⽇本における新たなアート振興の拠点として、「アートをつなげる、深める、拡げる」をミッションに掲げる国立アートリサーチセンター(NCAR)は、2024年3月22日、国際シンポジウム「美術館とリサーチ|アートを“深める”とは?」を国立新美術館(東京・乃木坂)で開催した。
このシンポジウムに先駆け、21〜22日にはキュレーターやアーティスト、研究者ら有識者による4つのセッションを開催(一般非公開)。今回Tokyo Art Beatでは、この4つのセッションとシンポジウムのレポートを全5回でお届けする。
このレポートでは、前日3月21日に開催された、国境を超えたリサーチ活動と作品制作を行う4組のアーティストが登壇するセッション2「アーティスト・セッション」を紹介する。モデレーターは登壇アーティストとの協業経験もある、大舘奈津子が担当。各作家がどのような視点や方法でリサーチやフィールドワークを行い、その過程で得た様々な事柄から作品化・プロジェクト化しているかを語った。また、現状の課題や今後の展望などについても議論が展開された。
◎パネリスト:
キュンチョメ(アーティスト)
チョ・ジウン(ikkibawiKrrr)
高山明(シアター・ディレクター/アーティスト)
藤井光(アーティスト)
◎モデレーター:
大舘奈津子(一色事務所/芸術公社)
2011年の東日本大震災を契機に、ホンマエリとナブチによって結成されたアートユニット「キュンチョメ」。彼らにとって創作活動とは、現代にふさわしく更新された「祈り」であり「祝福」だと言う。
国内外の様々な場所に滞在し作品を制作してきた彼らは、リサーチや制作活動に際して大切にしているポイントを紹介した。
まずは、たんにリサーチしたい人に会いに行ったり質問したりするだけでは得られない、人やものとの出会いを求めて、抽象的、かつ遠回りなことを敢えて選び、急がないこと。次に、言葉や言語に頼らない、ノンバーバルなコミュニケーションを重要視すること。そして、どこにいてもネットを介して世界中の情報が一瞬で手に入る時代だからこそ、現地に足を運び、直接見聞きすることを大切にし、滞在制作のあいだはできるだけその土地に暮らす人々が愛するものを体験し、自身に“インストール”することで作品としてアウトプットできているという。
アーティストコレクティブikkibawiKrrrのチョは、韓国ソウル在住。チョは済州島に長期滞在し、素潜りでナマコやアワビ、海藻などを採取する海女(ヘニョ)たちに話を聞くリサーチを経て生まれた作品を紹介した。
済州島の海女は、歴史の中で強いられてきた厳しい暮らしの様子や、朝鮮戦争、一部島民が武装蜂起した1948年の「4・3事件」などの切り口で数多く研究されてきたが、チョは「彼女たちが海をどのようにとらえているのか」「海の中でどんな状況になるのか」などの問いかけを続けたという。そして、彼女たちが日々交わしている日常的な会話や、海中でのノンバーバルなコミュニケ―ション、口伝によって継承される命がけの漁の知恵などをふまえながら、採取する獲物ごとに異なる、海中での様々な漁の動作をダンスの振り付けに取り入れ、チェジュダンスアートセンターでパフォーマンス作品として発表した。
チョは、済州島の海女たちが持つ固有の経験や、互いに信頼し合う関係性を見出し、パフォーマンスや、その後に行ったワークショップなどを通して具現化できたことは、大きな学びだったと締めくくった。
演劇ユニット「Port B(ポルト・ビー)」を主宰し、演出家でありアーティストでもある高山は、既存の演劇の枠組みを越え、現実の都市や社会に介入したプロジェクトを世界各地で展開。近年は異分野とのコラボレーションを積極的に行っているが、台湾・台北の温泉地、北投(ベイトウ)地区を巡るツアー形式のパフォーマンス「北投へテロトピア」と、修学旅行というシステムを模倣し、関東大震災などの東京の歴史を辿る「東京修学旅行プロジェクト」は、ドイツの劇作家・ベルトルト・ブレヒトの教育劇をベースに、演劇的発想を観光ツアーや教育に応用した事例だ。現代的・批評的に取り入れたリサーチがポイントになったという。
どちらにも共通するのは、リサーチを経て作り出したパフォーマンスやプロジェクトのシナリオに、“他者”を招き入れたこと。つまり自分たちのコントロールが効かない、異物とも言える存在を内在させた点だ。
「北投へテロトピア」における“他者”とは、参加者が利用する地元の移動手段「バイクタクシー」のドライバーたちであり、「東京修学旅行プロジェクト」では、ガイドのように同行し説明を行う難民たちが、“他者”としての視点をもたらしている。
古代ギリシャで起きた反乱を、専門家による考古学・文化人類学的調査とインタビューに基づいて、現地の振付師やダンサーが再現。リエナクトメント(再演)を含んだインスタレーションとして発表した《第一の事実》(2018)。
福島とパリ・ボザールで文化財をミュージアムから救出した歴史を重ね、災害をいかに語りうるのかという思索や疑問を語り、文化と記憶の危機を鑑賞者に問いかける《解剖学教室》(2020)。そして、大分県佐伯市で、公募を経て集まった市民と太平洋戦争、終戦の日を演劇・映画制作のワークショップを通して見つめ直し、芸術作品として映像化した新作《終戦の日 / War Is Over》(2024)。
世界各地の歴史的な資料を多岐にわたってリサーチし、それらをもとに作品を発表している藤井は、海外と日本で手がけた作品群を紹介しながら、自身のリサーチをめぐる考察について語った。
なかでも、考古学者とのリサーチ時のエピソードは興味深い。「彼らは事実や知識だけでいい、真実は二の次だと言う。なぜなら、事実に基づく複数の真実が存在するからだ」と藤井。そして、「特定の事実に基づく複数の真実が存在する。別の言い方をすれば、特定の事実に基づく、複数のトポス、つまり問いや論点が存在し得る」という藤井の言葉は、どんな発言もすぐにSNSを介して世界中に広がり、仮説がいつの間にか事実となる現代で、仮説とフィクション、真実と事実の区分が曖昧になり、混乱する社会をとらえる手がかりになりそうだ。
参加者からの質問に答えながらのトークとなった後半では、国内外でリサーチを重ねる登壇者ならではの視点や、事例紹介や質問者からのキーワードをもとに会話が展開する、興味深い時間となった。
たとえば、プロジェクトを協業する相手との“コンフリクト”、つまり対立や揉め事などのネガティブな状況にどう対処するか、という問いかけについて、キュンチョメのふたりは「揉めたり上手くいかないことは折り込み済みで、柔軟に対応できるような余白を確保している」と話し、チョは「優先事項によってはコンフリクトが生まれることもあるが、互いに受け入れたり修正したりして、同じ目的やプロジェクトに向けて進めている」と答えた。
また高山は、「作品を作るうえでのコンフリクトはいつでも起こり得るもの。しかし年を重ねて徐々に対応きるようになった自分がいる」とし、敢えて企業や行政との協業など、コンフリクトが生じるような場に身を置き、資金集めとプロジェクトの立ち上げ、社会実装までをアーティスト自身で手がけることに挑戦していきたい、とも語った。
さらに藤井は、マクロ的な視点から、出来上がった作品がはらむ社会とのコンフリクトを指摘。作品の下敷きにした歴史を消そうとする、忘却しようとする社会との間に生じるもの、としながらも、相手への配慮や、超えてはいけないボーダーラインを守る倫理観にも言及した。
いっぽうで、登壇者の発言が一巡すると、キュンチョメは「ここまでの話は人間中心的。自然とコンフリクトすると死んでしまうから、人間は絶対に抗えない。アーティストはそんな目線も持っておく方がいいのでは」と発言。確かに重要な指摘だろう。
次に、セッションの終盤に投げかけられた、言語に頼らない“ノンバーバル”なインプット・アウトプットに不自由な側面があるか、という問いかけは、ここまで4名が紹介した事例や、日本語と英語、韓国語で進行する本セッションならではの視点だ。
バーバルな口伝のリサーチを元に、ダンスなどノンバーバルなパフォーマンス作品にしたチョは、対話のためには言語が必要だが、互いに表現し共感し合うのはノンバーバルな状況であり、その背景には共通の経験、ここでは海女の経験が大切では、とも語った。
そして、最後に問いかけられたのは“当事者”という言葉だ。質問者は、英語にも韓国語にも訳しにくい言葉だと話していたが、登壇者らも一様に、複雑で難しい言葉ととらえていた。藤井は、この言葉がはらむ力をふまえながら、「やはり大切なのは想像力では」と答えた。高山も、「他人の身になって考えること、そして自分を突き放して考えること。当事者とは、これらができる能力だと思う」と話した。
登壇したアーティストらは、それぞれのまなざしをリサーチを通して作品にし、作品を通して社会へ投げかけている。私たちが彼らの作品を通して受け取っている、問いや気づき、想像して考えるきっかけが、より手触りの確かなものに感じられるセッションだった。
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Naomi
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