3月8日は国際女性デーだ。ことの始まりは1908年。ニューヨークで参政権のない女性労働者が労働条件の改善と参政権を求めて起こしたデモがきっかけである。これを受けて、1910年、ドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが社会主義インターナショナルで「女性の政治的自由と平等のために戦う」記念日を提唱。国連が3月8日を「国際女性デー」として制定したのは1975年のことだった。
とはいえ、国際女性デーについて語るなら、1917年3月8日に起こったロシアの二月革命についても言及すべきだろう。「パンと平和」を求めて女性労働者らが決行したこの日のデモは、男性労働者、兵士を巻きこむ大規模な隆起となり、ロシア帝政は崩壊。暫定政府によって女性の選挙権が認められることになった。残念ながら、その政治性は徐々に剥奪されることになるが、少なくとも当時のポスターには、家事労働からの解放を訴えるスローガンが描かれている。
こう振り返ると、国際女性デーの根幹には一貫して女性と労働、女性と政治をめぐる諸問題への根本的な問いかけが流れているように思われる。
イタリア出身のフェミニスト、シルヴィア・フェデリーチは、著書『キャリバンと魔女』の中で、魔女狩りが資本主義と時を同じくしていたことに注目している。フェデリーチによれば、魔女とは「異端者、民間療法師、服従しない妻、独身を貫く女、魔法や妖術を操って魂に毒を盛り奴隷たちに叛逆を唆す女」たちを指し、「魔女」として告発された者たちは、魔女狩りという前代未聞の虐殺に処された(*1)。
政治的、宗教的、社会的、性的不安をかき立てるグロテスクで不気味な存在。避妊と堕胎が犯罪だった魔女狩りの時代。魔女たちは、独り身で、子供を殺し、悪魔と契約を交わし、サバトで子供の死体を貪り喰うと言われ、スケープゴートにされた。「良き母」とは対照的な女たちだ。ウォルト時代のディズニー映画さながら、いつの時代も女たちはつねに分断されてきた。
魔女のなかには男たちもいたが、魔女狩りの対象は圧倒的に女だった。魔女は、生殖をはじめ、避妊、中絶など、自らの身体を自律的にコントロールしようとし、資本主義的生産及び再生産に抵抗する者たちでもあった。というのも、資本主義は生産と再生産を分離し、前者を賃金が支払われる「労働」に、後者を「母性」や「愛」あるいは「女性の天職」といった神話によって「自然」なものとして包み隠してきたからだ。そうすることで、労働とそうでないものを賃金によって分別し、人為的な神話によってそのシステムを支える仕組みを家父長制に根ざした男女二元論に基づいて作り出してきた。魔女狩りとは、女性の生殖と人間の再生産という資本主義に不可欠な資本を国家の管理下におくための暴力装置であり、家父長制という抑圧システムのひとつの起源なのである。
とはいえ、魔女のイメージは時代によって大きく変容してきた。興味深いことに、21世紀を迎えると、魔女をめぐる展覧会が続々と開催され、フェミニズム・アートの新たな地平が切り拓かれている。
何より注目すべきは、魔女について、女性たちが語り直し、そのイメージを再構築し、その意味を家父長制社会に抗して闘うためのキーワードとして更新していることだ。
2013年にスコットランド国立美術館で開催され、その後大英博物館に巡回した「魔女と魔女の身体」展、2016年にベルギーのサン=ジャン=ド=ブルージュ美術館で開催された「ブリューゲルの魔女」展、2018年にパリ近郊アルフォールヴィルの現代芸術センターで開催された「ホワイト・ブラッド・ブルー・ナイト」展、2020年にコペンハーゲンのシャルロッテンボー美術館で開催された「魔女狩り」展(11月7日〜2021年2月21日)。そして2015年にはロンドン現代美術館(ICA)で「ミソジニー:魔女と邪悪な身体」をめぐる会議も開かれた。
日本でも2008年に武蔵野美術大学で「魔女たちの九九」展(6月2日〜7月12日)が開催され、2009年にはプファルツ歴史博物館で開催された「魔女——伝説と真実」展を元に構成した特別展「魔女の秘密」(2015〜2016年)が催されている。また『文藝』2022年冬季号の特集「魔女・陰謀・エンパワメント」における現代魔女の円香さんと雨宮純さんの魔女論、社会学者の橋迫瑞穂さんによるスピリチュアリティや占いをまとう少女論など、現代のエコロジー、フェミニズムを再考するうえで魔女は欠かせない形象として息を吹き返している。
なぜ、いま魔女なのか。そしてアートと魔女のあいだにはどのような関係が切り結ばれているのか。またそれはどこへ向かおうとしているのか。ここでは魔女とアートをめぐるいくつかの特徴に論点を絞って21世紀の魔女について考えてみたい。
美術史において、魔女を描き、そのイメージを構築してきたのは常に男性の芸術家たちだった。アルブレヒト・デューラーの《山羊に後ろ向きに乗る魔女》(1505年頃)や1793年から1823年にかけて老女や魔女が逃げ惑い火炙りにされる様子を生々しく描いたフランシスコ・デ・ゴヤの《魔女の夜宴、または偉大なヤギ》、あるいは《魔女の安息日》を思いだそう。
フランスのジャーナリスト、セリヌ・デュ・シェネによれば、魔女のイメージはフランスの歴史家ジュール・ミシュレの『魔女』により、悲劇的な運命を請け負いつつも、自由を渇望し、ロマン主義的で叛逆的な女性へと肯定的に転換されることになったという(*2)。
とはいえ、ディアナ・ペサーブリッジが魔女の表象を美術史のミソジニーの系譜として読み解いたように、ヨーロッパの集合的な想像力の中には邪悪な魔女のイメージが根深く息づいている(*3)。たとえ彼らの絵が魔女裁判への風刺であったとしても、魔女が男性芸術家たちを惹きつける格好の題材として取りあげられてきたのは間違いない。では今日、こうした魔女のイメージは、女たちによってどのように描き直されているのだろうか。
まずは、2017年にヴェネチア・ビエンナーレのアイルランド館で展示されたジェシー・ジョーンズの映像/インスタレーション《Tremble Tremble》を見てみよう。「Tremble、Tremble」とは、1970年代イタリアのフェミニストのスローガン「慄くがいい、魔女たちの復活だ!」に着想を得たものである。
当時、イタリアでは、「家事労働に賃金を」運動が展開され、「労働の拒否」が掲げられていた。この運動を展開した前述のフェデリーチは、2012年に女性キュレーターのアンナ・コランとともにパリのメゾン・ポピュレールで「多少とも魔女」展を企画・実施している。そのパリでは、2017年9月、政府による労働法改正に抗して「マクロン(大統領)を鍋にぶち込め!」と魔女たちが集結してデモを行った。そしてこれを機にフランスの各都市で魔女ブロックが組織され、このムーブメントは、2016年に誕生したドナルド・トランプ政権以降のアメリカのフェミニズム運動にも大きな影響を与えることになる。
そのひとつが2021年10月からハマー博物館とロサンゼルス現代美術研究所(ICA LA)のコラボレーションで開催された「魔女狩り(Witch Hunt)」展(2021年10月10日~2022年1月9日)である。この展覧会は、2016年のトランプ大統領の誕生とそれへの怒り、そして翌年に開催されたウーマンズ・マーチが大きな原動力となっている。2007年に「WACK!:アートとフェミニズムの革命」展を開催したキュレーターのコニー・バトラーがアン・エルグッドと共にこの企画に着手したのは2017年だった。当初は2020年秋の開催を予定していた。だが、パンデミックが世界を席巻し、社会における不安定性の不均衡な配分、ケア労働のジェンダー化、BLMをはじめとする人種をめぐる不公正な構造が浮き彫りになった。
2020年秋といえば、バークレー美術館のシニアキュレーター、アプサラ・ディキンジオが「フェミニスト・アート同盟」(Feminist Art Coalition、以下FAC)を立ち上げ、アメリカではおよそ50の美術館、アート機関が同時多発的に女性アーティストの展覧会を開催した時期でもある(*4)。
「魔女狩り」展は、こうした現状を前に、ジェンダーを通して人間であることの意味を再考し、今日のフェミニズムとはどのようなものなのか、アーティストとして取り組めることは何なのかを探求した野心的な取り組みだった。しかし同時にこの展覧会は、女性問題、強姦疑惑、脱税事件など自身の罪を批判する左派メディアに対し、「魔女狩りだ」と反発し、自身を犠牲者化するトランプから「魔女狩り」という言葉を取り戻す試みでもあった(*5)。
「魔女狩り」展には、13カ国から16名の出品作家が参加した。オクウィ・オクポクワシリ、ララ・シュニットガー、シュー・リー・チェン、キャンディス・ブレイツをはじめとする作家によって、クィア、女性、セクシュアル・マイノリティの権利、移民、環境問題への主張が掲げられた意的な取り組みだった。今後、こうした企画がアメリカの白人の女性のキュレーターだけでなく、より多彩なかたちでそれぞれの場所を起点として始まることを期待しつつ、フランスのフェミニスト、モナ・ショレが指摘するように、「魔女狩りの歴史をたどることは、そのとき何が選択され、何が強要され、その後、社会がどのような方向に進むことになったのか、多くのことを教えてくれる」と言えよう(*6)。
もちろん、街頭に繰り出す魔女たちの活動は新しいものではない。1968年にニューヨークに登場したW.I.T.C.H.(Women’s International Terrorist Conspiracy from Hell:地獄からの女性国際テロリスト陰謀団の頭文字からなる)は、ホウキをもって、黒い三角帽をかぶり、ニューヨークからバークレー、シカゴまで、ウィットに富んだ様々な抗議活動を繰り広げ、物議をかもした。彼女たちはバレンタインデーの翌日に結婚式場に押し入って非人間的な制度に罵倒を浴びせ、ハロウィーンには皆で集ってウォール街の証券取引所に陰謀を企てた。
美術理論家のケイティ・ディープウェルは、こうした魔女像へのアプローチは、家父長的な西洋の資本主義の抑圧的な諸形態に代わるものとして唱えられた母系宗教、異教徒、キリスト教以前の宗教をめぐるフェミニスト解釈とはまったく異なるものであるとし、魔女に対する多様なイメージに対してより複雑なアプローチの必要性を説いている(*7)。
他方、フランスでも、1968年にロベール・マンドルーの『17世紀フランスの司法・行政官と魔女』が刊行され、従来の魔女狩りのイメージが一変することになった。その数年後、哲学者グザヴィエル・ゴーティエによって「女性たちは生きている」というサブタイトルを付した雑誌『魔女たち』(1975〜82)が隔月刊で創刊された。
このタイトルはミシュレの魔女をめぐるマルグリット・デュラスとの対談に着想を得たもので、フェミニズム、文学、芸術を通して社会の変革を目指す画期的な企てだった。創刊号の表紙はシュルレアリストのレオノール・フィニの魔女を想起させるものだ。ゴーティエ自身が述べるように、それは鉤鼻の老いた魔女のイメージではなく、「ソロリテ」、つまり「女性同士の友愛」を物語っているかのようである(*8)。
ただし、セリヌ・デュ・シェネが指摘するように、ゴーティエの『魔女たち』は魔術とは関係がない。この点がアメリカにおける魔女とは大きく異なっている。というのも、フランスでは、イザベル・カンフラキが編集した「魔女」叢書を機に初めてアメリカの魔女が広まることになる。この「魔女」叢書のひとつは、バーバラ・エーレンライクとディアドリー・イングリッシュによる名著『魔女・産婆・看護師——女性医療家の歴史』であり、もうひとつが1982年に刊行されたスターホークの『闇を夢見る:女性、魔術、政治』だった。
カリフォルニア在住のスターホークがスピリチュアリティと政治のつながりを「エンパワメント」として認識したのは、1970年代から80年代にかけて反軍国主義、反核運動、そして何よりディアプロ・キャニオンの封鎖運動への参加とその挫折を通してのことだという。カリフォルニアのスピリチュアリズムとテクノロジーをめぐる魔女の最前線については、円香さんのインタビューに詳しいが(*9)、同時にここで心に留めておきたいのは、スターホークがポルト・アレグレでの世界フォーラム、1999年のシアトルのWTO会議や2001年のジュネーヴのG8会議、ケベックにおける米州サミットへの反対デモなどに魔女仲間とともに出現していたことだろう。
また日本においても、ネオ・ダダに参加したアーティストとして知られる岸本清子が、1981年に自ら「地獄の使者」と称して「21C型魔女宣言」を行い、ラディカルなパフォ—マンスと巨大絵巻とも言える超大作を通して、男性支配によるピラミッド型の力と論理をひっくり返し、愛と自由思考による社会変革のヴィジョンを唱えたことは改めて確認しておきたい。
いずれにせよ、今日、アメリカでは、魔女は反トランプ運動のシンボルとして、また「#MeToo」運動に触発され、ミレニアム世代を中心に驚くほど急増している。魔女はもはやディズニー映画やハリーポッターといったファンタジーの世界の住人ではなく、21世紀のフェミニストとして復活しているのである。
ところで、魔女はなぜホウキに乗って空を移動しているのだろうか。というのも、魔女はホウキがなくても飛ぶことができる。デューラーの絵では雄ヤギにのって空を飛んでいた。逆にいえば、空飛ぶホウキがあるわけではないのだ。
しばしば言われるように、魔女が空を飛ぶのはサバトに参加するためである。魔女のホウキは杖ではあるが「男根を彫り込んだ杖」であり、産婆の象徴でもあると言われている。いずれにせよ、ホウキにまたがることはキリスト教的にタブーだった。けれども、ここで改めて目を向けたいのは、なぜホウキという生活道具なのか、という点である。
ドイツ文学者の西村佑子によれば、魔女は飛行用の軟膏を身体に塗って空を飛ぶという(*10)。この軟膏は、悪魔からもらうか、レシピを教えてもらって作ったもので、レシピの主成分はケシやヒヨスといった浮遊感や幻覚を産む薬草だった。ディズニーの『白雪姫と七人のこびと』に登場する魔女がぐつぐつと煮立った鍋で呪いの毒林檎をつくる姿を彷彿とさせる。ホウキと鍋は魔女のイメージに欠かせないアイテムであり、家事労働に必須のキッチン用品である。これは、しかし、前述したフェデリーチの議論を想起すれば、けっして偶然ではないように思われる。
1969年に《メンテナンスアートのためのマニフェスト、1969!》を発表したミエレル・レーダーマン・ユケレスは、「日常生活は芸術になりうるか」という問いと同時に、再生産労働である家事労働が労働として認識されないことと、美術館という制度を維持していくための労働が軽視されていることに、階層化された労働の構造を見てとり、芸術の領域を批判的に押し広げた。
《メンテナンスアートのためのマニフェスト、1969!》はもともと『ケア』展のプロポーザルとして提示された作品だが、「メンテナンス・アート」について彼女は次のように述べている。
メンテナンスとは、生き延びること、時間をかけて継続することと関係がある。一瞬で何かを作り出すことはできる。けれども、それが人間であれ、システムであれ、都市であれ、それを維持するためには、継続しなければならない。私たちがすべきことのひとつは、このサービスを提供する人々を大切にし、そこから学ぶことだと思う。
言い換えれば、メンテナンスとは私たちの生とそれを支えるシステムの再生産に他ならない。《移譲:美術品のメンテナンス:ミイラのメンテナンス:メンテナンス瓦解の男性、メンテナンス・アーティスト、美術館の美術品管理者とともに》、《鍵を管理すること》、《洗浄/痕跡/メンテナンス:内部》、《洗浄/痕跡/メンテナンス:外部》、《わたしは毎日一時間メンテナンス・アートを制作する》、そして《清掃に触れる》といった彼女の一連のパフォーマンスは、結婚、出産により危機に陥った芸術家としての自身の立場を逆手にとって、私的領域においても、美術館という公的領域においても不可視化されてきた再生産労働そのものを芸術として可視化することで既存の社会をとりまく制度そのものを問い直す試みだった。
家事労働という点では、マーサ・ロスラーが《キッチンの記号論》(1975)においてその意味を批判的に再検討して見せた。テレビの料理番組を模して自らキッチンに立ち、カメラに向かって食卓に並ぶキッチン用品をアルファベット順に紹介する。Bはボウル、Cは肉切り包丁のチョッパーといった具合である。けれども、包丁は刺す道具と化し、おたまですくったものは投げ捨てられる。本来の用途から明らかに逸脱したその使用法は、テレビ番組をパロディ化する手法を通して、不可視化された家事労働とジェンダー規範に対する主婦の苛立ちを鮮明に浮かび上がらせた。
家事労働、再生産労働そのものを芸術作品へと変貌させるという点では、美術館の展示室で膨大に積まれた芋の皮をひたすらむき、美術館という公的な場を家事労働の現場へと一変させたポーランドの作家ユリタ・ヴイチクのビデオ作品《芋の皮剥き》(2001)もそうだ。
さらに、外出が自粛され、家のなかに引きこもる生活が続くコロナ禍において、チリのフェミニスト・コレクティブ「ラステシス」は、映像作品《NOS ROBAN TODO, MENOS LA RABIA(あらゆるものを奪われても怒りだけは奪われない)》に取り組んだ。
ラステシスの呼びかけにより、一般の人々が自身のキッチンで撮影した映像を集めコラージュした作品である。家庭内の暴力は外部からは見えにくい。キッチンという、歴史的にジェンダー化されてきた空間を舞台に、皿が割れる激しい音が響き、片隅でうずくまる姿、ナイフで刻み、こぶしを握る姿をはじめとする鬱々とした光景が幾つも映し出される。コロナ禍に顕在化したDV被害をはじめとする、構造的で抑圧的な暴力の光景を映し出すこの作品は、複数の異なる私的な経験を可視化し、その苦境から脱するためのネットワークを紡ぎ出すプラットフォームとしても機能している。
他方、2022年6月には、米連邦最高裁判所が女性の妊娠中絶の権利を憲法で認めた判決を覆すという出来事が起こった。2020年にはポーランドが人工中絶を全面的に禁止にした。これまでになく身体をめぐる管理が強化されつつあることを感じざるを得ない状況のなかで、百瀬文の《Flos Pavonis》(2021)は、ポーランドの女性へのインタビューをもとに二人の女性の架空の対話を創出した。その実践は、時空を越えてかつての魔女的な知をケア的な実践として現代に召喚し、蘇らせるものだと言えよう。
これらの一連の実践は、経済というシステムを「お互いをケアし、ともに生存するための手段」として思索する術を忘却してしまった社会において、改めてその関係性を再構成し、相互にケアする技法を思索するために、生/性のエコノミーを取り戻す、芸術的、社会的実践と言えるのではないだろうか。
このように「魔女」というレンズを通して浮かび上がるフェミニズム・アートは、ある意味で「怒りの哲学」であると同時に、この世界の不均衡な構造をあぶり出し、「私たちはあなたたちが火炙りにし損ねた魔女の孫娘」という、あの有名なスローガンを彷彿とさせる。その可能性についてはまた別の機会に論じてみたいが、ここでは最後に、魔女の条件としてつねに指摘されてきた「老いた女」とアートについて言及しておきたい。
というのも、老女について考えることは、「健常」な身体とされてきたものの力学を問い直し、そこから何が、あるいはどのような生/性が廃棄されてきたのかを問い直すことでもあり、しかし同時にまた、「健常」ではないとされてきた多くの視点と身体から世界に出会い直す契機でもあるからだ。
かつてスーザン・ソンタグは、男性には「若い男性」と「成熟した男性」という2つのモデルがあるのに対し、女性には「若い女性」しか存在しないと指摘した。ソンタグは、しかし、そこに若さに価値を置く美の基準から解放される可能性を示唆してもいた(*11)。
こうした視点から振り返るならば、日々、癌に冒されていく自らの身体を赤裸々に写し出したハンナ・ウィルケの《イントラ=ヴィーナス》シリーズや、2019年にサンフランシスコ近代美術館で大規模な回顧展「We Are Here(私たちはここにいる)」が開催されたスザンヌ・レイシーの一連のプロジェクトがいかに多くの示唆を与えてくれるものかを、改めて理解できる。
レイプやDVの問題に関して、女性被害者のみならず、男性にも積極的な参加を促して社会の意識改革に挑んできたレイシーは、「女性は老いると「見えないもの」にされていた」と述べ、老いをめぐる数々のアートを実践してきた。たとえば、LAの改装中のビルトモア・ホテルで女性と老いをテーマにして行われた《避けられない連合》(1976)や、ふだん政治の場において可視化されることのない65歳以上の女性が、1000人以上の観客を前に自身の生、希望、不安を語る《ささやき、波、風》(1983〜84)がそうだ。
他方、白髪の老女が裸で羊を胸に抱いて授乳しているかのようなタニア・アントシナの《ドリー》(2004)は、クローン動物の遺伝子の進歩を示唆すると同時に、老女であってなお、母乳を与え、子供を産むことを強いられる「悪夢」として科学と医学を示唆すると同時に、若い女性に期待されるその役割を反転させることで、年齢を重ねた女性が現状を掻き乱す性欲的な対象として魔女化されるメカニズムを浮き彫りにしている(*12)。
こうした一連の芸術的実践は、魔女が多くのフェミニズム・アートの源泉になっていることを示していると言えよう。魔女とアートをめぐる出来事のすべてをここで語ることはできないが、魔女というレンズを通して浮かびあがるアートの世界はとてつもなく豊饒であり、私たちにはまだまだ語り継ぐべき物語も創出すべき物語もたくさんある。それらの様々な実践については、今後、より広く深く論じられていくべきだろう。
*1──シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女』小田原琳、後藤あゆみ訳、以文社、2017年。
*2──セリヌ・デュ・シェネ『図説 魔女の文化史』蔵持不三也訳、原書房、2021年。
*3──Deanna Petherbridge, Witches and Wicked Bodies. Exhibition catalogue. Edinburgh:National Galleries of Scotland, 2013.
*4──参加した美術館リストやコラムは以下のFACの公式サイトを参照。https://feministartcoalition.org/about
*5──Connie Butler, Anne Ellegood, eds. Witch Hunt, DelMonico Books, 2021.
*6──モナ・ショレ『魔女』いぶきけい訳、国書刊行会、2022年。
*7── Katy Deepwell, “Feminist Interpretations of Witches and theWitch Craze in Contemporary Art by Women,” https://eprints.mdx.ac.uk/27619/1/37942-123445-2-PB.pdf
*8──セリヌ・デュ・シェネ、前掲。
*9──円香「魔女、フェミニズム、VR、そしてメタヴァースでの儀式:現代魔女・円香が語る、米西海岸のスピリチュアリズムとテクノロジーの最前線」『Wired』https://wired.jp/2020/11/29/witchcraft-madoka/
*10──西村佑子「日本人から見た魔女概論」『魔女の秘密展』東映 中日新聞社、2015年。
*11──Susan Sontag, “The Double Standard of Aging,” The Saturday Review, New York, 23 September 1972.
*12──Deepwell, ibid.
清水知子
清水知子