「兵庫県立美術館開館20周年 関西の80年代」が6月18日から始まった。美術館の敷地に入るとすぐに “80年代は、過去じゃない。”とキャッチコピーが書かれた同館お馴染みのキューブ型の告知ボードが目に飛び込んでくる。展示を見る前に、このコピーに80年代らしさを感じる人もいるかもしれない。展示室へと続くアプローチの長い廊下の壁面には、現在から1980年までの流行語や社会状況を示した年表がある。この40年を振り返り、周辺の動向もおさらいしつつ、入室することになる。
兵庫県立美術館は阪神淡路大震災(1995)の復興のシンボルとして、被災した前身の兵庫県立近代美術館(以下、兵近美)の所蔵品等を引き継ぎ2002年にオープンした。かつて、兵近美時代に開かれていたシリーズ展「アート・ナウ」(1973〜1988年は毎年開催、1992〜2000年は隔年開催、*1)がこの展覧会のバックボーンとなっている。「アート・ナウ」は主に関西拠点のアーティストを紹介するもので、そこへの選出は活躍が注目されていることの証ととらえられるような位置づけだった。本展では、この「アート・ナウ」に出展された作品、あるいは出展した頃の活動を振り返る資料で構成されている。
80年代をゆるやかに時系列でたどり、プロローグとⅠ〜IVの4つの章から成る。プロローグでは、奥田善巳によるりんごを反復させたストイックなモノクロームの絵画と、北辻󠄀良央の薔薇をモチーフとした作品が展示され、壁の向こう側にある80年代の大型の作品群へと橋渡しをしてくれる。
「I:フレームを超えて」では、定型の矩形キャンバスを支持体として絵画を描くような様式から逸脱した、色彩も形状も個性豊かな作品が登場する。飯田三代が1982年にアート・ナウに出品した高さ4mのアクリル絵画は、ビニールを支持体に、当時サブカルチャーとしてももてはやされた“へたうま”的な描画が懐かしくもある。
“インスタレーション”という美術用語が頻繁に語られたのも80年代半ばだ。「Ⅱ:インスタレーションーニューウェーブの冒険」では京都市立芸術大学に同時期に在学していた石原友明、杉山知子、藤浩志、松井智惠等の作品が並ぶ。
染織コースで学んだ藤の《こいのぼりくんの一生》(1983/2022)は、かつて京都市内を流れる鴨川で友禅流しが行われていたことに因んで、自作のこいのぼりを鴨川で大胆に流したことで話題になった。発表形式や展示方法の変化も含め新たな潮流がここに誕生したことが見えてくる。
杉山のポップな色彩と日常にある小さな物語を散りばめ、ストレートに登場させる様は、70年代のコンセプチュアルな作品傾向とは一線を画す。
「Ⅲ:「私」のリアリティーイメージ、身体、物語」は、森村泰昌《肖像(ファン・ゴッホ)》(1985)から展示が始まる。森村のセルフポートレイトを用いた作品は、大きなインパクトを当時のアートシーンに与えた。作者の等身大のイメージを語ったのは写真のみならず、版画、樹脂を用いた造形、絵画など様々なメディアで展開され、作者のうちにあるものを大きく炸裂させたり、静かに囁くようなものもある。どれも作品が持つ個々の物語にオーディエンスが自身を重ね合わせ、ともに自分探しをすることができたように思う。
最後のパートである「Ⅳ:「私」の延長に」では、個別に活動するアーティストがユニットを組んで共同制作をした赤松玉女+森村泰昌《男の誕生》(1988)などが展示され、全体を締めくくるのは中原浩大《ビリジアンアダプター+コウダイノモルフォⅡ》(1989)だ。深い青緑色の太い毛糸で編まれた造形物は、複数の部屋にはびこり、エンドレスな世界に引き込まれる。
80年代の日本の現代美術シーンは、北米や欧州を意識していた。バブル経済もひとつの要因として考えられるが、作品が巨大化した時期でもあった。リアルタイムで80年代を生きていた筆者にとっては、この展覧会はタイムトラベルさせてくれる展覧会でもあり、この時代の記憶の整理する機会も与えてくれた。2022年に初めてこれらの作品群と出会う人々にとっては、作品と実社会との接続点を見出すことが難しく、違和感を覚える部分もあるのかもしれない。だが、それがまさに80年代らしさ、のようにも思われる。
*1──年に1度開催されたアニュアル形式で、兵庫県立近代美術館において開催された企画展だが、テーマ設定はゆるやかなものだった(1回目のみ大阪にあった梅田近代美術館で開催)。
80年代には、複数のアニュアル展が存在し、シガ・アニュアル(1986〜1999、滋賀県立近代美術館)、ハラ・アニュアル(計10回開催、1980〜1990、原美術館)、つかしん・アニュアル(1986、87、88、89、つかしんホール)も事例としてあげられる。
森村泰昌さんが「アートとは何か?」を語ったインタビューはこちら