはこのタペストリーや、日本と中国の絵巻物が参照されているという。

時間と光という決して触れることのできない存在を画面に定着させ、鑑賞者をそのなかに誘う本作は、力強い生命力を見る者に与える。

家の辺り(夏) 2019 作家蔵 ©︎ David Hockney
2021年6月10日-22日、池の睡蓮と鉢植えの花 2021 作家蔵 ©︎ David Hockney

コロナ禍によって一度は延期となり開催が危ぶまれた本展だが、延期になったことで21年に完成した本作を展示することが可能となった。コロナ禍はいまだに続いているし、戦争や気候変動など様々な問題で世界は揺れ続けている。そのようななかで本展は、生きることと作ることが分かち難く結びついたホックニーという芸術家の軌跡を通し、いまを生きる人々に明るい希望を見せるものになるだろう。

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。