私たちが日々得ている情報のうち、8割から9割を視覚から得ていると言われている。私たちは「見る」ことから逃れられない。また、「見る」という行為には、生物学的な機能としての側面と、文化的・社会的に受容されることで意味が生まれる側面がある。つまり、私たちは物理的に目を使って見ているだけでなく、それを知覚し、それぞれのフィルターを通して把握しているのである。また、そのフィルターは個人の嗜好や主観によるものかというとそうではなく、無意識のうちに構造化されたものである。日々無数に目にする広告やメディアの情報、SNS、街の景観など、私たちは視覚から得る情報によって文化的なコードや規範を植え付けられているのだ。
「見えないことを見る」というのは、アートが扱ってきた主題のひとつである。たとえばルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『色彩について』など、視覚障害について言及があるものもいくつかあるが、ほかの学術領域同様、アートに関連する理論や思想は晴眼者によって構築されてきた。展覧会や作品においても、「見えないこと」は死者や幽霊、非人間など不可視のものを想像することに翻訳され、見えることを前提とした思考実験のモチーフのように扱われてきた。ソフィ・カルの《盲目の人々》(1986)のように、実際に視覚障害者が登場する作品もあるが、やはり晴眼者に向けて、見えないことから見えることの不確かさを逆に照射するようなものが多いと言えるだろう。
創作や鑑賞において視覚が大きな割合を占めるアートは、視覚障害当事者にとってはハードルがある領域と言わざるを得ない。そのなかでも門戸が開かれてきたのは、触覚によるアプローチだ。盲学校では戦後から粘土などを用いた造形教育が盛んに行われてきたし、八田豊や光島貴之など、触ることのできる絵画作品を作り続けている全盲のアーティストも存在する。また、視覚障害者のための手で見るギャラリーとして「ギャラリーTOM」(東京)は1984年から活動を続けており、国立民族学博物館では研究者であり自らも当事者の広瀬浩二郎が、「触覚の復権」を掲げ、「ユニバーサル・ミュージアム」の研究と実践を行っている。
視覚障害といっても、人により症状や視力を失った時期などは異なり、一般論化するのは難しい。何より、視覚で見た記憶があるかないかは、その人の視覚文化の受容に大きく影響する。たとえば、生まれつき全盲の友人に度々指摘されるのは、「『構図』や『遠近法』の概念が理解できない」ということだ。そもそも世界は3Dで触れるのに、なぜそれを切り取って平面にしようとするのか、意味がわからないと言うのだ。そう言われると確かに平面化は、情報共有やアーカイブ性という意味では画期的な発明だったが、極度に視覚に依存した奇妙なメディウムの形態であると気づかされる。私はこれまで、触図のように平面を触ることで絵や写真をとらえる試みも行ってきたが、触れて認識するイメージを平面に定着されたイメージとして頭の中で変換し想像するというのは、多くの視覚障害者にとって日常生活にはない行為であり、そこでもまた視覚文化を一方的に教えるという思考に陥りかねない危険性に気づかされた。そんななかで、街中ではタッチパネルなどによる情報の平面化が急速に進み、いっぽうで多様性を謳いながら、街中から触覚的な手がかりは密かに姿を消している。
私が視覚に障害のある人と表現活動を始めたのは、7年前のことだ。もともと私は、盲学校でのある経験をきっかけに、視覚を使わない人たちと表現を見たりつくったりすることによって、彼らにとって表現との接点を作るだけでなく、美術なら美術、映画なら映画といった業界内で当たり前とされる常識や制作過程に疑問を呈することができると感じ、「障害は世界をとらえ直す視点」として活動を始めた。ここで言う「障害」は、障害当事者のことだけでなく、社会規範や言語、文化の違いによってもたらされる壁のことも含んでいる。その気持ちはいまも変わらないが、彼らと日常的に接するようになってから時間が経ち、また多様な視覚障害者の人たちと出会ってきたいま、考えが変わった部分について書きたいと思う。
当初私は、視覚障害者は視覚が構築する世界から自由な存在であるととらえていた。しかし、それは完全に外れてはいないが、誤解を孕んだものだったと思う。彼らが視覚文化からまったく自由な存在かというと、必ずしもそうではない。彼らは、視覚文化の情報を、晴眼者の会話やメディアから日々得ているのだ。たとえば、赤という色は太陽や炎のように温度やエネルギーを感じさせたり、信号などのように危険を知らせる時に使われるということ。そういった基本的な概念だけでなく、「イケメン」や「美魔女」といった最近の表現も、よく耳にするため興味を惹かれている人は少なからずいる。言語によって構築・補強される、視覚文化の見えない側面は、彼らの中にも蓄積されているのだ。そのもの自体を見ていないので、見えている状態、たとえば赤がどのような色かを共有することはできない。いっぽう、見えているものに伴う、見えていない情報や文脈、それに付随する経験や記憶は、言語によって交換・共有し得るものなのである。
そういった特徴は、彼らとアートを鑑賞することを興味深いものにしている。最近の流れとしては、美術館側の合理的配慮やアクセシビリティへの意識の高まりもあり、「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」や「ミュージアム・アクセス・ビュー」など、視覚に障害のある人とない人が対話を通して作品を鑑賞するワークショップが盛んに行われている。これらは対話型鑑賞の延長として位置づけられる(美術館において普及している鑑賞サポートツールである「音声ガイド」は、本来視覚障害者にとっても有用なものであり得るはずなのに、未だ視覚情報は含まれておらず、視覚障害者に対して視覚情報を音声で補助するツールも「音声ガイド」と呼ばれるため、混乱が生じている)。
2021年に企画した展覧会「語りの複数性」(東京都渋谷公園通りギャラリー)で行った川内倫子による写真絵本『はじまりのひ』の読書会を例に少し話したい。この読書会は、目の見えない4人が読書会を通して得たイメージをテキストや絵などで具現化することを予め目標に据えて、見えない人と見える人が集まり何回かに分けて行った。視覚障害者との鑑賞は、最初は非対称な関係から始まる。なぜなら、目の見える人が見えない人に目の前にある作品の形態や大きさなどの見えている情報を伝えなければ、鑑賞は始まらないからだ。しかしそれだけで鑑賞が終始することはなく、目の見える人は説明しているうちに感じる共感や違和感について触れたり、見えない人は自分が認識してきた物事と作品の描写との差異に疑問を投げかけたりする。そして、ひと通り見えるものについての共有が終わると、それらから発想するそれぞれの過去の経験や記憶に話題が移っていく。
川内倫子の『はじまりのひ』は、あえて記号的な表象を避けているようなイメージが多く含まれる。いまにも消えそうな繊細な羽を持ったセミや、波がまったく立っていない凪の状態の海など、記号化から逃れるような曖昧な状態が写しとられている。
読書会のなかでも、とくに興味深い展開があった写真がある。森の中での日差しを写した一枚だ。最初は晴眼者が画面全体を覆っている光や木々の様子、色など見えるものについて説明した後、「眩しすぎて見えないと感じた時に受ける光の印象」「光の方向がわからない感じがする」と言葉を重ねていく。するとある人が「貧血で倒れる時ってこんな感じになりませんか」と口にしたことをきっかけに、その場にいる皆が瞬時にその感覚を体得し、自分の立ちくらみや貧血の状態、その時の音の聞こえ方などを話し始めた。その経験の共有を通して、意識と無意識の間を漂うようなイメージが共有され、その写真は「貧血」というあだ名で定着した。そして参加者のひとりは、読書会の晴眼者との対話から「光は文法を持っている」から始まる印象的なテキストを記した。
近年の「ルッキズム」を巡る議論が指摘するように、「見る」ことの政治性がいま改めて問い直されている。私たちは構造化された視覚を通じて物事を見ていることについて、より自覚的にならなければいけない時代となった。見るという行為は、情報や物語が知覚に動員され、予め枠づけられることから逃れられない。しかし、アート鑑賞は本来、そういった見ることの規範から解放される時間や経験を持つことができるものではないだろうか。
視覚に障害のある人と鑑賞する時に陥りがちなのは、良かれと思って彼らに「正しい」情報を提供しようとする態度になってしまうことだ。それは、一歩間違うと見えている視覚文化を彼らに押し付けることにもなりかねない。また、作品を晴眼者と同じように解釈してもらいたいと思うばかりに合目的的になることも、一方向的に情報保障を提供するに過ぎなくなってしまう。それは、情報を提供する側がその目的に気を取られ自分の鑑賞を楽しめないという、逆の意味で非対称な関係を作ることにもなる。
そしてもっとも危ういのは、視覚に障害のある人に視覚障害者ならではの意見を求めてしまうことだ。それは、彼らの一部でしかない特徴を必要以上に美化し、差異化し、結果差別していることと変わりはない。その誘惑を乗り越えて一人ひとりをより解像度高く見られるようになった先に、ただともに在ることが可能となるという意味で、鑑賞ワークショップの2時間程度という時間の長さは必要なのだと思う。
これまでアートの世界は、エリート的志向によって、一般的な「見る」ことの規範に加え、さらに別の構造化された知識や文脈によって歴史が構築されてきた。もちろんそういった側面も必要だが、作品や作家と比べて鑑賞者の見方の多様性にはそれほど重きが置かれてこなかったと言える。
いっぽう、視覚に障害のある人とともにアートを鑑賞することは、一般的及び美学的な規範を根本からほぐし、見ることを民主化する意義を持っている。それと同時に、対話を通して、日常生活においては固定化されがちな、助ける/助けられる関係を、対等なものに変容し得る可能性を持っているのだ。それは、もしかすると視覚の有無関わらず、あらゆる他者との対話そのものが、自分の見方の解像度を高め、無意識に抱えている規範を覆す可能性に満ちていることを教えてくれる。そのような対話の場を、身体や文化の違いを翻訳する機会にとどめず、他者とともに既存の視覚の規範を上書きし再構築する、視覚をめぐる権力の解体と実践の場ととらえることは、アートをより多くの人に開いていくための示唆が含まれている。