見慣れた東京国立近代美術館が、「宇和島駅」と化した。そう、ここ東京国立近代美術館で「大竹伸朗展」がいよいよ11月1日に開幕する。2006年の「全景1955-2006」(東京都現代美術館)以来、16年ぶりとなる大竹伸朗の大規模な回顧展だ。会期は2023年2月5日まで。企画は同館主任研究員の成相肇。
大竹伸朗(1955年東京都生まれ)は1980年代初めにデビューし、絵画、彫刻、映像、インスタレーション、エッセイや絵本、そして巨大な建造物に至るまで様々なかたちで作品を発表。直島銭湯「I♥湯」など、瀬戸内海を舞台にした作品でも親しまれてきた。
ドクメンタ13(2012)やヴェネチア・ビエンナーレ(2013)などにも参加し、国内外で高い評価を得てきたが、本展ではこうした国際展に出品した作品を含む、なんと約500点が大集合。最初期の作品からコロナ禍に制作された最新作までを、時代順ではなく7つのテーマに沿って見せる。
そのテーマとは、「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」。とはいえ大竹にとって、こうしたテーマが制作に先んじてあるわけではない。「この7つには概念として重なり合うものも含まれていますし、それぞれの部屋の緩やかな括りであると考えていただければ」と成相は語る。
大竹の作品といえば、平面や立体問わずいろんなものを貼り付けたり剥がしたりとコラージュしながら何層にも重ねられ、量や密度を増して作られる、その「密度」の濃さに大きな特徴がある。それらは「時間」や「記憶」といった目には見えない概念やイメージを具体化・物質化するかのようでもある。
こうした記憶や時間といったものの層は、すでに入口の《宇和島駅》に現れていた。記者会見で大竹は語る。
「このエリアは思い出深くって、(美術館の近隣にある)毎日新聞に社会科見学に来て、輪転機で新聞が刷られるのを見た。いま思えばそれが印刷のプロセスを見た最初だったかなと思う」
「《宇和島駅》は僕が拠点にしている場所のサインなんですけど、近美(東京国立近代美術館)とのつながりがあって。1980年代半ばに近美に妻と来た思い出があるんです。当時はエレベータ脇の壁が窓になっていて、彼女が窓の外をじっと見ているので「どうしたの」と聞いたら、「いま高速を『宇和島』って書いてあるトラックが通りすぎた」ってね。それを聞いたとき、僕が高校を卒業してから牧場や炭鉱にいたときに、本を見て「銀座」とか「新宿」と書かれた文字を見たらけっこうグッと来てね。その頃の思い出を近美の窓辺で思い出した。
その後10年以上経ったのちに、宇和島駅が新しくなるということでこのサインを廃棄すると聞いて、駅舎の屋根に登って1文字ずつ焼き切ってロープで下ろし、保管した。どうにも廃棄というのが納得いかなくてね。色は僕が勝手に想像したものですが、夜見ていただけるとよりおすすめ。
今回、国立近代美術館と宇和島駅が交差する感じが、これもある種のコラージュなんじゃないかな、って。あれは“すでにそこにあるもの”の典型で、今回の7つのテーマが全部重なっているということに気がつきました」。
成相も、《宇和島駅》のサインが入口にかかったことで、「建物全体が大竹さんの展示になってしまった。ここにいるみなさんも、いま大竹さんの作品の中にいるということです」と言う。なんとも魅力的なアイデアだ。
展示室に入ると、最初は「自/他」の部屋。ここには大竹の自画像やアバター、また自己を形成してきたイメージが並ぶ。注目は最初期の作品《「黒い」「紫電改」》(1964)で、なんと大竹9歳の頃の作。成人後の作品と一緒に壁に並んでも違和感がないのは、この時から現在まで大竹が「コラージュ」の面白さに一貫して取り組んでいるからだと言えるだろう。
そこから約50年後に作られた、巨大な立体自画像とも言える作品が《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》(2012)だ。本作はドクメンタ13において屋外で展示され、大きな話題を呼んだ。日本で展示されるのは2013年丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での個展以来2度目。本展の目玉のひとつだ。
小屋の中を覗くとギターが見えるが、このギターの辺りを本の「背」として巨大なスクラップブックがギッチリと詰まっている。
こうした「スクラップブック」は、描く・貼るという大竹の芸術の基本を体現するものであり、日常の一部でもある。大竹がロンドンにいた1977年から現在に至るまで毎日にように作りつづけているもので、最新は71冊目。なかには重さが30kg近くに及ぶ、凄まじく重厚なものも。本展では展示室のいくつかの場所にあるほか、「層」のテーマの部屋にまとめて陳列されている。
「どんな本にも、貼っていくことによって何かが動き始める瞬間が必ずやってくる」(*1)というように、コラージュは創作の基盤・出発点であり、それが分厚い層になることで作家自身の「自画像」と呼べる存在にまでなる。
大竹が身の周りから採取し作品として積み重ねるのは「モノ」だけではない。2階の「音」をテーマにした部屋は、「音/音響」という大竹の芸術において欠かすことのできない重要な要素に焦点を当てた内容だ。
展示の冒頭には以下のような言葉が掲示されている。
「『音/音響』に関してまったく興味や必要性もないままに、『作品』に対して物質的、造形的、技巧的側面からのみ断定的に言語化されること、またそれが21世紀にいまだ真っ当な美術批評としてまかり通る現状には強い違和感を覚える」(*2)
ここでは「『音』と『絵画』が自分の中で交差した」(*3)と大竹が語る1980年代のロンドンでのパフォーマンスや、その大きな契機となったラッセル・ミルズとの出会いと交流について紹介されるほか、ステージそのものを作品化した《ダブ平&ニューシャネル》(1999)が展示される。展示室に響く「音」もぜひ楽しんでほしい。小型エレキ・ギターが付属したスクラップブックと、最新作《全景0》(2022)も見逃せない。
“常軌を逸した”という形容が似合うほど、膨大で過剰で様々なものが凝縮された大竹の芸術世界。そのなかに体ごとどっぷり浸かることができる展覧会となっている。
「いま世界は破壊が続いていますけれど、ものを作り出すパワーを感じてもらえれば嬉しい。じっくり5回くらい来て見ていただければ」(大竹)。
また記者会見の質疑応答で大竹が、自身の制作において大事なのは「正直さと勇気」しかないと語っていたのが印象的だったので、最後に紹介したい。
「自分の場合は、ものを作るとき、自分に正直になるということと、あと勇気ですよ。ベタですけど、正直さと勇気しかない。方向性を見極める手段は。こうすればウケるだろうと思ってやったものは大抵ダメ。いっぽうでこれはまずいだろうと思っても、そっちに正解があったりする。それが正解だってわかるまでに20年くらいかかったりするんだけど。周りから『あいつはもう終わった』とかね、そんなこと言われても無視して突き進む。人の言うこと聞いていいことがない。大学の先生に「背景にこれ入れろ」とか言われてやったこと、いまだに根に持ってますからね(笑)」
また大竹の展覧会といえば、グッズやカタログも楽しみのひとつ。冒頭に新聞社の思い出が語られたが、今回のカタログはなんと7部の新聞と冊子で構成された、これまたこだわりの強い作り。
「ニューシャネル」Tシャツなど多彩なグッズも大竹の活動を語るうえで欠かせないが、今回も描き下ろし「ジャリおじさん」絵皿なども盛りだくさん。充実のグッズについて紹介したこちらの記事もぜひチェックしてほしい。
また2階の常設展示室では大竹のデビューと同時代に注目を集めた作家・作品を紹介する「80年代のニューフェースたち」のコーナーも。ぜひ合わせて鑑賞してはいかがだろうか。
*1––––大竹伸朗「ダ・ヴィンチとバターナイフ」『見えない音、聞こえない絵』、新潮社、2008年。
*2––––大竹伸朗「境界の蛍光音」『新潮』2022年9月号、新潮社。
*3––––同上。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)