『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』(以下、『ティアキン』)が2023年5月12日に発売され、SNSはちょっとしたお祭りの様相を呈している。
2017年に発売開始した「Nintendo Switch」の普及に大きく寄与した前作『ブレス オブ ザ ワイルド』(以下、『ブレワイ』)の高い完成度と人気の根強さも大きいが、本作からプラスされた新システムの数々も話題の理由だ。前作からのオープンワールドのシステムや舞台設定を引き継ぎつつ、そこにゲーム内に存在するオブジェクトをブロック玩具のように自由にくっつけ、新しい乗り物や武器を手軽に作ることができるクリエイト=工作の要素が加わったのだ。
それらのシステムとゲーム性について、「『お客さまが“できるかな?”と試したことがちゃんとできるか』を大事にしています」と任天堂開発チームが語っているように(特設ページ「開発者に訊きました CHAPTER5 できるかな?がちゃんとできる」より引用)、工作の可能性は本当に無限で、車輪や強い風を起こす扇風機を組み合わせて立ち上がり自走する巨大ロボット(風味の人型)や、板をつなぎ合わせて作ったとにかく巨大な犬型の看板などがTwitterに次々と投稿されバズっている。また、それとは逆に「残念な発明品」の数々も投稿されていて、取り付けた火炎放射器のせいで瞬時に全焼してしまう乗り物などは、トライ&エラーを繰り返してきた人類の技術史も想起させ、思わず爆笑してしまう。
本作には時間差で作動するタイマー爆弾なども用意されており、それらを活用したピタゴラスイッチ的な巨大機構が在野の発明家たちによってお披露目される未来もそう遠くはないはずだ。
テクノロジーの発達に伴い、近年の世界的なゲーム動向のメジャーはグラフィックの精緻さや作り込みの膨大さを誇るリッチ方向に向かっているが、その動向にある程度は随伴しつつも、任天堂は砂場遊びや陣取り合戦のような昔からある「遊び」の本来的な面白さ……遊び手が遊びのなかに散りばめられた諸要素を使い込み、その面白さや活用法を自ら発見し、創造し、逸脱していく快感に注力してきた。
本作の工作要素は、2011年公式リリースの『マインクラフト』、あるいは隠れた名作として名高い1999年リリースの『パネキット』などにもつらなり、また部分的には段ボール工作とSwitchのコントローラーを組み合わせて遊ぶ『NINTENDO LABO』を引き継ぐものにも思われ、真に革新的とまでは言い切れない。だが、これらの作品と比較しても、本作における「遊びやすさ」と、そのための没入感と達成感のチューニングは極めて精細だ。
たとえば筆者の経験はこう。
ある大きな迷宮を探索していると、鉄格子がはまって通れない通路が目の前に現れる。鉄格子の先は行き止まりの部屋になっていて、その奥には宝箱がある。通常であれば、どこかに鉄格子を動かすスイッチや開くための鍵を探すというのが定石だが、どうやらそういったものはない。だが、見上げると鉄格子にはちょうど宝箱一個が通りそうな穴が用意されていて「なるほど! 遠くにあるものを動かすこともできる『ウルトラハンド』の機能を使えばいいのか!」という気づきに自然と誘われるような設計が巧い。
しかし、さらにもうひと捻りアイデアがあるのが心にくい。ウルトラハンドでものを動かすことのできる範囲は限定されていて、鉄格子越しでは宝箱に触れることができないのだ! 「正解だと思ったのに……」と少し落胆しながらもあらためて周囲を見回してみると、天井から長いツララが何本も垂れ下がっていることに気づく。「これを棒がわりに使えば、宝箱にも手が届くのでは?」と閃いた筆者は、矢を撃ち込んで落下してきたツララを入手。それをウルトラハンドで操作して宝箱に近づけて接着してみると、大正解! つららと一体化して棒状になった宝箱を操作して、鉄格子から抜き取ることができる。といった具合だ。
このような、システムの拡張性をプレイヤー自身に能動的に発見させ、ある達成を通して「自分すごいじゃん!」と肯定感を与えてくれる設計が任天堂は本当に巧みだ。この延長線上に、上記した「立ち上がって自走する人型」のようなもっと複雑な造作物を自分でも作れるかもしれない、作ってみたい、というモチベーションも生じる。
このような道具、武器、料理といった工作要素がゲームプレイに必然的に埋め込まれた『ティアキン』では、プレイヤーが思考のためにつどつど立ち止まる「緩慢な時間」が流れている。そうやって立ち止まること自体がゲームの面白さにつながるのが、筆者が感じた本作の最大の魅力であり、前作『ブレワイ』との大きな相違点でもある。
『ブレワイ』は、2017年当時のゲームシーンをすでに席巻していたオープンワールドにおけるリアリティの再構築に成功した作品だ。
オープンワールドの代表格と言えば、2011年リリースの『スカイリム』や2013年リリースの『グランド・セフト・オートⅤ』といった欧米圏発の作品群で、それらの多くは、ゲーム内に設えられた巨大な山や森や街を、徒歩や馬や車といった移動手段で実際的に移動したりするようなリアリティの実現に注力していた。ファストトラベルのような遠隔を瞬時に移動する利便性のための機能が実装されてはいても、高所から落ちたら簡単に死ぬし、せっかく入手した高級車も街灯や建物にぶつけたら壊れるという、実際的な物理法則や条理がゲームプレイのストレスになったとしても「それが現実的であるから」という理由で維持されていた。
だが『ブレワイ』では、それらのオープンワールドの当たり前を遵守しつつも、スタミナさえあれば垂直な壁も自在によじ登れるし、「パラセール」と呼ばれるグライダーとパラシュートを掛け合わせたような架空の道具を使えば安全に着地でき、しかも風に乗って遠方へも気軽に楽しく移動できるという、ゲーム的な面白さを軸とするオルタナティブなリアリティの在り方が採用された。そこに込められた開発チームの目論見を抽象化するならば、「世界の距離と時間を縮減する」と言い換えることもできるだろうか?
冒険物語に相応しく、プレイヤーにとって世界は人知を超えるほどに広大なものとして提示されるが、システムを理解・活用すればその体感的な大きさ・遠さを自由に縮めることができ、たとえば大航海時代の探検家が追い求めたような未知未踏の世界を征服する欲望とそれは結びつく。前作の副題が「野生・未開の息吹(ブレス オブ ザ ワイルド)」と名付けられたのも、厳しい大自然を征服していくプロセスの快感にゲーム性の軸を置いていたからだろう。
しかし、その性質はゲームプレイのさらなる加速を、同時に、絶えず要求する。18世紀から20世紀初頭にかけての近代期、鉄道、自動車、飛行機といった移動のための機械技術の発達から生じる人間の速度への渇望によって世界が縮減されていく予兆は、産業革命初期に活躍したウィリアム・ターナーの歴史的絵画《雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道》(1884)や《解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号、1838年》(1839)に顕著だが、『ブレワイ』もまた、ゲーム内における摂理としてのシステムを理解して使いこなせるようになるほど、ゲーム世界の広さや謎は征服され、縮減していく(同作のメインビジュアルがドイツ浪漫主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの《雲海の上の旅人》を参照しているのも偶然ではない)。
だから筆者にとっての『ブレワイ』は、その卓抜した面白さゆえに、世界の魅力を失わせ、世界が狭まっていく印象がもたらされる、少し寂しいものとしてあった。
近年のゲームシーンでは、ゲームをいかに速く、いかにユニークなアイデアと方法で最短攻略していくかという「RTA(リアルタイムアタック)」の動向が盛んだ。発売から1週間も経たないうちに『ティアキン』でも約1時間半という短時間でクリアする猛者が現れているが、このような加速化・効率化の快感に対して、本作は一種の対抗を示しているように思われる。
それが先に述べた、工作のための「緩慢な時間」の積極的導入であり、たとえば寒冷地の寒さに対応するためのピリ辛料理を調理したり、戦闘を有利にする便利な武器をクリエイトするといった手順が頻繁に挿入されることで、とにかく先に物語を進めたいという欲望と、いったん腰を落ち着けて思考をめぐらすことの快感が併走しあった、緩急のある複層的なプレイ感覚が生まれている。そして、この複層性はゲーム内で早い段階から提示されることで、ゲーム世界の圧倒的な広さと深さと、その茫漠をありのままに受け入れる心的な余地をプレイヤーに与える。そこにあるのは「世界はわからない。しかし、わからないからこそ面白い」という世界の理解である。
誰よりも先に世界を征服したいという加速の欲望から、ありのままの世界とその謎に接し、世界を遊び相手にゆるやかに遊戯し続ける緩慢さの快感への転換。そこにモダンからポストモダンへと移行しつつあった20世紀後半の消費社会と時代精神の変化を当てはめてみることは可能だろうか? しかし、これこそが『ブレワイ』から『ティアキン』へと至るプロセスで得られた、本作の最大の達成であると筆者は考える。
さあ、私のハイラル王国の新しい旅は始まったばかり。その終着点はまったく見える気配がない。
ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム
開発・販売:任天堂
発売日:2023年5月12日
希望小売価格:7920円(パッケージ版)、7900円(ダウンロード版)