写真家の細江英公さんが、9月16日に死去。91歳だった。
1933年、山形県米沢市に生まれた細江英公は、15歳のときに初めて自分のカメラを購入し、18歳だった1951年に「富士フォトコンテスト」(学生の部)にて《ポーディちゃん》が最高賞を受賞。1952年に東京写真短期大学(現・東京工芸大学)の写真技術科に入学。在学中にデモクラート美術家協会の中心人物だった瑛九と出会い、強い影響を受ける。1954年に卒業後、フリーランスの写真家になることを志し、写真雑誌や女性雑誌などの仕事を開始する。1956年に初個展「細江英公写真展 フォトストーリー『東京のアメリカ娘』」(銀座、小西六フォトギャラリー)を開催。1959年に川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高とともに写真家によるセルフエージェンシー「VIVO」を立ち上げる。
1960年に『おとこと女』で日本写真批評家協会新人賞を受賞。生と死というテーマや人間の肉体にアプローチした、独自の耽美な世界観で高い評価を獲得し、その後も三島由紀夫の裸体をとらえた『薔薇刑』(1963)など数々の作品を通して、自身の写真表現を追求した。1960年には映像作品《へそと原爆》を制作。舞踏家との交流でも知られ、秋田の農村を舞台に舞踊家の土方巽を写した『鎌鼬』(1969)で芸術選奨文部大臣賞を受賞。2006年には大野一雄を46年間撮り続けた写真集『胡蝶の夢 舞踏家・大野一雄 細江英公人間写真集』を刊行した。
また写真文化の発展や後進の育成にも尽力し、1995年に清里フォトアートミュージアムの初代館長に就任。1998年に紫綬褒章受章、2010年に文化功労者に選出。2017年には旭日重光章を受章。海外での評価も高く、2003年に世界を代表する写真家7人のひとりとして、英王立写真協会創立150周年特別記念メダルを受章。2006年には写真界の世界的業績を顕彰するアメリカのルーシー賞の「先見的業績部門」を日本人として初めて受賞した。