「デイヴィッド・ホックニー展」が東京都現代美術館で7月15日から11月5日まで開催中だ。現在もっとも世界で愛され影響力のあるアーティストのひとりであるデイヴィッド・ホックニー(1937年イギリス生まれ)の凄さとは、いったいなんなのか。60年におよぶキャリアを概観しながら、その考えや技術の独自性について、担当した同館の楠本愛学芸員に聞く。【Tokyo Art Beat】
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──1970年代半ばからホックニーは西洋美術の基礎である一点透視図法を問い直す仕事に取り組みました。この関心と実験が「ホテル・アカトラン」を描いた一連の作品や、フォト・コラージュ、そして《ノルマンディーの12か月》にもつながります。ここに大きな地殻変動があったと感じるのですが、当時どんなことを考えていたのでしょうか?
1970年代にホックニーは大きな岐路に立っていたといえます。1968年にロサンゼルスからロンドンに拠点を戻したこと、1970年にホワイトチャペル・ギャラリーで60年代の10年間を振り返る大規模な個展を開催したこと、その頃に「ダブル・ポートレート」と呼ばれるひとつの画面にふたりの人物を描くという一連の大作を手がけたことなどが重なって、ある意味で若くして画家としての達成を見たからこそ次の方向を見失ってしまったような状況でした。
ロンドンで制作された《クラーク夫妻とパーシー》(1970〜71)は「ダブル・ポートレート」の代表作で、実際に絵の前に立つと等身大のふたりの人物からじっと見つめられているような感じがして、絵の世界から抜け出せないというか、絵から目が離せなくなる。ホックニーはこの作品について「クリアな空間をつくるのが大変だった」と語っていますが、「ダブル・ポートレート」の制作で目指されたのは、絵のなかの空間や人物がたしかにそこに存在していると感じられるような、リアリティのある構図や描写でした。
ところが《クラーク夫妻とパーシー》を完成させた頃から、制作に行き詰まりを感じるようになります。ホックニーはこれを「自然主義の罠」と呼んでいますが、現実の世界を自然主義的に、正確に、ありのまま絵に描こうとすればするほど、何かが間違っている、絵が現実から遠ざかっていくと感じるようになる。それから1970年代を通して「絵画制作の正しい方法」としての自然主義や幾何学的な遠近法に対する抵抗と「目に見えるままに描くこと」をめぐる試行錯誤が続きます。
また1971年の夏には数年間生活を共にしたパートナーとの別れを経験し、プライベートも順調ではなかったようで、自伝には当時の苦悩と混乱が率直に書かれています。1973年、36歳のときにロンドンからパリに拠点を移しますが、そこで大きな絵の制作からもロンドンの交友関係からも一時的に距離を置いたことが、結果として次のステップにつながりました。ホックニーはパリに移ってまもなく人物のドローイングに力を傾けるようになります。目の前にいる友人や家族の姿をゆっくりと注意深く、何時間もときには何日もかけて観察と描画を往復することで、「見ること」と「描くこと」という絵画制作の原点ともいうべき行為についてとらえ直す機会を得ました。
──その後、ホックニーはどのように「自然主義の罠」から抜け出していったのですか?
大まかな方向としては、現実の世界にある時間や空間の広がりを描くために「見る」という経験に重きを置くようになっていきます。そこに至るまでにはいくつかの要因が重なっていて、ひとつはピカソの作品との再会です。ホックニーが1960年のピカソ展から影響を受けたことは先ほども触れましたが、残念ながらピカソ本人は1973年4月に亡くなってしまい、存命中にふたりが直接会って話をする機会はありませんでした。
その代わりにピカソを追悼する版画集に参加し、ピカソとも版画を制作していた刷師のアルド・クロムランクとパリで仕事をしたり、新しい版画の技法を教わったりするなかで、ピカソの自由な創造性を再発見していく。ホックニーはピカソの絵画こそが真実だと考えるようになります。ピカソの絵画は対象を歪めて表現したものではなく、私たちの「見る」という経験を再現したものだと考える。私たちは動きながら、ひとつの対象を前からも後ろからも、複数の異なる視点から見ることでそれを全体として認識していて、こうした経験を想像力によって視覚的に翻訳したものがピカソの絵画というわけです。
もうひとつは、舞台芸術に関わるようになったことです。ホックニーは1960年代にもアルフレッド・ジャリの戯曲『ユビュ王』の舞台芸術を手がけていますが、1975年にグラインドボーン音楽祭からのコミッションでストラヴィンスキーのオペラ『放蕩者の遍歴』の舞台装置と衣装を手がけてからは、関わった仕事のほとんどがオペラの演目でした。
こうした舞台芸術の仕事は、現実の空間に対する認識が変化したり、観衆を含む作品空間のあり方に接近したり、絵画のなかの空間を相対化するきっかけになったようです。また空間の知覚という点では自身の難聴に気づいたのもこの頃で、聴力の低下に伴ってかえって視覚による空間認識が鋭敏になったと語っています。
同じ時期に日本や中国の美術と出会ったのも、西洋の伝統的な線遠近法とは異なるものの見方を知るという意味で重要な出来事だったと考えられます。ホックニーの初めての来日は1971年で、その後浮世絵の影響が見られる「ウェザー・シリーズ」(1973)を制作したり、1980年代前半には京都や奈良、東京で撮影した写真をもとにフォト・コラージュを制作したりしています。
──先人の死から自身の身体の変化まで、いろんな出来事が偶然的に重なり、ホックニーは新しいものの見方を探求することになったのですね。
1980年代にホックニーが多視点や逆遠近法の探求にたどり着いたのは、70年代に苦境に立ちながらも、一点透視の遠近法が唯一の正しいものの見方でも世界のとらえ方でもなく、もっと別の見方やとらえ方があるはずだという確信を持って、絵を描くことを諦めなかったからではないでしょうか。
複数の視点が持ち込まれる最初の作品がフォト・コラージュ、絵ではなく写真というのも必然的な流れだったと思います。ホックニーは1960年代からタブローの下絵として手描きの素描を重視しつつ、写真も補助的に使っていますが、70年代半ば以降は写真を元に絵を描くことがほとんどなくなります。ところが1982年にポラロイドで連続的に撮影したフォト・コラージュの制作が始まる。なぜフォト・コラージュだったかというと、カメラは線遠近法を体現する装置であり、1枚の写真ではひとつの固定された視点からの眺めとひとつの瞬間だけしか表せませんが、複数の写真を組み合わせることによって現実の世界にある時間や空間の広がりを表せると考えたからです。
数年にわたってフォト・コラージュに取り組んだ後、ホックニーは〈ムーヴィング・フォーカス〉という版画のシリーズを制作しました。そのなかでも《遠近法のレッスン》(1984)はホックニーの主張を説明するマニフェストのような作品ですね。画中画として線遠近法で描いた椅子の絵にはバツ印を大きく付けて、その絵の前に置かれた椅子は逆遠近法で描いている。逆遠近法では作品の外部に立つ鑑賞者が起点となって、画面の奥に向かってどこまでも空間が広がっていきます。
──ふと思ったのは、逆遠近法は鑑賞者に自身の身体を強く意識させますよね。ホックニーが批判したコンセプチュアル・アートが思考の美術だとすれば、この時期の逆遠近法の作品には見る人の身体への傾倒のようなものも感じます。先ほど触れられたように、舞台芸術に携わったことも関係しているのかもしれません。
見る人の身体性はとても重要な指摘だと思います。この時期のホックニーは「(一点透視の)遠近法は、見る人の身体を奪ってしまう。ひとつの固定した視点があると、見る人は動けなくなる。ようするに、見る人はどこにもいなくなる」と話しています。線遠近法の根本的な問題は見る人の身体と絵のなかの空間を切り離してしまうことだと指摘して、私たちの「見る」という経験は鍵穴から遠くの世界を眺めるようなものではないと。自分の身体と自分がいま見ているものは刻々と過ぎていく時間のなかで、同じ現実の空間のなかに存在しているのだから、なんとか絵でもそのように表せないものか。逆遠近法や多視点であれば絵を見ている人が絵のなかの空間にいるように感じられるのではないか。ホックニーはこう考えました。
背景としては舞台芸術の仕事もそうですが、やはり日本や中国の美術、なかでも絵巻物との出会いが大きかったのではないかと思います。ホックニーの考えでは、絵巻物には特有の時間や空間の描写、物語の表現があるため、絵を見ている人が絵のなかの空間に入っていけるし、そのなかを自由に歩きまわることもできる。こうした生き生きとした空間と身体の感覚は、メキシコのホテルの中庭を描いた「ホテル・アカトラン」の連作でも示されているものですが、この作品は形式としては絵巻物ではありませんでした。
ホックニーは1980年代以降に風景画の大作を数多く手がけていますが、長大な絵巻物を制作するのは2020年になってからのことです。2010年にiPadを入手し、2018年にノルマンディーのバイユーに伝わる長さ70メートルの中世の刺繍画を再発見することによって、ようやく絵巻物の制作を決意します。そして完成したのが長さ90メートルにもなる絵巻物《ノルマンディーの12か月》でした。
──ホックニーの過去の巨匠に対する距離感も興味深いです。たとえば、観客の身体を包囲するような巨大な《ノルマンディーの12か月》は、同じく空間を囲むように構想されたモネの「睡蓮」の連作も連想させます。また、ホックニーが実際に戸外にイーゼルを立てて絵を描く姿は、どこかアナクロ(時代錯誤)的で、やはり19世紀の画家をやり直しているようにも見えます。彼は過去の画家と自分の関係をどうとらえていたのでしょうか?
ホックニーの過去の美術や画家に対する構えがよくわかる一文があります。王立美術学校を卒業した年、1962年に参加したグループ展のカタログに寄せたステートメント(*1)で、「好きなものを、好きなときに、好きなところで絵を描く」という冒頭の部分は頻繁に引用されるのですが、この文に続きがあることはあまり知られていません。
「ときどきノスタルジックな旅をしている。(中略)実際、自分の着想源には古典的で歴史物語的な主題があるようだ。異国の風景、美しい人々、愛、プロパガンダ、(私の人生にとっての)大事件。これらはそれなりの伝統がある主題だと思う。」
ここでは絵の主題について書かれていますが、ホックニーは過去の美術や画家を訪ねるという意味で「ノスタルジックな旅」を続けてきたともいえると思います。また近年の絵画史研究からは、長い歴史と伝統を持つ美術に対して敬愛の念を抱いているだけでなく、拠って立つ歴史との接続とそこからの飛躍を視野に入れていることがわかります。
また、ホックニーをめぐる過去の言説では、ピカソやゴッホ、レンブラントなど近代やそれ以前の時代の画家との関係について語られることが多く、もちろんイギリスの20世紀美術に限定すれば様々な画家との関係が示されてきましたが、いわゆる一般的な現代美術の文脈における位置づけはどうなのかといえば、『ART SINCE 1900』という凶器のような重さの事典でホックニーはたった一度しか登場しません。1956年のブリティッシュ・ポップの項目に「David Hockney (born 1937)」と記されているだけです。この事典はグローバルな権威を持つオクトーバー派の論客によって書かれたもので、個人的には学生時代に彼らの論考を正典のように拝んでいた時期もありましたが、やはり歴史というのはひとつの視点であって、その視点はつねに無数にあるということを忘れないようにしなければと今回あらためて反省しました。話が逸れてしまいましたね。
──いえいえ。ホックニーは、作品のテーマもある意味オーソドックスですよね。展覧会の冒頭にある「春が来ることを忘れないで」というメッセージも、いい意味でとても素直というか。だけど彼にかかると、春の訪れが実際にすごく瑞々しく表現される。
そうですね。ホックニーは長いあいだイギリスの風景を絵の題材として見ていませんでした。けれども1970年代末から再びロサンゼルスで過ごして、90年代後半からヨークシャーに滞在することが多くなるなかで、自然の変化に目を向けるようになっていく。ロサンゼルスで刻一刻と変化し続ける光や水に惹かれたように、今度はヨークシャーで季節によって変化し続ける光や自然を描くことに関心を持つようになります。
なかでもホックニーにとって春は特別な季節でした。イースト・ヨークシャーの冬の終わりから夏の始まりまでの自然の移り変わりを油彩とiPadでとらえた「春の到来イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート2011年」シリーズは2004年以降に取り組んだ風景画のひとつの到達点といえます。とくにiPadドローイングには、12月末の枯葉が残った木の枝や氷が薄く張った地面から、3月になると若葉が芽吹いて、5月になると木の枝が数えきれない葉で覆われて、草木の緑色が濃くなっていくまで、こうしたささやかでも確実に変化していく身の周りの様子が克明に描かれています。
2019年にホックニーになぜ「春の到来」を描くのかと訊いたとき、返ってきたのは「喜びを感じられるから」という回答でした。それは厳しい冬を乗り越えた先にある春という季節のなかで、生命の息吹を感じられることの喜びという意味だけではなく、刻一刻と移り変わっていく世界を「見ること」と「描くこと」が代えがたい喜びでもあり、この世界がたやすくとらえられるようなものではないからこそ、それを「見ること」と「描くこと」の困難さえもホックニーにとっては喜びとなるのかもしれません。
生き生きとした色彩や描写はホックニーのこれまでの作品にも見られますが、近年の作品に見られる生を肯定するような表現は、やはり60年以上制作を続けてきたからこその境地ではないかと思います。
──たっぷりお話を聞かせていただきありがとうございます。最後に、この展覧会が鑑賞者にとってどんなことを考えたり、感じたりするきっかけになれば良いと思いますか?
今回ホックニーご本人は来日を望まれていたのですが、体調面で飛行機に乗るのを控えないといけないということで、動画でメッセージを寄せてくださいました。その動画は東京都現代美術館のパブリックスペースか展覧会のウェブページで見ることができます。私たちは事前に3つのコメントをリクエストしていました。今回の展覧会に関するコメント、日本に関するコメント、それから日本のとくに若い世代の鑑賞者に向けてのコメントという3つです。3つ目のコメントで、ホックニーはこう語っています。
「ありのままのあなたでいなさい(Be yourself)」
それが伝えたい唯一のメッセージです。
思えば、ホックニーは60年以上にわたって「ありのままでいること」を体現してきました。だからこそ、この発言にはとてつもない説得力があります。展示室で作品と向き合って、いままでの自分はなんて窮屈なところにいたんだろうと感じました。ホックニーの絵は私たちが直面する困難や課題を映し出すようなものではないし、絵を見た人に対して具体的な社会変革を求めるようなものでもありません。けれども目の前にある世界が生き生きと描かれたホックニーの絵と向き合うことで、鑑賞者のおひとりおひとりが目の前にある世界をこれまでよりももっとよく見つめるきっかけになればと思います。
*1──Image in Progress: Derek Boshier, David Hockney, Allen Jones, Peter Phillips, Max Shepherd, Norman Toynton, Brian Wright, exh. cat., Grabowski Gallery, London 1962.より引用
杉原環樹
杉原環樹