公開日:2024年8月20日

田名網敬一さんが88歳で死去。多彩なモチーフと極彩色の表現で知られる越境的なアーティスト

国立新美術館では初の大規模個展「田名網敬一 記憶の冒険」が11月11日まで開催中。生前最後の展覧会となった

田名網敬一 出典:NANZUKAウェブサイト(https://nanzuka.com/ja/news/422)

アーティストの田名網敬一さんが8月9日、くも膜下出血を発症のため88歳で死去した。

所属ギャラリーのNANZUKAによると、田名網さんは2024年6月後半に骨髄異形成症候群を患っていることが判明。療養を続けていたが、その後7月末に突如くも膜下出血を発症したのだという。国立新美術館では現在、初の大規模個展「田名網敬一 記憶の冒険」(〜11月11日)が開かれているが、逝去は本展の開幕2日後となる。

田名網敬一さんは1936年東京生まれ。58年武蔵野美術大学卒業。大学在学中からデザイナーとして仕事を依頼されるようになり、卒業後は博報堂に入社。2年ほどで退職した後は画廊での展示に固執せず、66年にはアーティストとしての出発点ともいえる作品集『田名網敬一の肖像』を出版。幼少期に経験した戦争の記憶とその後に触れたアメリカ大衆文化からの影響が色濃く反映された、色彩鮮やかな作品を展開した。75年には日本版『PLAYBOY』の初代アートディレクターに就任。

「田名網敬一 記憶の冒険」(国立新美術館)会場風景 撮影:Naomi

美術やデザインといったひとつのメディアに限定しない制作スタイルでシルクスクリーンによるポスター、コラージュやアニメーション、イラストレーションや絵画、実験映像など縦横無尽な活動を展開し、80年代は中国への旅行と約4か月にわたる入院中に見た幻覚をきっかけにして、楽園的迷宮的なイメージへと発展させた。

「田名網敬一 記憶の冒険」(国立新美術館)会場風景 撮影:Naomi

近年の主な展覧会として、「パラヴェンティ: 田名網 敬一」(プラダ青山店、2023)、「マンハッタン・ユニヴァース」(ヴィーナス・オーヴァー・マンハッタン、ニューヨーク、2022)、「世界を映す鏡」(NANZUKA UNDERGROUND、東京、2022)、「Keiichi Tanaami」(ルツェルン美術館、スイス、2019)、「Keiichi Tanaami」(ジェフリー・ダイチ、ニューヨーク、2019)。また、グループ展としてポップアートの大回顧展「インターナショナル・ポップ」(ウォーカー・アート・センター、ダラス美術館、フィラデルフィア美術館、アメリカ、2015-16)、「世界はポップになる」(テート・モダン、ロンドン、2015) などがある。パブリックコレクションに、ニューヨーク近代美術館(アメリカ)、ウォーカー・アート・センター(アメリカ)、シカゴ美術館(アメリカ)、M+(香港)、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(アメリカ)、ハンブルガー・バーンホフ(ドイツ) など多数。

「田名網敬一 記憶の冒険」(国立新美術館)会場風景 撮影:Naomi

NANZUKAの代表取締役、南塚真史はギャラリーのウェブサイトで以下のようなメッセージ(一部抜粋)を発表している。

田名網は最後まで決して自身の回復を信じて疑いませんでした。闘病中には、取材中のTVドキュメンタリーのラストシーンが「僕の葬式になっちゃうかもしれないね」と、冗談を言って笑っていました。常にユーモアを欠かさず、しかし決して妥協しないその姿勢に、私も本当に多くのものを学ばせてもらいました。田名網敬一は、NANZUKAの血であり骨であり肉でした。田名網は生前に、自身の最近のアニメーションやペインティング作品を称して、「(自分が)死後に住む世界」だと説明をしていました。きっと、田名網の魂は、この自ら築き上げた極楽浄土で、妻や友人、そして魑魅魍魎たちと楽しく、永遠に生き続けることと思います。そして、この先田名網が心血を注いだ作品の数々が美術の歴史と皆様の心の中に生き続けることを、私も切に願っています。

葬儀は自身の遺志により、親族及び関係者のみで執り行われた。後日、別途お別れの会が催される予定だという。

田名網敬一。「Death Bridge」(ASIHONANZUKA、香港、2014)にて 撮影:編集部


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