今年3月に刊行された『芸術を誰が支えるのか アメリカ文化政策の生態系』(京都芸術大学 舞台芸術研究センター編)はそのタイトルから、文化政策や行政といったアートシーンという名の巨大な川の上流を扱う、研究書的な一冊のように思われるかもしれない。だが、そこで語られていることの多くはもっと身近なアートの「現場」の声だ。
ニューヨークは、経済やエンターテインメントのみならずアートにおいても過酷な超競争社会だが、同時に街に根付く多様性や歴史的背景を通して、人々に寛容さや助け合いの意識をもたらしてもいる。あてどなくこの街を訪れたエジプト系フランス人プロデューサーは、自身の創造性を糧にして場所との強いつながりを編み、もっと歴史をさかのぼれば、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグらが仲間のアーティストを助けるために行ったアクションが、現在も続く支援組織の土台にもなった。未来への展望が不確かな時代にあって、かれらの行動から学ぶことは多い。
本書を編著した橋本裕介へのインタビューを通じて、アメリカにおける芸術の生態系、そして日本で可能な未来の生態系について考える。
本書を編著したのは「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」や「ロームシアター京都」のプログラムディレクターなどを京都で務めたのち、現在は「ベルリン芸術祭(Berliner Festspiele)」チーフ・ドラマトゥルクとしてドイツで活動する橋本裕介。橋本は文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用して2021年3月からニューヨークに1年間滞在し、米国内における文化政策、とくにファンドレイジング(資金調達)のリサーチを行なった。同書の序文で、橋本はリサーチで得た3つのポイントをこう述べている。
1:劇場やアートスペースをはじめとする大小様々な芸術団体は、資金調達のプロセスにおいて、それぞれに工夫を凝らして「芸術の価値」を他者に向けて説得する不断の努力を積み重ねている。
2:かれらに資金を提供する政府や民間の助成団体は、芸術を社会との関係性のなかに位置づけ、その役割を適宜判断しながら、資金提供の根拠が明確で効果の検証に耐え、そして改善に対してオープンな助成金システムを実践している。
3:助成金提供者と、個人アーティストや小規模な芸術団体の間を架橋する「中間支援組織(Intermediary)」という存在が、資金提供におけるコーディネーター、あるいは政策立案者としての役割を果たしている。
大雑把にまとめれば、<1>は表現・創作を行うアーティストや劇場・美術館も含む芸術団体、<2>はアーティストに資金を提供する個人の富裕層や民間財団、<3>はそれらを効果的に結びつける中間支援組織を指し、この三者が互いに補完し合うことで「アートの生態系」と呼びうるエコシステムが、米国で形成されている様子が同書では紹介されている。
2019年末に始まった世界規模のパンデミックのなかで、文化庁による「ARTS for the future!(コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業)」などの助成金や支援制度をアーティスト自ら申請・活用する例は日本国内でも増加した。近年の非常に厳しい経済状況ともあいまって、「表現」と「カネ」の切り離せなさへの自覚を新たにした人も少なくないが、ニューヨークに見られる「生態系」のような相補的・自律的な関係を日本で形成するにはまだ遠い。限られたパイから、いかに巧みに、いかに多くの活動資金を自分たちへと配分させるかという「戦略」をあれこれ試す段階に過ぎない、とも言えるだろう。しかし、日本の人口が急激な減少傾向にあり、税収の低下も免れない状況で、現状ある文化芸術への助成制度が維持される可能性はまずない。こういった危機感も背景にして、日本では申請する側と助成する側が、お互いの腹を探り合うような空気がますます強まっている。そういった状況について橋本は、
日本においてこれまで芸術の側から支援の拡大を政治家や行政に訴え続けてはきたものの、「誰が」「なぜ」「どのように」それを支えるのか、といった文化政策の基盤になる問いについて、社会的な合意を目指して市民に開かれた議論を十分に行なってこなかったのではないか(…)極端に言えば、多くの支援が得られるなら、支援する側の意図は問わないとでも言えるような姿勢、あるいは「お上」からの施しなのだから、その政策の良し悪しは問わないというような姿勢によって、支援する側と受け取る側がお互いにしっかり向き合ってこなかったのではないか(P56、太線強調は本記事筆者が行った)
と、アートマネージメントに関わってきた自らへの戒めも込めて厳しく指摘している。
たしかに、コミュニケーション不全の関係性のなかで、「文化芸術を創造し、享受し、文化的な環境の中で生きる喜びを見出す」(文化芸術基本法前文より)という使命や目標が十分に共有されてきたとは言い難く、その不全が露わになったのが、同書でも触れられている「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」をめぐる議論や軋轢、右派団体などによる脅迫や妨害であり、それらを受けての文化庁による補助金交付の取り消しだろう。
同芸術祭終了後の2020年3月。文化庁はこの取り消しを見直し、約7800万円から約6700万円に減額しての支給を決定した。文化庁と裁判で争う構えを鮮明にしていた大村秀章愛知県知事(同氏は、あいちトリエンナーレ2019の実行委員会会長でもあった)は、「(文化庁との交渉の)経緯を申し上げることはしない」と説明を避け、ここでも文化政策を巡るコミュニケーションの不在が際立つ結果となった。(『産経新聞』2020年4月13日付記事「あいちトリエンナーレ、課題置き去り「灰色決着」 補助金不交付決定見直し」を参考)
もちろんニューヨークの文化政策においても、日本と同様の官僚的な政治を見出すことはできるだろう。だが、『芸術を誰が支えるのか』に紹介された多様な事例からは、同地のアーティストやアートワーカーたちの試行錯誤と実践を具体的に見て取れる。なによりも、橋本自身が舞台芸術の「現場」の当事者であることによって得られた、既存の統計や報告書では感じることのできない「生の声」が多数収められているのも、同書の特徴だ。本記事では橋本へのインタビューを交えながら、「芸術団体」「助成団体」「中間支援組織」それぞれの、クリエイティブで実践的な活動に触れていきたい。
だが、個別の具体例を紹介するその前に、米国の文化政策について手早く共有しておきたい。米国では、芸術に限らず多くの公的サービスが民間支援、広義の「寄付」に支えられている。
2020年のデータによると、寄付総額は4714億4000万ドル(約51兆8000億円)。このうち、個人による寄付は全体の69%を占める3241億ドル(約36兆円)もある。
この莫大な寄付総額のなかで芸術分野はわずか5%に過ぎないが、それでも2020年の1年間で236億ドル(約2.6兆円)にもなる。これらの寄付を受けられる芸術団体は「501(c)(3)」という法的資格を有する必要があり、「501(c)(3)法人」への寄付はすべて税控除の対象となることも、寄付者のインセンティブ(誘因)を高める理由のひとつになっている。
「501(c)(3)法人」がどのような団体を指すかについては、同書に収められたジャパン・ソサエティー芸術監督の塩谷陽子による論考が詳しい。
「501(c)(3)法人」とは、<1>営利を目的としない活動を行う、<2>事業所得に対する税金を納める必要のない非課税の団体であり、<3>この団体に現金や株券などの寄付をした個人・法人は、総所得への課税額からその寄付金額を控除できる。<2>の「非課税の団体」を除けば、日本における認定NPO法人と「501(c)(3)法人」のコンセプトはきわめて近いとも言えるが、「芸術をめぐる社会の仕組みの中でこれらの法人がどう《活用》されたり社会に影響を放っているかという視点」(P158)では、日米のあいだには大きな認識の差がある。
先に述べたように、米国の芸術助成は、助成対象を「501(c)(3)法人」に限っているが、日本での助成申請の条件に「(認定)NPO法人であること」とあるのはきわめて稀だ。つまり、日本では営利目的の団体、すなわち企業も助成金申請が可能なのだ。
ここだけを見れば、日本のほうが機会の公平性を担保しているとも考えられるが、米国では「助成金を与える」行為は、利益を目的とする活動への「投資」とは考えられておらず、ブロードウェイの商業演劇や飲食の売上を主な収入源とするライブハウスなどは助成の対象とはされない。「501(c)(3)法人」の資格を得るには、特定の人々のみを対象としない、公益性の高い非営利活動を行う団体であることが必須条件なのだ。
「501(c)(3)」にあてはまるような、ある一定の予算規模を持つ芸術団体の収入では、個人寄付は全体の約24%を占めているが、残りの約60%は団体自ら資金調達する必要がある。
資金調達の方法は、メンバーシップ制度や、特定の富裕層による大型支援者に対して行うガラ(セレブたちの豪華絢爛なドレスで毎年SNSの話題にのぼる「METガラ」はその代表例だ)など多岐に渡るが、営利企業で行われる「営業」とほとんど変わらないようなシステマティックな方法が、各団体の内部でしっかりと構築されているのが特徴だ。
橋本 メトロポリタン・オペラ(MET)に関する経験で印象的だったのが、数回チケットを買っただけの自分に対しても、何度も「寄付はいかがですか?」という営業の電話がかかってきたことです。
METでは「テッシトゥーラ」という資金調達のためのソフトウェアを独自開発し、さらにその開発・運用を行う別法人「Tessitura Network」まで新設しています。このソフトウェアはネットなどでのチケット購入情報と資金調達や寄付の情報をリンクさせています。そして電話で寄付の依頼をする20人ほどのマーケティングチームが、小口の寄付が期待できるかもしれない、たとえば在外研修に来ているだけの、まったく裕福ではない私にまで、こまめに連絡してくるんです(笑)。
橋本 このようにニューヨークでは、指をくわえて支援を待っているだけの団体や劇場はまずありません。しかもMETの「テッシトゥーラ」は、有償でほかの組織が使えるようにもなっています。幅広い観客のなかから、よりコアな支援者を増やす、育てていくことの必要をアートに関わる人たちが共有していて、そのための様々なコミュニケーション活動を「カルティベート(文化を耕す)」とかれらは言っています。
日本でも、資金調達のために不特定多数に向けて網を広げるクラウドファンディングを行う例が増えていますが、ニューヨークでは、どんな人たちが劇場や美術館に来て、どんなパフォーマンスや展覧会を見ているのかを具体的に把握するマーケティングの努力をしたうえで、かれらとのコミュニケーションをもっと深めようとしている。この積極性は日本の芸術団体ではまず見ることのないものです。
上記の例は北米最大規模の組織であるメトロポリタン・オペラの資金力と行動力あってこそのものだが、もっと小規模でオルタナティブな団体も負けてはいない。渡米中の橋本がとくに親しくなったという「インヴィジブル・ドッグ・アートセンター」では非常にユニークな資金調達方法の数々が開発されてきた。
橋本 トルコにルーツを持つエジプト系フランス人であるルシアン・ザヤンは、ニューヨーク滞在中にブルックリンの使われていない工場跡と運命的に出会い、リノベーションを施して「インヴィジブル・ドッグ・アートセンター」を2009年に設立しました。労働ビザもお金もなかったルシアンは、工場を埋め尽くしていた家具やアクセサリーといったガラクタを販売するフリーマーケットを自主開催し、2万ドルの売り上げとスペースの片付けを同時に実現しました。
ちなみにルシアンがフリマのためのインスタレーションの参考にしたのは、ちょうどMoMAで個展が行われていたマルティン・キッペンベルガーの作品だったそうです。
橋本 また、退屈で親しみを持てない「業界」的なガラ・パーティーを好きになれずにいた彼は、「ラ・サール・ア・マンジェ」(フランス語で「食堂」の意)という食事会を企画して、自ら厨房に立ち腕を奮います。最大12人の参加者は招待客のみで、ひとり300ドルの参加費を支払いますが、営利企業ではないインヴィジブル・ドッグでは、その1回あたり最大3600ドルになる収入を、売上ではなく団体の運営費のための寄付として扱っています。
インヴィジブル・ドッグでは、このほかにも年間約10万ドルの寄付のほかに、アーティストへのスタジオ貸し出し、年間6万ドルほどのポップアップストアの売り上げ、月5000ドルほどの収入があるというAirbnbの運営なども並行して行い、独自のサバイブ術を構築している。
橋本 地域コミュニティに根ざしたアートの場所として常に開かれているのも特徴です。冬でもセンターのドアを開けっぱなしにしていて、中を覗くとルシアンが机に座ってパソコンをいじっていたり、タバコを吸っていたりする。かといって自分たちの芸術的なヴィジョンに対して妥協的なわけでもない。日本だと過度に「親しみやすくてわかりやすいアート」を装いがちですが、この場所のアイデンティティを手放さないコミュニケーションをルシアンは心がけているようでした。
『芸術を誰が支えるのか』には、助成団体として「ドリス・デューク財団」「全米芸術基金」「ブルームバーグ・フィランソロピーズ」「アンドリュー・W・メロン財団」の各担当者へのインタビューが収録されている。巨万の富を築いた資本家一族にとって、税制上の優遇を得られる民間財団・公的慈善団体を通しての非課税の寄付が大きなメリットであるのは明らかとして、興味深いのは各財団が設置している多彩な助成プログラムだ。
ニューヨーク市長を務めたマイケル・R・ブルームバーグが設立したブルームバーグ・フィランソロピーズは、金融情報などを扱うブルームバーグ社らしく、芸術分野においては数値で測ることの難しい分野であることを前提にしつつ、データに基づいた「意味のある評価指標の設定」を心がけている。
また、同財団が始めた「アーツイノベーション&マネージメント」プログラムでは、中小規模の芸術団体へのマネージメントの能力形成(キャパシティビルディング)のトレーニングを複数年かけて行っている。それらのオルタナティブな芸術団体は、優秀なアーティストが中心となって立ち上がるのが一般的だが、マネージメントに関しては最善の方法にアクセスできていない場合が多い。同プログラムでは、たとえばデジタルマーケティングの専門知識に接する機会を設け、各団体がそれを使いこなせるための支援を行っている。
橋本 マネージメント人材の育成には時間がかかることを誰もが理解していて、ブルームバーグであれば、劇場運営やファンドレイズのための計画を各団体が練るための準備期間を2〜3倍の長さにするために補助金を出すんです。時間の余裕を持てることで運営計画の精度が上がり、集客や資金の増加につながっていく。その評価方法にしても、芸術における価値が数値化しづらいことを前提にしているので、たとえば実現のために団体が計画時間をどれだけ確保したか、などを基準にしています。
橋本 また、これはあらゆる非営利組織に共通することですが、理事の関与を非常に重視します。理事は単なる名誉職ではなく、団体のための資金集めを行って、団体に具体的に貢献することが求められるんです。そういった理事の関与の度合いも、助成プログラムの大きな評価要素になっています。
日本でも、アーティストや研究者らがリサーチなどのための旅費を提供する助成プログラムなど、ユニークな視点をもった取り組みが増えつつあるが、基本的にそれらは小規模かつ単発的なものに留まっており、ブルームバーグが提供しているような芸術団体自身が地力を得ていくための継続性や、アートシーン全体のインフラ整備やコミュニティ構築を意識したものには至っていない。アメリカの文化政策における助成のかたちの多様さ、視野の広さから学べるポイントは多い。
ここまで紹介してきた芸術団体と助成団体をつなげるのが、アメリカの非営利芸術を支える第三の重要な存在である中間支援組織(Intermediary)だ。中間支援組織の多くは基金を持たず、自ら資金調達を行い、そこで得た資金の再配分(Re-grant)というかたちでの芸術支援を行う。州や市の助成金や大型の支援財団は、その規模の大きさゆえに申請条件や用途に一定の制約があり、中小の芸術団体やアーティストのニーズに必ずしも合致しないことがある。中間支援組織は、そういった団体の声を資金を提供する助成団体へとボトムアップし、柔軟かつきめ細かい支援のための制度設計に大きな役割を果たしている。
そんな中間支援組織のなかで、もっとも古い歴史を持つ「ファウンデーション・フォー・コンテンポラリーアーツ」は、その設立の経緯からして異色だ。
橋本 1963年に設立した同組織は、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグら芸術家たちが、友人である振付家のマース・カニングハムがブロードウェイで公演を行う際の資金調達をするために、自分たちの作品を販売することがきっかけで生まれました。この取り組みは予想以上の成功を収め、カニングハムは「我々は皆同じ船に乗っているんだから、この支援をほかのパフォーミング・アーティストにも与えてはどうだろうか?」と訴えました。
これをきっかけにファウンデーション・フォー・コンテンポラリーアーツは非営利芸術支援団体として設立され、第1回慈善展覧会にはデ・クーニング、マルセル・デュシャン、アンディ・ウォーホルなどアーティスト67名が作品を提供。現在までに1000人以上のビジュアル・アーティストからの大規模な作品寄贈を受け、助成プログラムは支えられている(P251〜252)。
このほかにも、ロックフェラー財団のプログラムとして始まり、現在は501(c)(3)法人の資格を有する「MAP Fund」では、2022年から新たな助成金選考プロセスを実行し、業界を驚かせた。それは応募者選考の過程で、エクセル関数による無作為の抽選で85のプロジェクトが選ばれるというもので(最初の選考で、60人のアーティストやアートワーカーらが匿名で応募内容に投票を行い、最終的にMAP Fundの理事会で正式承認される)、一定のレベルに達しているプロジェクトであれば、その後の採択は申請書の「書き振り」ではなく「運に」任せるべきだ、という公正性の姿勢をはっきりと打ち出している。
また、次節で触れる「文化戦争」で全米芸術基金(NEA)がアーティスト個人への助成の大半を打ち切ったことを受けてアンディ・ウォーホル美術財団が設立した「クリエイティブ・キャピタル」では、プロジェクトで成功を収めたアーティストに寄付を募り、新たな作品制作を行うほかのアーティストの育成に関わる仕組みを形成している。
これらの例が示すように、米国の中間支援組織はアーティスト自身の主体性や能動性を中心に据えた事業理念を持ち、その事業を通してアーティストやアートワーカーが互いに関係を構築し合うことを積極的に促している。
橋本 今回のリサーチを進めるなかで、芸術に携わるどのセクターの人たちも強調していたのは、芸術の根っこはアーティストの存在そのものであるということでした。したがってアートシーンのどこに支援や資金を集中させるのかといえば、当然アーティストの存在だととらえ、一般社会が成果物のみを期待しがちなこととは裏腹に、その実現のために様々な支援プログラムとして実装してきたわけです。
コロナ禍においても顕著でしたが、アメリカでは、あえて事細かに成果物について問わなくても、アーティストは放っておいてもアーティストなのだから、社会に対してきっと何かを生み出してくれるはずだ、という前提が芸術文化に関わる人たちのあいだで共有されています。そして、その期待にアーティストは必ず応えようとする、という信頼関係もまた根付いているんです。
橋本 私が在外研修先としてアメリカを選んだ理由は、あいちトリエンナーレ2019における「表現の不自由展」を巡る議論でした。芸術文化に対して政府が露骨に介入してきたことに対して抵抗すべきだと思ういっぽう、芸術を取り巻く状況を目の当たりにして、私は無力感を感じていました。アート、とくに現代美術の人たちは強い関心を寄せていたけれど、少しずつほかの分野に視野を広げていって、さらに芸術の外までとなると、芸術に対してあまりにも冷ややかな反応が向けられていると感じたからです。
日本では展覧会に足を運んだり舞台芸術に親しむ層や文化的土壌はそれなりにあるけれど、その鑑賞者たちでさえ芸術とは水や電気や教育のように社会に欠くべからざるインフラとして認識しておらず、衣食足りた後の贅沢なものと考えているのではないか? そうなのだとすれば「表現の不自由展」の問題に対する抵抗も、あまりに分が悪いと思いました。そんなときにふと思い出したのが1980年代終わりにアメリカで勃発した「文化戦争(culture war(s))です。
編集者の小崎哲哉は、同書のなかで文化戦争について詳述している。この言葉が生まれたのは1980年代終盤から90年代にかけてのことで、自らの尿を入れた水槽にキリストの磔刑像を沈めたアンドレス・セラーノの写真作品《Immersion(Piss Christ)》と、ロバート・メイプルソープの写真作品のなかのセクシュアルな表象に対して、宗教右派、共和党議員たち、保守派が一斉に抗議キャンペーンを展開した。かれらはセラーノとメイプルソープの展覧会に全米芸術基金(NEA)が助成金を与えていたことを問題視し、1990年には「良識・敬意条項」を含む法令を理由に、NEAにパフォーマンスアーティスト4名への助成金の交付を拒否させる。「NEAフォー」と呼ばれるようになった4名は、不交付を決めたNEAを表現の自由を侵しているとして提訴。この論争は90年代末まで続いた。そして、連邦最高裁判所は「不交付は憲法違反ではない」と最終的に認定。この判決以降、NEAは芸術家個人への助成を取り止めた。
橋本 この文化戦争で芸術側は保守派に敗北し、大きな公的サポートを失いました。しかし、その後のアメリカの文化環境が後退したかといえば、ここまで見てきたようにそんなことはなくて、驚くべき復元力で現在の生態系を築いている。その背景を知り、その実践に触れることは「表現の不自由展」以降の日本の文化政策にとって意味があると思ったんです。
そして理解したのは、80〜90年代の文化戦争時と同様に、アメリカの芸術文化は時代ごとの「危機」に接するたびに様々な打開策を示し、実践してきたということです。メトロポリタン・オペラは1930年代の世界恐慌を受けてラジオ放送を正式に開始し、ラジオでコンサートを放送すると同時に個人寄付を募りました。アフリカ系アメリカ人の文化的アイデンティティの象徴であるアポロシアターはもともと営利企業でしたが、経営破綻を受けて、1980年代に非営利組織として立て直されています。困難な状況に対して、それでも芸術を続けていくのだという意思のもとに様々な方法をボトムアップで生み出してきた歴史がアメリカにはある。それはコロナ禍での取り組みにも見てとれます。
日本国内で海外の助成制度や寄付制度についてよく話題にのぼるのは、寄付制度の充実、要は裕福な個人や企業にとって、寄付すれば税制上のメリットがあるから支援しているのだというロジックです。たしかにそれは事実ですが、その起点には、ある危機が起きたときに文化やそれが生まれ育む場所を絶やしてはならず、それを自分たち市民が当事者として社会全体で支えるのだという多くの人の思いがあるんです。
ここまでで、米国における文化政策の生態系は概観できたと思う。いっぽう日本の場合はどうだろう。
『芸術を誰が支えるのか』終章に収録された座談会で、ニッセイ基礎研究所 研究理事・芸術文化プロジェクト室長(肩書は座談会当時)の吉本光宏は、公益財団・社団、認定NPO法人に対する個人寄付が住民税も含めれば5割が戻ってくる日本の寄付税制を「世界的に見ても厚遇されている」と紹介し、その仕組みを使って民間のお金を芸術団体に流す方法は有効だと指摘している(P345〜346)。また、橋本は近年いくつかの都道府県で整備が進む「アーツカウンシル」が米国における中間支援組織的な機能を担い、自分たちで目標を定めて資金調達することを提唱している(P323)。
橋本 日本で新しい組織をゼロからつくることは正直難しい。しかし、それでもお金が効果的に分配されるための組織が成熟することがもう絶対に必要だと思います。
少し話が逸れますが、文化庁の予算の推移を見ると、2001年ぐらいから正規職員の人件費が縮小しています。これは2002年まで続いた小泉政権が推進していた行政のスリム化によるものですが、いっぽうで文化庁の予算自体はちょっとずつ上がっているんです。全体予算の中で、人件費が下がり、助成金の額はちょっとずつ上がっている。そして、そのなかでもっとも大きく増えているのが運営費。これが意味しているのは、文化庁の補助金運営にあたっては、かなりの金額が外部委託する民間企業に流れているということです。
専門性を持つ職員が減り、代わりに民間企業が書類整理や審査会の運営をし、採択団体に通知を出し、事業が終わった後の領収書の確認などの事務的な手続きを行う。それらの業務を請け負っているのが、JTB、近畿日本ツーリスト、富士通といった文化芸術とはほぼ無縁の企業です。ちなみに私の在外研修の窓口を最初に担当したのはJTBで、それも年度を超えると日本旅行に切り替わりました。
橋本 実感として、そういった企業の担当部署はこちらの申請するプロジェクトの芸術性や社会性に本質的な関心を持っておらず、書類上適切に処理されているか否かという観点でしか、支援対象者に向き合っていないと感じます。そんな状況で、「文化芸術の創造的循環の創出(我が国の文化芸術のグローバル展開等)」(14億円)や、「我が国アートのグローバル展開推進事業」(1億5200万円)、「世界から⼈を惹きつけるグローバル拠点形成の推進」(5億2700万円)といった事業に振り分けられた莫大な予算が、効果的に使われているかといえば甚だ疑問です。
(『美術手帖』2023年1月7日付記事「文化庁令和5年度予算は1077億円に。前年度比1億円増のポイントは?」を参考)この状況自体は、少なくとも国レベルでは当分変わらない。だとすれば、適切な予算の配分に地域のアーツカウンシルは積極的に関わるべきではないでしょうか。現状、文化庁には地方自治体に直接助成金や補助金を出す仕組み(「文化芸術創造拠点形成事業の募集」「国際文化芸術発信拠点形成事業」など。後者は令和4年度まで実施)があります。地方自治体が申請主体になる補助メニューがいくつもあり、金額もアーティスト個人や芸術団体に出すものよりも当然大きい。こういった事業の申請や実施に、自治体によっては地域の広告代理店を使う例もすでにありますが、この役割を、専門性を有したアーツカウンシルならば担えるはずです。
橋本 また、ある種の政策提言をする機能や使命をアーツカウンシルは本来持っているはずで、アーツカウンシル自体がより主体的に「自分たちの地域の文化の未来をどんなものにしていくか」という姿勢を示すべきでしょう。またそれに連なる活動として、個人・企業・民間財団などへの資金調達も積極的に行っていく。そこで得られる資金は自分たちの自立性を高めると同時に、自治体や地域にとって文化芸術がいかに重要かということをアピールする広報活動にもなっていく。
この数年で、日本の行政では公共サービスを民営化する方向性がより強まっているように感じます。労働人口や財源の減少による効率化がその理由であったとしても、社会資本を支える「公とは何か」についての議論を手放すべきではないと私は思います。「表現の不自由展」の問題が示したように、芸術の側の訴えが社会の理解を得られていない現実は確かにある。けれども、理解を得るための努力は、社会から資金を得るプロセスとしてやってもいいのではないか。これが、アメリカでのリサーチで得た結論のひとつです。
橋本へのインタビューを通して、米国と日本における芸術のあり方、芸術に関わる人々の生態系においてもっとも異なるのは、コミュニケーションに対する姿勢だと感じた。
芸術文化の存続に関わる様々な危機に接するたびに、米国のアーティストやアートワーカーたちは、関係性のネットワークを広げ、強化すること、社会における芸術の意味や価値を芸術の外にも共有することを、手間を惜しまず続けてきた。いっぽう日本はといえば、極度に私的な活動圏に留まって自身の活動を社会化することを恐れたり、逆に大きな絵図の制度設計や政策提案はするものの、声をあげても具体的なアクションを避ける傾向が主流で、実行や行動に結びつかない印象がきわめて強い。
この日本的な傾向について考える時、筆者が思い出すのは2018年のKYOTO EXPERIMENTで手塚夏子が発表した『Floating Bottle Project vol.2 「Dive into the point 点にダイブする」』だ。観客参加型の形式を採った同作について、筆者は当時このように書いている。
3つにグループ分けされた参加者が、「だるまさんが転んだ」を模したゲームで競い合う『Dive into the point 点にダイブする』は、冒頭で手塚と(ヴェヌーリ・)ペレラが語るように、近代化の過程と、そこで起きる支配構造の強化をなぞる実験として構想されている。ルールに従ってゲームに参加しても、見学に徹しても、途中離脱しても許されるのは実験だからこそだが、それぞれが選んだ地点から見えるものは大きく変わる。
外から俯瞰して見えるのは集団心理の滑稽さや、作品そのものの退屈さかもしれないし、内側に留まって得られる近視眼的な体験と疲労は、支配されることの不快と快をもたらすかもしれない。あるいは内/外という二分法ではなく、もう少し広いグラデーションのなかで気楽な模索をすることもできる。筆者自身は、得点を頑張って求めるのも、逆らって下位グループに転落するのも嫌だったので、スタート地点でのらりくらりやりすごす方法を探ることに専心してみたのだが、監視するリーダーやサブリーダーの視界から逃れるために他のプレイヤーを盾にしてみたり、ときに露骨に命令に従ってみなかったりするのは楽しかった(最終的には下位グループに落とされてしまったけれど。そうなるとリーダーたちの視界にそもそも入らなくなるので、底辺から這い上がるのはきわめて困難になってしまう。社会の底辺で生きる弱者に、権力がサービスを与える理由なんてないのだ)。
(『REAL KYOTO』レビュー「集団と個、多声と単声」より)
積極的な参加を避けて「スタート地点でのらりくらりやりすごす」のもコミュニケーションの一形態ではあるのだが、自分のポジションが一定のラインを下回った途端、自分の声や身振りが意思決定する主体にまったく届かなくなり、コミュニケーションの回路自体が閉ざされてしまった。作品という枠内での「実験」とはいえ、この経験に慄然とさせられた。
橋本 東京国際芸術祭ディレクターなどを務めた市村作知雄さんが2013年(初出は2005年)に書いたドラマトゥルクについて書いたエッセイ(ネットTAM「アートマネジメントを超えて ドラマトゥルクへの転換」)は若い頃の自分にとっての「指針」でした。市村さんは「特に舞台芸術では、アートマネジメントはアートそのものについての自身の考えを語らない。アートそのものの価値判断をすることを避ける。そこが現在でもなかなか突破できない境界線である」と書き、「日本のアート制作者はアートに対して臆病」と断じています。約10年前の記事ですが、ここから受け取った刺激は自分のなかでいまも鮮明です。
「臆病」という言葉は強く響きすぎるかもしれないが、少なくとも、私たちは自分たちの固有のアイデンティティとしての「アート」の言語からコミュニケーションを始めることを、どこかで恥じている。それはアートを生業とする人々の慎み深さや思慮深さに由来するかもしれないが、それが単に「受け身でありたい自分たち」を許容する言い訳になってはいないだろうか。
「芸術を誰が支えるのか?」という問いの答えは、米国の例をふまえればアーティスト自身でありアートワーカー自身であり、そして同じ社会を共にする市民だろう。同書に収められた、きわめて具体的な実践例やアーティストとアートワーカーたちの肉声に触れることで、私たちは今日の日本では得難くなった「勇気」や「他者への共感」を知ることができる。
『芸術を誰が支えるのか アメリカ文化政策の生態系』
橋本裕介 編著
京都芸術大学 舞台芸術研究センター 3500円+税
https://k-pac.org/readings/9964/
橋本裕介
1976年福岡生まれ。京都大学在学中の1997年より演劇活動を開始、2003年橋本制作事務所を設立後、京都芸術センター事業「演劇計画」など、現代演劇、コンテンポラリーダンスの企画・制作を手がける。2010年より京都国際舞台芸術祭を企画、2019年までプログラムディレクターを務める。2013年から2019年まで舞台芸術制作者オープンネットワーク理事長。2014年から2022年までロームシアター京都所属。2022年9月よりベルリン芸術祭チーフ・ドラマトゥルク。文化庁「新進芸術家海外研修制度」にて、2021年3月〜2022年3月ニューヨークに滞在。