シリーズ「#MeToo以降の女性映画」は、「#MeToo」のハッシュタグとともに自身の性暴力被害を告発する人々が可視化され、この運動が時代を揺さぶる大きなうねりとなったいま、どのような映画が生み出され、それらをどのように語ることができるのかを考える連載企画。
「#MeToo」運動が一躍世界に広まったきっかけは、2017年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙がハリウッドでもっとも影響力のあるプロデューサーのひとり、ハーヴェイ・ワインスタインによる様々な女性たちへの性暴力とセクシュアル・ハラスメント疑惑を報道したことだった。以降、映画界の長年にわたるジェンダー不平等は様々なかたちで問題視されることとなり、こうした問題を意識的に取り上げる作家・作品も増えている。
本シリーズでは映画批評家の夏目深雪を筆者に迎え、女性監督による映画や女性を主題にした映画を現代の「女性映画」として紹介。
第1回は、歌手・俳優のホイットニー・ヒューストン(1963〜2012)の生涯を描く映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』のレビューをお届けする。【Tokyo Art Beat】
ホイットニー・ヒューストンの伝記映画が公開となった。脚本が『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)のアンソニー・マクカーテン。同作は、同性愛差別やエイズに苦しんだフレディ・マーキュリーを現代の視点から公平かつ等身大に描き、歌ともども胸に迫ってきた。監督は、『ハリエット』(2019)で奴隷解放のために闘った実在の黒人女性活動家を描いたケイシー・シモンズ。期待に胸は高鳴った。
ホイットニーほど光と影の差が強いアーティストはいないだろう。2作目のシングルレコード「すべてをあなたに/Saving All My Love For You」(1985)から7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を打ち立てた。この記録はビートルズの6曲連続を破る記録だという。1992年にはケヴィン・コスナーと共演した初主演映画『ボディガード』が公開され、彼女の新曲6曲が入ったサウンドトラックは全世界で4200万枚を売り上げた。主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー/I Will Always Love You」(1992)は全米シングルチャートで14週連続No.1を売り上げる自身最大のヒットとなった。
だが、2000年に大麻所持で逮捕。大麻やコカイン等の常用をテレビ番組で告白し、痩せすぎで健康を害している姿や夫ボビー・ブラウンの暴行による逮捕、または離婚危機などを報道され、タブロイド紙の常連であった。2004年から05年にかけてリハビリを行い、05年に夫と離婚。2010年には11年ぶりにワールドツアーを行ったが、息切れしたり、感染症で入院したり、トラブル続き。そもそも声が以前のようには出なかったのだという。2012年、破産寸前だと報じられた翌月の2月11日、グラミー賞授賞式を前日に控え、ホテルの浴槽で溺死した。48歳であった。遺体からはコカインが検出された。
2018年にケヴィン・マクドナルドによるドキュメンタリー『ホイットニー~オールウェイズ・ラブ・ユー~』が公開され、彼女の決して明るくない晩年が、あまり情報が入ってこなかった日本人の目にも晒されることとなった。彼女の人生は時期によって光と闇とにくっきりと分かれる。例えば26年間の彼女の歌手や女優としての人生を1985年から98年、99年から2012年と真っ二つに分け、どちらから照らすかの問題なのかもしれない。アンバー・ゴンザレスによる『ホイットニー・ヒューストン〜スポットライトの光と闇〜』(2021)もそうだが、これらのドキュメンタリーは「どうして彼女は麻薬から抜け出すことができなかったのか」というところから出発している。幼少期の親戚の女性による性的虐待を麻薬中毒の原因に特定したり(*1)、元アシスタントのロビン・クロフォードとの関係を「同性愛疑惑」とした報道、マネージメントを仕切った父親の問題とそれによる経済的危機、ともに薬物接種に勤しんだ夫との共依存的関係など、ゴシップ的ネタは尽きない。
ミュージシャンの麻薬中毒は珍しいわけではなく、黒人にもかかわらずスターとなったプレッシャーは並々ならぬものがあったであろう。だが、麻薬と手が切れず病死したビリー・ホリディもビル・エヴァンスもひと昔前の人である。マイケル・ジャクソンもプリンスもオーバードーズで亡くなっているとはいえ、原因はドラッグではない。一生麻薬から抜け出せなかった人生は褒められたものではない。だが麻薬撲滅の教訓にふさわしい映画なら何本もあるじゃないか、ということなのだろうか、アリスタ・レコードの社長だったときに彼女を見出し、ずっと彼女と併走してきたクライヴ・デイヴィスが立ち上がった(この映画は彼がプロデュースを務めている)。
彼女自身が残した言葉はないので、謎は残る。それは前提にせよ、記録映像や彼女の周りにいた人間の証言に頼るしかないドキュメンタリーと違い、前半の光に満ちた彼女の人生を復元させようとしたのがこの映画──『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』なのである
一度聞いたたけでクライヴを夢中にさせたナイトクラブでの歌唱。ゴスペルで鍛えた、ソウルフルで自由自在に上下し伸縮しそして震え、そこにあるすべてを振動させ、我々の息を止めさせる。“The Voice”と呼ばれたのも納得だ。自分で曲を作ることはなかったホイットニーだが、必ず曲は自分の心情に合ったものを、自分で選んだ。クライヴがピックアップした曲を聞き、「これだ」という曲を見つけたときのホイットニーのワクワクした表情。
たんに晩年のホイットニーを追い込んだゴシップ的ネタとして消費することもできるそれぞれのエピソードが、違うニュアンスを持って立ち上がってくる。たとえば、ホイットニー17歳、ロビン19歳のときに出会った2人の関係。ホットパンツを履いたふたりの睦まじさは若さや美しさもあってホイットニーの歌唱シーン、戦友クライヴとのやり取りと並ぶ印象深い、瑞々しいシーンとなっている。
比べて、ホイットニーを苦しめた男たちの残酷さが対称的だ。父親はホイットニーの稼いだ金を湯水のごとく使う。彼女は自分の会社の従業員の優雅な暮しを維持させるために過酷な長いツアーを断ることができない。夫のボビーは彼女の業績や地位に嫉妬し、女遊びに励む。夫を立てようと必死なホイットニーだが、ついに堪忍袋の緒が切れる。逆に幼少時の親戚の女性による性的虐待の話などはこの映画にはまったく出てこず、「有害な男らしさ」の典型とも言えるようなふたりの男性に裏切られた心労を、ホイットニーの凋落の直接の原因としている。
娘が突然世界的スターになった黒人男性である父親、ホイットニーと出会ったときから「バッド・ボーイ」であったボビー、ふたりが100%悪いというよりは、そういう時代で、流れであったという描き方をしている。終盤にクライヴが男性と同居しているシーンも出てきて、異性愛主義や家父長制を直接ではないが、やんわりと槍玉に挙げている。ホイットニーとロビンの関係が美しかったのは、そこに主従関係や契約がなく、お互いの愛と尊敬が基盤となった、平等で自由な関係であったからだろう。
1994年のアメリカン・ミュージック・アワードでのパフォーマンスなど、ホイットニーの「神がかった」歌唱も堪能でき、しかしまさに「それ」こそが、ふたりの男性を追い詰め、彼らを愛するホイットニーに向かう刃となっていったことがよく分かる。だが、巨体を揺らしてオバマ夫妻の前で豪快に歌う晩年のアレサ・フランクリンの記録映像を見たりすると、どうして神の贈り物であるその歌声を、ホイットニーは守ることができなかったのだろうという疑問も消えることはない。
彼女はシンガーソングライターではなかった。カントリー歌手ドリー・パートンのヒット曲である「オールウェイズ・ラブ・ユー」を始めとして、カバー曲も多かった。だが、彼女が歌うとオリジナルとまったく違う曲になるのだった。それは女優として役を演じることと共通しているのかもしれない。一から物を創造するというよりは、その黄金の「ヴォイス」とともにいわゆる「時代と寝た」のであろう。
『ボディガード』をいま観るとその先進性に驚かされる。黒人男性と白人女性の恋愛は『招かれざる客』(1967)以降何本かで描かれたが、それに較べると黒人女性と白人男性の恋愛は少ない。階級社会であるアメリカで、学歴や地位を持った黒人男性は白人女性の相手に成り得るが、黒人女性が白人男性と対等な恋愛ができるような地位を持つという設定自体が成立しづらいのかもしれない(*2)。インディアンの血を引き監督作『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1970)で白人男性とインディアンの娘の恋愛を描いたケヴィン・コスナーがプロデューサーを務めたからこそ成立した企画であろう(*3)。そもそもホイットニーを指名したのがケヴィンだった。クライヴの「ホイットニーの歌唱シーンをもっと増やした方がいい」というアドバイスも、ケヴィンがいたから聞き入れられたという。黒人女性がそれこそお姫様のように、白人男性に命をかけて守られる映画はその後なかったのではないか。
白人男性をもかしづかせる黒人女性──『ボディガード』で世界の頂点に立ったホイットニー、そしてそこから自分を主張し始めた黒人男性ふたりのことを考えると、この映画こそが元凶であるように思えてならない。だがケヴィンとホイットニーの夢の結晶は、いま観てもまったく古さを感じさせず、永遠の輝きを放っている。1990年代以降、アイデンティティ・ポリティクスの時代になり、同時にポリティカル・コレクトネスが問われる時代になった。そんななかアメリカでもっともセンシティブな人種間対立である黒人と白人のあいだに恋愛を持ち込まなくなったということかもしれない。異人種間恋愛という単純さが時代にそぐわなくなったり、語りにくくなったということだろうか。
ホイットニーは幼少時、御伽噺や映画に出てくるプリンセスがみな白人なのに気づき、いつか自分たち黒人がプリンセスを演じる映画ができるといいと思ったという。1997年のテレビ映画『シンデレラ』は、ホイットニーがプロデューサーを務めた。当初自分がシンデレラを演じる予定だったが、自分は年を取ったからといって、黒人女性であるブランディに演じるように頼んだ。
黒人だからといって、ディーバ(歌姫)であること、プリンセスでいることが叶わないとは思わない。彼女は生涯をかけてそれを手にするために闘った。この映画は人種も性別も超えようとした、彼女の闘いを彼女の視点から追体験することができる。彼女がその闘いに勝ったのかは微妙だが、我々には彼女の歌といくつかの映画が残されている。闘いは続いていくのだ。『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は我々のディーバ、プリンセス復活の狼煙(のろし)をあげる。彼女の魂を感じる旅に出ることができる、今後バイブルのように成り得る映画であり、また「#MeToo」以降の優れた女性映画でもあろう。
*1──とくに『ホイットニー~オールウェイズ・ラブ・ユー~』は、彼女の親友という女性のインタビューにより、性的虐待の犯人を従妹のディー・ディー・ワーウィックと特定し、その結果「ホイットニーはリハビリの効果が出なかった」「性的志向がよく分からなくなっただろう」と述べさせているところが罪深い。観客は容易にロビンとの同性愛とつなげるだろうからである。この件に関して、ディー・ディーの姉であるディオンヌ・ワーウィック、そしてホイットニーの母は強い抗議をしている。ディー・ディーもホイットニーも故人となったいまとなっては真偽を確かめることはできない。
参考:Rolling Stone https://rollingstonejapan.com/articles/detail/28804
*2──まず真っ先に思いつくのはマーク・フォースターの『チョコレート』(2001)である。死刑制度の問題も盛り込んだ意欲作で、ハル・ベリーは非白人として初めてアカデミー賞主演女優賞を獲った。だが以降は真正面からその問題に取り組むというよりは、ウォシャウスキー姉妹&トム・ティクヴァの『クラウド アトラス』(2012)にてエピソードのひとつとして語られたように、脇役的な扱いがほとんどである。スティーヴ・マックイーン監督による『それでも夜は明ける』(2013)では、マイケル・ファスベンダー演じるプランテーションの主人がルピタ・ニョンゴ演じる奴隷に向ける歪んだ愛情が描かれた。アフリカ系とドイツ系とスコットランド系のミックスであるゼンデイヤがヒロインを演じる『スパイダーマン』シリーズが今日的と言えようか。
*3──そもそもは脚本家・映画プロデューサーのローレンス・カスダンが、俳優のスティーヴ・マックイーンを主人公に想定して脚本を執筆。共演はダイアナ・ロスであった。だがスティーヴが降り、映画は実現しなかった。黒人と白人の本格的なロマンスを描くには難しい時代だったからだと言われている。ローレンス・カスダンは15年後に映画を実現させる。
*連載 第2回はこちら
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』
12⽉23⽇よりTOHOシネマズ⽇⽐⾕ほか全国の映画館にて公開
監督:ケイシー・レモンズ
脚本:アンソニー・マクカーテン
出演:ナオミ・アッキー、スタンリー・トゥッチ、アシュトン・サンダース
上映時間:2 時間24 分