シリーズ「#MeToo以降の女性映画」は、「#MeToo」のハッシュタグとともに自身の性暴力被害を告発する人々が可視化され、この運動が時代を揺さぶる大きなうねりとなったいま、どのような映画が生み出され、それらをどのように語ることができるのかを考える連載企画。
「#MeToo」運動が一躍世界に広まったきっかけは、2017年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙がハリウッドでもっとも影響力のあるプロデューサーのひとり、ハーヴェイ・ワインスタインによる様々な女性たちへの性暴力とセクシュアル・ハラスメント疑惑を報道したことだった。以降、映画界の長年にわたるジェンダー不平等は様々なかたちで問題視されることとなり、こうした問題を意識的に取り上げる作家・作品も増えている。
連載第3回となる今回は、第78回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した映画『あのこと』を中心に、映画で描かれた中絶の問題や、リプロダクティヴ・ヘルス/ライツについて論じる。【Tokyo Art Beat】
昨年の6月24日、全世界に衝撃が走った。アメリカの連邦最高裁判所が「ロー対ウェイド判決」と呼ばれる、「中絶は憲法で認められた女性の権利だ」とする49年前の判決を覆したからである。オハイオ州では、妊娠6週以降の中絶が原則禁止となった。こうした動きはアメリカで広がっていて、ウィスコンシン州ほか少なくとも13州にて、中絶がほぼ全面的に禁止されている(*1、2022年10月28日時点)。
そんななかで、10月初めに仏の作家、アニー・エルノー(1940〜)のノーベル賞受賞のニュースが流れた。この朗報と妊娠中絶問題とを結び付けて考える人は決して多くなかっただろうが、12月2日にエルノーの映画化作品『あのこと』(2021、オドレイ・ディワン)が公開されて、にわかにこの問題は関連性を持つようになった。
アニー・エルノーはフランスの作家で、1974年に中絶をテーマにした『空っぽの箪笥』でデビュー。日本では映画化もされた『シンプルな情熱』(1992)が1993年に邦訳され、女性──特に女性作家を中心にポジティブに受け入れられた。ほぼすべての作品が自伝的なものであり、食料品店兼カフェを営んでいた父母の生涯をそれぞれテーマにした『場所』(1984)や『ある女』(1988)があるいっぽう、妻がいる外国人とのラヴ・アフェアを情熱的に描いた『シンプルな情熱』に代表される、女性の身体にこだわったものや性愛にまつわる作品群もある。
『シンプルな情熱』は「昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと──彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった」(*2)という一節が象徴するように、大学教師のシングルマザーが、外国人の男との恋愛──というよりは性愛にのめり込む姿を描いている。妻がいるので、こちらからは電話をかけることができない男性の電話を待つ、その思慕だけでなく、実際の性行為も赤裸々に描かれる。情熱的でありながら自らの激情や欲望を客観的に俯瞰しているような、自在に様々な感情のレイヤーを行き来する筆致が、ひとりの女性の魂の自由を表現していて素晴らしい。
『シンプルな情熱』(2020)は同名小説のダニエル・アービッドによる映画版で、主人公エレーヌに『若い女』(2017)のヒロインが記憶に生々しいレティシア・ドッシュ、ロシア人アレクサンドルにダンサーのセルゲイ・ポルーニンという夢のような配役で、基本的には原作に忠実なのだが、細部に変更が加えられている。原作では東欧の外交官であった男性が、ロシア大使館で要人の警備をする男性に変更され、大学で文学を教える女性がボディガードの色男に恋するという、よりフェミニズム色が強く現代的な図式となっている。
アレクサンドルがエレーヌより若いことも示され、インテリ女性と体に刺青のある外国人男性との逢瀬は、ビジュアル的にも、家父長制からの逸脱という意味でも、すこぶるエロティックだ。
エルノーの2本目の映画化作品である『あのこと』は、中絶をテーマにし、よりシリアスでサスペンスフルな映画である。原作である小説『事件』(2000)の原題はL'Événement(出来事、事件)。1963年、中絶が違法だった時代のフランスを舞台に、妊娠してしまった大学生が中絶しようとして試行錯誤する姿を描く。
映画のタイトルは『あのこと』に変更されているが、それは劇中ひとことも「中絶」という言葉が出てこないことに対応している。医者から中絶を拒絶されることはもちろん、友人にもその話をした途端「巻き込まないで」と話をすることすら拒絶される。中絶した当人だけでなく、中絶を手伝った人も投獄されたからで、映画でははっきりとは描かれていないが、なんと避妊に関する情報すら禁止されていたという。
アンヌは商店を営む労働者階級の両親を持つが、図抜けた知性によってその環境から抜け出し、寮から大学に通い文学研究に勤しむ前途有望な女子大生である。だが、知人との男性とのちょっとしたアヴァンチュールにより、妊娠してしまい、生理の遅れによりそれに気付く。医者にも中絶を拒絶され、編み棒を秘部に突っ込んだり、なんとか中絶しようとするが……。
この映画は演出が特徴的である。『サウルの息子』(2015、ネメシュ・ラースロー)や『ロゼッタ』(1999、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ)を参考にしたというだけあって、カメラがつねにアンヌの傍から離れず、画角も非常に狭く、観客はアンヌの視界を共有しつつ出来事を体験していく。アンヌに同化し、彼女の孤独と絶望を視覚的に体感していくのだ。音声も工夫されていて、時計のカチカチという音が挟まれると同時に、妊娠週の経過がテロップで示され、映画全体がカウントダウンされているかのように進んでいく。マリアのお腹の子が時限爆弾となっているようなメタファー的な仕掛けは、時間が経つにつれて観客をもサスペンスフルに追い詰めていく。
アンヌ役はアナマリア・ヴァルトロメイ。『ヴィオレッタ』(2011、エヴァ・イオネスコ)で実際に母親にヌードを含むモデルを強制されていたエヴァ・イオネスコの子役時代を演じたアナマリア。その神秘的な美しさと、撮影中つねに「アンヌは戦争に向かう兵士だ」という言葉を思い出していたという成果か、地獄をくぐり抜ける強靭さが眩しい。母親役にはサンドリーヌ・ボネール。『冬の旅』(1985、アニエス・ヴァルダ)で18歳の少女を演じた彼女が、同じ年頃の、種類は違うが地獄めぐりをする娘の母親を演じるというのが感慨深い。
20歳前後だったら、女性でも性への好奇心や欲望は強い時期だろう。甘酸っぱい青春ものとしてそれこそ一本の映画になりそうなアヴァンチュールが、地獄巡りの発端となる……女性にとってこれほど恐ろしいホラーはないだろう。
いっぽうで、この映画では男性たちがこぞって無責任で非協力的なのも特徴的だ。中絶の薬を処方するふりをして、流産を防止する薬を処方する医師。闇医者を紹介してもらおうと近づいた遊び人の男は「妊娠の危険はないから」と肉体関係を求める。アヴァンチュールの相手も不誠実だ。性行為は女性ひとりでできるものではないのに、「妊娠」となると女性側のみに責任が押し付けられる図式が分かりやすく描かれ、男性の無責任さが強調されている。「ホラー映画みたい」「恐ろしい」と男性の観客の方が強い感想を抱くのもおそらくそのせいだろう。
フランスではアンヌの中絶から6年後の1969年に避妊の合法化がなされ、中絶の合法化としてヴェイユ法が成立したのは1975年。そんなに昔の話ではないことに改めて寒気がする。1960年から70年初頭の間、フランスでは年間30万件の中絶が行われ、300から数千人の女性が命を落としたと言われる(*3)。ナチ占領下のフランスで、ひとりの平凡の主婦が生活費の足しに闇の堕胎を始め、それが原因でギロチンにかけられるまでを描いた『主婦マリーがしたこと』(1988、クロード・シャブロル)も、「シスターフッド」などという言葉が寒々しく聞こえるような、『あのこと』とはまた違う地獄を味わえる。
若い女性の妊娠と中絶を巡る物語は、今までも描かれてきた。だが、16歳の少女が妊娠し、中絶も選択肢としながら結局子供を産み、出産後すぐ養子に出す姿を描いた『JUNO』(2007、ジェイソン・ライトマン)を筆頭に、プロライフ派(胎児の生命を優先する立場)/プロチョイス派(母体の選択権を優先する立場)で分けたら、ずっとプロライフ派の物語が主流だった。#MeTooのムーブメントの影響もあり、近年になって女性の視点で撮られる映画が出てきて、そうではない映画が見られるようになってきた、と言えるだろう。
『見えない存在』(2017、パブロ・ジョルジェッリ)は、中絶が認められていないアルゼンチンが舞台。17歳のエリーはある日妊娠に気付き、肉体関係があったバイト先の男に手術代を出してもらい、闇で中絶することにするが、土壇場でやめる。中絶することはできず、だからといって産む決断までは明示されず、ひとり佇むエリーのラストショットが印象的である。
『17歳の瞳に映る世界』(2020、エリザ・ヒットマン)は、17歳の高校生がある日妊娠を知り、自分の住むペンシルヴァニア州では両親の同意がないと中絶ができないため、従妹とともに金を工面しNYに向かう。だが、注意したいのは、主人公が義父に性的虐待を受けている可能性が暗示されていて、中絶はどちらかというと止むに止まれず行うもので、自分の意志によるとは言い切れない点だ。
この2本あたりが若い女性の妊娠と中絶を巡る映画表象における現在地点であろうか。プロライフ派ではないが、プロチョイス派だとも言い難い。
比べると『あのこと』、ひいてはエルノーの映画化作品2作は、やはりそこから一歩進んでいると言えるだろう。アンヌはあらゆる困難をくぐり抜け、自らの強い意志をもって中絶する。ホラー映画並みに恐ろしい中絶シーンは「自分の体験したことすべてを白日の下に晒すのだ」というエルノーの鬼気迫る決意が透けて見えるようだ。また、アンヌが妊娠が発覚してからもラヴ・アフェアを愉しむ姿も描かれるのも特徴的だ。
2本を通して見ると、『シンプルな情熱』にも通底している家父長制からの逸脱の欲望は、エルノー自身に起きたこの中絶という悪夢のような出来事によって芽生え、長い時間をかけて醸成されたものであることが分かる。言い換えれば、まだうら若き女学生であったエルノーに起こった中絶という出来事は、家父長制への直接の憎しみをもたらしただろうが、それが時間をかけて、官能的な夢のごとき『シンプルな情熱』に結実したのである。女性がその快楽も出産も、自分自身の身体に起こることすべてをコントロールする世界。その意味で、『あのこと』と『シンプルな情熱』は対照的な合わせ鏡のようになっている。
『あのこと』の終盤にて、中絶後、心機一転し教師に勉学に励む旨、報告に行ったアンヌが、教師になるのは止めると告げる。教師に何になるのかと聞かれ、字幕だと「作家になる」と出るが、単に“J’écris”、「私は書く」と告げる。「女性作家」や「オートフィクションの旗手」といったレッテル貼りを嫌うエルノー、フィクションの中に様々な真実を込める通常の作家とは反対に、あくまでノンフィクション──自分に実際に起きたことを基盤としてそこに様々な逸脱や夢を込めるエルノー。それは、戦争体験と匹敵するくらいのトラウマになるような出来事を、成人になるかならないかくらいの時期に体験してしまった、彼女の作家としての宿命なのかもしれない。
*1──Rosa Sanchez「アメリカの中絶法はどうなる?中間選挙が近付く各州の状況」、「BAZAAR」。 https://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/social-issue/a41795751/us-states-abortion-221028-hns/
*2──アニー・エルノー『シンプルな情熱』、堀茂樹訳、早川書房、10頁。*3──髙崎順子「『あのこと』でアンヌが生きた時代と、それから。」、『あのこと』プログラム、11頁。
『あのこと』
監督:オドレイ・ディワン
出演:アナマリア・ヴァルトロメイ ほか
2021年製作/100分/R15+/フランス
原題:L’Événement
配給:ギャガ