⽇本における新たなアート振興の拠点として、「アートをつなげる、深める、拡げる」をミッションに掲げる国立アートリサーチセンター(NCAR)は、2024年3月22日、国際シンポジウム「美術館とリサーチ|アートを“深める”とは?」を国立新美術館(東京・乃木坂)で開催した。
このシンポジウムに先駆け、21〜22日にはキュレーターやアーティスト、研究者ら有識者による4つのセッションを開催(一般非公開)。今回Tokyo Art Beatでは、この4つのセッションとシンポジウムのレポートを全5回でお届けする。
この記事では、前日3月21日に開催された、国際的な展覧会(ビエンナーレなど)に出展するために必要なリサーチについて、キュレーターの視点からプレゼンテーションし、議論を行う「セッション3:キュラトリアル・セッション」をレポート。前半にモデレーターとパネリスト2名のプレゼンテーションが行われ、後半に議論が交わされた。
◎モデレーター
ヘイリー・エアーズ(e-flux/上海ビエンナーレ2023 キュレーター)
◎パネリスト:
スー・ウェイ(キュレーター/アートライター)
アビジャン・トト(キュレーター/アーティスト/アートライター)
最初にプレゼンテーションを行ったのが、セッションのモデレーターを務めるヘイリー・エアーズ。1998年に立ち上げられたオンラインのアートジャーナル「e-flux」の創設者、アントン・ヴィドクルがメインキュレーターを務めた「上海ビエンナーレ2023」は、「コスモス・シネマ」をテーマに開催された。「(秩序と調和の表れとしての)宇宙」と「映画(館)」がどのように結びつくのか、その背景となるリサーチが紹介された。
宇宙の力は地上のあらゆる生命活動と結びついており、そこへの理解を深め、想像を広げることは、多様な課題と向き合う人類が共生する手がかりになるはずだ。長く宇宙と宇宙主義について研究を続けてきたヴィドクルと、エアーズを含むキュレーターたちがその意識を共有していることが企画の出発点となった。
そして上海をリサーチすると、史上初めての映画が発表された翌年の1896年には、映画の祖であるルミエール兄弟が上海にカメラマンを派遣して撮影を試みた記録が残されており、1899年までには上映を定期的に行う環境が生まれていたことがわかってきた。映画史の最初期に上海では映画産業が生まれ、娯楽として発展したのだ。ヘイリー・エアーズは、映画理論家がかつて残した言葉から、映画をリサーチすることも重要だったと話す。
「映画監督で理論家のアレクサンダー・クルーゲは、宇宙には映画と同じく、あらゆる過去のできごとが光の軌跡として収蔵されていると話しました。別の映画理論家であるアンドレア・バザンは、映画はまだ開発されきっておらず、限りないポテンシャルを秘めていると述べています。つまり映画には、過去と未来への両方の視点が含まれているのです」
狭義の「コスモス・シネマ」に陥らないようSFや未来的な映像作品に偏ることなく、「人が宇宙をどのように理解し、関係しているか」を多様なアプローチから紹介できるキュレーションを心がけた。スペインの彫刻家で画家のホルヘ・オテイサ、日本でも馴染み深いイリヤ&エミリア・カバコフやカールステン・ニコライ、リアム・ギリック、日本人作家も河口龍夫、牧野貴、笹岡由梨子が参加するなど、様々な角度から宇宙を感じられる作家が集められた。
中国の現代アーティストがどのような状況に置かれているかを示すために、近年関わったプロジェクトを紹介したのが、北京を拠点に活動するスー・ウェイ。リサーチのテーマは、中国の現代アートはいつ誕生したのか。1980年代後半、中国の複雑な近代化が開始した時期に生まれたという説がひとつあるが、彼はそこに100%賛成するわけではないという。過去数年のリサーチを通して仮説を立てた。1949年から79年の社会主義リアリズムが支配的だった時代の考え方、アートの実践というものが、2000年以降の、とりわけCOVID以降で中国の現代アートとグローバルな文脈の乖離が指摘される現在にまで、影響を残しているのではないだろうか、と。
その結びつきをどのように表現し、中国の美術史を改めて考えるべきか。そこには、創造性に裏付けられたパースペクティブが必要となってくる。スー・ウェイはこれまでに、リサーチをベースとする展覧会をキュレーションしてきた。プレゼンテーションで最初に紹介したのが、北京のInside Out Museumで2019年に開催した「Community of Feeling: Emotional Patterns in Art in Post-1049 China」。1950年代から1970年代のリサーチに、自身の解釈と想像を加えて肉付けした。
ヴィジュアルアートに限らず、文学や演劇、音楽などあらゆる文化領域で社会主義リアリズムが圧倒的だったこの時代。スー・ウェイは、「集団主義と個人のプライバシーの共存がこの時代に可能だったか、そこへの視点を反映した作家はいたのか」を軸にリサーチを行った。1960年代初頭は、政治的な圧力が緩かったこともあり、社会主義リアリズムに飲み込まれずにプライベートな表現を行っている作家もいたことがわかった。作品は当時のユーゴスラビアやソビエト連邦の中国研究者の手に渡っていた。しかし、毛沢東が文化革命を推し進めるに連れ、中国人アーティストの表現は、海外に中国の方法論や理想主義を表明するためのツールへと変わっていった。スー・ウェイは多くの資料と作品を集め、展覧会を通してアートに見る「無意識の社会主義リアリズム」を提示した。
そのほかにも、ソビエト連邦時代のモスクワにおけるコンセプチュアリズムについて記述したボリス・グロイスや、西洋のコンセプチュアリズムに見るリリシズム表現を分析したヨルグ・ハイザーなど、他国の状況へのリサーチについても語り、多角的に中国の現代アートを読み解くための試みについてスー・ウェイはプレゼンテーションを行った。
アビジャン・トトがインドでアートに関わる活動を行うようになったきっかけは、「ファシスト政権」と彼が表現するモディ政権に対する学生運動への参加だ。暴力的なデモ運動と関わるなかで、アーティスティックでキュラトリアルなアプローチで活動を展開することが、社会的に機能するのではないかと考えたのだという。
「私が重視しているのは、無節操なアプローチです。アートとは何か、科学とは何か、というように分野を区切ってしまうのではなく、より広く哲学的な意識を持ち、分野の境界を超えて世界と触れ合うことができないか。可能性を広げることが目的ですから、そこでは私のような性的マイノリティのクィアも多くの人々と関係を結び、世界の問題と向き合う姿勢を共有できるはずだと考えたのです。」
そして紹介されたのが、自身がキュレーションした「The Exhaustion Project(疲労困憊プロジェクト)」。学生運動で武装し、ときには警察の脅威を感じながら何日も過ごした経験をもつトトは、疲労を感じる原因は身体の有限性にあり、その限界が孤独を実感させるからだと考えた。インドの儀式にも着想し、このプロジェクトにおいては互いが身を委ね合い、動き、身体の多様性や疲労を共有することで、主義主張の区別も超えたつながりを実現できると考えた。
クィアである自分にとって、参加している伝統的な儀式に対して非批判的に参加することは難しかった。なぜなら、伝統的な儀式の形式の多くがカースト制度に結びついているからである。インドには豊かな伝統があること(自分が受け継ぎたいものかどうかは別として)、カーストや地域によって交わり得ない、インド独自の戒律があることなど、多様な側面に対する視点、生活を続けるうえでの実感とリサーチによる気づきがプロジェクトの出発点にあった。
インドに居続け自身のリサーチや表現を模索することの限界を感じたトトは、軍政化で真の民主主義を求める声が高まるバンコクへと向かった。性産業従事者やトランスジェンダー、クィアなどのマイノリティが権利を求め、さらには、10代前半も含む若者たちが変革を求めて声を上げていたことに大きく心を動かされたトトは、多様性の共存を「A House in Many Parts」というタイトルに込め、ジャンルも出自も限定しないアート表現のフェスティバルをタイのフランス大使館とゲーテインスティテュートの協賛で2020年に開催した。トトは最後に、自身がキュラトリアル・リサーチを続ける動機を話し、結論とした。
17世紀のウェストファリア条約以降、持てる帝国が植民地を増やし、弱い人々の命と土地を奪う伝統がいまも世界で受け継がれている。想像力を働かせ、その旧来の考え方に立ち向かい、新たな道を探す必要があり、アートはそこに重要な役割を果たすはずだとトトは考えている。
後半には、ヘイリー・エアーズがモデレーターを務め、ディスカッションが行われた。ローカルとグローバルの文脈でのリサーチをどのようにバランスをとって進めるか。また、展覧会を開催する際に、サイトスペシフィックであることを心がけるか。そういった質問がエアーズから提示され、まずスー・ウェイが答えた。
「準備段階で私はいつも、細かいところまで徹底的に調べることを心がけています。というのも、ある種の“中国の時代”とも呼べる影響力をもった近年の中国において、歴史的な視点や知性を置き去りにしたものが国内で受け入れられる傾向があります。そうした際に、グローバルに価値をもつ展覧会を実現するためには、アクティビズムやポスト植民地主義的な視点など、現代的なスピリットを取り入れていかなければなりません。
1980年代の民主化運動が頓挫したことで、90年代には現代アーティストたちは地下に潜っての制作を強いられました。2003〜04年からギャラリー産業が一気に成長すると、アートが売れるようになったいっぽう、90年代のスピリットが失われることにもなった。そうした時代性をどのように現代のグローバルな視点で取り上げるか、そこを見極めるために徹底したリサーチが重要だと思っています」
アビジャン・トトは「スー・ウェイがプレゼンテーションで話していたように、社会主義リアリズムの視点から歴史を見るとしたら、ある場所での視点とは異なるものが見えてくるように、社会によってコンテクストは異なってくる」と続ける。
トトは、数年前にオーストラリアで、ウィラドゥリと呼ばれる先住民のアーティスト、ジョエル・シャーウッドらと「To Catch A Bird With A Cloud」と呼ばれるプロジェクトでコラボレーションを行った。東南アジア、南アジアの視点を持つトトと、大地に回帰しようというオーストラリア先住民の視点を持つシャーウッドたち。トトは彼らと話すなかで、ローカルであること、土地性というのは、文字通りその場所の地面と重要な関わりがあることに改めて気づかされ、そこで行われた議論がトランスローカルなものだと感じたことをきっかけに、土地に最適化した展示を心がけることの重要性を意識するようになったという。
会場からは、そうした話とリンクするように、「自身の国籍や育ってきた文化などのバックグラウンドをキュラトリアル・リサーチにおいてどれだけ意識するか」「西洋美術史や植民地主義から離れ、脱中心主義的な視点を反映させるか」といった質問も上がるなど、先のプレゼンテーションを振り返りながら議論が深められた。
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