公開日:2024年6月20日

【対談】山田五郎と村上隆が、近現代の日本の美術史から読み解く「なぜ村上隆は嫌われるのか?」

京都市京セラ美術館で9月1日まで開催中の「村上隆 もののけ 京都」。本展を訪れた評論家・編集者の山田五郎と、村上隆との対談をお届け。(4月26日、ロームシアター京都で行われた「スペシャル対談 山田五郎×村上隆」をもとに再構成)

村上隆と山田五郎 京都市京セラ美術館「村上隆 もののけ 京都」会場にて 撮影:須賀亮平(Twelve inc.)

アーティスト村上隆と、評論家・編集者でYouTubeの人気番組「山田五郎オトナの教養講座」ホストの山田五郎との対談が、京都市京セラ美術館で開催中の展覧会「村上隆 もののけ 京都」のスペシャル対談イベントとして4月26日に実現した。じつはこの対談、村上が過去に直々に2度も山田にオファーをしていたもの。「夢が叶った」今回、村上が聞きたかったのは、西洋と日本の美術史に精通する山田の視点からの「なぜ村上隆が嫌われるのか?」という解説。応じた山田は、村上アンチの根源を近代日本美術の根深い問題として解き明かした!

山田五郎と村上隆 京都市京セラ美術館にて 撮影:須賀亮平(Twelve inc.)

日本美術の近現代史の歪みが生んだ、村上隆の「嫌われる理由」

村上:今日はありがとうございます。山田さんのYouTube番組は、ずっと拝見していました。

山田:「村上隆 もののけ 京都」は、お世辞抜きで期待以上に良かったですよ。《お花の親子》(2020)が東山を借景にした日本庭園の池にじつによくフィットしていましたし、《風神図》《雷神図》(ともに2023〜24)にしても、《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》(2023〜24)にしても、力作ですよ。 京都で開催する必然性のある展覧会になっているところがすばらしいと思いました。

村上隆 お花の親子 2020 © 2020 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. ルイ・ヴィトン「モノグラム・マルチカラーのトランク」 © LOUIS VUITTON 撮影:三嶽玲子

村上:今日は山田さんに、クリティカルに忌憚(きたん)のない解説をいただけるという期待をしています。じつは、2020年オリンピックの東京開催が決定した2013年9月7日(日本時間8日)の、その5分後に、「村上隆だけにはキャラクターを作らせたくない」という言葉がTwitter(現X)でトレンドになりまして。もう、とにかく嫌われるんです。

山田:なぜ村上隆は、嫌われるか。じつは私も今日はその話がしたかったんですよ。というのも、村上隆が叩かれる背景には日本における「美術」に対する理解の歪みが凝縮されているような気がするからです。たとえば《マイ・ロンサム・カウボーイ》(1998)がオークションで16億円で落札されたとき、私は多くの方から「あの作品にそれだけの価値があるのか」と聞かれました。村上さんに限らず、美術作品が高額で落札されたニュースが流れるたびに、同じことを聞いてくる方が必ずいる。なぜそんなことを聞くかというと、ご本人は納得できていないということを、暗に主張したいからでしょう。そこで、なぜ納得できないのかを逆にうかがうと、たいていは「美術の価値はお金では計れないはずだ」みたいな答が返ってくる。でも、この理屈はおかしいですよね。お金で計れないのなら、いくらで落札されようと関係ないはずでしょう。なのに値段に納得できないというのは矛盾しています。これが、私のいう「美術」に対する理解の歪みのひとつのあらわれです。

村上隆 My Lonesome Cowboy 1998 Ⓒ 1998 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

村上:《マイ・ロンサム・カウボーイ》は、アニメのフィギュアのような作品を作って、それが16億円で落札されたのが、僕のイメージを決定づけました。

山田:美術も、かつてはスポンサーが自分の家や教会を飾るためにアーティストに発注するという、普通の商行為だったわけですよ。ところが、ヨーロッパでは市民革命が起きて、王侯貴族が所有していた美術作品を市民の共有財産として公開する美術館が誕生した。「美術の民主化」という点ではよかったのですが、いっぽうで美術館は美術を日常から切り離して、買うものではなく観るものにしてしまい、美術館で観るファインアートと日常的に売り買いする工芸品との間に垣根を作ってしまいました。「美術はお金じゃない」という考え方は、美術館とともに生まれたような気がします。

村上:そういうお話を、よろしくお願いします。

「村上隆 もののけ 京都」(京都市京セラ美術館、2024)展示風景  Photo: Joshua White © 2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

山田:もうひとつ、古典的な西洋絵画の最大の特色は立体的な写実表現にあり、「実物そっくりに描く技術」の高さが作品の価値を判断するひとつの大きな基準になっていました。ところが19世紀に写真が登場し、そっくりに描くことの意味が薄れてしまう。そこで印象派以後の画家たちは、写実性よりも絵画にしかできない表現を、それぞれのやり方で模索していくわけです。そうなると、「そっくりに描く技術」に替わる価値判断の基準が、観る側にも求められる。とはいえ、自分だけの判断に頼るのは不安だから、画家の名前や作品の値段に頼りがちになる。美術の価値をお金で判断する風潮は、ここから生まれたのではないかと思います。

村上:ある種のねじれ構造を作ってしまった要因には、江戸末期から、富国強兵的な明治時代に流れていく、西欧型近代国家の方向性を定めるにあたって、「日本画」というものを立ち上げざるを得ない程の極端な西欧偏向が芸術界にはあった

「村上隆 もののけ 京都」(京都市京セラ美術館、2024)展示風景  Photo: Joshua White © 2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

山田:そこですね。美術はお金じゃないと言いながら値段でしか判断できない歪みは、西洋の近代社会の産物ですが、その歪みが日本でとくにこじれてしまったのは、明治以降の美術の受容のあり方に問題があったからだと、私も思っています。まず、西洋では市民革命の結果としてできた美術館を、我が国では形だけ真似てお上が作った。ファインアートを意味する「美術」という概念自体が明治以降に西洋から輸入されて、まだ定着もしていないうちに、偉い人に「これが美術というものじゃ」といわれれば、「ははーっ」と仰ぎ見るしかできないわけで、自分なりの価値判断基準が育つはずもない。さらに悪いことに、じつは偉い人たちのほうも、何が美術かよくわからないまま威張ってた。

村上さんがおっしゃるように、岡倉天心やフェノロサは、それまでは工芸との区別がなかった日本画を西洋でいう「美術」の位置にまで高めようと、1887年に東京美術学校を創立しました。ところが、すでにこの時点で、参考にすべき西洋美術の価値基準は、大きく揺らぎ始めていた。1896年に設立された西洋画科に、フランス帰りの黒田清輝が持ち込んだのは、古典主義と印象主義の中途半端な折衷様式でした。つまり、日本の美術教育は、「美術」という概念の土台になった西洋の古典美術をちゃんと消化吸収しないうちに、それを否定する価値観も同時に取り入れてしまったわけです。土台がぐらぐらしていては、まともな建物は建ちません。以後も日本の美術界は、西洋で次々に生まれてくる新たな美術思潮を表面的に追うのに精一杯で、背景にある歴史的必然性まで突き詰めて考えてはこなかった。その結果、「アートは自由で何でもあり」みたいな間違った「感性至上主義」が幅を利かせるようにもなってしまったんです。村上さんの作品が叩かれるのも、歴史的必然性が理解されず、表面的な「何でもあり感」だけで判断されていることに一因があるような気がします。

村上隆 風神図 2023-24 © 2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
村上隆 雷神図 2023-24 © 2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

村上:でも、「STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ」(森美術館、2020~21)で一緒だった奈良美智さん、杉本博司さんらは、嫌われてないんですよね。

山田:村上さんだけが叩かれるのは、日本のサブカルチャーやオタク文化を引用する作風のせいですよ。もちろん、その引用には美術史上の必然性があるわけですが、そこが理解されないから、たんにオタク文化の成果を横取りしてお金を儲けている悪い人だと思われてしまう。とくにアニメやマンガ好きには、いわゆる「嫌儲(けんもう)」、お金儲けが嫌いな方が多いですからね。

村上:「村上隆の五百羅漢図展」(森美術館、2015〜16)で、「ガンダム」の最初の監督の富野由悠季さんをトークのゲストでお呼びしたんですが、開口一番「あなたね、ただ乗りするのは、やめてほしいな。何もやってないのに、なんでアニメの代表者みたいな顔してんの」って。

海外でウケて、藤田嗣治と同じ憂き目にあった

山田:村上さんが海外で評価されるのも、日本のアニメやマンガの評価に乗っかっているだけだと言われませんか? かつて藤田嗣治が面相筆で描く細い線を用いた平面的な画風でパリで成功したときに、日本美術ブームに乗っかっただけだと批判されたのと同じですよ。日本人って、やたらと海外の人に日本文化をほめてもらいたがるくせに、日本的な表現で国際的に成功したアーティストは叩く。まるで国民の共有財産を私物化して儲けているかのように批難するんです。

村上:嫌われて、何がなんでも叩かれる。そこから僕、ほとんど日本のメディアに出ることをやめました。海外の展覧会のときにメディアには対応して、あとはInstagramみたいな。

村上隆 洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip 2023-24 © 2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
村上隆 洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip 2023-24 © 2023-2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

山田:そうする今度は、「村上隆は日本を捨てた」と叩かれる。藤田嗣治がフランスに帰化したときも、同じことを言われました。そのときに藤田が言った有名な言葉があって、「私が日本を捨てたんじゃない、日本が私を捨てたんだ」

村上:仕方ないです。

山田:そんな村上さんをさらに鞭打つようで心苦しいのですが、叩かれる理由をもうひとつあげさせていただくと、「自分で作っていない」問題があると思います。《マイ・ロンサム・カウボーイ》を作ったのは海洋堂のフィギュア原型師BOMEさんだし、《五百羅漢図》もスタッフ総動員で描いてるじゃないか、と。でも、これも理不尽きわまりない批難ですよね。そんなことをいったら《太陽の塔》だって岡本太郎じゃなく建設会社が作ってますし、ラファエロもルーベンスも大工房で制作してる。そのあたりも、もう少し理解してほしいところですよね。

コトをややこしくした「スーパーフラット」

山田:そんな感じで、村上さんは母国・日本で理不尽に叩かれまくっているわけですが、それもこれも、現代アートをたんなる「なんでもあり」の感性の世界と勘違いして、背景にある歴史的必然性に目がいかない、「美術」理解の浅さのせいだと思います。村上さんの作品を美術史上の文脈に位置づけるキーワードとなる「スーパーフラット」という概念も、言葉としてのわかりやすさが逆にコトをややこしくしているというか、たんに平面的な表現を意味しているととらえられがちです。本来は、ファインアートとアニメ、芸術と芸能など、あらゆる差異の境界があいまいで全てが並列にある現代の日本社会の構造に可能性を見出そうとする芸術理念だと思うのですが。

村上:(美術史家の)辻惟雄先生の『奇想の系譜』を読んだとき、狩野山雪《老梅図襖》が紹介されていて、山雪が梅に託した感情の爆発っていうものが、70年代後半のアニメのスペクタクルシーンの表現、主に金田伊功さんの描くフォームと、同じなんじゃないかと想定しました。辻先生に、その辺を説明しますので研究して頂けませんか?とお願いすると、「そういうのはあなたが自分で本を書きなさい」と言われました。それで自分で検証しようと思って、本(『SUPERFLAT』、2000)を作りました。

村上隆 雲竜赤変図《辻惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン 2010 © 2010 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

山田:元々は、絵画表現上の技法としてのスーパーフラットだった。

村上:そうですね。海外ではコンセプチュアルアートの文脈を、あまたの言葉で説明しているシーンがあるにもかかわらず、日本にはそれがひとつもなかった。ミニマリズム、シミュレーショニズムのように、スーパーフラットという言葉を使ってみた。

山田:そしたらその戦略が、思いのほか、うまくいったと。

村上:そうですね。それがまた嫌われてしまった原因なんですけど。「戦略」って言葉が、おそらく日本のクリエイティブ業界では、アレルギー反応が出ました。

「村上隆 もののけ 京都」(京都市京セラ美術館、2024)展示風景  Photo: Joshua White © 2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

山田:いや、スーパーフラットは美術だけじゃなく哲学や社会学にも応用できますし、クリエイティブ業界にとってもおおいに「使える戦略」だと思いますけどね。

村上:いわゆるポップアートの対義語だったんです。日本は戦争で焦土と化してしまったんで、ぺっちゃんこのまんまで。ポップアップの対義語という思いで作ったわけです。

山田:西洋絵画では近代以降、古典絵画のキモだった遠近法に対する疑問というのがずっとあって、19世紀のジャポニスムで日本絵画の平面性が注目されたのもその一環だったんですが、最近はポストモダンを語る文脈上で「遠近法的ではない絵画」が再び注目されていますよね。架構の序列に視線を封じ込める遠近法はむしろ極めて近代的であり、近代社会のシステムが崩壊したポストモダン社会には日本画的なフラットな視線のほうがしっくりくる、みたいな論調もあって、スーパーフラットはそこに見事にハマったんだと思います。現代アートは決して感性だけの「何でもあり」ではなく、そういう歴史的文脈上の位置づけが不可欠なんですよ。

「戦略」アレルギーを超えて、国際的な接合点を生む

村上:『SHOGUN 将軍』というDisney+でやっている全10話のドラマがあって、主演の真田広之は、これまでアジア人としてポリティカルコレクト的に問題があるような役をさせられ続けてきた。それが今回、俳優としてだけではなくプロデューサーとしても名を連ね、ハリウッドのお金と技術を使って日本文化を面白いかたちで表現できている。僕の場合、向こうで成功できたのは、彼らの舞台に立たせてもらったからっていうのが大きかったです。箱そのものが、まったくレベルが違うし、展示、プロモーションも違う。もし日本でだけスーパーフラットを発表しても、ここまで拡散はできなかったと思います。

「村上隆 もののけ 京都」(京都市京セラ美術館、2024)展示風景  Photo: Joshua White © 2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

山田: その舞台に立つには、やはり戦略は欠かせませんよね。

村上:はい。たとえばいま、K-POPがアメリカとかでワーッと盛り上がっていますが、あれは戦略的にやっていることは間違いありません。いまニューヨークのブルックリン美術館で開催中の「広重の名所江戸百景(feat. 村上隆)」で歌川広重とコラボした作品を出品していますが、それもアメリカの政治、ブルックリンっていう、ある種黒人が中心の文化圏の美術館で、日本人がどういうふうにできるのか、本当に細かく戦略は立てて、作品を設えました。

山田:日本の美術大学では、そういう戦略をちゃんと学生に教えているんですか。

村上:教えていません。

山田:なんで教えないんでしょうかね。 それがもう昔から疑問で。

村上:先生方が未体験なので知らないし、仮に教えても、わからないんじゃないですかね。僕に続く人が出てこないのは、興味もないし、面倒くさいし、金はかかるし、あんまり得することがないんですね。

山田:これは美術だけでなく映画やアニメやマンガでも同じですが、日本のクリエイターが海外市場に無関心でいられたのは、国内に充分な市場があったからだといわれています。でも、その国内市場がどんどん縮小してきているわけで、だからこそ政府もいまさらまたクール・ジャパンとか言いだしているわけですよね。その意味で、海外で成功した実績のある村上さんの戦略は、もっと評価されていい。

「村上隆 もののけ 京都」(京都市京セラ美術館、2024)展示風景  Photo: Joshua White © 2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
「村上隆 もののけ 京都」(京都市京セラ美術館、2024)展示風景  Photo: Joshua White © 2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

村上: パンデミック後、世界の価値観が変わりましたよね。僕、東日本大震災のときに引っ越して、京都に十数年住み暮らしていますが、東京との大きな違いは、京都は「マネードリブン」で動いてないんですね。「知りあいドリブン」っていうか、信用でもって物事を動かす。アメリカは野蛮な国だったがゆえにマネードリブンになった。僕もちょっとマネードリブンしすぎた部分もあったし、そうではないところにスライドしていきたいなっていう気持ちもあって。

山田:なんか、「いい人」になろうとしていませんか? 申し訳ありませんが、美術における歴史的文脈や戦略の重要性について、もっと多くの日本人アーティストに気づいてもらうためにも、村上さんにはまだまだ叩かれ続けてほしいです。


YouTubeでもトークを公開中!

山田五郎
やまだ・ごろう 編集者・評論家。1958年東京都生まれ。上智大学文学部在学中にオーストリア・ザルツブルク大学に1年間遊学し西洋美術史を学ぶ。卒業後、講談社に入社『Hot-Dog PRESS』編集長、総合編纂局担当部長等を経てフリーに。現在は時計、西洋美術、街づくりなど、幅広い分野で講演、執筆活動を続けている。主な著書に『知識ゼロからの西洋絵画入門』(幻冬舎)、『へんな西洋絵画』(講談社)、『闇の西洋絵画史』(全10巻、創元社)、『機械式時計大全』(講談社)、『世界一やばい西洋絵画の見方入門』(宝島社)ほか多数。

村上隆
むらかみ・たかし 1962年東京都生まれ。1993年、東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士号取得。2000年、伝統的日本美術とアニメ・マンガの平面性を接続し、日本社会の在り様にも言及した現代視覚文化の概念「スーパーフラット」を提唱した。2001年、自身が代表を務める有限会社カイカイキキを設立。2005年、「リトルボーイ展」(ジャパン・ソサエティ、ニューヨーク)にて、全米批評家連盟ベストキュレーション賞受賞。2015年、文化庁「第66回芸術選奨」文部科学大臣賞受賞。近年は、「Stepping on the Tail of a Rainbow」(ザ・ブロード、LA、2022年)、「MurakamiZombie」(釜山市立美術館、釜山、2023年)、「Understanding the New Cognitive Domain」(ガゴシアン、ル・ブルジェ、2023年)、「Takashi Murakami: Unfamiliar People – Swelling of Monsterized Human Ego」(アジア美術館、サンフランシスコ、2023年)など、世界各地で個展が開催されている。

沢田眉香子

沢田眉香子

さわだ・みかこ 京都拠点の著述業・編集者。アート・工芸から生活文化までノンジャンル。近著にバイリンガルの『WASHOKU 世界に教えたい日本のごはん』(淡交社)。