明日少女隊 「We can do it!」会場にて 撮影:編集部
明日少女隊「We can do it!」が北千住BUoYで開催されている。会期は8月6日まで。
明日少女隊とは第4波フェミニスト・アクティビストによるアートグループで、ジェンダーや国籍の異なるメンバー通算50名ほどが匿名で活動している。2015年の結成以来、日本、そして東アジアのフェミニズムをアートを通して発信しており、これまでの作品を一挙に紹介するのがこの日本初個展だ。
作品のテーマは、刑法性犯罪改正、広辞苑のフェミニズムの定義、「慰安婦」やトランスジェンダーの権利の問題など多岐に渡る。
今回は、明日少女隊の創設メンバーのひとりで、普段はロサンゼルス在住の尾崎翠に会場でインタビュー。結成のきっかけからこれまでの活動などについて聞いた。
──結成は2015年ですね。私は前職で2017年にアートにおける「ジェンダー」をテーマにした特集を作ったことがあるのですが、その準備をしていた頃に明日少女隊のことを知りました。いまではフェミニズムやジェンダーをテーマにする展覧会やアーティストの作品を見る機会が増えましたが、当時はフェミニズムやフェミニスト・アートを正面から掲げる同時代の若手作家は日本ではほぼ見つからなくて、ネット検索するとまず明日少女隊が出てくるような感じだったのを覚えています。ただ「いったい何者?」と思っていました。そんな状況だった2015年に結成したのはどのような理由なのでしょうか?
尾崎 雑誌『ViVi』が2015年3月号に掲載した「なれるものならプロ彼女」特集を、「デートDVを促す」などのSNS上での批判を通して知り、その女性蔑視的な内容に驚きました。そこでパロディとして「なれるものなら“Happy彼女”」という作品を急いで作ったのが最初です。
私はLAに住んでいたのですが、日本に向けたフェミニストグループを作りたくて、まずはアメリカに住んでる日本人のアーティストや関係者の友人から声をかけ始めたんです。ただ「日本では理解されない」などの理由でなかなか人が集まらなかったところに、ふたりの韓国人とひとりのアメリカ人のメンバーが「興味がある、やりたい!」と言ってくれて、結成しました。
日本では当時、いまみたいにフェミニズムに関するインターネット記事とかもほぼ皆無だったんです。知り合いのアーティストやデザイナーの子たちも、「日本はすでに平等な国やからそんな活動必要ない」といった断り方をするような状況でした。
その後、アーティストではない人たちもグループに加わってくれるようになりましたが、そこには良い面がたくさんありました。アカデミアを経験している人も多いので、たとえば作品にするまでの社会問題の背景に関するリサーチを担ってくれたり、国会で法案が議論されるタイミングなどを教えてくれたり、ほかの志を同じくするNPO団体とのコネクションづくりなど、各人の専門性を発揮して、コラボレーションができるようになりました。
──尾崎さんはLA在住ですが、日本と東アジアに向けたフェミニズムに焦点を当てたのはなぜでしょうか?
尾崎 私は日本の美術大学を出たあとニューヨークの大学院に進学し、そこで初めてクィア&フェミニスト・アートの授業をとり、日本ではまったく教わらなかったアートに対するジェンダー的視点を知り、驚いた経験があります。
その後LAに拠点を移し、子供ができたことで、アメリカのママ・コミュニティと、日本人のママ・コミュニティの両方とつながることになりました。もうどこの国でも、ママの悩みってフェミニズムの問題が凝縮されて出てくるんですよね。でも日本人のママたちの悩みって、アメリカ人のママとはまったく違ったんです。駐在員の妻など経済的には心配がなさそうなのに、「ワンオペで忙しくて、美容院にも歯医者にも行くのも諦めた」という方に何人も出会ったんです。私がいいシッターさんを紹介すると言っても、「子供を預けるなんて夫や日本にいる家族がどう思うか」といった感じで断られ、すごくショックを受けました。子供を預けられるような社会的なサービスが発展しても、ここには解決されない心の中の壁があるとわかったんです。
当時はオバマ政権でしたし、2014年にはエマ・ワトソンがUN Womenでジェンダー平等に向けたスピーチをしたり、ビヨンセがフェミニズムのメッセージを発信したり、近所の子供たちも「Girls Power」と書かれたTシャツを着ていたりと、アメリカではすでにフェミニズムが大きな注目を集めていました。そのようななかで、私が育児の合間のなけなしの時間を使うなら、まだフェミニズムが浸透していない日本や東アジアに向けた活動にしたいと思いました。
──明日少女隊はアートのグループであると同時に、第4波フェミニスト・アクティビスト・グループでもありますね。アクティビズムを主軸に据えるのは、そうではないアートとどのような違いがありますか?
尾崎 やっぱりアクティビズムは行動がすべてだと思います。アクションがあってこそのアクティビティズムなので、どのような社会問題に対して実際にどういう行動をしているのか、私たちの場合は作った作品がどういうアクションになっているのか、という部分がいちばん大きいと思います。
それにスピード感やタイミングも重要です。「なれるものなら“Happy彼女”」も、この雑誌の特集の話題が起きているときに素早くアクションする必要があると思い、急いで作りました。また、何か社会問題に関する法案が動くタイミングがあればそこに合わせてアクションすることに効果があります。
2016年の「Believe 〜わたしは知ってる〜キャンペーン」は、100年以上変わっていなかった性犯罪に関わる刑法を、性暴力被害の実情に合ったものへと改正すべく、ほかの4団体とともに政治に声を届けることを目的したキャンペーンです。 国会議事堂前に行ってパフォーマンスを行い、その後は当時レイプ事件で問題になった東京大学まで移動し、そこでパフォーマンスをしました。これはその周囲にいる通行人の方たちなどにも直接的に問題を伝える方法です。
いっぽうで私たちが一般的なアクティビズム・グループと違うのは、こうしたパフォーマンスやアクションを、最終的にヴィデオ作品などに落とし込むことに力を入れていることです。テロップなどを加えて問題をわかりやすく伝える、エデュケーション(教育)ヴィデオにして、YouTubeなどで無料で公開する。ここまででひとつの流れです。
発表に至るまでのリサーチも重要です。「Believe」であれば日本におけるデートDVの数はどれくらいなのかとか、刑法の在り方などについてリサーチを行いました。
2017年の「広辞苑キャンペーン」であれば、広辞苑の初版から当時の第六版まで、「フェミニズム」と「フェミニスト」がどのように記載されているかを調べるところから始まりました。このキャンペーンは広辞苑の「フェミニズム」と「フェミニスト」の定義が誤解を招く内容であったことから、改訂を求めて行ったものです。 署名運動を行い、6512 筆を岩波書店に届けました。2018年に出版された広辞苑第 7版では、「フェミニズム」の定義は「平等」という文字が入り、より誤解されない定義になりました。
──「広辞苑キャンペーン」は社会的に広く注目を集めましたね。
尾崎 はい。昨日この展覧会に取材に来てくださったある記者の方は、高校生のときに私たちのプロジェクトをインターネットで知って、そこからずっとファンになってフォローしてくださっていて。もう当時から何年も経って、いまは記者さんとして取材していただいた。アクティビズムって、やっている本人はなかなか気づきにくいんですけれど、何かこういう出会いのようなものが思わぬところで生まれたりするんです。活動の渦中にあると、とにかく本当にバックラッシュの嵐で、その対応で手一杯になるんですけど、そういうものも乗り越えてきてよかったと思いましたね。
──バックラッシュという点では、明日少女隊の結成から現在までは、#MeToo運動もあり、フェミニズムが一般的に広く聞かれるようになってきた時期でした。同時にSNS上などで無理解に基づく過酷なフェミニズム・バッシングが次から次へと吹き荒れる時期でもありましたね。最近はさらに、トランスジェンダーへのヘイトもひどい状況で、明日少女隊は2022年からトランスジェンダーの権利に関する活動も行っていますね。
尾崎 そうですね。2016年に「碧志摩メグ」公認撤回運動を行いましたが、そのときのバックラッシュも予想以上の凄まじさでした。伊勢志摩サミットを控えた三重県志摩市が公式マスコットキャラクターとして「碧志摩メグ」を発表したのですが、それは「海女見習い」として17 歳の女の子が性的に誇張され「彼氏募集中、身長 158センチ、46キログラム」というプロフィールまで付いていました。地元・三重の海女の方々もこのキャラクターの公認撤回を求める署名運動をしたのですが、「女性蔑視などはあくまで個人的な感じ方の問題だ」と市長から退けられてしまった。
そこで私たちも「行政が未成年の女性を性的なものとして表現し、 市の広報のための公認キャラクターとして利用し、市役所などの多くの公共の場所で公開をしていることは問題である」と、公認撤回を要求する署名運動を行いました。
このときは萌え絵キャラクターを愛好する方たちからのバックラッシュはもちろん、辛かったのはアート界の人々からも次々と批判されたことです。「表現の自由を踏みにじっている」などと非難されました。もちろん表現の自由はかけがえのないものですが、私たちは表現の自由は社会的に弱い人たちの声を守るためにあるものだと考えています。父権社会のなかでのし上がった一部の人々のためではなく、このときで言えば署名を退けられた海女さんや、性的な視点に晒される若い女性たちのために表現の自由はあるべきだと思い、行動しました。最終的に市は公認を撤回しました。
もうひとつの成果としては、この後、性差別的な表象に関する議論の流れが変わったことがあります。「碧志摩メグ」の直後にも、また別の行政が性差別的な表現によるキャラクターを市のポスターやCMに起用し炎上するということが起きました。私たちは「また声を上げないといけないのか……」と見ていたところ、今度は別の方が声を上げて運動を始めてくださった。これはとても嬉しかったですね。
──明日少女隊というグループ名について、なぜこの名前なのかお聞きできますか。というのも、じつは最初に見た時から、グループ名に引っかかりというか違和感を感じてきました。
尾崎 私たちは日本語・英語・韓国語を交えてコミュニケーションしているので、この3つの言語で自然な名前にしたかったんです。よくあるチーム名って、翻訳不能なものが多いんですね。それに日本人ではないメンバーが多いので、和製英語的なものだとその良さを共有できない。それでいろんな案を出すなかで、まずは次の世代のための活動をしようというグループのコンセプトから「GIRLS」という単語が出てきて、「明日少女隊/TOMORROW GIRLS TROOP/내일소녀단」であれば、それぞれの言葉にすんなり変換できると思ったんです。漢字なら中国の人にも意味が伝わる。
でも、この案を出したときに日本の男性から「少女」って言葉は使わないほうがいいんじゃないの、と言われました。なぜかと聞いたら、少女ってすごく性的なニュアンスがあると。そうした表象と密接につながっていると聞いて、私たちはびっくりして。なぜなら英語のGirlでは、それはまったく性的になりませんから。ただの「女の子」なのに日本だと性的に聞こえる言葉だから使うなって……その言葉が奪われていると思ったんです。それなら、むしろ使いたい、と思いました。
──私の違和感もその男性の指摘と同様です。やはり少女という言葉は、それこそ「碧志摩メグ」みたいな、若くて可愛くて性的な表象と切っても切れない、シス男性目線のフィルターを通してしか響いてこない、セクシズムとエイジズムを感じさせる言葉になっていると思います。「戦闘美少女」とか「制服少女」とか。
尾崎 私たちの活動には、言葉を取り戻す活動がいっぱいあるんですよ。「フェミニスト」とか「フェミニズム」もそうです。明日少女隊をやるなかで、「もうその言葉は使わないほうがいい、嫌われているから」って何度も言われてきました。でも、フェミニズムやフェミニストという言葉が差別的な目線にさらされて当事者が使えなくなってしまうのはおかしい。それで「広辞苑キャンペーン」を行い、より現状に即した言葉の定義を求めました。最新版でも「フェミニスト」については「女に甘い男」という定義が残ってしまっているので、引き続き改訂への声を上げる必要があります。
少女だって、たとえば「マッチ売りの少女」には性的な意味合いはないですよね。ただのGirlです。私たちはそうした意味まで戻したいし、再定義したいならその言葉を使い続けなくてはいけない。今回の展示にも「女子力カフェ」ってスペースがありますが、アメリカで「Girls Power」って言うとき、それをまつ毛が長いとか痩せてるとか、そんな意味で使う人はいません。
──言葉を取り戻すというのは、マイノリティの運動として重要なことですね。最後に今回の展示で、来場者に注目してほしいところはなんでしょうか。
尾崎 今回の展示は「フェミニスト・アートの今がわかる展覧会」としています。以前よりフェミニズムが広がったいまでも、芸術大学や美術大学などを含めて、フェミニスト・アートを学べる機会はすごく少ないです。なので、この展覧会が、フェミニズムやアクティビズムについて体感できる場所になればと思っています。
あわせてアートダイバー社から作品集を出版しましたが、この本は日本のフェミニズムの年表を中心としたジェンダー学初心者向けの本になっています。フェミニスト・アートを学びたい日本の若者を、本を書いて応援したいと思い、フェミニスト・アーティストの嶋田美子さんや美術史家の吉良智子さんとの対談、フェミニズムとアートを研究している由本みどりさん、竹田恵子さん、山本浩貴さんからの寄稿も収録しました。いま日本でフェミニズムの高等教育を受けられるというのは特権的なことですし、カラー印刷で高くなりがちなアート本を買える人も限られています。出版社にも相談し、クラファンをするなど、最初からなるべく安い値段で手に取ってもらいやすい本にすることを目指してきました。
アカデミアやアートの専門家だけではない、様々な人に届いてほしいと思っています。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)