公開日:2023年10月20日

東京国立近代美術館はなぜ「女性と抽象」展を開催するのか。コレクションにおける女性の作家の再発見とジェンダーバランスについて担当者に聞く

コレクションによる小企画「女性と抽象」が9月20日〜12月3日に開催。6人で結成された企画チームから、小川綾子、横山由季子、小林紗由里にインタビュー(構成:菊地七海) 

「女性と抽象」会場風景 撮影:編集部

6人のチームで実現した「女性と抽象」展

現在、東京国立近代美術館のコレクションを展示するギャラリー4で小企画展「女性と抽象」(9月20日〜12月3日)が開催されている。戦後すぐから現代まで、抽象的な表現と向き合ってきた女性作家たちによる作品の数々を、同館のコレクションから紹介する意欲的な展示だ。

これまで紹介される機会が少なかった作家から、急速に再評価が進む注目作家、草間彌生田中敦子らすでに国際的な評価を確立した作家たちまで、その所蔵作品を再調査し、キュレーションした本展。こうした取り組みを立ち上げた経緯や、調査をしていくなかで知った女性作家たちの苦難、国立美術館のジェンダーバランスに対する意識の現況など、同館の企画メンバー6人から小川綾子、横山由季子、小林紗由里の3人に話を聞いた。

「女性と抽象」の企画メンバー。左から、小林紗由里、横山由季子、堀田文、小川綾子、松田貴子、佐原しおり 

コレクションの再発見と再評価

 ──昨今、女性のアーティストによる抽象表現への再評価が国際的に進んでいます。その状況と呼応するような非常にタイムリーな企画ですが、どのような意図で始まったのでしょう?

小川綾子(以下、小川) 2019年の台北市立美術館「她的抽象(彼女の抽象)」展や、2021年から翌年にかけて開催されたパリのポンピドゥー・センター「彼女たちは抽象芸術を作る(Elles font l’abstraction)」展スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館での巡回展「Women in Abstraction」展、同年に開催されたホイットニー美術館の「Labyrinth of Forms: Women and Abstraction, 1930-1950」展などの動向を見て、私が発案者となって提案しました。東京国立近代美術館(以下、東近美)のコレクションにも女性の作家による素晴らしい抽象表現の作品がたくさんあるので、絵画のみならず、彫刻や写真もあわせてお見せしたくて。

横山由季子(以下、横山) そのテーマでやること自体は満場一致で決まりました。そのあと、女性の作家の再評価という世界的な盛り上がりの波に乗るだけでなく、今後も調査研究や企画を継続できるようにと、チームを組んで進めることになったんです。通常はこうしたコレクション小企画は1〜2人で担当するところ、今回は最終的に6人の女性スタッフで企画することになりました。

三岸節子 静物 1963  Ⓒ MIGISHI

小川 展示は抽象表現の軌跡を見せられる構成にすべく、3章立てにしました。第1章では1946年に発足し三岸節子桂ゆき(ユキ子)らが活動した「女流画家協会」、第2章「増殖する円」では「円」というモチーフ、第3章「抑制と解放」では制作のプロセスや行為に着目し、それぞれキーワードを設定してキュレーションしています。

横山 メンバーのうち、小林さんを含む3人は写真がご専門なので、第3章は約半数が写真作品で構成されています。

春木麻衣子 outer portrait 1 2009

小川 写真はどうしても実像なので、今回のような抽象という切り口でのセレクトについて担当の松田さん、堀田さん、小林さんは悩まれていましたよね。

小林紗由里(以下、小林) 100パーセント抽象という写真作品はなかなかありませんからね。たとえば今回取り上げた春木麻衣子の「outer portrait」シリーズは、人物を被写体にしながら、露出などを調整することで抽象的な作品に仕上げています。

──第3章で紹介されている木下佳通代と吉川静子は、来年度、大阪中之島美術館で回顧展が開催されますし、第2章で展示されている福島秀子も今年は複数の展覧会で目にし、注目が高まっているのを感じます。本展は、こうした女性のアーティスト再評価の流れに東近美として継続的に取り組む第一歩と言えるでしょうか。

木下佳通代 '79-38-A 1979
吉川静子 色影 1979 Ⓒ Shizuko Yoshikawa and Josef Müller-Brockmann Foundation

 横山 そうですね。これまでも、MOMATコレクションで女性のアーティストを特集的に取り上げたことは何度かありました。2019年には「解放され行く人間性 女性アーティストによる作品を中心に」(担当:保坂健二朗、現滋賀県立美術館ディレクター)が開催されています。

またここ2〜3年で当館の女性研究員の比率が増えたことも、良い追い風になっているかもしれません。2023年の春には、通常、重要文化財を中心に出品作の9〜10割を男性作家が占めることの多い「ハイライト」という一室で、これまであまり表に出ていなかった作品も含め、男女同数のセレクションを実現しました(参考レビュー)。このときは同時開催の企画展「重要文化財の秘密」展(2023年3月17日〜5月14日)に、収蔵品の重要文化財が展示されていたんですね。これをいい機会だと考え、この「ハイライト」展示を今後の調査研究や作品収集につなげていくための第一歩としました。

MOMATコレクション1室「ハイライト」展示風景(2023年3月17日〜5月14日) 撮影:大谷一郎

その次の会期では、新しく収蔵した女性の日本画家・池田蕉園の《かえり路》(1915)を初お披露目する機会に、女性の日本画家のみの展示を行いました。

とはいえ、やはり戦前から戦後すぐの時代は、女性の作家に関する情報もあまり多くはないので、相当意識していないと取り上げにくいという現実があります。今回の「女性と抽象」展で紹介している作品のなかには、収蔵以降、ほとんど館内で展示されることのなかったものもいくつかあります。たとえば藤川栄子は、女流画家協会の発起人のひとりであり非常に重要な作家なのですが、その作品《塊》(1959)は、今回が収蔵後初の展示となりました。

藤川栄子 塊 1959

──本展で、これまで見落とされてきたコレクションの再発掘や見直しも行われているわけですね。

横山 そうですね。女性のアーティストの作品は、作家本人やご遺族からの寄贈で収蔵されたケースも多く、館が積極的に収集したわけではないということも、評価が進まなかった原因のひとつかもしれません。藤川の作品も文部省からの管理換えで当館の所蔵になりました。

小川 同じく女流画家協会の桜井浜江の《壺》(1946)と《花》(1947)や田中田鶴子の《無 Ⅱ》(1960)も、館外への貸し出し以外ではほとんど展示されてこなかったものです。

桜井浜江 壺 1946
田中田鶴子 無 Ⅱ 1960

横山 当館では年に数回コレクション展示室の展示替えを行いますが、各展示室ごとにテーマを立てています。そのテーマが災害や戦争といった社会的・政治的な出来事と結びついた内容になる傾向にあることも、女性のアーティストが取り上げられにくい要因かもしれません。

さらに、女性のアーティストたちによる抽象表現は、男性中心の美術史のなかで展開してきた抽象表現からも距離があります。今回はそうした歴史の枠組みからは脱却して、もっと自由に、抽象芸術の枠を広げたいと考えました。

 藤川や田中敦子の作品は誰が見ても抽象的ですが、桜井の作品は壺や花を描いたものです。ただ、マチエールに注目すると非常に抽象的でもある。そうした観点から、「抽象」の幅を少し広げて考え、第1章では、つづく2〜3章のような造形的な共通点ではなく、女性が芸術家として自立することが難しかった時代に、連帯しながら創作していた人々という位置付けでまとめることにしました。

 コレクションのジェンダーバランス

──コレクションのジェンダーバランスについてはどのように考えていらっしゃいますか? いまTokyo Art Beatにいる野路と私が「美術手帖」在籍時に担当した2019年の連載企画では主要美術館のコレクションのジェンダーバランスを調査しましたが、そのときの記事によると東近美のコレクションは男性作家の作品の割合が81%であるのに対し、女性作家はわずか13%です(*)。数字で見るとやはりジェンダーバランスは不均衡ですね。

ただ、ここ数年の東近美の新収蔵品を見ると、女性作家が積極的にコレクションされている印象を受けます。いまも「女性と抽象」展と同フロアの「MOMATコレクション」では、新収蔵品として遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》(2020)、風間サチコ《セメント・モリ》(2020)が目立つかたちで展示されていますね。

遠藤麻衣×百瀬文 Love Condition 2020 「MOMATコレクション」会場風景より 撮影:編集部

横山 独立行政法人国立美術館がまとめた令和3〜7年の中期計画に、正式に「ジェンダーバランスや地域性といった同時代的に重要な視点」をつねに踏まえて作品を確保するという一文が明記されていて、意識は確かに高まっていますし、実際に近年は女性のアーティストの作品を積極的に収集しようとしています。

当館の企画展も、ここ最近はゲルハルト・リヒター、大竹伸朗、ガウディ、棟方志功とずっと男性が続いているので、近いうちに女性作家の個展をしたいという話にはなるんです。でも企画展ともなると目標として動員数がシビアに求められます。

また現代であれば活躍している女性作家の数も多いのですが、当館は「近代」美術館なので扱う歴史のスパンがかなり長く、紹介すべきとされる男性作家もまだまだ控えているんです。もどかしい部分はありますね。

福島秀子 凝視 1956

家父長制的な解説から脱して

──本展の会場ではリーフレットが配布されていて、そこに企画者6名の座談会が掲載されているのも面白いです。本企画に対する皆さんの熱意を感じました。これによると、出品作品につける解説文を新たに16本書き下ろされたそうですね。

横山 はい。2012年のリニューアル以降、コレクション展で展示する作品の解説はそのときどきの担当者が汎用性の高い文体で書き、次回以降も流用できるようにすべてストックしています。でも「女性と抽象」の出品作は、過去に展示されていない作品が多く、ほとんど解説が残っていなかったんです。

会場風景より 撮影:編集部

小川 また解説があっても、同じく芸術家であった男性のパートナーや父親の存在に言及するような家父長制的な文脈で書かれているものもありました。そうした内容は今回の企画では看過できないということで、分担して新たに書き直しました。2010年代前半頃までは、こうしたジェンダー意識はいまより低かったですし、研究員としても女性作家のパートナーが著名な作家だと、ついそのことを書きたくなってしまったのかもしれません。でも、今回は作家本人と作品に最大限にフォーカスを当てました。

横山 改めて作家や作品について調査できたので、良い機会になりましたね。

また企画当初は、作品に対する当時の批評と、現代の私たちが書いた解説を比較するというようなことができたら面白いのではないかというアイデアがありました。ただ調査を進めていくと、女性の作家たちが同時代において「女性作家、女性画家」という枠組みで語られることはあっても、作品そのものに対する批評はほぼ見つけられませんでした。

桂ゆき(ユキ子) 作品 1978-79

小川 調査を進めるなかで、1967年の『美術手帖』12月号に掲載されていた記事を発見したのですが、これがまたすごかった。「《世界画壇のトップ・レディ》とその条件」という座談会で、美術評論の東野芳明と、今回展示している桂ゆき(ユキ子)、そして版画家の野中ユリが参加しているのですが、東野さんの女性作家に対する認識がひどく偏っていて。「(女性には)飛躍した直感とか、インスピレーションなどは少ない。/歴史というものを生み出す能力は、女にはないのかもしれない」という発言があったり、最後の締めは「女流画家協会展よりは女流画家審査会というのをやってさ、作家に全部水着着せて、作品をもってきてもらって説明してもらって、いっしょにお茶をのんで、女のまるごと全部を審査する機会がいつかあったらいいなと、ぼくは思ってるんだ。こんなこというと叱られるかな」。企画者みんなで回覧して読んで、「これはひどい!」と驚きました。

横山 あまりにも衝撃的だったので、全ページをコピーして、当時のジェンダー感が垣間見られる資料として展示することにしました(笑)。

──資料として当時の雑誌が展示されることはよくありますが、たいていは表紙か中の一見開きを見せるだけのところ、今回は記事全部が読めるように展示してありましたね。これはよっぽど企画者が内容を読ませたいんだなという気持ちが伝わってきました(笑)。

会場風景より 撮影:編集部

調査を継続していくことの重要性

小川 会期が始まってから様々な反応を頂戴しているのですが、トレンドを取り入れてやっている展示だと見られがちなのが少し悔しくて。女性作家の再評価や見直しは喫緊の課題であり、私たちも今後継続して取り組んでいく決意を固めているわけですが、それがなかなか伝わらないと感じることもあります。

横山 今後も活動を続けていくことで、示していくしかないかもしれませんね。ジェンダーに関して非対称だった歴史が長くあり、いまはそれを正そうとする動きが盛り上がっている過渡期です。あと10〜20年もしたら「女性作家のグループ展」というような枠組みは有効ではなくなっているかもしれません。そのような未来をつくるためにも、各美術館がジェンダーの視点を持ちながら、様々な切り口で調査・展示をしていくことが非常に重要だと思います。

小林 以前、館内の会議で、フェミニズムやジェンダーに対する取り組みが各国の美術館で活発化している現状を鑑みたとき、東近美はそこにどう対応するのか?という話題が出ました。私は当館に着任する前まで大学院で学んでいましたが、所属していたコースではフェミニズムやジェンダーの観点から美術史研究や作品批評を実践する学生が一定数おり、そうした取り組みは自然なことでした。今後活動を継続することで、美術館にもそうした状況を徐々にもたらせたらと思います。

──これからの展開がとても楽しみです。意欲のある担当者がひとりで頑張るのではなく、6人でチームを組んでやっていらっしゃるところにも持続可能性を感じます。

横山 今回、たまたま男性スタッフが全員忙しくて、メンバーは女性のみになってしまったのですが、今後は男性にも加わってもらいながら、続けていきたいと思います。

*──https://bijutsutecho.com/magazine/series/s21/19922
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女性と抽象|トークイベント

コレクションによる小企画「女性と抽象」に関連して、フェミニズムやジェンダーの見地から近現代美術を研究されている中嶋泉さんと内海潤也さんを招き、同展担当者とのトークイベントを開催します。

開催日時:2023年10月22日(日)14時〜16時(開場13時半)
登壇者:中嶋泉(大阪大学大学院文学研究科准教授)、内海潤也(石橋財団アーティゾン美術館学芸員)、小川綾子(東京国立近代美術館研究補佐員)、横山由季子(東京国立近代美術館研究員)
会場:東京国立近代美術館 地下1階講堂
定員140名(先着順)
参加方法入場無料。事前予約不要。
詳細は以下公式ウェブサイトへ
https://www.momat.go.jp/events/20231022

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。