公開日:2022年5月2日

ヴェネチア・ビエンナーレ2022現地レポ!【2】ナショナルパビリオン編:金獅子賞のイギリス館から緊急設置された「ウクライナ広場」まで

2022年開催の第59回ヴェネチア・ビエンナーレの様子を現地から2本立てで速報。第2弾は、日本もダムタイプが参加している国別のナショナルパビリオンの展示をレポート。黒人、移民、ディアスポラ、ロマ、そして植民地主義や性差別への抵抗をテーマにした展示が注目を集める。

韓国館「Gyre」展示風景。キュレーターチームへの疑念を乗り越え、韓国館は今回のビエンナーレのなかでも注目を集める展示を実現した

▶︎ヴェネチア・ビエンナーレ2022現地レポ【1】「The Milk of Dreams」編はこちら
女性+ジェンダー・ノンコンフォーミングの作家が90%を占めるメイン展示をレポート


新型コロナウイルスの影響で開催が延期されていた第59回ヴェネチア・ビエンナーレが、ついに開幕した。ナショナルパビリオン部門の金獅子賞には、イギリス館が選ばれた。この記事では、ナショナルパビリオンのうちとくに印象深かった館をいくつか紹介していく。(クレジットの無い写真は筆者による撮影)

イギリス館「Feeling Her Way」(アーティスト:ソニア・ボイス、キュレーター:エマ・リッジウェイ)

イギリス館「Feeling Her Way」展示風景より。展示室の中は歌声で満たされていた

リッジウェイによれば、ボイスが今回のビエンナーレ代表に選ばれた理由は、その作品が「人類と希望を共有するという文脈において、人々に探求と創造のための協働をもたらす」ものだからである。アフリカン・カリビアンのルーツを持つボイスは、芸術を通じて人種差別に抵抗するブラック・アーツ・ムーブメントの中心的な担い手であり、今回の作品においてもイギリスの黒人女性ミュージシャンに焦点を当てている。黒人女性たちはイギリスの音楽シーンを長きにわたって支え続け、彼女らの歌声は日常生活のなかにあふれているのにもかかわらず、その存在は過小評価されてきた。

金色の壁紙の壁一面に展示されているのは、2021年の6ヶ月間に収集されたCDやレコードのコレクション

パビリオン内には鑑賞者の姿を反射する金色の幾何学的な彫刻が置かれ、スクリーンには黒人女性ミュージシャンたちの即興演奏が映し出されていた。この金色の彫刻はパイライト(黄鉄鉱)という鉱物をモチーフにしている。黄鉄鉱は美しい色とユニークな形状をしているが、植民地主義的な用語で「Fool’s Gold(愚か者の金)」と呼ばれ、その価値は低く見積もられてきた。このような表現は、日常のなかにいまもなお色濃く残る人種差別的な感覚を炙り出し、私たちに疑問を投げかける。このパビリオンは、英国の帝国主義を振り返るとともに、歴史のなかで透明化されてきた黒人女性の存在を祝福する記念碑的なものとなった。

アメリカ館「Sovereignty」(アーティスト:シモン・リー、キュレーター:ジル・メドベドウ、エバ・レスピーニ)

アメリカ館「Sovereignty」展示風景。中央に位置するのは《Satellite》と題された女性像

ビエンナーレの企画展「The Milk of Dreams」(レポートはこちら)で金獅子賞を受賞したシモン・リーは、アメリカ館初の黒人女性として同国の代表アーティストに選出されてもいた。ビエンナーレのアメリカ代表にとって、このパビリオンそのものがすでに大きな課題である──なぜなら、この建物は第3代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンが奴隷プランテーションを築いた新古典様式の邸宅、モンティチェロにそっくりの建築だからだ(*1) 。リーは、パビリオンの正面を1930年代の西アフリカの家を思わせる木製の柱と茅で覆い、中央に巨大な女性像を配置することで、その外観をがらりと変えた。

《Last Garment》は、ジャマイカの洗濯婦を描いた古いポストカードをもとに制作された
展示風景より、手前が《Sphinx》(2022)、奥が《Cupboard》(2022)

パビリオン内の各部屋には、アフリカン・ディアスポラの芸術的伝統に関連する素材やイメージを用いた女性像が配置されている。たとえば、最初の展示室に設置された《Last Garment》(2022)は、人種差別的な視点で切り取られた黒人女性の写真をもとに、これまで無きものとされてきたアメリカ文化の特定の側面に光を当てている。

展覧会タイトル「Sovereignty(主権)」が示すのは、権力によって抑圧されてきた黒人女性の悲しみだけではなく、「誰もが自分自身の人生において主権を握っている」という力強いメッセージでもある。

フランス館「Dreams Have No Titles」(アーティスト:ジネブ・セディラ、キュレーター:ヤスミナ・レガド、サム・バルダウィル、ティル・フェルラス)

フランス館「Dreams Have No Titles」展示風景。会場内で上映された映画作品は、実際にこれらのセット内で撮影された

アルジェリアがフランスから独立した翌年の1963年にパリで生まれたセディラは、アルジェリア系としては初のフランス館代表アーティスト。彼女は、パビリオンを映画のセットとフィルムアーカイヴ、そして上映室へと変貌させた。上映室で公開された短編映画には、ジッロ・ポンテコルヴォの映画『アルジェの戦い』(1966)を模倣したようなシーンが繰り返し登場する。アルジェリア人の解放闘争を描いたこの作品は、フランスでは初公開から数年間にわたり上映が禁止されていた。

フランス館「Dreams Have No Titles」展示風景
フランス館「Dreams Have No Titles」展示風景

また、入口正面にあるバーカウンターは、エットーレ・スコラ監督『ル・バル』(1983)から着想を得ている。その横には、アーティスト自身がロンドンで暮らす自宅を再現した部屋が用意してあり、移民が多く暮らす南西ロンドンでの生活を垣間見ることができる。最奥の部屋には、ルキノ・ヴィスコンティ「異邦人」(1967)をイメージソースとした木の棺桶が、釘を打たれない状態で置かれている。

映像作品のなかでセディラは、自らの少女時代の映画体験は人種差別から逃避する行為であり、フランスの社会が彼女に押し付ける移民としての役割の外側に自分自身を想像する方法であった、と語っている。このパビリオンは、審査員特別賞を受賞した。

ポーランド館「Re-enchanting the World」(アーティスト:マウゴジャータ・ミルガ=タス、キュレーター:ヴォイチェフ・シマヌスキ、ヨアンナ・バルサ)

ポーランド館「Re-enchanting the World」展示風景。食事の支度や冠婚葬祭の様子など、ロマにとってありふれた生活の一部が丁寧に切り取られる

今回のヴェネチア・ビエンナーレに繰り返し登場したテーマのひとつに「ロマ」がある。日本では馴染みが薄いかもしれないが、ヨーロッパで最大の少数民族だ。ロマはジプシーとも呼ばれる移動型民族であるが、古くからいわれなき差別の対象となり、しばしば非人道的な迫害の対象ともなってきた。ミルガ=タスは、ロマにルーツを持つアーティストとして初めてビエンナーレの国家代表として選出された。彼女は、フェラーラのスキファノイア宮のフレスコ画を再解釈し、ロマの人々の生活を描いた12枚のテキスタイルで空間を埋め尽くす。これは、大文字の「美術史」からこぼれ落ちてきた少数民族の文化を、彼女自身の手で取り返す試みでもある(*2) 。

食事の支度や冠婚葬祭の様子など、ロマにとってありふれた生活の一部が丁寧に切り取られる

ポーランド館「Re-enchanting the World」展示風景
ルキア・アラバヌ(Loukia Alavanou) ON THE WAY TO COLONUS (still) 2022 VR360フィルム 15 分  Courtesy the artist

ナショナルパビリオンでもう1か国、ロマを主題とした作品を発表したのがギリシャ館。VRとサウンドインスタレーションからなる作品に登場した全員が、ロマのアマチュア俳優だ。アーティストのアラバヌ自身はロマのルーツを持たないが、彼女は作品のロケーションとしてアテネ郊外にあるロマの集落を選んだ。この場所には、第二次世界大戦後、ナチスの残忍な迫害を生き延びたロマたちが移り住んできた。何十年も前からそこにあるにもかかわらず、この集落の存在はギリシャ人にすら知られていないという。アラバヌは、コロヌスの街に追放されたギリシャ悲劇のオイディプスと、アテネから追放されたロマの姿を重ねあわせた。作品主題となったソフォクレスの戯曲は2500年前のものだが、その物語は現代を生きる私たちが抱える社会課題とも密接にリンクしている。

ヨーロッパの歴史において、ロマたちは人権を奪われ、差別され、長きにわたって社会から不当なかたちで排除されてきた。2022年のヴェネチア・ビエンナーレで、ロマを主題としたパビリオンが複数登場したことは偶然ではない(*3) 。

ニュージーランド館「Paradise Camp」(アーティスト:ユキ・キハラ、キュレーター:ナタリー・キング)

ニュージーランド館「Paradise Camp」展示風景。ゴーギャンの作品の登場人物を「第三の性」を自認する人々に置き換え、植民地主義的なまなざしを批判したシリーズ

アルセナーレの会場でもひときわ目を惹いたのは、カラフルな壁に印象的な写真作品が並んだキハラのインスタレーション。日本とサモアにルーツを持つキハラは、太平洋諸島先住民、アジア人、そして「Fa'afafine(サモア語で第三の性を意味する)」のアーティストとして、初めて国家代表をつとめた。会場にはキハラ自身のルーツを示す資料、19世紀の探検家たちが残した史料、植民地時代の肖像画、欧米メディアが報じたニュース記事などがアーカイブ的に展示されている。これらはいずれも、太平洋諸島に対する植民地主義的な偏見や、同性愛者に対する差別、太平洋諸島における気候変動などについて記録したものだ。

ゴーギャンの作品の登場人物を「第三の性」を自認する人々に置き換え、植民地主義的なまなざしを批判したシリーズ

いっぽうで、反対側の壁にはポール・ゴーギャンの有名な絵画を批判的に再解釈したシリーズが並ぶ。写真のモデルをつとめるのは、「Fa'afafine」のコミュニティの仲間たち。スクリーンに上映された映像作品のなかでは、ゴーギャンのような西洋美術史の「巨匠」が、太平洋諸島先住民の身体をエキゾチックなものとして客体化してきたことが、ユーモアを交えながら指摘される。展示の雰囲気は明るく軽妙だが、これは「南国らしい」雰囲気で鑑賞者を喜ばせるためというよりむしろ、欧米メディアによって作り出された太平洋諸島に対する単一的なイメージを揶揄しているかのようだ。

日本館「2022」(アーティスト:ダムタイプ、キュレーター:非公表)

日本館「2022」展示風景

1952年からジャルディーニにパビリオンを構える日本館では、アート・コレクティブ、ダムタイプの新作《2022》が発表された。従来、日本館の展示内容については、キュレーターの企画プランを選定する指名コンペが行われてきたが、今回は選考委員会が直接作家を選定する方式が初めて採用された。

韓国館「Gyre」(アーティスト:キム・ユンチョル、キュレーター:イ・ヨンチュル)

韓国館「Gyre」展示風景。キュレーターチームへの疑念を乗り越え、韓国館は今回のビエンナーレのなかでも注目を集める展示を実現した

韓国パビリオンは、大きな波乱を乗り越えての開催となった。2021年夏に行われたキュレーターの選考において、選考委員とキュレーター候補者のあいだに癒着があることが明るみに出たのである。当初は問題の委員を除いた新たな選考案が発表されたものの、ほかの委員が一斉に辞職する事態となった。韓国アーツカウンシルは2021年秋に新たな選考委員会を立ち上げ、公平かつ透明性の高い審査を経てイ・ヨンチュルをキュレーターに決定した(*4) 。

今回展示された5つのキネティック彫刻は、自然と機械、有機物と無機物の境界線を曖昧にする。なかでも会場中央に設置された《Chroma V》は、明るさと色の変化がアルゴリズムによって生成される巨大なコイルで作られており、その表面はまるで呼吸しているかのように膨らみ、血が通っているかのように脈打つ。5mにも及ぶこの生き物/機械は、私たちにある種の畏敬の念すら抱かせる存在である。

ジャルディーニ会場内の様子

今回のビエンナーレでは、BAME(Black, Asian and Minority Ethnic:黒人、アジア人、少数民族)や女性、クィアのアーティストたちが中心となり、これまで頑なに信じられてきた大文字の「歴史」を編みなおすための第一歩を踏み出すような内容となった。

そのいっぽうで、いくつかの重要な課題も残されている。今回が初めての参加となったナミビア館「A Bridge to the Desert」(アーティスト:RENN、キュレーター:マルコ・フリオ・フェラーリオ)はその一例である。イタリア人キュレーターのフェラリオが招へいしたRENNは、素性を明かさないミステリアスなアーティストであると紹介された。しかし、この人物は実際には南アフリカ出身の白人男性であり、観光客向けロッジに作品を提供する商業彫刻家であった。国際芸術祭において、白人中心的な西洋社会が作り出した都合の良いナミビアイメージが流布することを危惧し、同国のアートコミュニティからは激しい講義の声があがった(*5) 。

閉じられたままのロシア館

また、開幕直前の2月24日に開始されたウクライナへ軍事侵攻は、ビエンナーレにも深刻な影響を与えた。ロシア館代表アーティストのキリル・サフチェンコフとアレクサンドラ・スカレバ、キュレーターのライムンダス・マラサウスカスはナショナルパビリオンへの参加を辞退し、ビエンナーレ側もウクライナへの全面的支援を表明した。

ウクライナ館の展示は直前まで不安定な状況に置かれていたものの、大型インスタレーション「Fountain of Exhaustion」(アーティスト:パブロ・マコフ、キュレーター:ボリス・フィロネンコ、リザベタ・ハーマン、マリア・ランコ)を完成させた。さらに、ジャルディーニ会場には「ウクライナ広場」が緊急設置された。広場中央にウクライナ緊急美術基金(UEAF)により建てられた土嚢のモニュメントが築かれ、周囲は焦げた木の柱で囲まれている。この柱には複数のウクライナ人アーティストによる作品のポスターが展示された。

ウクライナ館のキュレーターのランコは、ロシアが侵攻してきたその日、78個のブロンズ製漏斗を車に積んで必死の思いでキエフを脱出したという。鑑賞者は、多くのウクライナ人が脱水によって命を落としている現在の状況と作品を重ね合わせることになるだろう
「ウクライナ広場」の様子。ウクライナから文化を奪うことは誰にもできない

ヴェネチア・ビエンナーレのような大規模国際芸術祭において、ナショナルパビリオンには様々な側面がある。イギリスやアメリカのようなかつての欧米列強が黒人女性を国家代表として選んだことは、植民地政策への反省とレイシズムへのアンチテーゼを示す非常に重要なアクションとなった。

いっぽうで、芸術作品が白人中心的な視点を内包しやすく、いまなおその戦いが続いていることは、ナミビア館の例からも明らかだ。そして、ウクライナ館の存在は、戦禍にあっても自国の尊厳と平和への希求を表明し続ける、アーティストとキュレーターの強い意志を世界中に示すこととなった。個性豊かなパビリオンを見せてくれた国と地域(あるいは、ナショナルパビリオンを出展しなかった国々)に対して思いを馳せ、アーティストたちが向き合う問題について多角的な議論を重ねることこそが、困難な時代であってもビエンナーレを開催し続ける最大の意義なのかもしれない。

欧州からの観光客の数はコロナ以前の状態に少しずつ近づいている

*1──2019年にアメリカ代表に選出されたマーク・ブラドフォードは、パビリオンに通常のように正面から入るのではなく、ジェファーソンの奴隷がそうであったように、脇の扉から入る方式を取り、植民地主義と人種差別への抵抗を示した。
Andrew Goldstein, “Mark Bradford Is Our Jackson Pollock: Thoughts on His Stellar US Pavilion at the Venice Biennale,” artnet news, 11 May 2017, accessed 28 April 2022,https://news.artnet.com/art-world/mark-bradford-is-our-jackson-pollock-thoughts-on-his-stellar-u-s-pavilion-at-the-venice-biennale-957935

*2──パッチワークという表現方法には、男性中心的な美術史へのアンチテーゼという意味も込められているだろう。歴史的に、絵画と彫刻は芸術分野のなかでも上位に位置するとされ、それらの作り手は男性の「巨匠」に占められてきた。対して、刺繍やパッチワークといった手仕事は下位の芸術とされ、名もなき女性たちが担ってきた。いかにも「ヨーロッパ的」なフレスコ画が色とりどりのパッチワークによって換骨奪胎されることで、私たちは自らが内面化してきた「美術史」の誤解と偏見を認識することとなる。

*3──ナショナルパビリオンのほかにも、市内での関連展示として「The Abduction from the Seraglio / Roma Women: Performative Strategies of Resistance」(アーティスト:オイゲン・ラポートル、キュレーター:イリーナ・シレル)が開催された。キュレーターのシレルは「ロマ」かつ「女性」という二重のマイノリティを抱える人々の声に耳を傾ける。

*4──“Lee Young-chul to curate South Korea pavilion at 2022 Venice Biennale,” Artreview, 18 Aug 2021, accessed 28 April 2022, https://artreview.com/lee-young-chul-to-curate-south-korea-pavilion-at-2022-venice-biennale/

*5──ナミビアのアーティストたちからは以下のような署名プラットフォームが提出された。彼らは、(1)ナミビアを非文明的な砂漠の国として周縁化するような偏った展覧会テーマ、(2)美術館での実績がない白人の商業作家が国家代表となった経緯の不透明性、(3)キュレーターのナミビアに対する理解の不足、という3点を主な問題点として挙げた。この騒動により、パビリオンのパトロンであるモニカ・チェンブローラは、開幕を1週間後に控えて辞任し、メインスポンサーである高級旅行会社のアバクロンビー&ケント社も支援を打ち切った。“Not Our Namibian Pavilion,” Change.org, accessed 28 April 2022,https://www.change.org/p/national-arts-council-namibia-not-our-namibian-pavillion

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女性+ジェンダー・ノンコンフォーミングの作家が90%を占めるメイン展示をレポート

齋木優城

齋木優城

齋木優城 キュレーター/リサーチャー。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻修士課程修了後、 Goldsmiths, University of London MA in Contemporary Art Theory修了。現在はロンドンに拠点を移し、研究活動を続ける。