志賀理江子は「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2022」において、秋田昌美によるユニット・メルツバウと2人のミュージシャンとコラボレーションとし、最新作『Bipolar(バイポーラー)』を発表する。同作は、志賀が生活と制作の拠点とする宮城県で撮影した映像素材を、VJのようにリアルタイム操作するビジュアルコンサート。近年の志賀が見てきたものごとがミュージシャンたちの即興演奏と融合し、視聴覚を刺激する実験作になるはずだ。
──KYOTO EXPERIMENTで発表する『Bipolar』は、過去に作った映像作品を軸にした即興的なパフォーマンスになるとうかがいました。また、メルツバウ(秋田昌美)、バラージ・パンディ、リシャール・ピナスという前衛音楽家たちとのコラボレーションでもありますね。
ディレクターの塚原(悠也)くんから打診があったのが最初で……かなり前に「CREAM ヨコハマ国際映像祭」(2009)で『CANARY』という作品をスライドショーにしたことがあって「そういう感じの新作はどうだろう、そしてメルツバウと一緒に」と言われたんですね。それで「ああ、なるほど」と。スライドショーは「写真のなかの時間」をリサーチするための作品で、同時にメルツバウも私に大きな影響を与えた存在なんです。
たしか2000年あたりにオーストリアで草間彌生展の巡回があって、その関連イベントではじめて聴いたはず。ラップトップPCひとつだけを使って、とんでもなくボリュームの大きな音が聴く人の身体を圧倒するような感じ。しかも音量が大きすぎるものだから、だんだん無音にすら聴こえてきて、それが自分の身体のなかから聴こえてくる音に感じられて、それがさらに機械音にも思えてくる……そんな錯覚をもたらす作品でした。
機械といえばカメラも機械ですし、私が機械産業の盛んな愛知県で育ったこともあって、近代生活の果て、近代が壊れゆく音のようでもありました。それは、メルツバウの音を通して自分という人間がいかに繊細な影響を受けているかに気付かされる体験でもあって、以来強く惹かれてきたんです。だから今回の企画を受けて「ぜひぜひやりたい!」と。
──映像面ではどのような内容になりますか?
土台になっているのは2019年に東京都写真美術館で発表した《ヒューマン・スプリング》です。同作の主題が双極性障害で、その英訳が「Bipolar」です。
──《ヒューマン・スプリング》は東日本大震災を題材にした作品ですね。
震災後の復興のなかで抑圧されてしまった人たち。地球が自転することで生まれる春夏秋冬といった自然の摂理に影響を受ける人間の精神。季節性気分障害というのもありますが、双極ってものの意味を問い直しつつ、人間がコントロールしえない領域を、宇宙的な影響もふまえて考えてみたのが《ヒューマン・スプリング》でした。
メルツバウの音楽にも、非常に重い抑圧を与えるような音によって精神性もしくは身体性・生理的なものが両極に引き裂かれて、人間が平穏でいられなくなる感覚があります。そういったことを掛け合わせていくと、《ヒューマン・スプリング》のテーマとメルツバウを聴いた経験はじつは私のなかでつながっていたのかもしれません。
……そういったことなどを思い出しながら、映像編集を進めているところです。ただ、上演自体はインプロ(インプロビゼーション、即興)なので、ミュージシャンたちと音合わせするのはおそらく直前のリハーサルが最初。けっこう未知な領域が多いので、かなり準備しています。
──『Bipolar』同様に、志賀さんの作品では身体への関心が継続的に語られてきましたね。
生まれ育った環境によってかたち作られた価値観や生理的なことも含めて、自分の身体のなかで何が起きているかってことは、たぶんいちばん大きな関心事です。いっぽうで、自分とは考え方がまったく違う人と会ったりすると、ほとんど埋めることのできないような差異を突きつけられて「なぜ?」と思ってしまう。そこにも身体の問題があって、大きな社会やシステムのことも大事だけれど、それがひとりの身体のなかでどういう風な影響を与えているかを、表現を通じて考えたいんですよね。
そういったことを正直に突き詰めていこうとすることのしんどさもあって、その「正直さの内実」みたいなものが決してよい/わるいでは判断できないような、混沌としたものであるってことをどう考えていけるか。自分自身も知りようのない自分の正直さを知りたいと思っています。
──『Bipolar』は震災を大きな参照点にしていますが、人類に身体と心の大きな変化をもたらしたものと言えば、2019年末から翌年にかけて始まった新型コロナウイルスによる地球規模のパンデミックにも触れざるをえません。私自身、流行のかなり初期に陽性になって後遺症に苦しんだ経験があり、心身の変化に直面しました。
私は「不安」について考えていました。恐怖ってものが心に入り込むと、人は強いものや大きなものに対して簡単に服従してしまう。自分はオリジナルな考えを持って行動したいと常々思っていたのに、それが簡単に崩れ去ってしまう心の脆さを感じましたし、現実にある恐怖に抵抗し続けることが、いかにタフなことなのかわかりました。
また、圧倒的に貧しい国や地域に住む、経済的な状況に恵まれない人たちがたくさん亡くなったり職を失ったりした状態を見ると、構造自体の厳しさも炙り出されます。そういう状況でも強くあるためには、過去のタフな経験や体験が必要であって、そういう意味でやはり震災も思い出しました。それは復興の方法も抵抗の仕方もわからなかった、2010年代初頭の自分を振り返る経験でした。
──たまたま別のインタビューで1995年の阪神淡路大震災について聞く機会があったのですが、被災後の神戸の街はある種の無法状態になったけれど、そのなかでも地元の暴力団が率先して炊き出しを行って市民を助けていただとか、近所にあるお寺の湧水を使って生活用水にするとか、それまでなかった行動が震災によって現れたそうです。極限の状況のなで生まれるクリエイティビティや協働性について考えさせられるエピソードだなと。
危機のときに、どれだけクリエイティブに動けるかっていうのは、オルタナティブに生きていることを普段から目指そうと思っている人間にとっては、本当に試される経験です。そういうときにこそアートなんじゃないの? とも思うし、2011年の震災時にあった「アートに何ができるか?」という問いは、その問い自体がおかしい気もするんですよね。
──コロナ禍以降、志賀さんは元パチンコ屋のスペースを改装し、常に開いていて、誰もが立ち寄れる場所としてのスタジオを作ったそうですね。これもクリエイティブと生存の両方に関わる取り組みのように思っています。
いろんなきっかけで生まれた場所です。わたしは震災以前から宮城に住んでいますが、毎日行けるような、長居してもいいような居場所を街なかに探し続けているんですね。それは例えば本屋さんだったりするんですけど、その機能を自分のスタジオに置き換えることもできるんじゃないかと思ったんです。とくに派手な仕掛けもなく、ただドアを開けておくことだけで、さまざまな状況下をサバイブできないだろうかと。それは心理的なことも含めてね。
いまはとても大変な時代じゃないですか。私の身の回りでもうつ病になったり、心身を壊す人がたくさんいて、治療のために一人でじっくりと時間を過ごすことも大切だけれど、日々の息苦しさをそのつどやりくりして乗り切るような居場所があったほうがいいんじゃないかと思っています。スタジオを開放していると、本当にいろんな人が訪ねてきますが、とくにもてなしたりせず、深い話をしなくても人が出入りしているだけですごくいいんじゃないか、という予感がある。その意志を示すものとして「DOING NOTHING BUT STUDIO OPEN(何もしてないけど開いてます)」って名前のスタジオにしたんです(笑)。
──気楽な居場所として。
そうですね。単に自分の仕事場を開放しただけなんですけど、うまく言語化できないような気づきもたくさんあります。例えば、展示というシステムに対する考え方も少しずつ変わってきました。
これまでは、作品作りました・展示始まりました・終わりました……の積み重ねでひたすら消耗するようなところがありました。そのサイクル自体はなくなるものではないけれど、それぞれの間の蝶番(ちょうつがい)になるような働きとして、このスタジオが機能している。それは自分でも納得できることだったし、「作ってばかりじゃないんだよ」と言えるようになったというか。
複数のドアが常に開いている感じが、私にはすごく合っていた。作品だけをストイックに作るというのも好きですけど、このゆるさはホワイトキューブだけでは伝わらないもの。
──スタジオにはどんな人が顔を出してますか?
写真やアートが好きな人も来るし、作家も来るし、近所の人や息子の友だちも来ます。子どもたちが10人も来ると、もう、えらい騒ぎになるんですけど「何もしないぞ!」という方針は変えないつもり(笑)。
──制作についても少しお聞きしたいです。冒頭で「スライドショーは写真のなかの時間をリサーチするため」だったとおっしゃってましたが、写真と時間の関係を志賀さんはどのようなものとしてとらえていますか?
写真ってものに強く心惹かれて、崇拝に近いような気持ちでずっと向き合ってきましたから、写真は自分が生きてるってこととセットであるくらい大事なことです。それはなぜかと言えば、死が怖いから。死って存在を、すごく小さな頃から脅威に感じてきたからです。
──動的な活動を静止して留めおく写真は、メディウムの性質としても社会的にも「死」を連想させます。
死の実態をほとんど感じない環境で育った世代であること、あるいは自分の住環境が特にそういう場所だったことも影響してると思います。そこには教育のあり方も関わっていて、よいものと悪いものをはっきり分けることが教育の土台にあり、それがヒステリーのような強迫性を持っていました。
でも、当然のことですけど、そのふたつの極点は実際にはグラデーションのなかにぼんやりあるものでしょう? そのことに思いを寄せず、おぞましいものに全部蓋をして済ませようとするような環境で生まれ育って、結果として日常から死が遠ざかってしまった。それはつまり、生きてるってことも遠いものになってしまっていたわけですよ。
スイッチひとつで電気のON/OFFができてしまう機械化された日常をまったく不思議に感じない。どこか不感症のような人間が私でした。でもそういうなかでも薄々気づくんですよね。おじいちゃんが死んだとか、テレビで交通事故があったことを知るだとか、時折現れる日常のなかの裂け目にある死に。で、そのまま思春期が来て、写真ってものに触れたとき、砂時計の砂のように、自分の身体っていうのは刻一刻と死に向かっているんだという実感を持ったんです。
──なるほど。
「過去に撮った時間がイメージになって現れる」というのが写真というものへの一般的な理解だと思うし実際にそうだとも思うんですけど、私の仮定では、どうもそういうものではないんです。
自分がカメラを使って撮影をして、それが紙に現れるっていうのは、自分が生きている過去・現在・未来という時間からはまったく外れた時空間を新たに作る行為。それは永遠というのとも違う、本当に独特な時空間で、それを自分が作れているかもしれないという錯覚と陶酔が、思春期の自分には救いのように思えました。自分の身体性と真反対の時空間が写真にはあるってことが、死から逃れる唯一の方法として、自分の支えになったというか。
その感覚を確かめるために、写真という空間のなかで何が起きているかを追求することはごく自然な流れであって、それで100/1秒で撮った写真をスライドショーとして100枚並べて再生してみるとか、映像の実験を繰り返すようになったんです。
──志賀さんの作風として、舞台美術のような空間をセットアップして異界的な風景を撮るものがありますが、それも「時空間を新たに作る行為」として理解できる気がします。
二重の生を生きるような時空が現れるというかね。だからなのか、映画を見たり映像を見るのが私は小さいときから苦しいんですよ。死に向かって動いてる時間を既に持っている人が、映画のような作られた時間を見るのはなかなかに消耗します。映像を見るというのは、夜空や夕焼けを眺めるというのとはまったく違う、二重の生を生きなければいけない負荷がかかる行為だと思っています。
自分の中にある映像的経験というと、記憶が続かないとか、突然白昼夢のようなフラッシュバックに襲われるとか、どこか途切れて点滅のように光っているものです。それは自分の身体が抱えている意識の波の表面のようなものであって、その下には自分が経験した無意識がぎっしり詰まってるんだな、みたいな。そのつど現れる波みたいなものが表象として映像的に現れているっていう感じで、いまも作品を作っていますね。
──波というと、やはり震災直後の東北沿岸を思い出しますね……。
私自身、自分の目でそれを見ました。人をいっぱい流していく波。その波の意味みたいなものが、震災からやっと11年目、12年目にして、自分がずっと向き合ってきた表象と関係するようになった感じです。これまでの10年間は波を見たって経験は、ただの恐怖でしかなかったし、気づきがあったとすれば「ものの価値がなくなった」という、社会的な価値の問題として波を考えていました。もしくは、予測不可能で圧倒的で、人間にはコントロールしえない力として波を見ていた。
でも自分の心のなか、身体のなかにも、あの波のような現象がずっと昔からあって、無意識の表象としてそれは出てくるんだってこと……いまはうまく言えないんですけど、いま本当に大事だと思ってます。時間のこととか。速度のこととか。
志賀理江子(しが・りえこ)
写真家。1980年愛知県生まれ。2008年宮城県へ移住。2004年ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン卒業。自らの写真行為の始まりを、「近代の果てのような時代に整備された安全・清潔・便利な住環境の中で育った私と、シャッターボタンを押すだけで目の前の現実を写し、そのイメージを手にできてしまうカメラ機器の親和性は、その暴力性において極めて高かった」とし、人間社会と自然の関わり、死への想像から生を思考すること、東日本大震災後は、国や巨大資本が推進した「復興計画」で抑圧され続ける人間の心⾝の狂いの内実を追い求めるような制作を続ける。近年は宮城県の制作の場「Studio Parlor」をオープンスタジオとして定期的に開き、ワークショップ、トークなどをアートコレクティブ「PUMPQUAKES(パンプクエイクス)」のメンバーのサポートの元で開催している。主な展覧会に「ヒューマン・スプリング」(東京都写真美術館、2019)、「Off the Wall」(サンフランシスコ近代美術館、2021)、「つまづきの庭」(旧観慶丸商店・石巻、2022)がある。 2021年、Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)2021-2023を受賞。