公開日:2023年7月11日

「事件やニュースに自分が選ばれているような感覚がある」。リトグラフ作家・法廷画家 松元悠インタビュー

見知らぬ人々が起こした事件の向こうには何がある? 新聞やニュースなどメディアを通して知った事件をもとにリトグラフ作品を手がける松元悠にインタビューを行った。

松元悠 Photo by Kanta Takeuchi

リトグラフ作家の松元悠(まつもと・はるか)は、マスメディアが伝えるニュースの現場を訪れ、被疑者や関係者の姿を自画像として描くことで、報道では取りこぼされたリアリティを現前させる。また近年はアーティストの活動と並行して、法廷画家として被疑者の姿を伝えている。町田市立国際版画美術館で7月17日まで開催中の展覧会「出来事との距離 -描かれたニュース・戦争・日常」で作品を出品中の松元にインタビューし、活動の背景について話を聞いた。

作品を通してマスメディアを肯定的にとらえたい

──そもそもなぜ、松元さんは数ある手法のなかでリトグラフを選んで続けてきたのでしょうか?

元々はマンガやイラストに興味があり大学のオープンキャンパスに行ったのですが、たまたま見た版画専攻の先輩方の作品が良かったんです。それでなんの知識もなく大学に入って版画を学んだという情弱なきっかけです(笑)。実際にリトグラフをやってみたら、技術や手技を追求していく楽しさにはまりました。木版画って彫って入魂するような力強さがあるんですけれど、リトグラフってそういうアウラ的なものはほぼない。生っぽさが感じられないのもすごくいいなと思ってます。

あとは、日本では明治期にリトグラフが登場したタイミングで新聞も始まって、山本松谷(昇雲)をはじめとする「報道画家」と呼ばれる人たちが現れたことを知りました。その後すぐに写真が登場するので報道画家の歴史は短いのですが、ニュースが絵になり、それがリトグラフで刷られていたということにシンパシーを感じました。

「出来事との距離 -描かれたニュース・戦争・日常」展会場風景より、松元悠《アルマゲール島(祖母と大叔母の話)》 Photo by Kanta Takeuchi

──元々興味があったのは、イラストやマンガだったんですね。松元さんがニュースを題材にするきっかけはどのようなものだったのですか? 実際にニュースの現場に行ってそこで得た情報も作品に取り入れていますね。

母親がワイドショーを家で見ていて、虐待のニュースで泣いていたことがきっかけです。全然会ったこともない子供で親がどんな人か知らないのに、情報の受け手である母親の頭の中では当事者のイメージが作られて、そのイメージのなかで泣いている、泣けてしまえている。ニュースって、まったく出会ったことのない人たちの情報が自然に入り込んできて、何度もその情報をこちら側に刷り込んできますよね。そういうときの、情報の受け手側の感情伝達のされ方に興味を持ちました。

版画って情報や消費社会を嘆いているような作品が多いイメージがあるのですが、嘆くよりもむしろ、間接的に人との接点となるようなマスメディアの文化を肯定的にとらえたい、そこの可能性を探れないかというところがあります。だから私は現地に出向きます。ニュースが作る情報から抜け出してもっと深いマスコミュニケーションをやっていきたいんです。

松元悠 悪い神様の耳を食べる(佐野市) 2020 リトグラフ 個人蔵

──ネガティブにとらえられがちなニュースや報道の在り方を肯定的にとらえたいという理由なんですね。

はい。ただそのいっぽう、自分も以前あるニュースの当事者になったことがあり、匿名掲示板でそのことについて書かれ、言葉の暴力を感じたことがあります。肯定的にとらえたい反面で暴力の記憶もあり、でもやっぱり作ってしまう自分もいる。そのせめぎ合いというところで、いまは作品を「作れてしまっている」というのが正しい言い方かもしれません。

松元悠 水(北山田町) 2019

事件現地に出向き、自画像として作品を描く

──展覧会の会場のキャプションで、松元さんの作品は錦絵新聞への興味もベースにあることを知りました。錦絵新聞では現代で言うゴシップニュースが多く扱われていたそうですが、松元さんの作品はそういう野次馬的根性とユーモアを感じさせる作品もあれば、蛇口を盗んで換金していた夫婦の事件をモチーフとした《蛇口泥棒》のようにすごくドラマを感じる、見る者の胸に迫ってくるような作品もあります。

《蛇口泥棒》は、私が法廷画家になって作った最初の作品なので、それまでと全然文脈が違うんです。それまではニュースを題材に、《蛇口泥棒》以降は法廷画からスタートしているので。

松元悠 蛇口泥棒(長浜市、東近江市、砺波市) 2022 リトグラフ、個人蔵

──《蛇口泥棒》が初めて法廷画をきっかけに手がけられた作品なんですね。

そうです。《蛇口泥棒》は夫婦が犯人で、その関係者も現れるなど法廷ではとても生々しいことがわかるのですが、テレビではそういう情報はきれいさっぱり洗い流されて非常に端的に述べられるわけです。自分が法廷で見ていた夫婦はすごく人間らしくて、その人の口調、履いているクロックスの雰囲気とか、事件とは全然関係のない情報が自分の中に刷り込まれていきました。その生々しさみたいなところが、リトグラフで少しでも表せられたらいいなと考えました。法廷画では描けなかった恣意的な事象が入る、みたいな。

松元悠によるマンガ冊子『蛇口泥棒日記』(ナナルイ、2023)

──松元さんは実際に事件があった現地に赴き、その経験も作品に盛り込むそうですね。

はい。現地に行くのはリサーチというよりも、あくまでその当事者が見ていた視点への体験をして観察するような気持ちによるものです。それから少し複雑なのですが、私が描いているのは犯人の肖像ではなく、私の自画像として描いています。

──なるほど、これは犯人ではなく松元さんの顔なんですね。

そうです。顔は私ですが犯人の子供をモデルに描きました。夫婦は犯行の動機について「子供たちにおいしいものを食べさせたり旅行に連れて行ったりしたかった」と言っていてそのエピソードが心に残っていました。ですので事件をベースに、子供たちの姿を私の自画像として描くという複層的な構造になっています。ちなみに手をグーにしてしゃがみこむポーズは『自転車泥棒』(1948)という映画のワンシーンを題材にしています。戦後のイタリアで自転車のパーツが盗まれるなど、社会状況も似ている気がして。

「出来事との距離 -描かれたニュース・戦争・日常」展会場風景より、『蛇口泥棒日記』の原画 撮影:Kanta Takeuchi

──私はてっきり、現地へ行って情報収集をして、ある種イタコのようにその場からインストールしたものを作品としてアウトプットすると思っていました。今回お話を聞いて客観的な情報を寄せ集めたコラージュのような作品だということがわかりました。

そうですね。コンセプトにも「追体験」と書いている通り、現場には、被疑者が着ていたものに近い服を着て行って動画で自撮りして、蛇口を触るなどそれっぽい行動をとってみたり、演じるというプロセスも挟んでいます。ですのでイタコ的な部分もゼロではないですが、いろんな飛躍した情報を盛り込んだ重層的なコラージュになっています。だからパッと見ても、なんの絵かわからないと思う方も多いかもしれません。

──その場合、現地へ行ってそこにいたであろう当事者の気持ちとかを想像して感情移入するというよりは、コラージュの素材集めのような感覚に近いでしょうか?

それこそ、普段ニュースを見ているときの感覚に近いですね。現場で感情移入している自分と「あぁ、洗濯物干さないとな」みたいな雑念が同時にある。私の作品には、そういう外野的な情報も全部ひっくるめて入れてしまいます。

松元悠 Photo by Kanta Takeuchi

法廷画家として

──松元さんは法廷画家として活動されていますね。美術を学ぶ人や美大出身者が法廷画家をしているケースは珍しくないと思いますが、松元さんはInstagram上でご自身の成果物として発表されているのがユニークな点だと思いました。最初に法廷画を描いたとき、どういうお気持ちでしたか? また、法廷画家をやり始めたきっかけを教えてください。

知人が法廷画家をしていて、そのピンチヒッターとして始めたのがきっかけでした。元々はニュースを題材に作品を作っていたのに今度はその素材の発信者側になるということで、本当に引き受けていいのかとすごく迷う気持ちもあったのも正直なところです。

じつは、法廷画って描けるカットは決まってるんですね。犯人の顔のアップ、法廷の全体像、検察と、弁護士と、裁判長です。ただ、服装については特に規定がないので、たとえば、出廷してきたときにブランド物のショルダーバッグを掛けて、タトゥーがたくさん入っていて……という場合、それをどこまで描くか描かないかは自分の倫理観を問われる。ディテールによって犯人像を決定してしまうからです。あとは表情もそうですね。裁判中にものすごく泣いていてもあえて感情をオーバーに出してないときの瞬間を描いたり。自分の咄嗟の判断によるものもあるのですが。

──法廷画のなかにはたまにすごく憎たらしい表情を浮かべた犯人像もありますが、それは法廷画家の方の匙加減によるものなんですね。

そうですね。じつは法廷内って被疑者の顔はほとんど見えなくて、基本的に後頭部しか見えないんですよ。裁判の内容によっては見える場合もあるんですが、基本的には最初出てきたときの一瞬だけでなんとなく顔を覚えます。そのときにバチッと被告人と目が合うときがあって、被疑者からするといまから自分の顔を描かれることがわかるわけで、独特の緊張感が走ります。そのときの一瞬の表情をとらえつつ、こちらの想像で描いていることが多いです。

──松元さんのなかで作品は制作活動ですが、法廷画は作品制作とはかけ離れた「仕事」ですか?

はい、あくまで仕事ですね。裁判中はとくに作品のことを考えることもありません。

ウトロ地区の記憶、ニュースや事件に選ばれている自分

──展覧会では、在日コリアンが多く暮らす宇治市のウトロ地区で起きた放火事件(*)をもとにした作品《擦れ合って新しい面を作る(ウトロ遊園/なかよしひろば)》も展示されていました。これは、石版をすり合わせて作られた面に、ウトロ地区とそれ以外の地区、フェンスを隔てて棲み分けられた生活を描き出したというものですね。

私は子供の頃、ウトロ地区から徒歩10分ほどのところに住んでいたのですが、ウトロ地区はずっと立ち入ることのできないエリアでした。でも、放火事件の法廷画を第1審、第2審、そのあと判決までを全部担当することになり、ウトロ平和祈念館という誰でも入れるスペースをウトロ地区側が建てたことによって、自分自身がそのエリアを飛び越えることができました。この作品では放火事件自体を描いているわけではなく、そうして変化した自分の気持ちも投影しています。

「出来事との距離 -描かれたニュース・戦争・日常」展会場風景より、《擦れ合って新しい面を作る(ウトロ遊園/なかよしひろば)》 撮影:編集部

──放火事件の犯人は、いくつかの犯行動機のひとつとしてウトロ平和祈念館の開館を阻止する目的もあったと報道で見た記憶があります。《擦れ合って新しい面を作る(ウトロ遊園/なかよしひろば)》の片方ではフェンスに腰掛けて話す3人組、もう片方ではフェンスの前で花火で遊ぶ子供たちの様子が描かれていましたね。

フェンスに座っている3人組は、同じ宇治市にあり私も幼少期に遊んでいたなかよしひろば(伊勢田神社内)という公園で座っていたおじいちゃん3人を、自分の思い出に当てはめて描きました。でもウトロ遊園はきれいな公園なのですが本当に誰もいなかったので、そこに落ちていた花火の形跡から想像して描きました。

──それぞれにフロッタージュが少し施されていますがこれはなんでしょうか?

あれは、ウトロ遊園となかよしひろばにそれぞれ設置されているベンチのフロッタージュです。ふたつを隔てる境界を越える、あるいは擦り合わせて境界をなくすというイメージで、それぞれの公園で「人が接した面」を探したんですね。それはベンチかなと思い、フロッタージュしたものをコラージュしました。

「出来事との距離 -描かれたニュース・戦争・日常」展会場風景より、《擦れ合って新しい面を作る(ウトロ遊園/なかよしひろば)》 Photo by Kanta Takeuchi 

──境界をなくす、越えていくというのがキーワードですね。

はい。じつは先日、ウトロ平和祈念館に《擦れ合って新しい面を作る(ウトロ遊園/なかよしひろば)》を持って挨拶に行きました。被疑者であれ被害者であれ、事件に関係のある人に対面でお会いするのは初めてだったので自分でも境界を大きく超えた感覚があったのですが「こういう理由で作品を作らせていただいて、町田の美術館の展覧会に出品することになりました」というようなことを館の方に伝えたら、作品を祈念館に寄贈することになったんです。そのときに法廷画についてもお話があって、「松元さんの描く法廷画が、一番悪意がなかったです」みたいなことをおっしゃっていました。その「悪意がない」というのが被害者側にとっていいのか悪いのか、どちらの意味でおっしゃっているのかが私にはわからなかったんですが、どちらにしても印象的な出来事でした。ちなみにスタッフの方も「じつはウトロ遊園には人があまり来ない」と言っていて、別の場所にバスケットゴールがあって「そっちのほうが人がよくバスケしに来ているよ」って言われて、初めて知りました。余談ですが(笑)。

──これまでいろいろな事件の法廷画を担当するなかで、これは作品の題材にしてみよう、これはやめておこうという取捨選択の基準はありますか?

倫理感的な部分での取捨選択はありますが、ほとんどが感覚で選んでいます。ただ、まったく自分と関係がなかったように見えて、じつは事件を追っていくと自分と何かしらの関連性があったりして、こういうと変ですが事件やニュースに自分が選ばれてるような感覚があります。元々事件をベースとした作家活動をしていて、たまたまピンチヒッターで法廷画家になり、そのことにどう折り合いをつけていくのかは迷い中としか言えないのですが、不思議な縁を感じることばかりです。ただ、ウトロの放火事件はインターネットの情報に由来する敵対感情だけで犯行に及んだそうですが、そうしてメディアと暴力が地続きになるなかで、直接出会わずともコミュニケーションが可能なのかというころに私の関心はあるので、対象はなんであれそのことは探究していきたいと思っています。

松元悠 Photo by Kanta Takeuchi

*──2021年8月30日に発生した放火事件。住宅や空き家など7棟のほか、ウトロ平和祈念館で展示予定だった資料50点が焼失した。被疑者は22歳(当時)の男。在日コリアンに対して敵対感情を持ち、展示品を焼失させることでウトロ平和祈念館の開館を阻止する狙いもあったという。祈念館は翌年オープンした。

松元悠(まつもと・はるか)
リトグラフ作家。1993年京都府生まれ。京都精華大学芸術学部メディア造形学科版画コース卒業後、京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻版画修了。これまでの個展に松元悠 展(Oギャラリーeyes、大阪、2015)、カオラマ(京都芸術センター南・北、2018)、活蟹に蓋(三菱一号館美術館、東京、2019)など。主なグループ展に群馬青年ビエンナーレ2021(群馬県立現代美術館、2021)、船は岸に辿り着けるのか(TALION GALLERY、東京、2021)、NITO09/NITO10/NITO11/NITO12/NITO13(アート/空家 二人、東京、2022)、第3回 PATinKyoto 京都版画トリエンナーレ2022(京都市京セラ美術館、2022)など。

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。