アーティストの佐々木健が、東京都現代美術館で11月5日まで開催中の「デイヴィッド・ホックニー展」をレビュー。自身も絵画制作を通して、日常と崇高、風景、人々の関係性、社会的なマイノリティを取り巻く問題等に肉薄してきた作家ならではの視点で、ホックニー作品を細部まで見つめ、展覧会の前半にあたる1960〜70年代を中心に論じる。ホックニーは1980年代以降、伝統的な一点透視図法からの脱却を試みてきたが、それ以前の作品にも「多重視点」と言うべき、のちの展開へと続く視点の在り方を見ることができるという。当時の社会的・政治的状況と個人史、美術史が合流するなかで生まれた作品群が、いまを生きる人々やこれからのアートに投げかけるものとは。【Tokyo Art Beat】
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展覧会は、私の祖父母の家の裏庭でも馴染みのある、2枚のラッパスイセンの絵から始まる。構図のタテヨコが異なる2点はほぼ同サイズ、制作年は1969年と2020年。ひとつはエッチングとアクアチントによる単色の版画作品。もうひとつはiPadで描かれた色鮮やかな絵画である。iPad絵画の出力とは思えない無光沢の色彩に惹かれながらも、私は1969年のエッチング《花瓶と花》の前から離れられなくなる。
余白の中の2つの黒っぽい細長は、ラッパスイセンが活けられた花瓶と、壁面に写ったその影のようだ。画面に近寄れば、写真またはデッサンからのトレースと思われる明るい花びらが迷いのない輪郭線で彫り込まれ、茎と葉とうっすら柄の走る花瓶はタテ、ヨコ、ナナメと角度と密度を几帳面に変化させたエッチングの引っ掻き線によって色味や質感が描かれている。
とりわけ1本1本の茎の側面を、真上から眺めた地図のように執拗に描き分けるハッチングに目を奪われる。そしてそんな花瓶とは対照的に、床と壁面の影はアクアチントの不定形な濃淡の版が重ねられている。なんだかこの2つの黒っぽい細長の中に、伝統的には継ぎ目なく使用される銅版画の描法が、カタログのように並べられているようでもある。
再び画面から離れてみる。花瓶のハイライトと壁面の影の輪郭がくっきりと描かれていることから、どうやら画面の左上に強い光源があるらしい。けれど花瓶と影がわずかなサイズの違いで水平に並ぶのはなんだか奇妙に思える。真っ白な背景を床と壁に隔て、同時にひとつの空間へと接合しているのは、スラッシュ記号のように花瓶を貫通するナナメの直線である。この冗談みたいな直線が召喚する「遠近法」によって、複数の描法が羅列された2つの相似形は、静かな緊張感を湛えた空間へと変貌する──だが、どうにもまだ違和感がある。あらためて目を凝らすと、まっすぐに見えていたナナメの直線は、角度が若干異なる複数の直線が継ぎ足されて引かれているようなのだ。
「遠近法」が強引に束ねていた空間に亀裂が走る。私の視線は紙の上に並んだ線の群れと、花瓶の置かれた空間との間を、ぐるぐると往復し、いったいどのタイミングで次の展示室に移動すればいいのかよくわからなくなる。楽しい.........。
デイヴィッド・ホックニーは1937年、英国のヨークシャー州ブラッドフォードの労働者階級の家庭に生まれた。ロンドンの王立美術大学の在学中から注目され、英国では国民的画家と謳われ、世界中のあらゆる世代に愛され続けている現役のアーティストである。学生時代に絵画を通じて自身のセクシュアリティをカムアウトし、一貫してパートナーや家族、愛する人々と身の回りの風景を描き続けてきた。アート関係者からは抽象表現主義やポップアートに引きつけて語られ、自らも絵画(と画像)の歴史について、誰よりも饒舌に語ってきた(*1)。
「まず、楽しむこと」。
ラッパスイセンがひとつの遠近法に収まりきらなかったように、時流に流されず自身の関心に忠実に変化を続ける作品たちと、その人生を分つことはどうやら難しそうである。既存の批評の言葉には収まりきらないホックニーの「多重視点」の中に、いまの時代を生きる為の、そしてこれからのアートの在り方を考えるヒントがあるように感じられる。私は駆け足で展覧会を巡りいくつかの作品について書き殴りながら、その片鱗に少しでも触れられればと思う。
次の部屋で目に飛び込んでくるのは、紅茶の箱をだまし絵のような遠近法で再現した絵画《イリュージョニズム風のティーペインティング》(1961)である。見上げた瞬間に長方形の蓋が思いっきりはじき返される音が聞こえてきそうである。
面ごとにキャンバスが手作りでつなぎ合わされ、壁と平行に張り付いた蓋の灰色とパースがつけられた箱の内側の黒の明度が対比されて奥行きが生まれている。蓋が閉じられた時間も共在するかのように、上辺にはTyphoo Teaの文字が手描きされている。箱のパースに臆せず全裸で座り込む人物に、ホックニーのフランシス・ベーコンへの共感と距離を思う。箱の左側面のパースに忠実に腐心して描かれたであろう、ナナメの文字列の「TAE」の誤字がなんだか愛おしい。
身近な紅茶をモチーフにしたこのシリーズは、ピカソに倣って複数の視点と様式により制作された連作のひとつのようである。ロンドンに移り住んだ学生時代のホックニーは、当時席巻していた抽象表現主義や、リチャード・ハミルトンをはじめとする英国のポップアート、同世代の画家たちに出会い、1960年のテートのピカソ展に強い感銘を受けたようだ。ピカソやキュビズムへの傾倒はその後も続いていくことになるのだが、戦勝国でありながら大戦後の経済成長に遅れを取っていた英国において、かつて芸術の中心であったパリや、当時のアメリカ美術との距離と時間を隔てての邂逅は、それらを外部からやってくる複数の様式としてとらえる下地となったのではないだろうか。
スウィンギング・ロンドン前夜に沸騰するこの街が、若い画家にとって良い場所なのか、悪い場所なのか私にはわからない。ともかく、この時期のホックニーは友人たちとNYやヨーロッパ中を旅行し、デモに参加し、ギャラリーや美術館を巡り、その収奪品をも含んだ様々な時代の様式を受け取り、当時の本丸であった抽象表現主義への影響と抵抗に連動させるかたちで、自らの人生で抱えてきた声を作品の中に忍び込ませ始める。誰かの様式をなぞるのでなく使い倒す、ドキドキするような本気の制作がはじまる。それはアーティストの活動が始まる重要な転換だと思う。
《イリュージョニズム風のティーペインティング》、《三番目のラブ・ペインティング》(1960)、《一度目の結婚(様式の結婚I)》(1962)に見られる、この時期のホックニーの筆さばきは、絵具の物質感を湛えた厚塗り、素早い液状の線描、余白に露出するキャンバス地など、筆幅も手の動きも縦横無尽にコントロールされ、上手い......。と思う。私はどきっとする形体に惹きつけらながらも、画面の隅々まで視点を誘導され、心地よい混乱を味わう。明度も彩度も的確に抑えられた色彩の中に、継ぎ目のない奥行きが重層している。画面から離れると筆跡と色彩が拮抗しながらもひとつの全体として受け取られ、アメリカの画家たちが目指していたような、平面ならではの奥行きが感じられる。けれど絵具の飛沫に目を凝らせば血管のような文字が走り、それらを読もうと思えば、ぐっと画面に近寄ってお尻を突き出し、屈み込まねばならない。全体を感得された平面は読むという行為によって分断される。
昭和のトイレの孤独な落書きのような、切れ切れの手描き文字には、ウォルター・ホイットマンの詩の断片や、ゲイ男性のセクシャリティを想起させる隠語が散りばめられている。「絵画を通じてのみ、告白を行った(*2)」と語るこの時期のホックニーの絵画には、肉体やその局部を想起させる図像が隣り合い交流し、言葉の詩的な連関の中に自身の属性の告白が重ねられる。この言語の導入によって、絵画が古典的な一点透視図法の空間に収まることにも、描き手に固有の筆跡や一挙に感得される色面の中に収められることにも抵抗しているように感じられる。
ホックニーの大学内での制作は、まず信頼する友人たちの目に触れ、そして同じ思いを共有する人々との出会いへと向けられたようである(*3)。絵には描かれたものが定着され、いつか誰かに見られ得るという機能がある。自らの属性を扱った制作は、鑑賞されることでまわりの人々との関係と自らの人生にも再帰的に変化を与えていく。
ホックニーのこの時期のほかの絵画には「熱い抽象」(*4)のような筆致でqueenと殴り描かれ、クリフ・リチャードへの共感や、ジャン・デュビュッフェ風の人物が愛し合う姿が描かれる。これらの絵画は当時のロンドンの反権力的な熱量や、保守的な美術教育の残滓、抽象表現主義やポップアートなどへの抵抗と折衷の重なりあいのなかで、欲望の表現として出力されたように思う。絵具の可塑性のスペクトルの中にひとりの人間に複数共在する《多重視点》が重ねられる。
1957年にウルフェンデン報告書が提出され1967年に非犯罪化されるまで、同性愛が違法であったイングランドでこれらの絵画は描かれている。ホックニーは大学の卒業制作が「女性モデル」であったことに異議を唱え提出を拒否。その代わりにアメリカの雑誌の写真を元にセミヌードの男性像を描き、隣に自身のデッサン力を証明する骨格標本の課題を貼り付けた絵画を「卒業証書としての絵画」として提出する。これらのホックニーの抵抗は、西洋美術の根幹に埋め込まれたミソジニックな「視点」への抵抗とも重なるように思う。
画家は描き残すことができた。しかし人種や属性による非対称によって抑圧され描くことなど到底できない人々が、あの当時も、そしていま私の身近にも存在している。それでも、私たちのよく知るあのホックニーが「視点」の非対称性と根深く結びついた「絵画」という舞台の上に、複数の様式の重なりとして自身が抱えていた声をオープンにした徴をいまひもとけることに、私は心底ほっとするし、励まされる。後にルネッサンス時代にブルネルスキの発見した一点透視図法を「監獄」と語るホックニーの「多重視点」を、この文脈からとらえることができるのではないだろうか。
画材代の困難により、大学の設備を利用して始められたホックニーの版画制作は、ロンドンの銅版画の祖、ウィリアム・ホガースの風俗画の系譜にひもづけられながら、絵具の物質性に依存せずに、平面上に「多重視点」を展開していくきっかけであったように思う。《23、4歳のふたりの少年「C.P.カヴァフィの14編の詩のための装画」》(1966)は、銅版画の複数の描法が上下に重ねられ、単一の《遠近法》から解放されたふたりの穏やかに眠る姿に心が休まる。はじめのラッパスイセンの花びらのような簡潔な線描によって、それぞれの固有の身体が丁寧に描きだされ、見守る描き手の眼差しは私自身にも送り返される。
ホックニーの初期の油彩画の物質性を伴う筆さばきは、複数の様式をシームレスに接合し、同時にその接合面を「隠匿」する機能を併せ持つ。多くの画家たちが共有するこの筆さばき(描き手に固有の「徴」としてホックニーが後に語る《mark(マーク)》とそれは少し異なるように思う)(*5)は、この時代の告白の主題化を経由してゆるやかに後退し、カリフォルニアの自由な空気の中、まわりの人々に自身の活動が共有されるとともに制作の中に溶け込んでいく。
東京都現代美術館の所蔵作品でありコレクション展にも展示されている、2つのリトグラフの連作を取り上げる。ひとつは「リトグラフの水」。爽やかなプールサイドの風景が直線や曲線や点描によって描かれている。線描の群れは面ごとにリズムの差異として描きわけられながら、緩やかに重なり合い、その内部には微細なフリーハンドによる歪みを含んでいる。本展で展示されているのは細やかな線描にクレヨンによる描画、2種の彩色の版が重ねられた4点(1978および1978〜80)である。(コレクション展のバージョンは更に複数のルートへと分枝されている)重ねられた版の履歴が「線」「クレヨン」「ブルーの淡彩」(*6)といった具合に概念芸術風のタイトルに反映される。
作品の内部の線の重なりから、次に壁面に複数並べられたこのシリーズ全体へと視線を泳がせる。実際にプールの水面と水中、そして刻一刻と姿を変える反射する煌めきをぼんやりと眺めるような感覚である。歪んだ線の彼方には多重の消失点が予感され、それはこちら側に送り返される。放射状に重なる線の群れは単色の虹のようだ。なんだか生きた心地がしてくる.........。版画技法の内部で生成された「多重視点」は、クロード・モネの聖堂やアンディ・ウォーホルの版画のように反復された連作の中に重ねられる。それはいつしか劇場のように壁面全体で鑑賞者を包み込むように展開していく。簡素な平面作品でありながら、わずかな視点の移動によって脳内で「多重視点」が再生されるかのような、その後の展開の詰まったこの版画作品に爽やかな魅力を感じる。
もうひとつは架空のハリウッドスターのコレクションという体の、いわゆる画中画である。「ハリウッド・コレクション」シリーズの《ガラス付きの額に入った無意味な抽象画》(1965)はモーリス・ルイスやケネス・ノーランドを思わせる、架空の抽象絵画がその額縁ごと描かれ、ガラス自体か、その手前の空間を示唆するようなラフな線が引かれている。身も蓋もないタイトルのこの作品は、抽象絵画への皮肉でもあり、芸術が内容とは無関係に消費される商品であることを自覚させる。そして反射する現物の額縁に入れられたこの作品には私の姿が鬱陶しくちらちらと映り込む。トロンプ・ルイユの伝統に則りつつ、シンプルな具象画とも言えそうなこの作品には、描画法による多重化とはまた異なる文脈による「多重視点」が重層されているように思う。
ホックニーはフレームや窓枠を描いたり、キャンバスの四隅に余白を残すことで「絵画」を文字通りカッコに入れ、「イリュージョン」を眺める私たちの立ち位置を思い起こさせる。絵画が絵画であることを自覚する抽象絵画への目配せや、古風な遠近法への嫌悪も思う。しかしこの簡素な露払いによって、目の前の世界を描くという態度を手放さず、自身の制作を推し進めることができたように思う。
ホックニーの絵画に頻出するモチーフは《スイミング・プールに流れ込む水、サンタモニカ》(1964)に見られる、時間をかけて描写される「水しぶき」や、《催眠術師》(1963)に見られる「カーテン」、コレクション展示の「アン」のシリーズに見られる「鏡」、ガラスや水面やモニターの「ハイライト」や「文字」や「椅子」など、此処とは異なるどこか別の世界を暗示する。これらのモチーフは批評家が取り出しやすいものでもあるし、シュルレアリスムや具象画家たちが使う常套手段でもあるだろう。
しかし初期の作品から差し込まれるこれらのモチーフによる「視点」の重層化は、ホックニーの閉所恐怖症的なアレルギーのような一貫した「こだわり」が混在し、絵具の物質性に依拠せずに絵画に広がりと開放感を確かに与えていると感じられる。これらのモチーフが混在し、ここまで書いてきた初期油彩画と版画の要素が重ねられた《ビバリーヒルズのシャワーを浴びる男》(1964)と《スプリンクラー》(1967)のアクリルによるキャンバス絵画について語り始めるとこの文章全体以上の文字数が必要なので割愛する.........。その豊さはぜひ会場ご覧いただきたい。
今回の展覧会の白眉は「ダブル・ポートレート」シリーズの絵画3点が見られるところにもあるだろう。これまで一方的に作品を眼差してきた私は、カンヴァスの向こうに佇む2人に見返され、その親密な空間にいきなり参加させられたようなバツの悪さを感じる。絵画はもはや遠慮がちにフレームに囲われることもなく入り込めそうなほど大きく開かれている。
《クラーク夫妻とパーシー》 (1970〜71)で逆光の中に佇む2人はフィレンツェ駅前のマザッチョの磔刑図やフラ・アンジェリコなどの宗教画のようでもある。手前のテーブルのパースや、どの角度からでも目が合う2人、彼方を見つめるパーシー(ねこ)の視線に、東西の宗教画のようにこちらをあちらへとつなぐための様々な工夫が確認できる。これまで見てきた「多重視点」の絵画に対して古典的な一点透視図に回帰した自然主義絵画と言えそうでもある。
しかし後のフォト・コラージュのシリーズや隣に架けられた《2022年6月25 日、(額に入った)花を見る》(2022)のように「ダブル・ポートレート」の制作には複数の写真が使用され、その細部に「多重視点」が練り込まれているようである。しかしロマン主義への反動としての自然主義とは異なり、モニュメントやプロパガンダとしての機能も重ねられてきたルネサンス以降の自然主義絵画は、そもそも複数のパースや密度の改変、視点の操作が練り込まれた人工物そのものだろう、とも思う。何度も腐心して描き直されたというこのシリーズはホックニー自身と当時のパートナーを含むボヘミアンな生活を送る人々を西洋絵画の歴史の中に新たなモニュメントとして定着させるような意思も感じる。
《両親》(1977)に描かれているのは文字通りホックニーの両親以外の何者でもない。親子3人の眼差しが描き込まれたこの作品は美術史と個人史が重ねられたホックニー渾身のモニュメントのように見える。鏡の中に写ったピエロ・デラ・フランチェスカの絵やジャン・シメオン・シャルダンのカタログを絵画に描き込む本気度。人生は有限であり、その時にしか向き合えないテーマというものがあると思う。
制作やキュレーションすら委託される現代のアートの世界において、ホックニーがこだわる自らの手で絵を描くという行為は、描き手自身の身体を際限なく拘束し、他者を雇用するコストやリスクや回避するため自らがモデルを務めることもできる。そして時には画面からは見えない背景で家族やパートナーが巻き込まれることもあるだろう。セザンヌ同様、父は息子の蔵書に没入させられる。ともかく忘れ難い絵画である。私はこれほど客観的な記述が難しい絵を多く知らない。こちらに向けられる母の視線に胸が詰まる。
くっきり、はっきり、とにかく明るくしたいホックニーは、細心の注意を払って彩度の高いオレンジの地塗りやピンクの格子状のタッチを淡いブルーグリーンの補色対比によって描き起こし、アクリル絵具の発色を薄塗りの層によって最大限に活かしている。しかし自然主義にのっとって個別の人物を描き分けるためには、立体感を描くため暗さを作らねばならない。
フェルメールのように左奥に光源が設定された《ジョージ・ローソンとウェイン・スリープ》(1972〜75)を描き進めれば益々暗くなっていくしかないだろう。向き合う2人の視点は虚空を見つめるようにどこまでもすれ違っているようにも見える。置いてきぼりにされた私の視点は空っぽの壁面をさまよう。未完のまま残されたというこの絵画に、後のホックニーの作品には見られない、抗いがたい魅力も感じる。
目の前の人物を描けば見つめられる自分自身も描き込まれる。それは辛い思い出も含めて自らを固定化する。絵画はカムアウトの舞台ともなり社会に開かれた呪縛にもなるだろう。描いた絵は飲み込めない。「ダブル・ポートレート」にはホックニーの人生を固定化し侵食するような「見られる」という経験が重ねられているように思う。それはこの時期のトラウマ(*7)から逃れるように、ピカソと再会し後に明確化されるホックニーの「多重視点」とはまた異なるもうひとつの「視点」でもあったように思う。
身の回りの世界を描いてきた人生における、この時期の恋人との別れと透視図法のどん詰まり。このふたつをどうやって切り分けることができただろうか。その後のホックニーの作品だけが、それを明確に物語ってくれるだろう。
*1──デイヴィッド・ホックニー、マーティン・ゲイフォード『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』木下哲夫訳、 青幻舎 、2017。
*2──マルコ・リヴィンストン『ホックニーの世界』関根秀一訳、洋販出版 、1990、pp.20〜21。
*3──同上。
*4──抽象絵画のスタイルは、幾何学的抽象を「冷たい」、表現的抽象を「熱い」と大別して表現されることがある。
*5──『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』p.31。
*6──「デイヴィッド・ホックニー展」カタログ、2023
*7──映画『A Bigger Splash』、1974
参考 David Hockney Foundation https://www.thedavidhockneyfoundation.org/
【おまけ】
佐々木健が「デイヴィッド・ホックニー展」を見たあと、自身で描いてみたiPad絵画を以下に公開する。
佐々木健
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