公開日:2023年7月1日

蓮沼執太が語る、いまある音楽への疑いと試行。「まだレコーディングした音を音楽として聴いてるんですか?」

Tokyo Art Beatのインタビュー企画「Why Art?」は、映像インタビューを通して百人百様のアートへの考えを明らかにする企画。同企画の一環として、注目のアーティストに話を聞いた。今回登場するのは音楽家、アーティストの蓮沼執太。

蓮沼執太 撮影:編集部

蓮沼執太は2006年に音楽家としてデビュー後、10年に総勢16名からなる現代版フィルハーモニックポップオーケストラ「蓮沼執太フィル」を結成。16年には自身のヴォーカルによるソロアルバム『メロディーズ』を発表し、同年には26名からなる「蓮沼執太フルフィル」を始動させる。自ら企画・構成をするコンサートシリーズ『ミュージック・トゥデイ』も主催し、U-zhaan、小山田圭吾、塩塚モエカ、灰野敬二、中村佳穂らのミュージシャンとのコラボレーションも多数。NHK Eテレの子供向け番組『デザインあneo』の音楽も担当する。

そうした音楽家の活動と並行し、アーティストとして「作曲的|compositions – rhythm」(スパイラルガーデン、東京、2016)、「蓮沼執太: 〜  ing」(資生堂ギャラリー、銀座、2018)、「Compositions」(Pioneer Works、ニューヨーク、2018)などの個展で作品を発表。7月11日〜17日の期間には神戸市の横尾忠則現代美術館、OBG eu.、DORSIA、みなとのもり公園で作品発表とスクリーニングを行う。

縦横無尽に活動を展開する蓮沼の、音楽家とアーティストの活動に通底する思想とはどういうものなのか。インタビューを行った。

“とらえどころのない感じ”の正体

──蓮沼さんの活動は本当に多彩です。あるときは音楽家として、あるときはアーティストとして、複数のフィールドを飛び石の上を渡るように軽やかに横断しているイメージがあります。ご自身の活動をどのようなイメージで展開していますか?

僕の場合は、大きな目的とか目標をそもそも設定せず、点と点の連なりのようなイメージで活動しています。地図を持たず、漠然と描いた目的地に近づいていくようなことをずっとやってきたんじゃないかな。

あと、「こういう人になりたい」とか「作品がたくさん売れてお金持ちになりたい」とかSNSを通して「こう思われたい」みたいなものが正直なくて、ひとつずつ活動し、ひとつずつ分析して反省していくことの繰り返しです。自分にできることは限られているので。

──その目的地はそのつどどうやって見つけていくんですか?

いろいろな条件設定や問題意識を起点にしていつも考えてます。たとえば、今度横尾さんの美術館で展示があるので、「横尾忠則」という存在について考えてみる。蓮沼執太フィルのライブのアンサンブルでは、十数人の演者とどのように2時間というコンサートの時間を展開させていくか条件を出していく。そんな雰囲気ですね。特にライブ・パフォーマンスでは、事前に論理や理屈で固めすぎないようにしてやっていくことを大切にしています。

──考えながらもその時々の興味に沿って動いていくような進め方ですね。

そうですね。現代を生きている人間のひとりとして、その時代の雰囲気や空気に影響を受けているはずです。作品制作において、社会とは無関係に自分の関心を突き詰める人も当然いるんですけど僕はそうではなく、自分の作品のなかに人を介すことから、このような発想に至るのではないかと思います。

蓮沼執太 撮影:編集部

──興味に従いながらも自分の関心ごとを突き詰めるわけではなく、あくまで時代の雰囲気や空気に反応していくというような。

そう。そこが自分の“とらえようのない感じ”として出ちゃってるのかもしれません。でも自分は自分ですし、嘘はつけません。もはや“とらえようのない感じ”で突き進む、というモードです。でも、やってもわかってもらえないようなときも当然あって「どうしようかな?」と悩んだこともあったりはしましたけれど、あんまりそんなことばかり考えてもしょうがないなと。このインタビュー、正直モードで話してます(笑)。

──“とらえどころのない感じ”と関連するのですが、蓮沼さんは、音楽や美術作品でもアウトプットの場ではいつでもとても飄々としているように見えます。どちらも自分がやるべき仕事として、職務をまっとうするために淡々と取り組み続けているような。

そんなサイボーグみたいな感じですか?(笑)。でもたしかに“飄々としてる”ってよく言われます。さきほども言いましたが、僕は人がいないと成立しないような作品が多くて、作品単体で何かが起こっているっていうことをあまり信じていない節がある。他者に委ねている部分がものすごくあるからそんなふうに表出しているのかな。

NAGANO ORGANIC AIR 2022(長野県小海)滞在制作時のフィールド・レコーディング 撮影:藤澤智徳

──ちなみにさきほど、時代の状況や問題意識の話があったと思うんですけれど、直近で関心のあることはありますか? 最近の蓮沼さんはどのようなモードでしょうか。

僕はもともと学生時代からガンガン作品を見て聞いてインプットするタイプだったのです。でも、作品を作るときはその真逆で、枯渇するまで、自分がもう乾ききるまで、何も入れない、インプットしません。そうしないと自分の中から強いものが出てこないんじゃないかなって。
現実的な問題として存在する社会問題をトレンドのように作品の中に取り入れてアウトプットするっていうやり方もそろそろ疑っていかないといけないんじゃないかと思っていて、危機的な状況で作品をアウトプットしていくことの責任についても考えます。

「Someone’s public and private / Something’s public and private」の様子 撮影:大野雅人

ともに在るというスタンスとコラボレーション

──蓮沼さんのテキストを振り返ると「公共」「共在」など「共」に関する言葉が多く使用されていて、人々とともに何かをしようという姿勢があることがわかります。ニューヨークのトンプキンス・スクエア・パークで行われた展示「Someone’s public and private / Something’s public and private」では、水の入ったボトルを人々が思い思いに移動させたり、飲んだり、そのバラバラな在り方を好感を持って見ている蓮沼さんの眼差しが伝わってきたんです。その人がその人なりにいることを好ましく思うのは、様々なプレイヤーが集まる蓮沼フィルの活動にも表れているのかなと思っていました。(*「Someone’s public and private / Something’s public and private」は7月17日に神戸市のみなとのもり公園にて展示予定)

そうですね。「Someone’s public and private / Something’s public and private」と蓮沼執太フィルの活動はわりと近しいと感じています。作品というフレームの中にオブジェクト(ボトルや楽器)があって、そこに人が入り込んで一定の時間のなかで何かを起こすという仕組みも、本当のところは来た人にしかわからないという点でも。「共在」は僕の基本的なスタンスでもあって、いつでも「ともに在る」という感じがしっくりくる。反対に、社会が掲げる「共生」っていう言葉には抵抗があります。死を隠すようにして、生きることだけに集中し過ぎているから、いまのような成果主義的な社会になってしまっているんじゃないかと思います。

「Someone’s public and private / Something’s public and private」の様子 撮影:大野雅人

──7月11日〜17日に兵庫県の横尾忠則現代美術館で発表するサウンド・インスタレーションはどのようなものになりますか?

横尾さんの声を使って「Delay(遅延)」をテーマにした作品を発表します。以前から横尾さんの声は独特だなと思っていて、自分との会話で出てきた声を使って作品を構成する予定です。

横尾忠則現代美術館で発表するサウンド・インスタレーションちらし

──もともと横尾さんとはお知り合いだったんですか?

2020年に蓮沼執太フルフィルのアルバム『フルフォニー』のアートワークを手がけていただいたことのご縁です。横尾さんは細野晴臣さんや一柳慧さんとも親交が深く音楽のつながりも多くあります。僕自身は摩訶不思議なことを信じてる人間というわけでもないんですが、横尾さんのインタビューやテキストを読んだりすると、因縁を強烈に痛感するんですよね。

『フルフォニー』のアートワーク

──楽しみです。蓮沼さんはこれまで本当にいろんな方とコラボレーションを行っていますね。思いつく限りでも、横尾さんのほか、エレナ・トゥタッチコワさん、磯谷博史さんや五月女哲平さん、音楽ではU-zhaanさん、小山田圭吾さん、中村佳穂さん、灰野敬二さん、最近では小林幸子さん、鎮座DOPENESSさんなど、年齢やジャンルもキャリアも様々です。

僕としてはコラボレーションが多いとは思ってないんですよね。結局はいつも自分の創作の場所で、ああでもないこうでもないとひとりで試行錯誤している時間が圧倒的に多いので。そんななかでのコラボレーションは自分自身の凝り固まった思考をほぐしてくれる効果があります。最近では、蓮沼執太フィルのアルバム『symphil』のアートワークを友人のジョアンナ・タガダ・ホフベックさんが描いてくれたんですが、ジョアンナの活動もすごく多彩でリスペクトしています。すべてのコラボレーションはリスペクトが前提にあると思います。

『symphil|シンフィル』のアナログ盤

──すごく単純な質問なんですが、人と一緒に何かをすることは好きですか?

いや、そうでもないんですよ。どうしようもないですよね。実際には毎回大変なことが多くて、いつも「もう共同作業はこりごりだ!」と思うことが多々です。ですが、また違うコラボレーションがはじまっていきます(笑)。

──そうなんですね。ひとりで淡々と思索して制作する蓮沼さんと、その反対で、みんなで何かをするほうがいいじゃないかと提案するようなふたつのスタンスが見えて面白いです。

そうですね。でもそれって最初に言ったような、自分に明確なゴール設定がないからだと思います。たとえば建築事務所だったら設計図や完成図があってみんなで協力してそこへ向かっていきますよね。でも自分はそうじゃない。
あと、僕はわりと共同体に対して自分と相手の一対一で考えてしまう傾向があるんですね。15人いたら一対一でどう思ってるかにフォーカスしてしまうから、一人ひとりのことを考えているとやっぱりしんどい。でも、そうしないとだめだと思っている。だから「人と何かをすることは好きですか?」って聞かれたら、「いや、しんどいので好きじゃないですね」というふうに答えるけど、作家として共同的なプロジェクトはやるべきだと思っているし、人と何かを作り上げるっていうことは絶対忘れちゃいけないことだと思う。そういう単純な矛盾の話です。

蓮沼執太 撮影:編集部

「音楽」に疑いを向ける

──蓮沼さんは、展覧会やインスタレーションも音楽も同じように音楽的にとらえていると話されていたことがあります。それはどういうことですか?

それを話すにはまず、みなさんが思い浮かべる「音楽」は、どういうものかという話になってくると思います。
例えば、20世紀中盤から既存の音楽はどんどん壊されていき「ゼロ」に向かっていきます。「フルクサス」のようなハプニングはある意味で見る人によってはもう何が音楽なんだかわからないようなコンサートが立て続けに行われました。いわゆる一般的に心地よいメロディがまったく存在しないものを音楽だととらえる人もいるし、ノイズだととらえる人もいる。音楽の川はとても幅広く、現代はインターネット経由で全世界の音楽まですぐに聴くことができる。そうすると「音楽」とはなんですか?という問いが生まれてくる。

僕としては「まだレコーディングした音を音楽として聴いてるんですか? いつの発明だよ?」みたいな気持ちがあるんです。レコーディングをして音を届ける方法が資本主義のなかで発展して産業化された。いまもその経済の残り香と一緒にみんなが音楽を楽しんでるのだと思うんですが、僕はそのシステムを疑っていったほうがいいと思っています。音源制作という作曲作業だけをし続けるのは僕はちょっと我慢ができないんですね。なので、展覧会やインスタレーションも「音楽」として、僕なりの提案してきました。

──いつからそのようなことを考えていたんですか?

それは活動初期からです。制度を不自由に感じることが多いです。僕が生まれる前から存在するルールは、残念ながら現代のかたちに合っていません。そんな環境で一番傷つくのはアーティスト本人です。サポートされず制作を続けなければいけません。僕は活動を通して制度に揺さぶりをかけて、新しい視点を作れたらいいなと思っています。音楽家という立場からは、演奏家というよりも作曲家に近い発想なのかもしれません。

「プレイグラウンド:庭のあそび」(プレイグラウンド、京都、2023)展示風景

──4月に東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアルで行われた「ミュージック・トゥデイ」には私も家族で伺いましたが、会場で配られた冊子には咳払いも、くしゃみも、子供の声もなんでもOKというようなことが書かれていてすごく安心してコンサートに挑めました。それは今日蓮沼さんが話されたような「共在」のスタンスを感じましたし、まかり通っている雰囲気を壊す挑戦にようにも見えました。

コンサートで子供が喋れないような環境はやめたほうがいいと思っています。すでに世間では子供OKなコンサートもあるんですが、ランチタイム・コンサートのようなものが多いです。音楽的な示唆は置いておいても、人間が必死に何かをやってる熱量は子供にも伝わると思うんですよね。「ミュージック・トゥデイ」の会場で配った冊子には「子供の声、大人の咳や花粉症のくしゃみだって僕達の音楽の一部だと考えています」と書きましたが、偽りありません。これも昔からずっと言っていることなんですけど、演奏者だけが発信体ではありません。聴衆があって初めて「音」が「音楽」としてつながります。ステージから音を出して、その音がみんなの体や空間を通して反響しています。ステージ上だけで存在する音だけが音楽じゃないんですよね。

東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアルで4月2日に行われた「ミュージック・トゥデイ」の様子

──最後に、蓮沼さんは自分の作品は人々にとってどうあってほしいと思いますか?

自分が作ったものを「あとはみなさんで自由に楽しんでください」という気持ちはもちろんあります。ただ、どう解釈されるかは時が経てば変わるし、どんどんと変わっていけばいいんじゃないかと思います。

僕の場合、一つひとつの活動やプロジェクトが異なるとはいえ、わかりやすい線を引いて「蓮沼執太はこういう人です」という感じで出すわけではありません。なので、アートだから、音楽だから、映画だから、教育番組だからと、アウトプットの分野で区切ることではなく、ひとつずつ正面から真面目に向き合って作品を作っていくだけです。そこで自分ができることを精一杯クリエイションをしていくことがシンプルだけど大きなミッションですね。

──今日はありがとうございました。これからの活動も楽しみにしています。

SHUTA HASUNUMA KOBE 2023 スケジュール(題字:平山昌尚)

蓮沼執太(はすぬま・しゅうた)
音楽家、アーティスト。1983年東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して、国内外での音楽公演をはじめ、映画、演劇、ダンスなど、多数の音楽制作を行う。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、ワークショップ、プロジェクトなどを制作する。2013年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のグランティ、2017年に文化庁・東アジア文化交流史に任命されるなど、国外での活動も多い。主な個展に2016年「compositions : rhythm」(スパイラル、東京、2017)「作曲的|compositions」(Beijing Culture and Art Center、2018)「Compositions」(Pioneer Works、ニューヨーク、2018)「 ~ ing」(資生堂ギャラリー、東京、2020)「OTHER "Someone's public and private / Something's public and private」(void+、東京、2020)などがある。近年のグループ展に「太田の美術vol.3『2020年のさざえ堂―現代の螺旋と100枚の絵』」(太田市美術館、群馬、2020)、「Faces」(SCAI PIRAMIDE、東京、2021)など。2019年に第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

SHUTA HASUNUMA KOBE 2023

EXHIBITIONS & PERFORMANCES
1:D DE DEL DELA DELAY:横尾忠則美術館(7月11日〜17日)
2:BORDER (Studies) : OBG eu.(7月11日〜17日)
3:Screening “Meeting Place” with Masanao Hirayama:DORSIA(7月11日〜17日)
4:Someone’s public and private / Something’s public and private:みなとのもり公園(7月17日)

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。