美術史のなかで、レズビアンをはじめとする女性同性愛の表象は、文字通り表に示されて来なかった。多くの場合そのように語られるし、私もそう語ることがある。本当のところを言えば、語られること自体が少ないだろう。美術史のなかで、女性であり性的マイノリティであるということの表象は、多重する抑圧のなかにありそれを示すことを困難にしてきた。
だが、そうだろうか。それでいいのか。たんに隠されてきたと語ることは、すでに存在するものを覆い隠してきた力を見過ごしてしまう。むしろ問うべきは、なぜ女性の同性愛を描く表象があるにもかかわらず透明にされているかということだ。それは現代における女性と恋愛をする女性であるレズビアンやバイセクシュアル、パンセクシュアル、そしてトランスジェンダーの人々に向けられる抑圧とも関連している。
本稿では前述の問題意識を前提に、前編でレズビアンたちが顕在化していった世紀転換期の美術を、後編で1960年代以降の現代美術を紹介していく。それは、すでにあるのに語られない表象と、すでにあるのに無視される抵抗をめぐる旅でもある。
*後編はこちら
たとえばマリー・ローランサン(1883〜1956)の絵画がそうだ。ローランサンの絵画は日本でも愛好され、数年前まではローランサン専門の美術館さえ存在した。もし、ローランサンの名前を検索サイトに入れて画像検索をしてみれば、《接吻》(1927)と題された作品が検索結果にたくさん出てくるのが目に入るはずだ。
緑とグレーの曖昧な背景にふたりの女性が描かれたこの作品は、女性が女性の頬にキスしようとする瞬間を描いている。明らかに女性の同性愛的欲望を示すこうした作品にもかかわらず、ローランサンは男性詩人のアポリネールとの恋ばかりが語られてきた。
ローランサンもローランサンの作品も、ずっと多くの人が知って触れてきたはずだ。けれど彼女の作品の持つ同性愛的な側面には触れられず、異性愛的な彼女の人生の一部だけが拾い上げられる。これは歴史のなかの同性愛を葬るよくある手段のひとつだ。同性愛はあっても、ないことにされてきた。
とはいえ、ローランサンの評価も少しずつ変わり始めている。アメリカのバーンズ・コレクションでは2023年10月から、「Marie Laurencin: Sapphic Paris」が開催される。サフィック(Sapphic)は当時のレズビアンを指す用語で、この展覧会ではローランサンによる「サフィック・モダニティの視覚化が、いかに繊細にそして大胆にすでに存在するモダン・ヨーロッパ・アートの語りに挑戦したかを検証する」のだという。
ローランサンはナタリー・クロフォード・バーニーやガートルード・スタインといったレズビアンの作家のコミュニティにも出入りしていた。彼女の人生のクィアな側面や、そこから広がるクィアな当時のコミュニティの検証は、間違いなくすでに存在する物語に挑戦するものになるだろう(もっともそれは、その物語が異性愛的なものであることも暗に意味している)。
ローランサンの絵画と対象的なかたちで自身のアイデンティティを表現したのはロメイン・ブルックス(1874〜1970)だ。アメリカ出身でパリでも活躍したこの画家は、ダンディな装いの女性たちの肖像を多数描いていた。
代表作でもある《自画像(Self-Portlait)》(1923)はグレーの背景に黒いジャケットを着、シルクハットを被った自身のマニッシュな像を描いたもので、唇と頬、そして胸につけられた勲章だけが赤く色づいている。
前述のナタリー・クロフォード・バーニーと恋仲でもあった彼女は、ローランサンとは異なるかたちで当時の“サフィック”なイメージを作り上げている。ブルックスの描く女性像は、ローランサンによるフェミニニティを推し進めることで作られた“サフィック”な像とは違い、世紀転換期に現れた“新しい女”と呼ばれる女性像をさらに推し進め、ダンディな“サフィック”像を作り上げている。
また、ブルックスは自身の肖像のみならず、周囲のレズビアン的な人物たちの肖像においても同様な造形を用いており、美術史家の天野知香はこうした彼女の肖像画群を評し、「レズビアンとモダニズムの結びつきとしてのサフィック・モダニズムの可視化である」としている。(*1)
世紀転換期はこのように女性の同性愛者のコミュニティが作り出されていった時代だった。
1890年代のこうしたコミュニティの初期の時代を描いていたのがアンリ・トゥルーズ=ロートレックだ。版画家として、ポスター作家として知られる彼も、たくさんのレズビアン的な作品を描いている。
19世紀末の当時のパリにはレズビアンをはじめとする人々が集うブラッスリーが出来始めていた。ロートレックによる《ブラッスリー・アヌトン(Au le Hanneton)》(1898)はそうしたブラッスリーの一つであるアヌトンの主人を描いた作品だ。彼女は《大桟敷(La Grande Lodge)》(1897)では女優と二人で観劇する姿が描かれている。
《ベッドにて、接吻(Le lit: Le Baiser)》(1892)をはじめ、ロートレックによって1890年代初頭に描かれた一連のレズビアン的な親密さを描く作品に比べると、こうした作品は一見するとなんということのない作品に見えてしまう。しかしこれらの作品は、当時の同性愛コミュニティを描く重要な作品でもある。
パリで絵画を学びドイツで活躍したジャンヌ・マメン(1890〜1976)による、1920年代の作品群も当時存在したベルリンのレズビアン・コミュニティを描いたものだ。第一次世界大戦後、彼女たちはDamen(ドイツ語で淑女を意味する)と呼ばれ、自分たちのカルチャーを作り上げていった。
彼女たちが集うDamenklubと呼ばれるバーはベルリンに何軒もあって、高級なものから安価に酒を提供する労働者向けのバーや、フェミニズム団体と結びついたものまでじつに多様だった。
マメンによる《淑女クラブ(Im Damenklub)》(1925)はまさにこうしたバーを描いた作品だ。描かれている女性たちは黒い上着に白いシャツを着ており、画面中央でタバコをくゆらせるダンディな女性や、バーの奥にある帽子掛けに置かれた多数のシルクハットなどは、ブルックスの描いた女性たちを思わせる。
マメンは、ナチス政権を経たあとには抽象表現に移行していくが、この時期にはこうしたレズビアン的な女性たちの風俗を記録した作品を多数残している。
この時代にはレズビアン向けの雑誌「Die Freundin」や「Frauenliebe」などが次々と発刊されていき、我々の時代にもつながるレズビアン・カルチャーが大きく発展していった。
マメンの作品は一般向けの雑誌などに掲載されたものが多く、それらにどのような視線が向けられていたのかは、判然としてない。しかしマメンによる彼女たちのカルチャーの記録には、いまでも心惹かれる活気が克明に記されている。
視線。おそらく、女性の同性愛の視覚表象を考えるにあたって最も難しい課題が視線だ。ギュスターヴ・クールベの《眠り(Le Sommeil)》(1866)のように、レズビアン的な欲望の表象は、一方的に見られる男性の欲望の対象としても存在していた。
女性が抱く同性愛の欲望が表象されるとき、それはいったい何を描いているのか。同性愛のプライドの表象なのか、ポルノグラフィの対象として欲望されるものなのだろうか。そうした表象は時に異性愛規範の中に曖昧に回収され、語ることが困難にさせられる。同性愛が明確なアイデンティティとなっていなかった時代において、このことを考えるのはより一層の難しさを伴う。
このことを考えるときに、私はいつもゲルダ・ヴィーグナー(1886〜1940)のことを思い出す。ヴィーグナーは、デンマーク出身の20世紀初頭に活躍した画家で、アール・デコ調の華麗な曲線を用いた絵画を描いていた。
彼女は映画《リリーのすべて》(トム・フーパー、2015)にも登場し、主人公であるトランス女性のリリー・エルベのパートナーとして描かれる。映画でエルベは「自分の魂の半分は男性に惹かれ、半分は女性に惹かれる」と言わされ、両者の関係は異性愛的なものとして描かれる。 エルベとヴィーグナーのあいだにどのような関係があったか、想像することはできないが、上記のセリフは異性愛規範の中に人の関係を回収するようなセリフだ。
このことの問題性は、ヴィーグナーが描いたエロティカと呼ばれるジャンルのイラストに目を向けるとより一層深刻なものとなる。ルイ・ペルソーによるエロティック詩集《Les Délassements D’Éros》(1925)にヴィーグナーは12枚の挿絵を描いており、そのなかには女性同士の性行為を描いた作品が多数含まれていた。
これら作品でも、エルベをモデルにしていたのではないかとされており、これはヴィーグナーとエルベのあいだにあったものは決して規範的なものではないことを示唆する。彼女たちの関係がどのようなものであったのか、実証的に示すことは難しい。しかし映画《リリーのすべて》は現代においてトランスジェンダーやバイセクシュアルを描く際にさえ、それらのことが隠蔽され異性愛の思考のなかに回収されてしまうことを端的に示している。
ヴィーグナーの作品が問いかけるのは、こうした問題だけではない。ヴィーグナーによる挿絵シリーズには古典神話に題をとった男性による女性のレイプの場面も含まれる。
ヴィーグナーの作品は女性による女性の同性愛的欲望の表象であるけれど、それは同時に男性の性的な視線の中にもあり、また古典的なミソジニックな神話に則ってもいる。いっぽうでヴィーグナーの作品には女性の性的な主体も描かれ、その画面の上には複数の欲望が交錯する。そこには女性の女性に対する性的な欲望と、それを規範に回収し抑えつけようとする内外の強い力のあいだの、世紀転換期における耐え難い緊張があるのだと私は思う。
これら、世紀転換期の作家たちによる表現が持つテーマや課題、そのなかに見られる規範への抵抗は、この時代独自の文化や状況に根ざしたものであると同時に、この時代だけのものでもない。
ローランサンやブルックスの絵画に現れるフェミニティとダンディズムによる同性愛者の表現、ロートレックやマメンの作品におけるコミュニティの記録、ヴィーグナーの作品から立ち現れる視線とポルノグラフィの問題。
それらは1970年代以降──プライド・マンスの起源ともなっているストーン・ウォール・イン反乱以降の──レズビアンやバイセクシュアルとしてのアイデンティティを明確に打ち出した女性作家たちによる作品のなかにもテーマとして現れている。
それはまた、美術の中で世紀転換期のレズビアン表象が意図的に切り捨てられていくことへの抵抗でもあり、同時に自分たちのプライドを示そうとする試みでもあった。
後編の記事では現代の作家を紹介しつつ、世紀転換期の作家たちのテーマと現代の作家の抱えるテーマの相違と近似を追っていく。
*1──天野知香「モダニズムと「女性」芸術家 ― ロメイン・ブルックスのサフィック・モダニズム」、『ジェンダー研究』、25、61頁、2022
近藤銀河
近藤銀河